表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
捌 忘れえぬ故郷(ふるさと) ─後篇─
71/73

《九》日付が変わる前までに──私はもっと、お前のことが知りたい。

 神獣の花嫁として記憶も神力しんりきも取り戻した咲耶は、この世界での滞在時間が限られていた。


「日付が変わる前までに、この屋敷にお戻りください」

と、一葉に念を押され、咲耶は現在、一葉の車を借りて和彰と共に咲耶の家に向かっていた。


「もしもし、お母さん? ……急なんだけど、その、会って欲しい人がいて。……じゃなくて! ……そう、その人。これから家に連れて行くから──」


 パート勤めを終えた頃合いを見計らい、咲耶は母親に電話をかけた。通話を切った助手席の咲耶を、和彰が運転しながら横目で窺ってくる。


「大丈夫か」

「うん、平気。……それより、うちスッゴいボロ家だから、びっくりしないでね」

「分かった」


 咲耶の茶化しながらの自己申告に、和彰は生真面目にうなずく。


(お母さんが「やっぱりあんたも」って、言いたくなる気持ちも解るけどね)


 けさ方まで存在すら口にしなかった娘が、いきなりその『彼氏』を家に連れてくると聞けば、変に勘繰るのも当然だろう。


 人ひとり歩くのがやっとの家の玄関から和彰を通すと、食材を仕舞っていた母親に簡単に和彰を紹介した。その後、和彰を居間のテーブルの奥へと追いやる。


「……気は遣わなくていいって言ってたけど、本当に大丈夫?」


 咲耶を冷蔵庫の影に呼び、咲耶の母・里枝りえが小声で訊いてくる。


 居間と台所が六畳半の空間にある狭さ。昭和の中期辺りに建築されたであろう住宅の片隅で、咲耶は里枝に苦笑いを返した。


「うん、大丈夫だよ。細かいこと気にするような人じゃないから」

「……そう? 本当に? えらい所に連れて来られたって、思ってるんじゃない?」


 うろんな目つきの里枝の視線の先は、無表情で室内を泰然と見回す和彰だ。


「私、お茶淹れるね。お母さんはいつも通り夕飯作ってて」

「あんたがそう言うなら……。霜月さん、狭い家で申し訳ないけど、楽にしてくださいね」


 少しぎこちない笑みで言う里枝に、和彰は「はい」と短く応じた。……普段通りの愛想の無さは、ある意味で賞賛に値する。


「本当にボロ家で驚いてる?」

「いや。お前はここで暮らしてきたのだなと考えていた」


 湯呑みを手渡しながらささやけば、抑揚のない返事が通常通りの音量で発せられた。


 玉ねぎを刻む里枝の手が、一瞬、止まる。内緒話もできない距離に、しかし咲耶は今さら隠しても仕方ないと腹をくくった。


「小学校四年の時、両親が離婚して。だから、この家には、その頃に越してきたの。……あ、父は三年前に亡くなってるんだけどね」


『小学校』や『離婚』など、こちらの世界では常識である事柄を里枝の手前、説明できずにいたが、和彰は咲耶の話をさえぎることなく、じっと耳を傾けている。


「これでも家電とか、当時に比べれば立派になったんだよ? ……ふふっ、引っ越してきた当日、裸電球の下でカップラーメンすすったよね、お母さん」

「……ああ。あんたが戦時中みたいだねって、見てきたようなこと言ったわよね」

「だって本当に、おばあちゃんの話から想像したのと同じ感じに思えたんだもん」


 何もかもが手狭な咲耶の家は、台所も今風の対面型やアイランド型とは違う。一人が台所に立つと、手伝えるスペースはなかった。


 里枝は咲耶たちに背を向けたまま、咲耶は和彰と里枝を交互に見ながら昔話をする。


 今よりも長時間働き、女手ひとつで二人の子供を養っていた里枝。その里枝に代わり、家事を行い弟の面倒をみていた咲耶。


 貧乏苦労話は、弟のたけるが成人し勤めている今となっては笑い話となるが、当時は自分がしっかりしなくてはと気負っていたなと、咲耶はふと過去を懐かしむ。


「咲耶。お前の部屋は何処だ」

「へ? あ、二階。……見たい?」


 話の切れ目で唐突に和彰が口をはさんできた。驚きつつ人差し指を上に向ける咲耶に、和彰は黙ってうなずいた。


「あんたの部屋、人に見せられる状態なの?」

「そんなに散らかってないよ! ……たぶん」


 からかうような里枝の言葉に反発しつつ、咲耶は家を出た時の状況を思いだす。


(あ、部屋着が脱ぎっぱなしだ)


 咲耶は、和彰に数分だけ待ってもらい、二階にある自室に案内した。


 所々できしむ階段を昇ると、右が弟の健の部屋で左が咲耶の部屋だった。時間と気配からして健はまだ帰宅してはいない。


 咲耶は、猫の引っかき傷のある自室のふすまを開ける。


「どうぞ」


 女の友人以外招いたことのない部屋は、自分で言いたくはないが色気に欠ける。


 少し大きめの本棚には雑多な分野の書籍が並び、女子が好みそうなものはわずかだ。クローゼットの横にあるチェストの上には、必要最低限の化粧品類とヘアブラシ、卓上ミラーが整然と置かれている。


「特に何も目新しい物がなくて、つまらないでしょ?」


 いまさら和彰に見せて恥ずかしい物などないと思っていたが、実際は違った。熱くなった頬をごまかすように、咲耶は南向かいの窓を開け放つ。


(なんか、やっぱり緊張するな)


 しばしの沈黙ののち、流れこむそよ風にまぎれるような静かな口調で、和彰が言った。


「咲耶、今ならまだ間に合う」


 高台にある市営住宅からは、付近の民家や田畑、大通りに面した店舗などが見渡せる。遠くの山あいに、陽が沈みかけていた。


「お前は陽ノ元を選んで後悔はしないのか」


 寄り添うように咲耶の隣に立った和彰の、抑揚ない問いかけが耳に落ちてくる──後悔。


 一葉が言った「残酷な神々の世界」「出逢わなければ良かったと思うだろう」というフレーズが、思い返された。


「後悔は、すると思う」


 ぽつりと、咲耶の唇からこぼれた本音に、和彰がすかさず言った。


「ならば、この世界に──」

「後悔はするの、どちらを選んだとしても」


 和彰の言葉をさえぎり、咲耶は強い口調で言いきった。


「この世界に残るとすれば和彰との記憶が無くなる訳だから、厳密にいえば後悔はしないよ? ううん、できないことになる。──だけど」


 咲耶は、隣に立つ長身の青年の片腕を、ぎゅっとつかむ。窓の外から視線を転じれば、オレンジ色の夕陽が和彰の端正な顔立ちに、物悲しくも美しい陰影をつけていた。


「いまここにいる私が知っているの。あなたとの大切な想い出を失うってことを。それは、陽ノ元を選んだ時に感じた未来での後悔(・・・・・・)と同じなの」

「咲耶……」

「私の好きな本のなかにね、

『どちらを選んでも後悔するのなら、より責任の重い方を選べ』

って、言葉があるの。

 それは、人が人として生きるうえで、必要な尊い志なんだと思う。だから私は、後悔するって解ったうえで陽ノ元に戻るわ」


 微笑む咲耶を見つめ、和彰は自らの腕にある咲耶の手指を外させる。その指先に唇を押し当てると、空いた一方の腕で咲耶を抱きしめた。


「咲耶。お前の尊い決断に感謝する」


 咲耶は、笑った。


「私が陽ノ元を選べたのは、本の受け売りだけじゃない。和彰が、いてくれるからなんだよ?」


 自分の身をつつむ神獣の優しさがあればこそ。咲耶がこれから先、進む道のしるべとなるのだ。


「咲耶。私はもっと、お前のことが知りたい」


 思いがけない申し出に、咲耶は驚いて顔を上げた。和彰の長い指が、咲耶のまなじりに触れ、頬をなで伝う。


「この世界で暮らしたお前が、この世界で大事に思ったものを、できる限り私に教えてくれ。お前がいつか、この世界を思い、ひとりで泣かなくても済むように」


 こつん、と、和彰の額が咲耶の額に押しつけられた。


「お前を慈しみ育んだ故郷を、私も共に思いだせるように。私の心に、刻ませてくれ」


 ささやく低い声音の振動は、咲耶の強がりな魂を容易に震わせ、弱さを露呈させる。あふれる想いをこらえながら、咲耶は大きく息をついた。


「……ありがとう、和彰。じゃあ、まずは、アルバムかな」


 そうして咲耶は、二十八年間の想い出の数数を、和彰に話して聞かせたのだった。






「姉ちゃん、入っていい?」


 階下で母と弟の話し声がしたあと、階段を昇る音がして声をかけられた。応じた咲耶の部屋に入って来るなり、健がうめく。


「……マジか……! いや」


 和彰を凝視したのち、じっと咲耶を暗い眼差しで見つめてくる。


「姉ちゃん。ウチはご覧の通りの貧乏所帯で、預貯金も常に三ケタ台ですって、ちゃんと説明したか?」

「ちょっと! あいさつ抜きでいきなり何!」

「だってさ、こんな美形で育ちも良さそうな人が、姉ちゃんと付き合うっておかしくね? 結婚サギじゃなきゃ、そーとーシュミわり──」


 言いかけた健の口を片手でふさぎ、咲耶は和彰を振り返った。


「弟の健。バカだけど、少しは役に立つこともあるの」

「……っ、ば……バカは事実だけど、姉ちゃん、ひでー」

「どっちがよ?」


 咲耶の片手を振り切り、にらみつける姉の視線をかいくぐって、健は和彰に向き直った。


「霜月さん、ですよね? 姉がいつもお世話になってます、弟の健です。以後よろしくお願いします」


 早口で言って頭を下げたのち、ちらりと和彰を上目遣いで見る。


「あの……失礼ですけど霜月さん、視力かなり悪かったりします?」

「あんたねぇ!」

「うっそウソ! 冗談だって。

 姉ちゃんの好きな『シャル・エト』のロールケーキ、買ってきてやったから、それでいいだろー?」


 肩口を軽く叩きつけた咲耶に対し、健は身を引きながら笑ってみせる。咲耶は、目をしばたたかせた。


「は? ケチんぼのあんたが? めずらしい」

「だって今日、姉ちゃん誕生日じゃん」


 ──咲耶は、いまのいままで、すっかりそのことを忘れていたのだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ