《四》花嫁の役割──白い神の獣は、治癒と再生を。
「──では、私はいったん、お側を離れます。
この先はセキ様の領域内ですので問題はないかと存じますが……。もしもの際は、お呼びいただければすぐにでも咲耶様のもとに参ります」
「ありがとう、犬貴。じゃあ、帰る時、呼ぶね」
片ひざをつき、こうべを垂れる犬の眷属の頭に、ちょん、と、手をのせてやる。応えるように巻尾を二三度振り、現れた時と同じように、犬貴は一瞬にして消え去った。
赤虎の住まいは、森林のなかに突如として出現するようなハクコの屋敷同様、生け垣に囲まれた、書院造り風の屋敷だった。
応対に出てきた三十代後半くらいの女性が、おそらく赤虎たちの花子の菊だろうと、咲耶は思った。
「セキコって、どんな感じの人かな?」
会う前に多少の予備知識が欲しくて、道中、犬貴に問いかけた。
黒虎・闘十郎には、儀式の前に一度、会っている。咲耶の印象としては、少なくともハクコよりは気安い少年に思えた。
だが、一緒にいた百合子は、同じ花嫁でありながらどこか遠い存在に感じ、気軽に話せそうな雰囲気ではなかった。
「──あるべき良識を、お持ちの方のように、お見受けします。ですが、その……」
犬貴は言いよどんだが、咲耶の視線に根負けしたように続けた。
「少し、風変わりな……と、いいましょうか……。ああ、いえ、私が風流を、解さないだけかもしれませんが……。その……、変わったご趣味がおありかと、存じます」
犬貴が言葉をにごしたのが若干、気にはなったが。
犬貴をもってして「良識をもっている」と言わしめるのなら、咲耶の知りたいこと、知っておかなければならないことを、正確に教えてくれるだろう。
客間らしき座敷に通されて間もなく、廊下を歩く衣ずれが聞こえ近づいてきた。
「待たせたわね」
現れたのは、赤地に銀刺しゅうの入った豪奢な打ち掛けに、黒い袿を身にまとった、ゆるやかに波打つ赤褐色の髪の、あでやかな──美青年、だった。
気だるげに脇息にもたれ、咲耶を見つめる瞳は、鮮やかな光を放っている。
「へぇ……年増って聞いてたけど、こうして見ると、ハクと釣り合うくらいの歳に見えるじゃないの。バカ供は、女は若けりゃいいって思ってるんだから、仕様がないったら」
溜息をつきながら、胸もとに垂れた赤褐色の髪を払う。
ハクコが静の美貌の持ち主なら、セキコは動の美貌の持ち主だろう。しかし──。
「うん。アンタ、なかなか可愛いじゃない。アタシ好み。ま、美穂に次いで、といったところだけど」
……この口調は、いかがなものだろうか? この立ち居振舞いも。決してごついわけではないが、男っぽい体格をしているので、似合わない気がするのだが。
(……犬貴が口ごもったわけが、解ったわ)
「ちょっと!」
ぱちん、と、セキコが手にした扇を鳴らした。着物同様こちらも、派手な飾り緒がついた美しい檜扇だった。
「一方的に、アタシにばっか、しゃべらせてるんじゃないわよ。アンタ、何しにここに来たの?」
それまでの軽口をたたいていた調子を一変させ、挑むように咲耶を見るセキコに、思わず咲耶は姿勢を正す。真意を問われてることに、気づいたからだ。
この場合、
「お招きいただき、ありがとうございます」
などという、型通りのあいさつが求められていないことは明らかだった。
当初の目的の通り「遊びに来た」と言えば、咲耶の知りたいことの半分も知らされぬまま、丁重なもてなしを受けるだけで帰されてしまうことだろう。
「私に、この世界──この国の仕組みについて、教えてください」
畳に指をついて、頭を下げる。セキコが、ふうっ……と、息を吐いたのが分かった。
「なんで、アタシに訊くの? そういうことはハクか、ハクの眷属に訊くのが、筋なんじゃない?」
突き放すような物言いに、咲耶は顔を上げ、セキコを見た。
「ハクコには改めて違うことを訊く予定です。犬貴は……都合の悪いことは、教えてくれなさそうなので」
咲耶の答えに、セキコは扇を開き口もとを隠してくくっと笑った。細めた明るい鳶色の瞳で、咲耶を見返す。
「花嫁としての自覚はあるわけね。……そう。親しくなるべきは、アタシじゃない。そして、護ることをはき違える眷属もいる。しつけ次第だけど。どうやら、ムダに歳をくってはいないようね。
──菊、あれ」
「承知いたしました」
部屋の隅に控えていた菊が、心得たように立ち上がる。扇を胸もとにしまい、セキコは咲耶に向かって微笑んだ。
「じゃあ、お望み通り、アタシの知る限りのこと、教えましょ」
セキコは、菊に持ってこさせた筆記具で、さらさらと和紙に筆を走らせ、日本地図のようなものを記した。
ようなもの、としたのは、それが咲耶の知っている『日本の形』と微妙に違っていたからだ。
「この大きな形の世界を陽ノ元といってね。これを統治するために昔の権力者が、いくつもの国に分けて、それぞれの国に国司と国獣を遣わしたの。
で、アタシ達のいるのがココ──下総ノ国ってわけ。
下総ノ国のいまの国司は萩原尊臣。国獣は白・黒・赤の三体の虎……つまり、アタシらのことね」
地図に✕印を入れ、余白に咲耶が分かるように美麗な楷書で『陽ノ元』『下総ノ国』『国獣』……と、記していく。
「ちなみに、下総ノ国 同様、他の国にもそれぞれに国獣がいるわ。お隣の上総ノ国は、狼だそうよ。
そして、この国獣……国のなかにあっては神獣と呼ばれるアタシ達は、民に恵みをもたらす存在で、国司と共に国を豊かにするべく尽力している。
……というのが、陽ノ元 全体の、建前論になるわ」
「建前……ですか」
「まぁ、よくあることよねぇ~。実際は国司と国獣は対等じゃない。特に、この下総ノ国にあっては国獣は国司の、かなり下の位に置かれてる。
ハクの儀式を三度で打ち切るなんてしたのが、いい例よ。あれは尊臣が勝手に決めたこと。本当は、神獣には神獣に見合う花嫁を、探す機会が与えられるはずなんだから!」
憤然と言いきり、
「ま、結果としては、三度目のアンタがハクの花嫁になれたから、良かったんだけどね」
と、付け加えた。
「で、その上、恩恵を受けるはずの当人たちからは、
『民に恵みをもたらすどころか、結託して搾取してるくせに、偉っそうにしててムカつく!』……って。思われてるのよね~、やんなるわぁ」
セキコは書いていた和紙をグシャグシャと丸め、ぽいっと放り投げる。くずかごを手にした菊が、寸分狂わず受け止めた。
咲耶は、ここへ来る途中に出会った男の子の父親を思いだす。……確かに、セキコの言う通りだろう。
「でも……そういう恩恵って、私のいた世界じゃ『天の恵み』ってことで、人の力の及ばぬところから受けるもの、って、考え方でしたけど。
ここでは……セキ──茜さん達に、何か特別な力とかって、あるんですよね? 犬貴が神力がどうのって、言ってたくらいだから」
「ん~……まぁ、あるといえばあるし、ないといえばないのよねぇ、アタシ達には」
筆を手にしたまま、セキコこと茜は、脇息に頬づえをつく。
「……ないんですか? 変な──じゃない、人語を話す猿を配下にしたり、綺麗な虎に変わったりする力は、あるのに?」
咲耶が「綺麗な虎」と言った瞬間だけ、わずかに眉を上げた茜だが、おどけるように肩をすくめた。
「残念ながら遣えないのよね~、民が期待するような神力は。咲耶のいう通り、『変な猿』や犬やきじを配下にすることは可能だけど。
──だから、アンタたち花嫁が必要になるってワケ」
「えっ……」
ぴたりと咲耶に筆の先を合わせ、茜が真顔になる。ふたたび、和紙を取り上げ、硯に筆をつける。
「アタシ達にはそれぞれ、司る役割がある。
『赤い神の獣』は、懐胎と生を。
『黒い神の獣』は、破壊と死を。
『白い神の獣』は、治癒と再生を。
民が望めば、それぞれが与えることになっているわ。
だけど」
茜は、口にした言葉を短く記していく。咲耶は耳で聞きながら、目で確認した。
「役割は、アタシ達が行えるものじゃない。行うのは、『神の獣の伴侶』……つまり、花嫁が代行することになっているの。
正確には、花嫁の意思でしか扱ってはいけない力──咲耶が言ってた意味の神力は、これに相当すると思うわ。だからアタシ達には遣えないって、言ったのよ」
「えーと……」
頭のなかで、いままで得た情報を整理しながら、ふと疑問に思ったことを言おうとした瞬間。室内に、第三者の可愛いらしい声が、響く。
「あんた、もうハクとヤッたの?」
……不つり合いな、内容と共に。
「あらヤダ。美穂ってば、第一声からお下品ねぇ。しかも、もう昼前よ? いつまで寝てるつもりだったの?」
「うっさいなー。そもそも、お前が寝かせてくれなかったんじゃんか!」
「なによぉ、そっちがムダに可愛いのがいけないんじゃない。そんなとこに突っ立ってないで、こっち来なさいよ、こっち!」
パンパンと、自分の側の畳を叩いて言う茜の視線の先にいるのは、栗色の髪を少年のように短くした十七八歳の少女だった。赤生地の甚平を着ている。
声の可愛いらしさから、容姿もさぞかし……と、思ったが、咲耶の目に映ったのは、ごく普通の顔立ちだ。
「あ、美穂さん……だよね? 私は、咲耶。よろしくね」
「…………言っとくけど、あたしあんたより年上だかんね? 敬語くらい使いなさいよ?」
つかつかと咲耶の側までやって来て、座る。美穂の言葉に、咲耶はあたふたしてしまう。
「え? えっ? そうなの……ですか? すみません!」
「──な~んてね、冗談だよ、冗談。あ、実年齢があんたより上っつーのは、ホント。敬語は、むしろナシの方向で」
咲耶の反応を楽しむためだったようで、美穂は笑いながら咲耶の肩をパシッと叩いてきた。
「ゴメンねぇ。アタシの仔猫ちゃん、性格悪くってぇ」
と、茜が悪びれもせずに、言い添える。……どっちもどっちのようだ。
「あたしは、こっちに来てから二十年以上 経つんだけど、こいつと契ってからは歳とってないから。あ、外見が、ってコトだけどね」
「花嫁は、契りの儀を終えると神籍に入るから、肉体の成長が止まるのよ。だから咲耶も殺されない限り永遠の二十八歳ってワケ」
美穂の言葉を補足するように、茜がいたずらっぽく片目をつむる。
(永遠の二十八歳……コレ、喜ぶところなのかな?)
何やら複雑な心境にならなくもない。と同時に、咲耶は、茜の『殺されない限り』などという物騒な言いぐさを気にかけた。
「それって、老化はしないけど、ケガしたり病気になったりは、するってことですよね?」
果たして、茜は大きくうなずいた。
「そうよ。ただし、厳密にいえば傷の治りは早いし、病にもかかりにくいの。自然治癒力も免疫力も、高くなるってことね。
つまり、アンタたち花嫁を確実に仕留めるには、心の臓をひと突きにするか、首を斬り落とすかしか、ないってこと」
「……そう、です、か」
なんだか嫌な話を聞いてしまったと、咲耶は思った。
裏を返せば、なかなか死ねない身体は、拷問などの苦痛にも堪え生き長らえてしまうのではないだろうか?
「──で? ハクとは、ゆうべ寝たの?」
ふたたびの美穂のあけすけない問いかけに、咲耶は頭を抱えそうになった。
(それ、いま話さなきゃならない?)
「そりゃあモチロン、一緒に寝たでしょうよぉ。……まぁ、寝ただけなんだろうけど」
「なにソレ。ハクって変わってはいるけど、別にアッチは普通じゃなかったの? お前とは逆に、ソッチの趣味だったわけか?」
「イヤぁねぇ。性的指向を言ってんじゃないわよ。単純に、あの子が性成熟してないんじゃないかって、思っただけ。
だってハク、まだ生まれてから、二年と四ヶ月しか経ってないワケだし」
「────え?」
咲耶は、言葉を失いそうになった。それは……今日聞いた、どんな話のなかでも、一番に驚かされる事実だった……。




