Part17 得意技
私とマシューさんは離れた所で、ミントの様子を見ていた。正面ドアから現れたミントは、周囲を見渡しながら歩いている。金属製のロングブーツは差し込む光を赤く反射し、フロアに靴音を反響させた。
マシューさんの用意してくれた作戦は、ひどく単純なものだ。私がミントの前に飛び出し、棺桶から飛び出す自動防御を駆使して時間を稼ぐ。見えなかろうが、切断魔法だろうが、あの腕ならば掴んで止めてしまうだろう。マシューさんの言葉には私も同意だった。
ミントの意識が私に集中したら、隙を見てマシューさんがミントの背後を突く。その辺から布でも紙でも集めて、盾の代わりにしながら飛びついてスワッテイテネを貼り付けてしまうのだ。
「完璧な作戦です……!」
恐らく私一人ではこの考えに至らなかっただろう。どちらかと言うと、そういう考えは苦手ですらある。棺桶に頼って、真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす、くらいの発想しかなかった。
「さあ! 私が相手ですよ、ミント!」
受付カウンターがある辺りで、私は券売機の陰から飛び出した。マシューさんの隠れた位置が、丁度カウンターの裏なので見つかるとマズい。
「あぁ……あんたか」
ミントがこちらを見る。気怠そうな顔で呟くが、果たして脚を振り上げる様子がない。
「あんたは逃げな。何も死霊術師の全てが殺したい程憎いわけじゃない。個人レベルに言及するつもりはないよ」
魔力酔いしている、と思った割には冷静である。マシューさんの話では、話し合いもできないように聞いていたが、落ち着いたのだろうか。
「ただ、今年のハロウィンは諦めてもらうよ」
それは看過できない。私は棺桶を床に置くと、蓋に手をかけた。
「やる気か……。別に、あんたには何もないんだけどね」
ミントの脚を構える。私は作戦通り、蓋を開けようとして、指が滑るのを感じた。
「……ん? あ、あれ?」
蓋が開かない。
「な、なんで蓋が……。あ! な、何ですかこれ!」
見ると、蓋には金属製の固定器具が三つも取りついていた。いつの間に、こんな物が貼り付いていたのだろうか。
「く、ぐぬ……しかもこれ、取れないじゃないですか……! か、固い……。どうやって外すんですか? 鍵穴もありませんよ?」
誰がどうやって取り付けたのか、ガッチリと蓋を固定しているそれは動かし方もわからない。
「み、ミント、すみませんが手伝ってもらえます……?」
「はぁ……」
わざとらしく深い溜め息を吐いた後、ミントは私を無視して歩き出してしまう。本当に、一体何だってこんな物がついているのだろう。
「えっと、確か……んー……。誰かが、つけたような気もするんですが……。でもこんな物をつけても良いなんて、私が言うわけもありませんし……」
奇妙な違和感だった。いつから固定されていたのかもわからないが、同時に外し方を聞いておけば良かったという後悔も生まれる。
「こんな事なら×××さんに聞いておけば……!」
かりかりと、固定器具を触る指は滑るばかりで何も出来ない。
「……今私、なんか大事な事言いました?」
何か重要な事がするすると抜けていくような気がしてならない。
「い、いずれにせよ! こんな金具なんて内側から壊してしまえば良いのです!」
今はミントに集中しよう。そう思った私は、ミントに向き直る。
「さあ! 私を攻撃して下さい!」
その攻撃に反応した腕は、こんな固定器具など弾き飛ばして現れるだろう。
しかし、ミントは私を一瞥しただけで歩いて行ってしまう。ふん、と鼻を鳴らすくらいしか反応してもらえなかった。
「……あ、あれ? これってピンチなのでは……?」
マシューさんの作戦は、一歩目から躓いてしまった。
一部始終を見ていたのだろう。ミントの前に、マシューさんが堂々と現れた。
「僕の可愛い弟子を無視なんて、随分じゃないか。キミは最初から礼儀知らずだったね」
「ようやく……来ましたね」
きゅっと目を吊り上げたミントは、地面からほんのわずかだけ浮き上がる。
「クロミツぅぅぅ! 貴様ぁぁぁ!」
狂気を孕んだ怒声を上げ、ミントは片脚を振り上げた。しかし、マシューさんの手が上がる。ちょっと待て、というジェスチャーだ。
「こんな所で切断魔法なんてしたら、キミも巻き添えだぜ?」
マシューさんの背後には支柱が一本あった。何かの拍子に当たれば、死競場の一角は崩れかねないだろう。
「知ってるよ。それ、何かに当たるまで飛ぶんだろ? なら、僕が柱と直線上に走り始めたら、キミはどうするのかな?」
にやり、と顔を歪めるとマシューさんはミントに向って走り出した。
「舐めるなァァ!」
激昂したミントが、脚を勢いよく振った。
「ぐうっ!」
その瞬間、マシューさんの体が内側に折れる。腹部に手を当てたまま、くの字になってミントを見ている。
「あ、あぁーはいはい……。殴打? いや、衝撃かな……? さしずめ、キックをワープさせる、みたいな……?」
苦しそうに言うと、ミントが続けて脚を振るう。見えない足に蹴り飛ばされたように、マシューさんの首が跳ね上がった。
「いっ……てぇーなぁ!」
口の中を切ったらしく、文字通り血を吐き捨てると再び走り始めた。が、ミントは踵を振り下ろす。
「あああああ!」
絶叫したマシューさんは、足を押さえてうずくまった。まるで足先に金属製のブーツを落とされた様に見える。いや、実際にそうした痛みなのだろう
「い、ぐ……! ぐぅぅぅ!」
走る事が出来なくなったマシューさんは、じりじりとミントに向かって歩き出した。
「ごぇっ! う、ぐっふ……」
何度も何度も、ミントに打ち据えられたマシューさんは苦しみながらも、倒れずに歩く。次第に、ミントの方が躊躇するようになった。
「もう、やめろ……。殺す気まではない……。貴様! 何故、立ってなどいられる! もう骨だって折れているはずだ!」
「う、っぷ……!」
吐きそうな顔で腹部をかばっている。確かに、金属製のブーツで勢いよく蹴られているとすると、とても耐えられるものではない。あまりの痛々しさに、私は目を背けようとして、そこでマシューさんの言葉を聞いた。
「……ははは、ミントちゃん。キミには特別に、僕の得意技を見せてあげるよ……」
あ、とそこで私はマシューさんの様子を見る。
「得意技だと……? そんな体になってから、何が!」
再び顎が跳ね上がり、マシューさんは苦悶の表情で耐える。ミントまで、残り数メートルまで近づいていた。
「行くぞ!」
突如として気合いを発したマシューさんは、今までの怪我が嘘のように駆け出した。
「クレアちゃん! 鬼火!」
「はい!」
私は懐から鬼火の詰まった手榴弾を取り出すと、ミントの後方に投げた。
「何を、貴様ぁぁ!」
ミントは後方に手榴弾を投げられたため、後退できない。そのため、目の前に迫るマシューさんに脚を振り下ろす。が、マシューさんは止まらなかった。
「残念! 嘘でしたぁー!」
先ほどまでマシューさんの隠れていたカウンターから、何かが弾ける音が聴こえた。怪我や呪いの身代わりになる人形、というのは高度な道具ながら、確かに存在する。
そしてマシューさんは高度な死霊術師である。
「これで、終わりだ!」
「あ、お、この……! クロミツぅぅぅ!」
その手が閃くと、スワッテイテネの札がミントの額に吸い込まれるように向かう。
「やった!」
思わず拳を握ったのと、ミントの姿が一瞬にして消失したのは同時だった。
「なっ!」
ふひゅ、と突如として姿を消したミント。マシューさんの手が空を切り、私に叫ぶ。
「不可視の魔法だ! まだその辺にいる! 気を付けて!」
姿だけでなく音すら遮断する魔法だったはずである。私は辺りを見回すが、どこにもミントの存在を感じない。
「あぁっ! くそ! どこに行ったのか全然見えない!」
苛立ったように、辺りの空間を殴りつけるマシューさん。
「お、落ち着いて下さい!」
「ここか! ここか!」
虚空に向かって暴れるマシューさんは、少しの間そうしていると、呼吸を整えて深い溜め息。汗で貼り付いた前髪をかき上げた。
「はぁー……見つからない、か……」
と、その瞬間。私はマシューさんの背後に、小ぶりのナイフを持ったミントが立っているのを見た。いつからそこにいたのか、恐らく突然現れたのではない。そこにいたのに、見えなかったのだ。
「マシューさん!」
ナイフが閃くその瞬間、マシューさんは前髪を上げている手をそのままに、左目で背後を見ていた。
「あぁ、まぁー」
そしてその手が再び閃く。
「見えないのも嘘だけどね」
今度こそ、ミントの額に札が貼り付いた。
「すわっていてね」
言葉と同時に、ミントの膝が折れ、ぺたりと床に尻餅をついた。
「んー……」
ふ、と左目の発光が消えると、マシューさんは私の方を見て言う。
「楽勝だったね」
「絶対嘘じゃないですか」