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Part1 スパイダーリリー



真っ赤な二階建てバスの車内で、棺桶を背負っているのは私だけだった。


「あ、すみません」


車体の揺れに合わせて、背負った棺桶がゴツンと音を立てて当たってしまう。座席に座る老婦人は、ちらりとだけこちらを見てから鼻を鳴らした。


肩身が狭かった。


どうして私だけが棺桶を背負っているのだろう。他の人は誰も棺桶を持っていない。だが棺桶も持たずに、一体どうしているのだろう。


「あ、すみません。あ、あ、すみません、すみません」


 バスが停車すると、周囲にガツンゴツンと棺桶をぶつけてしまう。


「ごめ、ごめんなさい。おります、おりますー!」


 半ば強引にバスを降りた私は、私の背丈より高い棺桶を一度地面に置いた。小石が弾けて散らばるのを見ながら、空を見上げて一息。曇天である。これは幸先が良い。


「ついに、来たぞ……!」


 誰に言ったわけでもない。私はここまで、はるばる一か月もかけてやって来たのだ。両の拳に力も入ろうと言うものである。


「特別自治区スパイダーリリー! やった、書いてある!」


 見上げるは、曇天に映える禍々しく巨大な門。血に濡れたように紅い石造りの門は、扉部分が外されている。建設当時は頑強な鉄の門扉があったそうだが、現在は歴史的価値としてその枠組みだけを残すばかりである。これまで合計三度の修繕が行われたらしい。

 と、いう歴史を感じさせる立札を読み終えた私は、人通りの邪魔にならないよう隅へと移動した。

 この場所を目指して来たのは私だけではない。今も大勢の人々が門をくぐって進んで行く。


「ここから始まるんだ……」


 私は夢を目指してここへ来たのだ。


「やるぞぉ……!」


 特別自治区スパイダーリリー。ここは、世界中からその専門家が集まる聖地である。世界のどこに行っても、スパイダーリリーで学んで来たとあれば胸を張れるほどで、高名な専門家は皆一様にスパイダーリリーで学んでいる。私もそうなるのだ。夢はでっかく、世界一。


 世界一の死霊術師に、私はなるのだ。


「すごい! ネクロンくんだ! かわいい! あぁっ! 死霊饅頭に屍ラーメン、チキンの死骸焼きまで!」


 眼球と舌が飛び出した愛くるしいマスコット、ネクロンくんはスパイダーリリー発の人気キャラクターだ。のそのそと着ぐるみが歩いて行く先には、食欲を刺激する魅惑のグルメ屋台が幾つも並んでいる。


「いやいや、だめだ。予算には限りがあるのです」


 亡者のような唸りを上げるお腹を抑え込み、私はてくてくと門をくぐって先へと進む事にした。もちろん、道行く人にお願いして記念撮影はしてある。門をバックに、渾身の格好いいポーズ。手ブレもピンボケもない。自慢のカメラは日本製だ。


 門から先はメインストリートとなっており、大きな道と大勢の人々が行きかう。ものすごい人数だが、それも当然。スパイダーリリーは年に一度のカーニバル、死霊祭を五日後に控えているのだ。集まるのは死霊術師だけではない。様々な露天商や職人も稼ぎ時を逃さぬようやって来る。そして、そのお祭り騒ぎを目当てに死霊術師以外の観光客もまたやって来る。


「ハッピーハロウィーン!」


 陽気な露天商の声が聞こえる。スパイダーリリーの死霊祭はハロウィンと同日に行われるため、あちらこちらでハロウィン用の置物も見られる。

 死霊祭は元々、ハロウィンの日に冥界との境界線が曖昧になるために始まったらしい。ハロウィンの日は死霊が凶暴になるため、菓子類などの供物を捧げる事で沈静化を図るとか何とか。

 観光客用の立札に書いてあったので、そうなのだろう。ハロウィンと同日に死霊祭が行われる事しか私は知らなかった。


 石畳の道を、私のブーツはこつこつと音を立てて進む。木組みの建物が並ぶ通りは、見ていて童話の世界に迷い込んだようですらあった。

 メインストリートをしばらく進んで行くと、スパイダーリリーの商店街へと差し掛かる。流れの露天商ではなく、しっかりとした店舗を経営しているようで、品質にも期待が持てそうだ。死霊祭の飾りに混じって、販売されているのは死霊術師に必要な様々な道具類。観光客には無用の長物なのだろうが、私には目も眩む黄金の山に見える。


「すごい……。なんてこと……」


 霊長類の筋繊維が量り売りされ、人魚の髪が一束いくらで並んでいる。ガシャドクロの大腿骨や、バンシーの声帯まであるのは興奮でどうにかなりそうだった。


「おや、お嬢ちゃんはゾンビを作るのかい?」


 乾燥した眼球を手に取って眺めていると、店主の男性に声をかけられた。


「あ、はい! わかりますか?」

「そらぁ、そんな熱心にウチの商品を見てくれたらね。それに今時、そんな大きくて古い棺桶を背負うくらいだ。ずいぶんと伝統的なゾンビ職人と見たね」

「え? あぁ……。あはは……」


 そうか、大きくて古い棺桶は時代遅れだったのか。だから誰も背負ってなかったんだ。

 恥ずかしい。


「この辺りはゴースト用の道具店が多いから、向こうの通りに行くと良いよ。二本目の角を曲がったら真っ直ぐだ。ゾンビ職人はみんなそこで買い物をしている。ウチも移転したいんだが、なにせ専門通りは競争率が高くてね」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 軽く頭を下げて、私は胸が弾むのを感じた。こんなに品揃えの良いお店ですら出店できない場所がある。一体そこには、どれほどの品があるのだろう。

 わくわくと高鳴る心臓を両手で押さえると、私は歩き出した。いざ行かん、宝物が待っている。


「邪魔ですの」


 突如、背中から衝撃が突き抜けた。


「ぎゃふん」


 前のめりにたたらを踏んで、私は振り返る。どうやら背後から棺桶を突き飛ばされたらしい。


「そんな大きくてカビ臭い物を背負って、往来で立ち止まるなんて何を考えていらっしゃいますの?」


 そこにいたのは十台半ばの少女だった。仕立ての良い服に、綺麗な白金の髪がさらさらと流れている。気の強そうな瞳が私を射抜くように見ていた。


「どこの田舎地方から来たのか、知りたくもありませんが……。ここはスパイダーリリー。世界中のネクロマンサーの中心ですの。恥も知らない方はお帰り頂いて結構」


 そして足首まであるロングスカートを翻した。


「ご忠告、失礼致しましたの」


 鼻で笑うと、背を向けて立ち去ろうと歩き出す。


「だからって突き飛ばす事ないじゃない……」


 その背中に呟きかけてから、私も歩き出した。が、どうやら私の声は聞こえてしまったらしい。ぐるりと勢いよく振り向いた彼女は、その手に小さいピストルを握っていた。


「えぇっ!」


 驚く私に構わず、彼女はその銃口を向け、躊躇いなく引き金を引いた。だが発射されたのは鉛の弾丸ではなく、実体を持たない不可視の弾丸だった。

 その辺の浮遊霊や無害な死霊を拳銃に詰め、弾丸状にして飛ばしているのだ。当たっても怪我などはしないが、体内に侵入した幽霊は精神に影響を及ぼす。失神で済めば良いが、術者の力量によっては重篤な精神障害を引き起こす場合だってある。


「ひえぇぇ!」


 我ながら情けない悲鳴を上げて、頭を抱えてその場にうずくまった。と同時に、私の棺桶が勢いよく開いた。中から灰色の太い腕が素早く飛び出すと、見えない弾丸を空中で叩き落としてしまう。


「なっ……」


 今度は彼女が驚いたように固まっている。腕は再び棺桶の中に戻ると、静かにその蓋を閉じた。


「幽体に物理干渉して止めた……? どういう事ですの、そんな事、どうやって……」

「あわわわ……」


 突然の発砲に、未だ驚いて立ち上がれない私は、彼女の様子を窺う事しか出来ない。

疑問を抱えた表情をしているが、不可視にして不可触の弾丸を何故叩く事ができたのか、実は理由がある。だが、全て説明するとなれば長い話になる。

 この棺桶の中身についても話さなければならない。


「あなた、一体……」


 彼女はピストルを構えたままだが、続けて発砲する様子はない。数秒ばかし思案顔を続けると、諦めたように手を下げた。


「あなた、放っておくには危険ですの」


 そして警戒の色を強めた表情を浮かべる。


「平素ならば、あなたのような流れのネクロマンサーなど気に掛ける必要はありませんが、今スパイダーリリーで問題を起こされては困りますですの。特に今年は忌々しい連中がこぞってやって来る予定もありますの」


 やれやれ、などとわざとらしく肩を上下させている。


「で、す、が。今年の死霊祭には、あのクロミツ様がいらっしゃいますの」


 誰だろう。


「東洋神秘の伝説的ネクロマンサー、クロミツ様のお名前くらいは知っているでしょう? んふふ、驚いて声も出ないようですの。あの方がいらっしゃる限り、このスパイダーリリーでの悪事はお辞めになった方が賢明ですのよ?」

「は、はぁ……。そうですか……」


 どうやら凄いネクロマンサーらしい。店先で聞いていたらしいお店の男性も、うんうんと頷いて腕を組んでいる。


「あ、有名人が来るんだったら、マーロウ先生も来ますか?」


 ふと、私は敬愛する師の名前を訊ねてみた。


「マーロウ?」

「はい。マシュー・マーロウ先生です」


 彼の著書は、私の宝物ですらあった。

 私の故郷では死霊術は好まれず、その資料や学ぶための教科書も得る事は出来なかった。しかしある時、その一冊を手にした事で私の人生は変わる。大した目標もなく、怠惰に漠然と生きるだけの日々に光が差したのだ。私がやるべき事はこれだ、と稲妻のように受け取った天啓は今でも胸にある。


 その一冊は、死霊術百科と銘打たれたもので、私の全てはその一冊からの独学だ。何度読み返したかもわからない本の著者は、忘れようも間違えようもない。

 マシュー・マーロウ。彼に会った事はないが、一ページ目に本人の写真が印刷されているので顔だけは知っている。もっとも、十年以上前の本であるため多少変わっているだろうが。


「マーロウ先生もスパイダーリリーで勉強した事があると、著書にありました。できれば先生の書いた他の本があれば、何としても手に入れたい所ですね」


 この街なら見つかるかも知れない。死霊術の様々な教本や資料も欲しいが、先生の書いた本を一冊しか持っていない私にはそっちの方が魅力的だ。


「あー……。マシュー・マーロウと言うと、あの死霊術百科……でしたっけ? あの本を書いた、あのマシュー・マーロウですの?」

「おや? ご存じでしたか! 高名な死霊術師は彼しか知らないのですが、この街でもお名前が知られているようで嬉しいです」


 つい今しがた銃弾を向けられたのだが、その名前が死霊術師の聖地スパイダーリリーですら有名であると知って、私は思わず声が大きくなるのを感じた。

 しかし、私の気持ちとは裏腹に、彼女は眉をひそめると半眼で私を見た。


「死霊術百科は発禁処分を受けた禁書ですのよ……? あまりにデタラメばかり書いてあったものだから、嘘つきマシューと言えば子供だってその事を知っていますの」

「ほぇ?」


 何だか思っていたのと違う反応だった。


「え、で、でも私は死霊術百科で勉強を……」

「私も読んだ事はありませんが、内容の半分はデタラメであったという結論は未だ覆ってはいませんの。スパイダーリリー加盟の死霊術師リストからも、彼は除名されていますの」

「そ、そんな……」


 確かに、本に書いてあったものの再現できない死霊術はいくつかあった。準備不足か、私の能力不足によるものだとばかり思っていたが、まさかそんな事があるだろうか。

 先ほどまでの警戒した視線が、憐れむような目に変わった。


「あなた、本当に、本当の本当に、単なるド田舎ド庶民だったのですのね……。おかわいそうに。せめてカーニバルの間だけでも、せいぜい常識を身に着けてから故郷へお帰りになると良いですの」


 全力で見下されているが、おそらく彼女は私を見下しているつもりすらない。何故わかるかと言えば、先ほどから彼女の表情がころころ変わるのを見ているからだ。この少女は感情がそのまま顔に出る。そして今、その顔は心底心配している表情をしている。


「私の名前は、コレット・ケーキ。この街で困ったら私の名前を出しますの。私にとっては些細でも、あなたにとっては大きな助けになるでしょう」

「はぁ……どうも……。私はクレア・エイク。ゾンビ職人です」


 コレット、と名乗られたので私も名を告げる。


「あら。あなたが名乗る必要はありませんの。あなたのお名前を覚える必要はありませんし、名乗られても困りますの」


 小首を傾げてコレットはそう言った。続けて私に背を向けると、そのまま片手をひらひらと優雅に振って見せる。


「では、ごきげんよう」


 その後ろ姿を眺めた私は、去りゆく彼女に頭を下げた。


「あぁ、なんて素敵な人でしょう。どれだけ感謝しても足りません……!」


 思わず口をついて出た言葉だが、今の今まで私とコレットのやり取りを見ていた店員が不思議そうな顔をしている。


「では、早速ですがお願いします。あの辺の棚から、こっちの端まで一通り下さい。あと食糧や日用品を扱っているお店を教えてもらえませんか?」


 店員に告げると、私はさっきまで出しかけていたお財布をしまい込む。

 本当に良かった。地獄に仏とはこの事である。お財布の中身は心許ないし、欲しい物はたくさんあるし、どうしたものかと考えていたのだ。しかし、あぁ何という事だろう。彼女が全てを解決してくれたのだ。


「困ったら名前を出せ、と言っていましたからね。私はお金に困っているのです。えぇ、それはもう。ですので、ここはお願いします」


 私は後払いの支払書にサインを求められ、綴りが間違っていないか確認しながら記入。


「支払は、コレット・ケーキで全部お願いします」



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