Part13 虚実
歴史資料館とは、スパイダーリリー中心から少しズレた所、巨大で立派な時計塔の中にあった。
歴史と言いつつ、時計塔が建造されたのはここ十年程度の事。石畳の街に似合わぬハイテクな雰囲気の漂うタワーだった。電波塔の役割も担っているらしい。
「うわー……。ご覧よ、上に行くエレベーターに乗るだけでバカみたいな料金をとるらしいよ」
「観光地なんてそんなもんですよ。何なら私はせっかくなので展望フロアに行ってみたいです。お金を下さい」
「そのお金を借金返済に充てようとは?」
「思いません。それとこれとは別の話です。お金で買える経験なら買うべきなのです」
「展望フロアなんて言っても、どうせ大した事ないよ。ガッカリするだけさ」
私とマシューさんは時計塔の二階へと階段で上る。二階のフロアから歴史資料館となっており、三階まで全て歴史的な資料で占められている。四階から上は有料エレベーターでしか行く事ができない。
「どーも、わざわざご足労頂いて申し訳ない」
二階では、ビスクさんがベンチに腰かけて待っていた。コレットの時と違って、座ったまま片手を上げている。
「いやいや。正直あんまり来たくなかったんだけどね。ほら、僕の弟子がどうしてもって言うからさ」
「それは彼女に感謝しなきゃ、だ」
マシューさんがベンチまで近寄ると、ビスクさんも立ち上がる。二人で相対すると、やはりビスクさんの方が少し背が高い。
何気ない様子で歩き出したビスクさんは、展示されている資料を眺める。マシューさんもそれに倣い、ポケットに手を入れて並んだ。
「魔女狩りの歴史だ」
吐き捨てるようにビスクさんが示したのは、大昔に行われていた迫害の歴史である。当時の拷問器具の、そのレプリカが飾ってある。
「この時代は死霊術も魔術も同じだった」
私は死霊術について、それなりに技術や知識を修めた自信がある。だが、こうした成り立ちなどの歴史は完全にお手上げだ。私の唯一の教科書である死霊術百科は大半が技術書としての内容だったので、歴史については大雑把にしか触れていない。
「魔術師は、死霊術師を悪とする事で大衆の支持を得た。魔女狩りはきっかけに過ぎず、実際は魔術師による死霊術師の弾圧が最も大きな被害をもたらした」
展示資料に書いてある内容の、その要点をビスクさんは言葉にした。そうなんだ、という程度の認識しかなかった私に、ビスクさんは苦笑して首を振る。
「んな訳ないだろ? 魔術師の方では真逆の説明がされてるんだ」
「えぇっ? それじゃあ一体……」
「さあ? 歴史は勝った側が作るってのが定説だけど、俺たちはまだ決着がついてないんだ」
それを引き継ぐように、マシューさんが口を開いた。
「ま、補足するなら……。魔術師の方が世間のイメージを気にしている、というのは事実かな。コレット嬢なんかが典型的な死霊術師のスタンスだよ。わかる奴だけわかれば良い、って感じのね」
ミントとコレットの最初のやり取りは、まさにそんな感じだったのを思い出す。
「どっちがどうとは言わないけどねぇ」
マシューさんはまるで他人事のようですらある。ビスクさんはゆっくりと順路通りに歩きつつ、口を開く。
「で、だ。とりあえず本題の前に確認したい事がある」
マシューさんが立ち止まった。ビスクさんと数歩程度の距離が出来る。
「あんた、だれだ?」
ビスクさんの言葉にはもうこちらを尊重するような、今までの穏やかなものを感じられない。無造作に立っているように見えて、さりげなく腰のポーチに指を乗せている。
「さてさて……。えらい直球から始めてきたね。どうしたもんか……」
うーん、とマシューさんは困ったように首を傾げている。
「僕の名前はクロミツ。ネクロノミコンに一番近い男だよ」
臆面もなくマシューさんが言うと、ビスクさんは肩をすくめるポーズ。
「なるほど? 俺がどこまで何を知っているか、確認もしない内から話はできないと」
「そうだねぇ……。まさか、こんな衆人環視の中で大立ち回りなんかしないよね? それくらいの分別はあると信じているよ」
マシューさんはポケットから手を抜きもしない。私の認識だと、マシューさんは荒事などからっきし役に立たないのだが大丈夫なのだろうか。
「ニトクリス現象、だっけ?」
ビスクさんがぽつりと言った。
「そこのお嬢さんから事前に聞いた話と、さっきの講義じゃ随分と違う話だったんだが……。もう一度教えてくれないか?」
「……へ?」
さすがに想定外の切り口だったのか、マシューさんは一瞬だけ目を丸くした。
「異界に繋がる話が聞けると聞いたんだが、おかげで生徒としては予習不足で恥をかいたよ先生」
「あー……」
マシューさんは何かに合点が行った表情。それから私を睨みつける。
「だって、そんな……仕方ないですよ」
「彼女はまだ修行中の身だからね。別の話と間違えたんだと思うよ」
疲れたようにマシューさんは答えた。すると、ビスクさんはポーチに這わせた指をトントンと軽く叩く。
「あんた、さっきから嘘ばっかりだな」
わざとらしい溜め息を吐き出して、下げていたポーチを一つだけ外して持ち上げて見せた。
「魔術は専門外、って話だけは本当らしい。魔術師の作ったウソ発見器の精度は低くないぜ?」
「おっと?」
何だか雲行きが怪しい。ビスクさんの目的は不明だが、マシューさんが本物のクロミツではないと見抜いているようだ。マシューさんはどうするつもりなのだろう。
「面白い道具だね。僕もそれ欲しいんだけど、ひとつ譲ってもらえない?」
「はぐらかすなよ。それに、こんな物なくても俺は嘘なんて言わないから安心しな」
「わーお獰猛な笑み。そっちの方が素なのかい?」
おどけてみせるが、マシューさんのそうした態度にビスクさんが流される様子はない。
「……と、こんな物を使っちゃいるが、俺は何も敵対するつもりまではないんだ」
ビスクさんはピリピリとした空気を纏ったまま、しかし周囲にいる観光客に紛れたままでいられる程度の声量で話す。
「あんたの正体が誰であっても良い。その自称弟子の強さと、あんたの知識が本物なのはわかった。それで充分だ」
「その割には、僕の本名に興味があるようだけど? そうだなぁ、僕はあの嘘つきマシューさ。親愛を込めて、マシューでいいよ」
「とんだ有名人の名前が出てきたが、面白くもない冗談だな。あんたには本名がある、とだけ確定してれば俺は良い。こっちはその情報だけであんたをネクロノミコン候補から詐欺師に変えられる。それだけで担保にはなる。そんなセンスのないジョークは求めてないぜ」
「僕の嘘を担保にして、僕に言う事を聞かせようって考えかな? 秘密を黙ってて欲しければ、さて僕は何をしたら良いんだい?」
「やけに話が早いな。何を企んでいる?」
「やだなぁ、企んでなんかいないよ」
ただ、とマシューさんはビスクさんの手元に目を向けた。
「キミ、それがウソ発見器だなんて嘘だろ?」
「……カマかけなんて時間の無駄だと思うが?」
「やや、認めない?」
マシューさんは、何でもお見通しであると言った表情で続けた。
「僕はキミがポーチに触れてからずっと嘘をついているけど、今この瞬間を除いて一度だけ本当の事を言っているんだよ。でも、キミは何が本当の話かわからない。今もまだわからない」
くるくると指を回すジェスチャー。
「嘘のコツは、本当の事と混ぜこぜにする事って昔から言うだろ?」
マシューさんはしてやったり、という顔をしているのだが、マシューさんの場合だと今しているこの話すら何らかのブラフの可能性もある。
ビスクさんでなくとも、私だって何が本当で嘘か曖昧になってしまう。
「で、話の続きだ。キミのお話を聞こうじゃないか。この僕を脅してまで、何をしたかったんだい? 言っておくが、僕にはお金も力もないよ」
「あ、それは本当です」
「クレアちゃん。そんな事わざわざ言わなくて良いんだよ」
ビスクさんは少しだけ考える素振りを見せてから、両手を軽く上げた。
「降参だ。正直に話して協力してもらった方が良いな」
そして深刻そうな表情で告げた。
「マーファを、助けてくれ」
あの不思議な女性が私の頭に描かれた。
「ミントが俺たちを裏切った」
あの不器用な少女を思い出す。
「頼む……。もう、俺だけじゃどうにもならねぇんだ……」
ビスクさんは顔を歪めて、頭を下げた。
「それは一体どういう……」
生じた疑問を述べかけた瞬間。地面がわずかに揺れた。分厚い壁越しに、外で轟音が巻き起こったのを感じる。
「はじまったか……」
ビスクさんが近くの窓を睨んだ事で、私はその光景を見つけてしまう。遠くの方で、幾つもの黒煙が筋を引いて空に吸い込まれている。
「あそこは……」
窓にかけより、額をつけて凝視してみる。私の行った事がない地区で、何があるエリアなのかわからない。大きくて、箱のような形をした建物と施設がいくつも見える。
「お菓子の生産工場と、その貯蓄倉庫だね」
マシューさんが、私の頭の上から窓を覗いて告げた。
「これなら今年のハロウィンは、ニトクリス現象に関する新しい資料が作れるよ」
のんきな言いぐさだが、その声は硬い。
「このままだと街がまるごと、死霊の大群に乗っ取られるぞ」
いったい、どうしてこんな事が。などと私が考えるまでもなく、ビスクさんが拳を固く握って教えてくれた。
「ミントだ……。俺たちを裏切って、独断専行。あいつは死霊術師と魔術師の因縁に決着をつけるつもりだ。……マーファも、巻き込まれた」
突如起こった事件に、周囲の人々は状況を把握しようと慌ただしく駆けまわっている。あちこちから、テロを心配する声が上がっていた。ビスクさんは両手で顔を覆うと、私とマシューさんに縋るように言う。
「悔しいが、改めて頼む。死霊術師の力を貸してくれ……。ミントを止めたい。マーファを助けたいんだ」
私は何も言おうとしないマシューさんに目を向ける。まさか、こんな時に街を見捨てて逃げ出すなどと、さすがのマシューさんでも言わないと思うのだが、そう信じてはいるのだが、それでも私の方から一応念のため言っておく。
「すぐにコレットの所に行きましょう。ここを捨てて、世界一の死霊術師になんかなれるわけありません」
この街には、失ってはならないものが多すぎる。死霊術師の誇りも、歴史も、文化も、技術も、何もかもがあるのだ。住人が全員で逃げ出せばそれで解決などと、そんな話では決してない。
「まだ時間はあります」
私はマシューさんの手をとった。
「何とかしましょう。先生」
マシューさんは首をすくめると、溜息と共に私の前を歩き出した。
「仕方ないな。ついておいで」
その言葉に私は棺桶を背負い直した。
カーニバルまで、残り二日。