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Part3 チョコレートケーキ


 それは、あるいは私が一生涯知る事のない過去の話だ。

コレット・ケーキという少女は、一般庶民とは隔絶した環境で育っていた。コレットの周囲においては、さる高貴なお方、とだけ言えばコレットの家の人間を指していた程である。

 しかしコレットは幼い頃から、庶民という存在に対して強烈なコンプレックスを抱えてもいた。


 本や映画などの娯楽において、金持ちより庶民の方が明朗にして快活、善良な人間として描かれるのは毎度の事だった。金持ちはいつも精神的に脆く、最後まで負けないのは庶民の方だ。


 世間一般のイメージに過ぎない事だ、と一笑に付してもみたが、それでも気分は晴れない。その苛立ちはコレットの内面を焼き、言動にも影響した。些細な変化から始まったそれは、いつしか本当に庶民の方が精神的に優れているのだ、という妄想までも産み出し、コレットの想像でしかない架空の庶民に対するコンプレックスへと変容する。


 コレット・ケーキは庶民に対し、憧れと憎しみを混在させていたのだった。


 スパイダーリリーに足を運んだのは、今回が初めてである。ケーキ家の権力と名声は死霊術師の世界では大きな力を持つが、コレット自身は未だ地元から離れた事がなかったのだ。とある理由でスパイダーリリーに呼び出されたのは、家の中で細々と死霊術を学んでいる最中であった。もちろんコレットは断る事も出来たし、その時は家族の誰かが代わりに行くだけの事でもあった。だが、コレットはスパイダーリリー行きの切符を握りしめ、思ったのだ。期待してしまったのだ。


 相手も死霊術師なら、今度こそ素敵な出会いがあるかも知れない。

 それはあるいは恋人で、あるいは友人。いずれにせよ、大きな街ならば、庶民らならば、期待に応えてくれるのではないか。


 コレットが期待に胸を弾ませ、スパイダーリリーにある別邸に到着したのは三日前であった。そして、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。


「一体なんですの!」


 ケーキ家別邸の玄関ホールに少女の悲鳴が響いた。




「あー……やっぱりね。キミだって嘘つきじゃないの」

「えぇ? 違いますよ。だって、困ったら名前を出して良いって、確かに言われましたよ?」


 シャンデリアなんて初めて見た。などと、のんきな感想を抱いて見上げる。どうしてこうなったか説明すると、魔術師たちと遭遇した直後の事からだ。


「宿で荷物を受け取ったら、僕はケーキ家のお嬢さんに会いに行くからそこでお別れだね」


 何気ない様子のマシューさんだったが、私は偶然に驚く。


「まぁ、私もコレットに会いにいくつもりだったんです」

「えぇ?」


 マシューさんは完全に私を疑っていた。


「あの箱入り娘のお嬢さんと、キミが? どういう繋がり?」

「困ったら名前を出しても良いと言われてます」

「……キミって何者?」


 まだ信じていない様子だったが、真実は真実であるのだ。コレットに会えばすぐ明らかになる事だと胸を張った私は、マシューさんの宿で大量の荷物を荷車ごと受け取ると、さらにもう少し買い足してからコレットの家に向かった。あまりに家が巨大なので、思わず尻餅をつきそうになった程である。


 そして、今に至る。玄関ホールには荷車二つ分の荷物が積んである。


「やぁコレット、会いに来ましたよ」

「だ、誰……。え、え? 本当に誰ですの?」

「やだなぁ、クレアですよ。少し前に会ったばかりじゃないですか」 


 そしてコレットは数秒ばかし私をじっと見ると、私の背にある棺桶に目を向けた。そこでようやく思い当たるものがあったらしい。目を丸くして、一歩二歩と後ずさり。


「あ、あなた! あのゾンビ職人の田舎娘!」

「そうです、そうです! クレアです!」


 無性に嬉しくなって手を叩くと、マシューさんが私に宇宙人でも見たような目を向けてくる。どういう意味で、どういうつもりだろう。


「そのあなたが、一体どうしてここに……?」

「あぁ、実は宿がなくて困っているのですよ。いえ、正確にはあるんですけど、これだけの大荷物となると、保管場所がなくて……」

「……それで? 全然話が見えてきませんの」

「ですから、困ったので、コレットの所に泊めてもらおうかと」

「……え!」


 コレットは驚いたような顔をしている。


「困ったら名前を出して良い、って言っていたじゃないですか。だからついでに、寝床も助けてくれないかなーって」

「信じられませんの……。何をどうしたらそうなりますの……?」

「お願いしますよう。どんな部屋でも文句を言いませんから、何日か泊めて下さい。調子に乗って色々と買いすぎてしまったのです。消費するまで、せめてお祭りが終わるまで泊めて下さい……!」


 頭を下げると、コレットは複雑そうな表情を浮かべている。どういう感情だろう。


「今すぐ身の程をわきまえて、この大荷物を抱えて回れ右する考えはありませんの?」

「お店の人にお願いしてここまで運んでもらったので、私一人ではこの荷物を放置していく事になります」

「……ちなみにあなた。これだけの物を買うお金はどこから?」

「え、困ったら名前を出して良いって言ったじゃないですか。もちろんコレットにツケてありますよ。私、お金に困っていたんです」

「な、な……」


 両手を震わせながら、肩ごと持ち上げているコレット。瞬間、マシューさんが動いた。


「コレット嬢! 失礼を致しました! この丸顔の田舎娘は僕がキツく、キツく、地獄のように懲らしめておきます! どうか怒りを鎮めて下さい!」


 私の両頬を捕まえたマシューさんは、コレットの前で私の顔を広げてみせる。痛い。


「えぇい、このまん丸め! どうしてくれようか!」

「な、なんで私が懲らしめられるんですか……?」


 やいのやいのと騒ぐ私たちを見ていたコレットは、今さらマシューさんに視線を向ける。じっと見ていると思いきや、何かに思い当たったかのような表情。


「そこの方。お名前をお伺いしてもよろしいですの?」


 すると、待ってましたとばかりにマシューさんは身を翻し、優雅に一礼。


「東の果てから参りました、クロミツと申します」

「まぁ、あなたがクロミツ様ですの!」


 マシューさんがクロミツの名を騙ると、コレットはころりと表情を変えた。


「お待ちしておりましたわ! 明日の会談には、ぜひ参加して頂きますの! 心強い味方が得られましたの……!」


 手を叩いて喜んでいる。そう言えば街でも聞いた気がする。明日、何かあるのだろうか。


「その田舎庶民もクロミツ様の召使いなら、そう言えば良いんですの。この大荷物も、クロミツ様の言いつけたお買い物ですの? それならこれくらい問題ありませんの!」


 そして、どこからともなく現れた使用人の方々が私とマシューさんの上着を預かってしまう。


「こんな所で立ち話もなんですの。さぁこちらへ。明日のお話をしますの」


 嬉しそうな様子で玄関ホールを後にすると、その後を私とマシューさんは追う。

高い天井と鮮血のように赤いふかふかの絨毯。廊下の壁には禍々しい絵画がいくつもかけられ、頭蓋骨を模した照明がさりげない。なんて上品で素敵なのだろう。

ふと、足取りも軽いままコレットは私の隣に並ぶよう歩調を合わせる。


「あなた。クロミツ様の召使いなら、あのゾンビにも納得ですの。ゾンビに詳しくはありませんが、霊体に物理干渉する技はクロミツ様の教えですの?」

「え」


 と言ったのはマシューさんだ。


「霊体にゾンビが物理干渉? え? もしかして、アレ、作ったの……?」

「あぁ、コレですね。もちろん作りましたよ!」

「…………どうやって……?」


 マシューさんの視線が私の棺桶を見ている。


「たまたまですよ、たまたま」


 そんなやり取りをしていると、コレットの案内する部屋に辿り着いた。両開きの洒落た木製ドアの向こうは、薄暗い応接室になっていた。人骨を模したテーブルセットや、不気味な絵画が印象的だ。ゴージャスかつリラックスできる空間と言えよう。


「お掛けになって。明日の事を詳しくお話しいたしますの」


 何の骨を使って製作されたのか考えながら、私は椅子に腰を下ろす。全く軋まない。


「明日、この街で魔術師協会と会合がありますの」


 腰かけると、コレットはため息と共に告げた。


「えぇ。知っていますよコレット嬢。そのために僕は来たのですから」


 私は全然知らないが、どうやらクロミツが呼ばれた理由はそれらしい。マシューさんは本物のクロミツや、あるいうはその知り合いと遭遇したらどうするつもりだったのだろう。


「ん? 魔術師……?」


 そう言えば、先ほど襲ってきた男女三人組を魔術師と呼んでいた人がいた。魔術師にもスパイダーリリーのような場所や組織があるのだろうか。


「そう魔術師。あの面倒な連中だよ。さっきは僕もひどい目にあった。あれが今年のカーニバルに参加するんだってさ。一応の名目は、友好と相互理解のためみたいだよ」


 マシューさんが教えてくれた。


「結構な事じゃないですか。友好的だなんて素敵です」


 感想を述べるとコレットの眉間に、ぐぐぐっと皺が寄った。


「あなた。クロミツ様の召使いをやっていて、そんな認識ですの?」


 使用人の方々が用意したティーカップを受け取りながら、コレットが私を半眼で見る。


「魔術師は我々を非難する立場をとっていますの。死霊術そのものに反対しているようで、しかし自分たちの怪しい魔法をその限りに含めないような、理解に苦しむ方々ですの」


 死霊術と魔法は根本的に違うものだ。魔法とは、素養のある人物が魔力という不思議パワーを使って行使するものであり、言わば選ばれし者に許された技だ。

 対して死霊術とは、技能を修めれば誰にでも出来る。一般人を圧倒する危険な魔法よりも、あくまで技術でしかない死霊術では、魔法の方が非難されそうな気がする。何故、わざわざ魔術師が反対するのだろうか。


「まぁ理由は様々だけど、だからって死霊術を世界から撲滅するなんて、そんなのは無理な話だとも。せいぜいが、死霊術の都をスパイダーリリーだけに留めておくのが限界だろうね。そのために、魔術師はスパイダーリリーを特別扱いする。全ての中心がここだけになるように、必要以上にスパイダーリリーに力があるように見せる。分散するよりも、一極集中の方が抑えやすいってわけだ」


 マシューさんが解説してくれる。


「今回の魔術師の参加もそう。反対はするけど、この街だけは特別扱いして友好を結んでいる。ような、そんな建前を作る。そしてその事実は世界中の死霊術師をここに集める。やっぱりスパイダーリリーは特別なんだ、あの魔術師ですら手が出せないんだ、ってね」


 使用人が置いたティーカップを傾けながら、マシューさんは背もたれに体を預ける。 


「あぁ、良い豆を使っているね。悪魔のように熱くて黒いのは珈琲だけの特権だ」


 私は珈琲の良さがわからないので、こっそり使用人の方に珈琲ではなく紅茶がないのか聞いてみる。ミルクも砂糖もなしに、こんな悪魔的な飲み物をどう飲めと言うのか。


「で、話の続きだけど。死霊術を一極集中させるために、ここ以外の死霊術師を追い立てる活動も連中はしてるわけ。死霊術に関するネガキャンくらいなら可愛いものだけど、死霊術を禁止しているような地域ではひどいもんさ。大手を振って、なんとネクロマンサー狩りなんて事に公然と勤しんでらっしゃる。殺し屋まがいの魔術師を派遣して、その土地でこっそり活動している死霊術師を襲うんだ」

「……はぁ、なるほど。どおりで……」


「何か思い当たる事でもあった? キミは運が良いよ。厄介な手合いだと、死霊術を禁止している地域にわざと追い込んだり連れ去ったりして、国境を越えた時点で手にかけたりする。今日会った魔術師もそういう手合いだろうね。襲い方に躊躇がないし、手段を選ぶ気もなさそうだった。そういう奴らは、結構ひどい事を平気でやったりするんだ」


 脚を組んでそう語るマシューさんは、実に苦々しげな顔をしていた。


「お詳しいんですのね。やはり、世界中を旅していると魔術師に狙われる事も……?」

「あぁ……まあね」


 ここまで話を聞いていて、私はようやく魔術師について納得する事ができた。とんでもない人たちではないか。

とある事情から、私も過去に魔術師と出会った事があるのだが、こんな事情があるとは知らなかった。当時はゆっくり会話が出来る状況ではなかったが、もう少し話を聞いておけば良かったかも知れない。


「で、そういう人たちと明日はお話をするんですね?」

「えぇ。何とかスパイダーリリーの威厳を示さなければ、死霊術師の代表として立つ瀬がありませんの」


 やれやれ、とコレットは眉をしかめて首を振っている。


「そういう事なら大丈夫です! マシューさんはすごい死霊術師ですから! きっとビシっとまとめてくれます!」


 安心して下さい、と胸を張って言う。言ってしまったのだ。その名前ごと。


「マシュー?」

「あ、やべ」

「マシューって、どういう事ですの?」


 マシューさんが私を見て、それからコレットに視線を移す。ゆっくりと、非常に緩慢な動作で珈琲の続きを一口だけ楽しみ、一息吐き出してから天井を見上げた。


「やっべ」

「あの……どういう事ですの?」

「……天井絵は恐怖山脈か……。良いテーマの絵だね」

「あの……」


 コレットの顔が徐々に青ざめて行くのに対して、マシューさんはとても落ち着いていた。


「まいったなぁ……」


 否。それは単に開き直っているだけで、恐らくは何も考えていない様子だった。



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