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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
弐 人ならざる半獣(もの)
8/73

《五》微笑み危険──居心地の悪くない世界にいる意味

 


(……やっぱり一日くらいで、にわか知識をつめこんでも、そりゃ処理しきれるもんじゃないか……)


 赤虎・茜の屋敷を後にする頃には、あたりはすっかり夕闇につつまれていた。


 咲耶にこの世界の常識を教えるべく、茜は達筆な文字を書き連ね──現在それは、ハクコと咲耶の忠実な下僕しもべ・犬貴の小脇に抱えられた漆塗りの箱に、収められていた。


「また、いつでもいらっしゃいな。アタシも美穂も、大歓迎よ」


 茜は、ときおり美穂に茶々を入れられ脱線しつつも、おおよそ咲耶の知りたいことは話し聞かせてくれた。


 そして、情報量に処理が追いつかなくなりつつある咲耶に、

「細かいことは、ハクに訊いたらいいわ」

 と、諭しもした。


「……咲耶様。大分お疲れのようですが……」


 迎えに来た犬貴が心配し、咲耶を担いで帰ろうとしてくれたが、丁重に辞退した。疲れているのは肉体でなく、平均的な処理能力しか持ち合わせていない、頭脳のほうなのだから。


(帰る、か……)


 犬貴と歩いてきた道を、咲耶はまた(・・)歩いている。わずかな残照に染まる道をたどるなか、ふと、美穂の言葉を思いだした。


「あんたさぁ、元の世界に帰る方法はないのかって、尋ねないの?」


 帰りたくないといえば嘘になる。家路につくなか『こちら』にばれたのだから。だがそれは、積極的な「戻りたい」という意思に、付随した気持ちではなかった。


「……不思議なんだけど、どうしても戻りたいっていう気には、ならないんだよね。あれかな、私ってばまだ違う世界にいるっていう実感がなくて、観光気分でいるのかも」


 おどけて笑ってみせる咲耶に、美穂のほうも、どこか秘密めいた微笑みを浮かべた。


「だから、あたしもあんたも、喚ばれたのかもね」


 『向こうの世界』に未練がない存在ってコトで──。付け加えられたひとことに、咲耶はどきっとした。確かに自分には『あちら』に未練がなかった。


 仕事を無くし、結婚もしておらず子供も彼氏もいない。そんな咲耶と似通った状況だった友人も、すでに違う道に進もうとしていた。


 唯一、咲耶を大事に想ってくれて咲耶自身も気がかりな母親は、弟が責任をもって面倒をみてくれるはずだ。そういう意味で、咲耶は『あちら』では必要とされていない存在だった。


 だが『こちら』では『神の獣の伴侶』と位置づけられ、椿や犬貴に「様づけ」される存在だ。同じ立場の美穂や百合子という、花嫁仲間(?)もいる。


(居心地は、悪くない……)


 どころか、与えられた屋敷は、旧式ではあるが畳も障子も真新しく……『向こうの世界』でのボロい我が家とは雲泥の差があった。しかし──。


「恐れ入ります、咲耶様。少し、よろしいですか?」


 犬貴は寡黙かもくではないが、自ら進んで会話を好むといった性質でもない。咲耶が思考にとりつかれているのを察してか、あたりに注意をはらいながら、黙々と隣を歩いていた。

 その犬貴が、突然、声をかけてきたので、咲耶は驚いて思考と足を止める。


「なに? 犬貴。どうしたの?」


 咲耶に軽く一礼し、犬貴は前足を小道から外れた右前方へ指し示した。


「あちらへ──」


 皆まで言わず、咲耶の視線と身体を誘導する。


 木々ばかりに囲まれていて、気のせいかもしれないが……見覚えのある場所だ。生い茂った草木を人為的になくし、ぽっかりと地面をのぞかせた空間が目に入る──そこに、ハクコがいた。


 声をかけようと思ったが、ハクコの様子に異変を感じ、咲耶はのどもとまで出かかった呼びかけをとどめる。


 折しも、夜空に浮かんだ月の光がさやかに照らし始めるなか、ハクコは何かの『舞い』を踊っているように見えた。


 指先が糸をつむぐように繊細に動き、ひるがえるたもとがゆるやかに宙を舞う。踏み出す脚が地面をこする音が、単調に辺りに響いている。


 一切のものを寄せ付けない清冽せいれつさと優美さが調和をし、咲耶はただ、その姿を視界に入れたまま立ち尽くしていた。


 やがてハクコが半ば伏せていたまぶたを上げ、一連の動きを止め声をかけてくるまで、まばたきすら忘れたような心地であった。


「──そこで、何をしている」


 例によって感情の欠落したような低い声音に、咲耶は我に返り、あわててかたわらの犬貴を指す。


「あの、えっと、いま犬貴に屋敷まで送ってもらう途中で……」


 言いかけた咲耶の隣にすでに犬貴の姿はなく、頭の上のほうで風にまぎれるような声がした。


『では私は、これで失礼いたします──』


(えっ! ちょっ……犬貴、私を置いて行く気!?)


 完全に予想外だった展開に咲耶は言葉を失ったが、ハクコのほうは事情を察したらしく、咲耶のほうへと歩み寄ってきた。気まずい思いでいる咲耶の手を、ハクコがつかむ。


「行くぞ」

「えっ? ど、どこに!?」


 いきなり触れた指先が、冷たくて心地よい。そう思う自分に動揺した咲耶の口から、答えの分かりきった問いかけが飛びだす。案の定、無表情のハクコが、あっさりと答えを返した。


「屋敷に向かう途中だと、言ったのはお前だ」

「…………ですよね」


 ひきつった笑みで同意し、ハクコに手を引かれ歩きだす。ふと、儀式直前にも同じようにされたのを思いだした。


(あの時と、同じなのに、な)


 強引に、訳も分からず山道を歩かされ、無理やり手を引かれた。状態は大差ないはずなのに、感じる心が微妙に変化していることに気づく。でなければ、この無意味に脈打つ鼓動の速さを、説明できはしないだろう。


 咲耶は、熱くなる手のひらに重ねられた冷たく長い指に意識が集中しないように、あえて口を開いた。


「さっきは、なんの『舞い』を踊っていたんですか?」

「舞いではない。結界の修復を行っていたのだ」

「結界の修復って……。

 あ! 昼間、ほころびができてたとかなんとか、犬貴が言ってたやつ……」


 遅ればせながら「見覚えがある」などという、根拠のない思いを抱いたのにも合点がいった。


「犬貴から聞いた。お前に不快な思いをさせてしまったと。……すまなかった」


 ひとりで納得している咲耶の耳に、ハクコの抑揚のない声が落ちてきた。思わず仰ぎ見る咲耶に、ハクコの眼差しが注がれる。


「へ? ……ああ、なんか、いろいろあるみたいですね。

 まぁ、びっくりしましたけど、そんな謝られることじゃないですよ」


 犬貴とは違い、声に含まれる温度も青味がかった黒い瞳に現れるはずの表情も、まるでない。にもかかわらず、そのひとことは真摯(しんし)な響きを放っていた。


(感情がないわけじゃなくて……この人、どう表現していいのかが分からないのかもしれない)


 漠然とだが、咲耶はそう感じた。

 ハクコは人と接することに、慣れていないように思える。生まれてからの年数も、一因になるのだろうが……。


 茜によると、本来 神獣は『神獣の里』と呼ばれる場所で生まれ育ち、人の姿に化身(けしん)できるようになると、国獣として遣わされるらしい。

 ところがハクコは神獣の里以外の場所で生まれ、()()()()()()()()()()()()という。


(それなのに、人に寄り添ったことも、なでられたこともないだなんて……)


 どんな育てられ方をしたかなど、容易に想像がつく。おそらく、『めずらしい獣』として、(おり)にでも入れられていたのではないだろうか?


 考えてみれば、トラは猛獣だ。トラと同地域に生息する草食あるいは肉食動物のほとんどが、その犠牲になると、咲耶も何かの本で読んだことがある。

 そんな恐ろしい獣を、「猫みたいで可愛い」などと思ってしまう自分の危機感の無い言動のほうが、よほどおかしいのだ。


(でも、たとえどんな『猛獣』でも、育ててたりしたら、情がわいたりしないのかなぁ?)


 犬も猫も本来は野生の動物で、人間の都合で飼い慣らしたものだ。しかし、育てている過程で目には見えない『絆』が生まれたりもする──それと、同じように。


「……お前は、変わっているな。犬貴もそう言っていた」


 ぽつりと()らされたハクコの言に、咲耶は遠い目をしてしまう。


 確かに咲耶は「変わっている」と友人知人に評されることが多かった。本人は、至って平々凡々な、面白味のない、普通の人間だと思っているのに。


(ってか、犬貴にもそう思われてたなんて、ショックだわ~)


 うぬぼれを重々承知で言わせてもらえば、咲耶は犬貴に未熟とはいえ「良き(あるじ)になりえる」と、見られていると思っていたからだ。


「変わって……ますかね? 私」

「変わっている。私に名を尋ねたのは、お前が初めてだ」


 そんなことで? と、問い返そうとした咲耶の前で、ハクコは足を止め咲耶に向き直った。


「私はそれまで、自分に名がないことなど、気にも留めなかった。名とは互いに関わり合うために必要なものであって、関わる者の限られる私には不要なものだからだ」


 名前は、固有のもの。そんな当たり前のことに、咲耶はいまさらながらに気づかされた。


「だが、お前に名を問われた時、私は己に名のないことを恥じた。同時に、『恥じる』という感情が己の内側に存在することも、知った」


 薄い闇が辺りを覆い、中空に浮かぶ月の光が、ほのかに、ハクコと咲耶を照らす。ほどかれたハクコの長い指が、ふたたび咲耶に触れた。その、まなじりに。


「お前の涙が私の被毛を濡らしたのを、私は不快に感じた。考えてみれば名を問われた時も、私はそれを『不快』に感じたのだ。

 そんな私に対し、師は、己が不快に思う正体を自身で探りだせと課せられた。それは、私の内側にあるはずの『感情』であるからと」


(理屈っぽいな。そんなに難しく考えなきゃいけないことなのかな)


 咲耶はハクコの語る言葉をそんな風に受けとめる。反面、幼い子供が覚えたてのことを懸命に伝えようとしているようにも感じられ、口をはさめなかった。


(『師』って誰? とか、なんの先生なのか、とかね……)


 訊きたいことはあったが、いまは訊かずにいようと思った。それは、じっと咲耶を見つめる瞳と、咲耶に触れる指先が不快ではなかった(・・・・・・・・)から──。


「私には足りぬものがある。それは書物を読むだけではどうにもならぬ、人としての感情らしい。師が言うには、お前と過ごすなかで、それは得られるはずなのだ。

 だが」


 すっ……と、ハクコの手が下りて、拳が握られる。咲耶を見つめる瞳がわずかに揺らぎ、柳眉(りゅうび)がひそめられた。


「私の側にいると、お前は、今日のように不快な思いをすることが増えるはずだ。お前に、なんの落ち度がなくとも。

 私は、人でも獣でもない……半ばにある存在だから、疎まれる。曖昧あいまいな、属性の明らかでないものを、受け入れられる者は少ない。

 私がそう(・・)ある以上、共に在るお前に、災いがふりかかる可能性が高い」


 ひと息に言ってハクコは口を閉ざした。


 咲耶は、ハクコに会う前までに考えていたことを思いだす。居心地の悪くない、この世界に、自分がいる意味を──。


「それで……あなたにとって、私は必要なの?」


 切々と伝えられる内容に、咲耶は結論をうながす。迷いが晴れるような心地で。


「無論、必要だ」


 はっきりと告げる低い声音が、咲耶の耳に届く。


「あの方は、淋しい方なのです」


 犬貴の言葉がよみがえり、咲耶の胸をついた。


 会って間もない咲耶を、ためらうことなく「必要だ」と答えるハクコの魂は、なんと孤独なものだろうか。それほどまでにすがりたい気持ちがありながらも、自分と共にあっては害を及ぼすかもしれないと、憂える。


(自分勝手な人だと、思ってた)


 咲耶の意思などお構い無しに動く者だと。

 けれどもそれは表面的なものであって、ハクコの幼い心は、冷静な判断力はあっても胸にわきあがる想いの対処の仕方が、分からないのだ。


 『白いあと』のある右手を、ハクコの胸もとに伸ばす。幼く孤独な魂に、寄り添うように。


「……じゃあ、早くあなたの名前を呼べる(・・・)ように、頑張りますね」


 ちょっと笑って見上げると、あるかなしかの微笑みが返ってきた。咲耶の右手を自らの左手で押さえこみ、ハクコが顔をうつむかせる。


「よろしく頼む」


 息がかかりそうなほどに近づいたハクコの唇に、ふいに、美穂から言われたことを思いだした。


「ハクに名前を教えたいの? だったら、ヤッちゃうのが一番手っ取り早いけど……まぁ、とりあえず、チューくらいから試してみれば?」


「……っ……ムリっ!」


 心の声が、思わず口をつく。すかさずハクコが反応した。


「無理そうか? 時間がかかるのは私も承知している。く必要はないと思うが」

「いや、そうじゃなくてですね、別にあなたとどうこうするのがダメとか、そういうことでもなくて……。ああっ、違う! 私、なに言ってんだろ……」


 咲耶の言葉に、心細そうな顔を向けてくるハクコを見て、さらに咲耶の頭のなかは混乱をきたす。


(ここで下手な対応したら、この人、傷つけちゃうじゃん、私!)


 しっかりしろ、と、自分で自分をしかりつける。咲耶のほうがハクコよりも、長い年数を生きているのだ。


(…………そりゃあ、処女だけどさ)


 『永遠の二十八歳』にして未通女おぼこの咲耶と、『見た目は二十五歳の美青年』、中身は二年四ヶ月の幼獣ハクコ。美穂のいう「手っ取り早く名前を伝える方法」は、ふたりには、難易度が高すぎる。


(でも、まぁ──)


 千里の道も一歩から、ともいう。

 咲耶は背伸びをして、ハクコの頬に唇を寄せた。想いをこめて、押しあてる。


「……何だ、いまのは」


 淡い期待をすっぱりと切り捨てるハクコの物言いに、咲耶は軽く落ち込んだ。


(ダメ!? やっぱ、この程度じゃダメなの? もっと濃厚で、エロエロな感じの伝え方(・・・)じゃなきゃ、ダメなのぉ~っ!?)


「……すみません、修行が足りないみたいなんで、また改めて……」


 ハクコの胸もとを握りしめたまま意気消沈する咲耶の頭上で、ふっと笑うような気配が感じられた。驚いて見上げれば、今度は確実にそれと分かる微笑みが、ハクコから向けられていた。


「お前の言動は、脈絡がない。だが……悪くない」


 言って、重ねた手を改めて握り直し、ふたたびハクコが咲耶の手を引く。つられて歩きだす咲耶は、一瞬前の初めて見るハクコの微笑に、魂が抜けかけていた。


(──……っ、なんて危険な微笑みなのっ。そりゃ、やたらに笑ってちゃダメだわ!)


 微笑み危険、と、この白い水干の背中に書いておくべきか、などと。半ば真剣に考えながらも咲耶の胸のうちには、あたたかな想いも灯り始めていた。


 この微笑みを独占できるのも花嫁の特権だろうという、今日一番の有益情報(・・・・)によって。





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