Part6 死競場
会談のあった夜が明け、私は本当にマーファさんと街を散策するため、コレットの屋敷を出発する事になった。
「本当に行かなきゃダメですか?」
まるで憂鬱な気分を反映したかのように、空は陰鬱なコバルトブルー。快晴である。無遠慮で、刺すように降り注ぐ陽光には思わず顔をしかめてしまう。
肩が重いのは棺桶のせいではないと断言できた。
「もちろん。あちらさんはクレアちゃんを名指しで指名している。これは渡りに船だ。よろしく頼むよ」
訳知り顔のマシューさん。
どうやら、この出来事はスパイダーリリーとしては都合が良いらしい。というのも、今回やってきた魔術師が例年とは異なった事に起因する。
例年やってくる魔術師は魔術師協会の重鎮で、カーニバルの期間中は賓客としてもてなしていたらしい。そうする事で、迎賓館から外に出さないようにする狙いがあったそうだ。
表向きは歓迎してもいるので、争いの火種とはならない。魔術師の側もそれを理解しており、それに甘んじる形で毎年従っている。魔術師がスパイダーリリーに一目置き、スパイダーリリーもまた魔術師を歓迎する。こうする事で相互の良好な関係性をアピールすると同時に、魔術師側もスパイダーリリーも自己の目的を達成する。
単なる儀式とすら成り果てた、予定調和のイベントである。
魔術師側はスパイダーリリーを特別扱いし、その他を排する事で死霊術師の一極集中を狙う。スパイダーリリーとしては、年に一度の重要なカーニバルへの横やりを阻み、同時にこれから一年間の魔術師との因果関係を無視できる。死霊術師の都の祭りに参加し、あまつさえ歓待まで受けておいて死霊術を非難はできないだろう、という話に事実関係を基に持ち込むわけである。魔術師もまた、敢えてスパイダーリリーの思惑に乗る事で、死霊術師との抗争という事態の可能性を回避している。
それが今年は、何故か年若い魔術師が三人きりだったのだ。これにスパイダーリリーはこの対応に頭を悩ませる事となった。
今までと同じ対応をしては、魔術師の権力ある重鎮と、駆け出しの若者の扱いが同じになってしまう。侮られてもいけないし、歓迎しすぎてもいけない。微妙な対応が必要になったという訳である。
その結果が、コレットだ。
コレットの家柄は抜群だが、まだまだ少女と呼んで差支えない。相手を侮ってもいないが、最高の歓迎では決してない。絶妙な人選である。
もっともコレットには不満もあるらしい。出来れば能力を認められる形での抜擢が望ましかったようだ。その苛立ちこそが、昨夜の無礼な態度の正体である。自分が強く出た所で、役職も何もない魔術師が言い返す事はできないと踏んでの言動だった。
こうした微妙な関係による背景から、歓迎の宴を連日行う事で迎賓館に閉じ込めるといういつもの手が使えない。宿くらいは良い所を手配したものの、部屋に押しとどめられるような宴会など行う訳にはいかない。
しかしコレットとしても当然、何かしら理由をつけて監視する必要があるため、街の案内を申し出たのだ。そして余計な監視を嫌がったビスクさんが、それを何とか断ろうとしていた。というのが、昨日のやり取りとその裏事情であったらしい。
それを、事情を全く考慮しないマーファさんがぶち壊し、私を指名した、と。
「複雑な事情があるのは理解しましたけど……」
確かに、やっぱり私は行かないなどと言い出した結果、マーファさんがせっかくの機会を撤回する可能性がある。それは避けるべきだ。
仮に、何かマズい事が起きたとしても、責任も役職もない私ならばスパイダーリリーは無関係を主張する事も不可能ではない。小娘一人切り捨てて済むなら万々歳である。なるほど理屈では納得できる。
だが果たして、だからと言って私一人で行くというのはどういう事なのだろうか。
「仕方ないよ。カーニバルは目の前だぜ? コレット嬢は何だかんだ忙しいし、僕だってクロミツとしてやる事があるしね。あっちこっちから呼ばれてるんだ。クレアちゃんなら、いざ揉め事があっても対処できるだろうし。何より、大勢でぞろぞろ護衛なり警戒なりしたら、マーファさんが魔術師だってバレちゃうしね」
そう、マーファさんが魔術師である事が露見するのもマズいのだ。
街では昨夜に会談の場が持たれた事は誰もが知っている。歓待の場ではあるが、高名な死霊術師と魔術師が一歩も引かずに激論を戦わせている、と大多数の人が思っている。そういう事になっている。
これは互いにそうだが、魔術師を目の敵にする死霊術師も多い。カーニバルも目前で地方から様々な人が集まっている。魔術師に追われた事がある死霊術師もいるだろう。
そんな場所でのこのこと魔術師を連れて観光など、できたものではない。恐らく、想像できるあらゆるトラブルが起きるだろう。
「わかりましたよ……。コレットに生活の面倒まで見てもらっているのです。ここは私も一肌脱ぐとします」
「見させている、が適切だと思うけどね」
いざとなったら連絡を、というマシューさんから携帯電話を渡された私は、石畳を歩き出した。メールアドレスは持っているが、諸々の事情から私は携帯電話を持っていない。ポケットに携帯電話を放り込んで、溜息を飲み込んで、待ち合わせ場所を目指した。
待ち合わせ場所はスパイダーリリーの正門。昨日、記念撮影をしたばかりの所である。わかりやすいし、実際待ち合わせにはよく使われているらしい。
赤く、禍々しい意匠が見えてくると、そこには既にマーファさんがいた。
「はらへったー! おっちゃん、これうめーなー!」
今時そんな事を言う人がいる事に驚くような、田舎から出て来た腕白少年みたいな事を言っている。
マーファさんが手に持っているのは、毒抜き毒キノコの串焼きだ。紫に白の斑模様が食欲をそそる一品である。
十本に一本くらい毒抜きに失敗したものが毎回混じっているのもご愛嬌。コレットは確実に食べないだろう、庶民の屋台料理だ。
「おはようございますマーファさん」
「ん、おはよー」
今日も青いジャージを着ている。腕に入っているラインが微妙に違うので、似たようなジャージをたくさん持っているのだろう。持っている服が全部同じ感じのタイプのようだ。
「今日はどちらに行きましょうか。実は私もこの街には詳しくないんですよね……」
次々と大きな口の中に消えて行くキノコを眺めながら言うと、のどを鳴らして一度に飲み込んで、それから小首を傾げて言った。
「じつはー、行きたい所があるアルよー」
にっこり笑顔で言うと、何故か食べ終えた串を半分に折ってポケットに入れている。
「死競場、ってのがあるんだって? マーファ行きたいなー」
じゃりじゃりとスニーカーを石畳に擦り付け、マーファさんは歩きだした。
死競場とはスパイダーリリーの有名な観光地だ。観光地と言うと何となく語弊がある気もするが、広く認知された場所である。
「やっぱり、まほ……じゃなかった。えーと……協会の人としては、そういうのが気になりますか?」
人通りの多い場所で魔法使いという言葉は厳禁だ。屋台の方だって、まだ声が聞こえる程度には近い距離にいる。
「そういう訳じゃないんだけどねー」
のんびりと、あくび混じりのマーファさん。私は背負う棺桶が人ごみの邪魔にならないよう、気を付けながら歩いて行く。
「実は何日か前に見に行ったから、場所は知ってるんだー」
「へ? じゃあ何をしに……?」
「んー」
曖昧な返事と共に、ぼんやりと上の方に視線を彷徨わせている。何も考えていない顔だ。
「なんか、面白そうなイベントやってたからさ」
果たしてそのイベントとは、スパイダーリリーの中心に向かって歩くこと数十分。死競場に辿り着いた時にわかった。
「死競場ハロウィンカップ?」
「毎年やってるんだって」
そこには、ランタンを持つ男性が笑っているポスターがあった。
死競場。それは端的に言うと、賭博場である。とは言っても様々なゲームやカジノがある訳ではない。大昔からある古いだけの公民館みたいな場所で、レンガと石で出来た円形の建物だ。賭博場という言葉から滲み出るアンダーグラウンドな華やかさは何もない。
ここでは普段、ゾンビや死霊などを競走させたり戦わせたりしており、観光客や暇な方々が賭けに興じているらしい。そしてハロウィンカップとは、この死霊祭に合わせて行われる年に一度のイベントだそうだ。
「なるほど……。ゾンビ職人として、ここは見る目が問われているわけですね……!」
職人の私に強そうなゾンビを当てさせ、一発大きく賭けようという事だろう。私は袖をまくると、気合いを入れて踏み出した。
「良いでしょう。私にお任せ下さい。ついでに、コレットへの借金もまとめて返してやります。コレットめ、あんな偉そうな事を言っておいて私を借金まみれにしたのですから、利子でもつけて返した挙句には頭を下げさせてやります」
コレットの名前で買った品物は、一旦はコレットが支払ったものの、結局そのお金は私が時間をかけて返す事になったのだ。利子はつかなかったが、借用者まで私は書かされている。
鼻息も荒く、マーファさんを振り返ると小首を傾げている。そしてその巨大な眼をぱちくりと動かすと、にっこり笑う。
「お金に困ってるの? なら丁度良かったねっ」
「えぇ、任せて下さい」
どんと胸を張ると、マーファさんはそそくさと受付カウンダ―に向かう。券売機があるのだが、買い方がわからないのだろうか。
私は壁にかかった古臭い液晶モニターを見ながら、じっくりと考える。
「むむっ、これがオッズですね……。実際のゾンビも見るとして、普通に考えれば一番人気の奴ですが……。あの不人気ゾンビで当てれば借金など一発で返せるのでは……」
ああでも、こうでも、と唸っているとマーファさんがトコトコと寄ってきた。何やら大きな布を持っており、私はそれを渡されるまま受け取った。
「……はて。何ですか?」
「十分後に始まるよ! たーのしみー! んふふ!」
可愛いポーズをしている。何が始まるのだろう。その答えを聞く前に、私はカウンターの奥から現れた男性スタッフらに連行されてしまった。
「え?」
マーファさんは笑っている。
「え?」
そして見えたのは、選手控室というプレートだった。
「えー?」