Part14 非公式防衛作戦
事態を知ったコレットの決断は早かった。一夜明けた頃には、私の知らない内にあらゆる事が決定され、進められていたのだ。
コレットは、この期に及んではお菓子の配布は間に合わないものとして、スパイダーリリー全域における死霊術の使用禁止をカーニバル運営委員会に提案。もちろん、法的な強制力はない。しかしまともな死霊術師であれば、これに従うはずである。街ごと死霊が暴れまわるなど、災害と大差ないのは明確だ。
これでひとまずは、と思っていた私は甘かった。
「こんなの、誰も言う事を聞かないさ」
死霊術の使用を控えるようお願いするポスターや街宣車を見たマシューさんは、断定的に言った。
「だって、この街の人ってニトクリス現象を見た事ないもんね。どうなるかピンと来ないと思うよ。昨日の講演会ではっきりしたとも。僕の話を聞きに来るほど真面目な学生が、ポルターガイストの暴発程度にしか認識してなかった。装飾用の電球が割れたらどうしようと心配しているのは、いっそ笑いそうになったよ」
確かに、参加者の中には死霊をコントロールできなくなるのは、技術の未熟さ故だと思っている人間もいた。
「同じ理由から、避難も難しい。観光客を追い返すのだってそう。普通の観光客は、死霊術の事を単なるエンターテイメントショーの一種だと思ってる人が大半だ。まともな避難誘導ができるのは、不幸な悲劇がいくつか起こって、それからようやくだろうね」
状況は絶望的と言って良かった。
コレットの指示によって、街にあるお菓子店はお菓子の販売を全面的に一旦停止。後に、ポルターガイストやゾンビなどを労働力、原動力に充てている施設から優先的にお菓子を配布する手はずとなっている。順次、ニトクリス現象による被害が大きそうな場所からお菓子を配るそうだ。また全ての代金はケーキ家で賄うとも。
「コレットはそっちの準備で手いっぱいです。私たちにできる事はないんですか?」
コレットの屋敷にある一室で、私はマシューさん、ビスクさんと三人で机を囲んでいた。
昨夜、おそらくミントが工場を襲撃したらしい事と一緒に、ビスクさんは知っている情報を全てコレットに伝えた。それからは、この一室が私たちの作戦会議室である。
「スパイダーリリーにも警備隊はもちろんある。自治区だしね。腕の良い死霊術師が揃ってるよ。恐らく、今頃はこんな感じで住民の避難と警護を考えていると思う」
マシューさんは、机に広げた地図に指を走らせる。
「万遍なく、全ての人を守れるはずだ。裏町が若干だけ手薄かな? なんにせよ、ここにいる三人で何をする必要もないだろうね」
だがそれは、と私が言いかけるとマシューさんが頷く。
「平時ならそう。大した事にならない。だからみんな危機感がない。でも、問題はニトクリス現象が発生すると、この警備隊の使う死霊術も使えなくなるって事だね」
「なら警備隊の皆さんにも、残っているお菓子を配ってはどうでしょう?」
「悪くない手だ。でも恐らく、それはできない」
「そうだな。俺もそう思う」
二人の意見が合致する。私に説明するように、地図上からお菓子店が並ぶ通りをマシューさんは指した。
「お菓子が置いてあるのは、この辺の区画が主な場所だね。でも、予定では死霊を利用した施設や工場はそのまま稼働させるらしい。浄水とか発電は大事だしね。でもそうなると、この区画だけで限界だと僕は思う。警備隊の一人ひとりにまで配るのは難しい」
「でも、街のお菓子屋さんは他にもありますよ?」
何もメインストリートの店が全てではない。
「僕もそう思う。でも、それは何もかもが予定通りいけば、って話に限られる」
「あぁ。この話にはミントが絡んでいる。あいつが、このあちこちに散らばった菓子屋に攻撃を仕掛けない訳がない。こんなわかりやすい目標を見落とすほど間抜けじゃないんだ」
マーファさん辺りならまだしも、確かにミントなら抜け目なさそうだ。
「で、先に言っておくと。並の死霊術師じゃミントちゃんは止められない。あの子が最初に襲ってきた時の事、覚えてる? あの突然消える魔法ってワープして消えたんじゃなくて、姿と音を認識から外す魔法だったらしいよ。あんなものを使った状態で一軒一軒回って、ご丁寧に火でも点けて動き回られたら手の打ちようがない」
例えばメインストリートだけなら警戒もできるが、それ以外となると、という事だろう。
「で、僕としては配る前にギリギリまでお菓子を一カ所に集めて守ったらどうかと思ったんだけど、どうやらそれもダメらしい」
「どうしてですか?」
「マーファがいる」
ビスクさんが肩を落として言葉を続ける。
「分散せずにまとめた場合、あいつにとって良い的にしかならない。マーファの突破力からすると、悪いが死霊術師が何人いても紙の盾だ。あいつが本気になったら同じ魔術師だって止めるのは難しい。それこそネクロノミコン候補級の力があれば別だが、マーファとミントが同時に来た場合は手が付けられない。少なくとも、街全域に配るだけの菓子を無傷で守りきるなんて不可能だ」
「あの……今さらですけど、マーファさんは何者なんですか……?」
反則としか言い様のない肉体を持つ彼女だが、同じ魔術師からここまで言われるとは思っていなかった。
「あぁ……。まぁ何といったら良いのか……。ちょっと複雑な事情がな。体が丈夫で、大抵の怪我はその場で治る。治ると言うか、再生する。あとはそうだな……物凄く力が強い。他に言い様がないんだが、危険だから決して軽く見ないでくれ。とにかく、本当に力が強い」
あぁ、やはりあれは魔法ではなく自前の筋力だったのか。
果たして、彼女の背景はちょっと複雑な事情などという言葉で済むのだろうか。
顎に手を当てて話を聞いていたマシューさんが、ふと口を挟んだ。
「……木星の肉?」
何の事だろう。死霊術の知識にはない言葉だ。
「へえ? よく知ってたな」
「冗談でしょ?」
「俺もそう思ってるよ。何せ自己申告だからな。だがまぁ、本当にソレを食ったかどうかは戦えばわかる。俺にそんな度胸はないがな」
ははは、とマシューさんの乾いた笑い声。それからコソコソと私に耳打ち。
「キミもやりそうだから言うけど、食べる系はマジでやめておきなさい」
意味はわからなかったが、とにかくマーファさんは私の知識外のスーパーパワーを持っているらしい。食べるだけでマーファさん並のパワーが得られるなら、そんな良い話はないと思うのだが、何か副作用みたいな事もあるのだろうか。
「何はさておき、ここからがどうするか、だね」
マーファさんの体については一旦保留として、私は地図を上から眺める。
「あちこちにあるお菓子屋さんを、ミントやマーファさんから守り切ったら良いんですよね? それで警備隊の皆さんにお菓子を配って、凶暴化した死霊から組織の力で街を守ってもらう、と」
「コレット嬢は既にメインストリートを中心とした警備を固めてる。だから後は、そこから外れたお店にも人を回せば良いんだけど……」
「なるほど。そういう事で、私が呼ばれたんですね」
「察しが良くて助かるよ」
「何だ? どういう意味だ?」
事情を知らないビスクさんに私は説明する。コレットは最後まで、メインストリート以外の警備に人を出す事を嫌がったのだ。
コレットはミントがお菓子の生産工場を襲撃したなどと信じておらず、ビスクさんがどれだけ言ってもその言葉を拒否した。
「それと、この点在する菓子屋を無視するのはどういう繋がりがあるんだ?」
「ミントを捕まえたくないんですよ」
メインストリートに堂々と現れる事は考えづらい。仮にミントが首謀者として、街のお菓子店にまで襲撃をしかけるなら目立たない店舗が優先されるだろう。そして、もし襲撃されたとしても小さい店舗の一つか二つであれば、個人レベルの備蓄を合わせる事でギリギリお菓子の配布量が足りるかも知れない。
「……さっきの話にあったように、ミントが次々と放火して歩いたら?」
「ミントはそこまではしない、というのがコレットの考えです」
「……これがスパイダーリリーの代表か……」
瞬間。ビスクさんの言葉を切って捨てるように、マシューさんの手が伸びてきた。
「あの子は為政者じゃない。女の子なのさ。そして、何で僕らが内緒で集まってると思ってんの?」
「……は? 待て待て。ここで詰めた作戦を、警備隊なりコレット嬢なりに上申するためじゃないのか?」
「勘弁してよ。僕は嘘つきなんだぜ? そんな公的な場所に出てはいけないよ」
「いやガンガン出てるじゃないですか」
何なら、それで生活までしている。
「ミントちゃんを捕まえた時。それがビスクくんかクレアちゃんであれば、ミントちゃんの話はなかった事にできる。僕がコレット嬢に見逃されているようにね」
茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せるが、私は聞き逃していない。
「どうして自分の名前が入ってないんですか?」
「バカじゃないのかい? 僕があんなおっかない女の子をどうやって捕まえるんだよ」
と、そこでビスクさんが疑問符。
「あんた、クロミツの名前を騙ってもおかしくない程度には死霊術に詳しいんだろ? 戦力にはならないのか?」
「あのさぁ……。勘違いしないでよ? 僕は学者なの。が、く、しゃ。格闘技の本を書く人はみんな格闘家なんだと思う? 映画評論家は映画を作ってないんだよ? 僕は優れた死霊術師で間違いないけど、その事と戦う力は全然別の話だから」
呆れてものも言えない。という表情で私たちを見るマシューさん。
「そりゃ僕も詳しいからさ、実際にニトクリス現象の……何というか、特にヤバい事が起きないように、街を今から見て回るつもりさ。なんたって、事が起きるのは明日だからね。今日の内に見て、みんなの役に立とうとは思ってる。でも悪いけど、実際に死霊がパーティを始めたら僕は役に立たないよ? そうなったら一目散で逃げるからね」
堂々と言い切ったマシューさんは、そこで手を叩いた。
「さあ行動開始だ。キミたち二人は今から、あちこちのお菓子屋さんに行ってミントちゃんを止めるんだ。お菓子の配布は今日の夜。個人レベルで一度配られた物を一つ一つ探して廃棄するなんて面倒な事はできないはずだから、彼女が動くなら今日の日中。夜までお菓子店の襲撃がなければ、あるいは、なかった事にできれば、僕らの勝ちだ」
私たちは行動を開始した。