Part19 姫と庶民
拳と拳、蹴りと蹴りが交差し、その度にマーファさんは投げ飛ばされ、コレットは気力と体力を失い続けた。
私はせめてと、周辺の家やお店を回って避難するように呼びかけた。誰もが窓や玄関越しに二人の様子を眺めていたので、話しかける事は容易だった。
しかし、どうにも避難は全く進まなかったのだ。
「さぁ、逃げましょう!」
「あんた一人で逃げな」
これで断られたのは三人目である。私が声をかけて回っている事など、そこら中で見ているのだから知っているだろうに、誰も取り合ってはくれなかった。
「ど、どうして皆さん逃げないんですか! せっかくコレットが戦って……」
「戦ってるからだ」
その老人は言った。
「お姫さまが一人で、俺たちを守るために戦ってる。俺たちはそれを見捨てて逃げるのか?」
「そういう問題では……」
「逃げたら、あのバケモノ女は追ってこないのか? 俺たちを追って来たら、それを止めるためにお姫さまがもっとひどい怪我をするんじゃないのか?」
コレットは必死に戦っている。誰もが、その様子を見守っていた。
「逃げて、どこに行く? この街を捨てるのか? 街も誇りも捨てて、俺たちはどうやって生きていく?」
その問いには私では答えられなかった。
「お姫さまが逃げないんだ。俺たちは逃げない」
そしてコレットに聞こえない程度にまで声を落とすと、老人は言った。
「もし、お姫さまが逃げようとしたら教えてくれ。俺たちが盾になる。ここにいる奴らはみんな同じ気持ちだよ」
「そんな……」
コレットは逃げないだろう。逃げるつもりなら、逃げる体力ごと使ってしまう戦い方はしないはずである。
「コレット……」
私は棺桶を石畳に叩きつけるように置くと、周りに聞こえるように大声を出した。
「誰か、大きくて頑丈なハンマーを下さい!」
慌てたように、肉屋のカウンターから鉄製の金鎚を持って女性がやってきた。先日、コレットに子供の面倒を見てもらったとハムをくれた女性である。
「私だって、私だってコレットを助けたいんです!」
思い切り振り上げてから、私は棺桶を固定している器具らしき物に金鎚を叩きつけた。腕から伝わり、頭の先まで痺れるような衝撃である。
「これさえ、壊れれば、私だって!」
二度、三度と振り下ろす。棺桶の中には私の作った護身用のゾンビもたくさん入っている。鬼火の手榴弾だけでなく、その他の道具も全てここに詰めている。蓋が開けば、私もコレットに加勢できるのだ。
「この、この!」
いくら叩こうが、傷一つ残らない。一件した感じだとアルミニウムのようだが、何で出来ているのだろうか。
「お嬢ちゃん、代わろう」
何度も打ち付け、手の感触がなくなった辺りで声をかけられた。筋肉の盛り上がった、頼もしい男性である。私の手にある金鎚よりも、何倍も大きいハンマーを持っている。
「壊せば良いんだな?」
「お、お願いします!」
唸りを上げて落ちるハンマー。しかし、衝撃音が鳴るばかりで壊れる様子がない。
「あんた、クロミツさんの弟子なんだろ?」
「へ? あ、えと、そうです」
ハンマーを何度も叩きつける男性の横から、別の男性が現れた。
「俺たちだって死霊術師だから加勢したいんだが、下手につついてお姫さまの邪魔になりたくないんだ。だから、これが壊れたら頼むよ。あんたくらいの人なら、きっとお姫さまの助けになるはずだ」
確かに、横から手を出した場合マーファさんが反撃と称して襲ってきかねない。その際、コレットは守ろうとしてしまうだろう。そうなった時、コレットがどんな不利に陥るかわからない。
「それに、見りゃわかるとも。あんな戦い方が長くは続かねぇ」
降霊術と格闘技の合体技など、マーファさん以外の誰もが危険性を理解している。
「そこの爺はボケた事言ってるが、お姫さまが逃げなくてもヤバくなったら俺たちが行く。その時は、縛って担いででも逃げてくれよ」
あんただけが頼りだ、などと私の背を叩く。
冗談ではない。
そんな状況、受け入れられるものではない。
「俺たちもな。お姫さまだなんて呼んでるが、別に何を貰ったわけでもない。お高くとまりやがって、くらいには思ってたよ」
「そうだな。でも、あそこまでやられちゃあ、なぁ」
コレットの周囲から、霊気の靄が消えている。もうそれを維持するだけの力が残っていないのだろう。
「あれがどれくらいキツいかなんて、子供でもわかるだろ。それにこの前、あそこの駄菓子屋でガキと菓子食って遊んでた顔だな。高貴なお方ってのは、もっと人を見下してる奴だと思ってたよ」
「そ、それは……どうでしょう……?」
コレットは庶民庶民とずいぶんな言い方をしている気がする。
「お嬢ちゃんだってわかってるんだろ? あれは、すげぇ奴、って意味で言ってるんだよ」
そうじゃない時もある気がするが、そういう意味の時もあるだろう。コレットは庶民というものを、ちょっと間違えて認識している奴なのだ。だってコレットは、散々見下した言い方をしておいて、結局はその庶民という存在が大好きなのだから。
「悪いな、お嬢ちゃん。壊せなかったみたいだ」
「じゃあ、そろそろ行くか」
ハンマーを男性が置く。男性の声に反応したように、家々から次々と人々が出て来た。みな、手に手に武器や呪具を持っている。
「や、やめますの……逃げますの!」
コレットの声は、誰にも届かなかった。
マーファさんの連続攻撃は、コレットの気力と体力を奪うのに十分すぎる程だった。
その一撃ごとに、当たれば必殺の威力が込められている。それをコレットは回避し続けた。
耳元で唸る拳を、紙一重で避けたコレットは舌打ちを一つ鳴らして数歩下がる。そして拳銃を向けると、マーファさんに発砲。弾丸として放たれた死霊は、人間の動体視力では避けられるものではない。不可視にして不可触の凶弾は、肉体ではなく精神に影響を及ぼす。いくらマーファさんでも、常識外れなのは肉体だけである。当たればタダではすまない。
しかし、その弾丸は当たらない。
首を振って的確に回避し、時には高速のフットワークで体ごと避ける。何発撃っても当たる気がしない。コレットの表情がその心情を物語っていた。
「ぐっ、うぅ……!」
当たりさえすれば、という悔しさに涙すら滲ませたコレット。もう死霊を銃弾に変える、その力すら残っていないのは明白だった。
「おわりかな? おわりかな?」
挑発するようなマーファさんの言葉に、コレットは歯を食いしばって返した。
「私は、コレット・ケーキですの……」
「知ってるよ? お姫さまでしょ?」
「えぇ、そうですの……」
コレットの霊気が尽きようとしていた。
「庶民のように、上手く笑う事も、立ち上がる事も、諦めない事も、友達を作ることだって、お姫さまには出来ませんの……」
しかし、その手は固く握られていた。
「でも。お姫さまにだって意地がありますの……! この、コレット・ケーキ! 庶民の前で無様な姿を晒すわけには、絶対にいきませんの!」
途端に、コレットの霊気が周囲に吹き荒れた。どこからこんな力が、と私は思わず面喰ってしまう。だが、驚いたのはどうやら私だけだったらしい。
「よく言った。さすが俺たちのお姫さまだ」
「コレット様、後は任せて下さいな」
「庶民の街です。庶民が守りますよ」
「あなたに何かあったら、こんなに恰好悪い事はないんでね」
口々に気安く言うと、コレットの奮起を予見していたかのように人々がコレットの前に立った。マーファさんに武器を向ける。
「魔術師が。ここをどこだと思ってるんだ?」
マーファさんはきょとんとした顔で口を開けている。
「えと……裏通りの、商店街?」
素直に答えると、明らかな嘲笑の声があちこちから上がる。先頭にいた男性は笑って返した。
「ここはスパイダーリリー、死霊術師の都だ。こんな所に喧嘩を売って、タダで帰れると思うなよ」
「あー……そういう」
マーファさんは楽しそうに口角を歪めた。
「いいよ。パーティは人が多い方が、良いもんね」
そしてマーファさんは拳を構えた。と、同時に幾人もの武器を持った死霊術師が攻撃をしかける。
「当たるか! ばぁーっか!」
殺到する呪いの数々を、マーファさんは跳躍する事で回避した。単なる跳躍ではなく、民家の屋根にまで達しようかという、人外の脚力から放たれるものであった。
空中から眼下を睥睨するマーファさんは、しかし人々を軽く考えていた。ここまでの戦いに出てこなかった庶民など、コレット一人にも及ばない。訓練を受けていたであろう警備隊ですら、何の障害にもならなかった。
マーファさんは、空中からの落下で何人吹き飛ばせるか考えていた。空中からの自由落下に加えて、蹴りの体勢を作る。
「カミナリキック!」
ふざけた調子で、しかし必殺の一撃で落下してくるマーファさん。だがそれを狙っていたのは、庶民の方だった。
「せーの!」
誰かが音頭をとると、全員の手がマーファさんに向けられる。
「あははは! 意味ねーよー!」
どんな攻撃も効かない、という自負が言わせたのだろう。だが私は流れる霊気から、何が起きるか察していた。コレットもそうなのだろう。震える手で、銃を構えた。
「ん? なんっだ、これ……。え、あれ? あれ?」
マーファさんは今頃気が付いたようだ。その体は、ぴたりと空中に固定されている。それは攻撃でも、あるいは高度な技術でも、魔術でもなく、死霊術師の基本的な技。
ポルターガイストである。
「ちょ、ちょっと待ってよ、こんなのってアリなの!」
霊視のできないマーファさんには見えないのだろう。大量の死霊が、彼女の体を持ち上げているのだ。どんな怪力であっても、触れない相手に持ち上げられてしまえば空中で出来る事などない。
コレットの銃が、もがくマーファさんに狙いを定めた。
「覚えておきなさい……。それが、人をバカにするという事。一人で戦うという事ですの……。あなたが敵にしたのは、私ではなく、スパイダーリリーそのものですの!」
「いけぇー! コレット!」
特大の死霊が銃弾の形まで凝縮し、放たれたのが私には見えた。
「ぎゃあああ!」
一直線に額を死霊で貫かれたマーファさんは、身体を痙攣させると、石畳の上にどさりと落ちた。
「や、やりましたの……」
へろへろと崩れ落ちるコレットを支えたのは、コレットを慕う庶民だった。