Part2 嘘つきマシュー
商店街を一通り歩いて、私の両腕には抱えきれないだけの荷物が乗っていた。食料品、日用品、消耗品、死霊術関係の書籍や道具までフルセットである。
道中、よたよたと歩く私を見かねた方が手押し車を貸してくれたので、更に倍近くの商品を買い込む事ができた。
「これでしばらくは生活に困りません……!」
幸福に満ち足りた気分で歩いていると、ゾンビ職人の専門通りに向かう道中で人だかりが出来ていた。あの辺は確か、薬品などの専門店が並ぶ通りである。軒並み店頭には毒と薬が綺麗に並べてある。
何やら古めかしい馬車が一台停まっていて、皆一様に馬車に乗る人物を見ようとしているらしい。馬車は骨だけになった馬が二頭で引いている。
いくらスパイダーリリーが死霊術の都だからって、わざわざ骨の馬に馬車を引かせるなど、相当の目立ちたがり屋らしい。骨の馬より自動車の方が快適だし速い。
「すみません、あれは誰か有名な人が乗っているんですか?」
人だかりから、一人の素敵な老紳士に目をつけると、私は訊ねてみる。
「どうやらクロミツ様がいらっしゃったようだよ。これで明日の会談も安心できる。今度こそ、例の奴らをぎゃふんと黙らせてもらいたいね」
たしかコレットもその名前を話していた気がする。詳しくはわからないが、ただ現れただけで人が集まるくらいなのだから、きっと凄い人なのだろう。
せっかくなので私も馬車の様子を眺めていると、そのドアがゆっくりと開いて黒衣の男性が顔を見せた。
「やぁ、スパイダーリリーの皆さん! ご機嫌如何かな?」
痩せた背の高い男性で、三十も半ばと言った頃合いである。両手を広げると、陽気な声を上げた。
「死霊術の深遠を巡る旅から、ようやくこの街に帰って来られた。ありがとう、皆の期待には、必ずこの僕、クロミツが応えてみせよう!」
ベテランの死霊術師、と言った風貌の男性は、背中で束ねた長い髪を風に揺らした。堂々とした様子に、集まった人は期待と羨望の眼差しを向けている。もちろん、私が向けるのも羨望の眼差しである。ここで見る事が出来るとは、何という幸運だろうか。しかし、同時に疑念も抱く。
何故、あの男性はクロミツなどと名乗っているのだろう。
「マーロウ先生!」
私は思わず声を上げる。
「マシュー・マーロウ先生! 私、先生の大ファンなんです!」
肩にかけていた鞄から、ボロボロに擦り切れつつある愛読書を取り出し、高々と掲げた。
「さ、サイン下さい!」
ダメ元で言ってみると、颯爽と馬車から降りて私の元へと来てくれた。そして微笑むと、私の頭に手を置く。どんな言葉を聞けるのかと期待していると、その口が開いた。
「はっはっは! 皆さん、紹介しますよ! 彼女が目をかけている弟子です! 冗談が好きな奴でね。まったく、言うに事かいて嘘つき呼ばわりですよ」
「え?」
「皆さんご安心を。先に買い物を済ますように言いつけてあったのです。あぁそこのキミ、手間賃を払うから彼女の荷車を僕の宿に届けてもらえないか? どうにも彼女は慣れない街で歩き回って、相当疲れているみたいなんだ。確かに俺が悪かった。だが嘘つき呼ばわりはひどいんじゃないか?」
「え?」
すると私の手を引いた。訳もわからないまま、手を引かれるまま馬車に乗せられてしまう。周囲の人々が微笑ましいものを見たかのような顔を浮かべる中、馬車の扉は閉められ、骨の馬が歩き出してしまった。
「おい」
私と向き合うように座り、両手を顎の下で組むと、声が一段階低いものとなった。
「目的はなんだ。金か。それとも……」
目的、という言葉を舌で転がした私は、もう一度愛読書を差し出した。
「あの、サイン下さい!」
「…………」
無言で受け取ると、ぱらぱらとめくり出した。サインをしてくれる様子はない。
「私、先生の本だけを頼りに田舎でずっと死霊術を続けてきました。先生は憧れです! スパイダーリリーに来て、本当に良かった!」
「あー……」
そして本の最後にある、著者の写真で目を留めている。
「こんな所に写真がまだ残ってたんだ……。やっちまったなぁ」
「はい! その写真を撮られた時からずいぶんと変わられたようですけど、一目でわかりましたよ。先生のファンなんですから」
「その先生ってのはやめて。マシューでいい」
「マシューさん! 新しい髪型、お似合いですよ!」
どうやら髪を伸ばして黒く染めたらしい。本の写真では、短い金髪である。だが顔が変わったわけでなし、およそ写真を撮影したであろう年代から加齢を想定すれば、目の前の彼はまさにマシュー・マーロウであり、私が見間違えるわけもない。
「まぁ……。クロミツってのは黒髪の長髪らしいからね」
「あの、お気を悪くされたら謝りますけど……。どうしてクロミツという人を名乗っているんですか?」
「……マジか。きみ、タイムスリップでもしてきた? 僕が巷で何て呼ばれていて、マシュー・マーロウの書いた本がどう扱われているか、何も知らないの?」
「知ってはいますけど……。で、でも、そんな話は信じられません!」
そこで私は、生唾を一つ飲み込むと、思い切って質問してみた。
「せんせ……じゃなくて、マシューさんの書いた死霊術百科は……。あれは、嘘なんかじゃありませんよね……?」
マシューさんは数秒だけ外を眺めると、眉間に皺を寄せて目を細めた。
「あれに書いた事は、全て真実だよ。少なくとも、僕はそう思って書いた」
そして苦々し気に続ける。
「ただし。死霊術百科は、どこかの誰かにとって都合の悪い事も書きすぎた。それこそ、全てが嘘だった、という事にでもしなければならない程度にはね」
うつむくように視線を下げる。その目には、目の前にいる私の事も映っていなかった。
「あぁそうとも。僕の名前はマシュー・マーロウ。嘘つきマシューとは僕の事。今はこうして、本当に嘘をついて生きている。本物のクロミツさんには申し訳ないけど、彼の名前はお金を稼ぐには都合が良すぎる」
お手上げ、と言った様子で肩をすくめる様子は、どこか寂しそうですらあった。
「……私が証明します。死霊術百科はデタラメなんかじゃなくて、本当はすごいんだって」
「うーん……。いや、でも書いた僕が言うのもおかしな話だけど、それは気持ちだけ受け取っておくよ」
「どうしてですか?」
「いやいやいや。だってあの内容は証明しちゃダメでしょ。僕も若かったからね。あの頃はそれが正しいと思って書いたけど、冷静に思い返すと発禁処分は妥当だよ。デタラメの内容だ、という理由で禁書扱いは不服だけど、内容がマズいという事なら禁書にして正解だね」
「そんな……。素晴らしい内容じゃありませんか」
「ははは……。まぁ、あんなのやろうとしたって出来ないけどね」
「む。独学ですが、頑張ってきました。そんな言い方しないで下さい。本に書いてある事の大方は再現できましたし、残りの内容だって素材さえあれば必ず成功させてみせます」
「……え? 冗談でしょ? キミみたいな女の子が?」
「馬鹿にしないで下さい。寝ても覚めても努力してきたんですから」
「あぁ、うん。そうじゃない。そうじゃなくて、キミの努力の問題じゃなくて」
マシューさんは額に手を当てると、難しそうな顔を浮かべる。
「あれに書いた事、本当にやったの……? あんな事を、現実で?」
「もちろんです!」
「……ははは、冗談が上手いんだからもう」
「へ? 別に冗談では……」
と、その時。唐突に馬車が停止した。石畳の往来であり、到底目的地とは思えない場所である。何が起きたのだろう。
「おかしいな。自動運転だから目的地に着くまでは停まらないはずなのに」
マシューさんが怪訝そうな表情で、馬車の窓から外を覗いた。するとそこには、何かがいたらしい。顔色が悪い。
「あー……。囲まれてる。武装したスケルトンが十体くらい」
「スパイダーリリーなら珍しくないのでは? それとも誰かの術が暴走してしまったとか」
「いや。馬車を囲んでる。統率もとれているし、暴走しているようには見えない。そしてこんな所で武器を持って馬車を止めるって事は、完全に僕を狙いに来てるね」
「えぇっ、そんな、マシューさんを狙うなんてまさか。心当たりはありますか?」
「さあね。どの理由で狙われているのか考えてみたけど、どれかわからないよ」
そうこうしている内に、私への包囲網が小さくなっていく。
「わかりました。まずは蹴散らしてしまいましょう。マシューさんがやるよりも、無関係な私の正当防衛ならお題目は通るはずです」
「蹴散らすって……。キミが? どうやって?」
「心配してもらえるのは嬉しいんですけど、こんな事も出来ないと思われるのは心外です」
私は馬車の扉を開けると、石畳に降り立った。馬車をぐるりと囲んでいるのは、各々が武器を持った骸骨らである。形は違えど、全て刀剣のようだ。
「相手が死んでるなら、負けませんよ」
スケルトンと呼ばれるそれは、見た目は脆く見える。だが、術者の力量によってその頑強さは変化する。歴史上において最も硬いスケルトンは戦車砲の一撃にも耐えたとか。
しかし。
「大概のスケルトンなら、これでおしまいです」
鞄から取り出したそれを、近くのスケルトン目がけて下手投げ。小さく弧を描いたそれは、スケルトンの胸骨にコツリとぶつかった。瞬間、炸裂音と共にスケルトンの上半身が吹き飛んだ。
「手榴弾です」
「えぇっ!」
馬車から見ていたマシューさんが驚いたような声を上げる。
何も驚くような事ではない。本物の手榴弾ではなく、私のお手製だ。爆弾の形をしたオモチャに鬼火を詰め込んだだけのもの。目標に対して衝撃だけを与えるもので、本当にオモチャみたいなものだ。
私は手早く周囲のスケルトンへ手榴弾のオモチャを放り投げる。ぽんぽんと景気よく爆裂し、上半身が、あるいは全身が吹き飛ぶ。散乱した骨はほとんどが砕けてしまう事を考えると、あまり質の良いスケルトンではない。
「鬼火を爆弾にする事も、死霊術百科から学びました」
「だからって本当に作ったの? で、それを持ち歩くの?」
こちらの様子を見ていたマシューさんは、爆発音で集まってきた野次馬に視線を走らせると、軽く頭を振って馬車から降りてきた。
「やあ皆さん、僕はクロミツ。お騒がせしました。突然このスケルトンが襲ってきましてね。弟子に任せたのですが、どうもやりすぎてしまったみたいだ」
マシューさんは集まった人々にそう言いながら、私の隣へ。確かに、もっと静かにスケルトンを鎮圧する手段はあった。だがあんまりな言われ方である。
どうもどうも、などと言いながらマシューさんは野次馬と握手を交わしている。と、飛来する何かの影が視界の端に見えた。
「はいーやっ、はぁ!」
楽しそうな掛け声と共に、今の今まで乗っていた馬車が破壊された。
轟音と共に、弾き飛ぶ木片が辺りに散らばる。目の前で起きた事に、思考が明滅してついていかない。
どうやら何かが馬車の上に落下してきたらしい。その何かは馬車を叩き割るように半壊させると、えぐれた石畳から巻き上がる土煙を切り裂き、飛び出してきた。
「いーやっはぁ!」
現れたのは、髪の長い女性だった。グラマラスな体型を、青いジャージの中に収めている。巨大な目を爛々と輝かせ、人間離れした速度で地面を蹴る。
弾丸のように迫りくる女性が見ているのは、マシューさん……ではない。私だ。
「ちょ、なんで私なんですか!」
狙われているのはマシューさんのはずである。見た所、女性は丸腰だし、腕力のあるタイプにも見えない。だが弾丸のような速度で私を追い、拳を振り上げている。
「ひやぁぁ!」
あんな拳を叩きつけられては、それこそ無事では済まないだろう。逃げようとする足がもつれ、顔から転倒した私はうつ伏せのまま丸まった。
「ほあたぁっ!」
再び楽しそうな掛け声が響き、私の背に向けて拳が振り下ろされた。同時に、背負っていた棺桶の蓋が勢いよく開く。あぁ、また開いてしまった。
棺桶から素早く伸びた灰色の腕は、女性の顔に向けて拳を繰り出した。女性は私への攻撃を中止すると、両手で受け止める。肉と肉がぶつかりあう衝撃音の後、女性の体は後方へと吹き飛ばされた。灰色の腕は、するすると棺桶の中に戻る。
「いっ、たーい!」
馬車の辺りまで戻された女性は、地団太を踏みながら怒りを表現している。まさかこの腕に殴られて、すぐに立ち上がるとは思ってもみなかった。もしかしたら人間ではないのかも知れない。
「やろう、ぶっころしてやる」
私を見て、更にその瞳が大きく広がる。星空を切り取ったような瞳が、私を逃すまいとしている。一体この人は何者なのだろう。
「だ、誰ですか! 何の用ですか!」
思い切って声を出してみると、その口元が大きく開いた。目だけではなく口も大きい。
「クロミツ殿。恨みはないが、お命頂戴っ!」
今にも飛びかかって来ようとしており、訂正する間もない。やはり彼女が狙うべきは、私ではなくマシューさんではないか。何をどうしたら私とマシューさんを取り間違えるのだろうか。
「かくご!」
どうしようか一瞬だけ迷った私は、背から棺桶を下して蓋に手をかけた。しかしその直後、女性の背後から一人の男性が現れた。
「アホか!」
「ぐぎゃっ!」
落ちていたスケルトンの骨を使って、女性の後頭部にフルスイング。涙目で頭を抱える女性に、呆れたような表情を浮かべる男性。
「クロミツは髪の長い男だって何回も言ったろ! なぁ何で毎回そうなんだ? どう見てもあの子じゃないだろ。よく見てくれ、あれはショートカットの女の子だ」
「でもあの子、ただもんじゃないよ?」
「あぁ。でも実はな? ただもんかどうかと、クロミツかどうかって全然違う話なんだ」
男性は何の特徴もない見た目をしていた。と言うより、意図して印象に残らない服装や髪形を選んでいるようにも見える。量販店でよく売られている、ジーンズとシャツにパステルレッドのジャケット。特徴があるとすれば、小さいポーチを腰にいくつもぶら下げている事だろうか。年齢は成人したてに見える。女性と同年代だろうか。
「もういい帰るぞ。台無しだよ」
「んえー? まだ戦いたいアルよー」
楽しそうなやり取りをしていると、周りを取り
囲んでいた野次馬の中から一人の少女が近寄って行く。金髪で、おっとりとした垂れ目だ。白いワンピースの下には金属製の赤いブーツという変わった格好をしている。
「パイセンら、騒ぎは最小って話じゃありませんでしたっけ」
男性と女性を見上げるように立ち止まると、髪に指先を絡めながら言う。そして二人の手を取った。
「じゃ、撤収って事で?」
「あぁ。どう見てもこれ、もう治安維持部隊とか来るレベルだし」
「あっはっは! 関係ねーよー! あたしなら勝てるよ!」
口々に言いたい事を言うと、次の瞬間に三人の人物が消えた。
「え?」
まるでそこに何もなかったかのように、一瞬のうちに音もなく消失して見せたのだ。
後に残ったのは、破壊された馬車と石畳。それから、混乱と恐怖の表情を浮かべる人々であった。しんとした静寂の中で、誰かがぽつりと言った言葉が、波紋のように聞こえた。
「魔術師だ……」
それは、文字通りの意味でスパイダーリリーに魔法使いが現れた時だった。