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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
捌 忘れえぬ故郷(ふるさと) ─後篇─
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《七》神がつけた印──この世界には存在しないもの

 敵意とは違う、良くない感情が男から向けられていた。あえて言葉にするなら、表向きは丁重に扱わなければならない厄介者を押しつけられた、といったところだろうか。


白河しらかわ一葉いちようさん、ですよね? あの、私は」

「──助けて、お姉ちゃん」


 和彰から聞かされた名前を思いだしつつ、自己紹介をしかけた咲耶の腰の辺りに、ドスンと衝撃が走る。驚いて目をやれば、頭から血を流した少女が咲耶を見上げていた。


「ど、どうしたの──」

「離れろ」


 ぎょっとする咲耶の側に、ボンネットの上をすべり越えた一葉が来て、少女の手を咲耶から無理やり引き剥がす。ジュッ……と、何かが燃えるような音と同時にえた臭いがした。


「いやあっ!」

「何するんですか!」

「──いいから、乗ってください」


 一葉は、少女の悲鳴を物ともせずに咲耶を無理やり車に押し込むと、自分も素早く運転席に乗り込んだ。いつの間にか外していたらしい眼鏡をかけ直し、車を急発進させる。


 意味が分からず、咲耶は少女の様子を見ようと後ろを振り返った。


「ちょっ……、あの子ケガしてたのに、救急車呼ばなきゃ……!」

「やめてください。税金の無駄遣いです」

「は? 何言って……」


 いきなりのことに動転しながらも携帯電話を操作しようとする咲耶を片手で制し、一葉がバックミラーを一瞥いちべつした。


「地縛霊か。二葉の御守りは持っていないとみえる。あの神獣め……!」


 舌打ちしそうな勢いの独りごとに、咲耶は我慢ができずに声を荒らげた。


「いったい、どういうことですか! 説明してください!」

「…………面倒くせぇな」


 今度ははっきりと舌打ちをかました一葉が、溜息まじりに低くつぶやく。いらだちも露わにアクセルを踏み込み、ハンドルを切る。


「ちょっと……!」

「黙って。舌をかみたいなら話は別ですが」


 速度を上げて、カーチェイスのように対向車線と走行車線を行き来する、一葉の乱暴で交通ルール無視な運転。


 もともとスピードが出る乗り物が苦手な咲耶は、自らのシートベルトを握ったまま、青ざめて声を失ってしまう。


(もうっ、なんなのよっ……)


 やがて車は山道へと差しかかり、ダムが見渡せる広い駐車場で停まった。桜の季節ならば満車となるだろうが、殺風景な今の季節は、数えるほどの台数だ。


 幸い……と言っていいのか、パトカーに追いかけられている気配はない。


(不自然なくらいに信号も青だったしね……)


 生きた心地のしなかったドライブに、咲耶はぐったりとシートに沈みこむ。その様に、一葉がニヤリと笑った。


「申し訳ない。説明を、とのことでしたので、少し時間を作らせていただきました。あいにく不器用なもので、運転しながらの複雑な話は苦手でしてね」


(……絶対、嘘だ……)


 咲耶が疑惑の眼差しを向けるも、慇懃いんぎん無礼な男は涼しい顔で「さて」と話し始めた。


「神獣サマからのプレゼントは、お気に召しませんでしたか?」

「……は?」

「キーホルダーと編みぐるみ。いまはお持ちでないようですね」


 なぜ突然こんな話をされるのかと面食らいながらも、咲耶は正直に応えた。


「キーホルダーも編みぐるみも、家に置いてあります」

「家ですか。なるほど」


 鼻先で笑ったあと、一葉は自らのジャケットの懐から、緑色の小さな紙を取り出した。ヘビを型どった折り紙のようだ。


「渡しておきます。先ほどくらいの弱いモノなら寄りつきませんから」

「……すみません、意味が分からないのですが」

「『御守り』です。

 自覚されてないようですが、ただの人間でありながら神力をもつというのは、鴨がネギを背負っているようなもの。悪霊などの類いからすれば、絶好のターゲットです」


 ぐいと自分の手に押しつけられたそれを見つめ、咲耶は息をのむ。先ほどの少女が、悪霊だというのか。


(だって、『普通の』女の子だったのに)


 負傷して助けを求めている風にしか、見えなかった。


「……私は近視でしてね」


 とまどう咲耶の耳に、さらに不可解な言葉が入ってきた。


 無言で問うように目を向ければ、太陽の光が一葉の眼鏡レンズを反射する。


「その、白い痕。親御さんは何もおっしゃらなかったでしょう?

 それは『神がつけた印』。この世界には本当ならば存在しないものだから、常人には見えないのです。先ほどの少女と、同じように。

 ですが」


 言って、一葉は眼鏡を外すと、咲耶の右手の甲を指差した。


「残念なことに私は眼鏡をかけたままだと、先ほどの少女もあなたの手の甲のそれも、この世界のものと区別がつかない(・・・・・・・)

 眼鏡を外し、ぼやけた視界のなかで初めて、異界のモノだと分かるんですよ。視力が悪いはずの私がはっきりとえるのは、異質な存在だからだと」


 淡々と語る一葉の口調が、次第に辛らつさを増していく。


「あなたが陽ノ元へ戻ろうが、この世界に留まろうが、私の知ったことではない。

 けれども、神獣の花嫁という異質な存在のまま、あなたにぐずぐずとこの世界に居座られるのは、迷惑な話なんですよ。悪鬼死霊を含め、この世界の住人にとってはね」


 切れ長の一重の目が、ふたたび細められ、同じ質問が繰り返された。


「この世界に留まるか、陽ノ元に戻るか。お心は決まりましたか?」






 沈黙がわずかの間、車内に落ちた。咲耶がすぐに応えられなかったのは、決心がつかないからではなかった。


「お前がどちらの世界を選んだとしても、私はお前と共に在る」


 離さないでと告げた咲耶を、そう言って抱きしめた和彰。対する咲耶の心は、初めから変わらずにあった──和彰という神獣の花嫁となり、自分が必要とされたあの日から、ずっと。


「……陽ノ元に、戻ります」


 一葉の片眉が跳ね上がった。咲耶の沈黙を、決断しかねているとでも思っていたのだろう。


「分かりました。では──」

「でも、すぐには戻れません。親や兄弟に、私がいなくなる事情を説明しないといけませんから」

「……ハ……」


 気が抜けたかのように、一葉が笑いをもらした。その笑みが、にわかに皮肉げなものとなる。


「馬鹿ですか、あなたは」


 面と向かって言われた衝撃に、頭のなかが一瞬、真っ白になる。


 人を見下し、あざける表情は、咲耶の記憶にある誰かと重なって見えた。だがすぐに、自分がそう言われても仕方のない発言をしたのだと、思い直す。


「一葉さんの話を聞いたうえで、こんなこと言うのは申し訳ないとは思います。

 だけど私は──」

「迷惑うんぬんじゃなく、その思慮の浅さについてを申し上げたのです。まったく……慈悲深いが聞いてあきれる。薄情な上に強欲ときた」

「なっ……」


 今度こそ咲耶はカッとなり、陰険な眼鏡男をにらみつけた。


(薄情だの強欲だの……次から次へと、何様のつもりよ、こいつ!)


 和彰がこの世界に来てから、世話になった人間だと聞いていた。


 こちらに不慣れな和彰に親身に接してくれたからこそ、和彰が『霜月柊』としてあれたのだろう。そう思って多少の失礼な言動は受け流してきた。


 だが、人をけなすためにしかなされない言葉と態度の数々に、咲耶の我慢の限界がきてしまう。反論してやろうと腹に力を入れた咲耶だが、それよりも前に一葉の容赦ない追撃がなされた。


「どちらかを選ぶということは、どちらかを捨てるということでしょう。

 陽ノ元を選んだ時点であなたは、親兄弟を捨て生まれ育った故郷を捨てる決断をしたことになる。にもかかわらず、自分が居なくなる理由を説明をしたいなどと偽善的なことをおっしゃるので、口がすべりました」


 たたみかけるように言うと一葉は頭を下げてみせたが、それがポーズでしかないことくらい咲耶にも分かっていた。しかし同時に、返す言葉が見つからないことにも気づいてしまう。


(私……思い違いをしてた……)


 まるで返り討ちにあったようだ。胸に刺さった言葉の刃には毒が塗ってあり、それは咲耶の指の先にまで至って脳と全身をしびれさせる。


(お母さんたちに説明をしてから陽ノ元に行きたいっていうのは、後ろめたさからくる私の勝手な言い分だ)


 仮に、里枝や健が咲耶のいう陽ノ元の存在を信じてくれたとしよう。だが、陽ノ元があるのは異世界なのだ。飛行機で片道12時間ほどのロンドンに、移住するのとは訳が違う。


(陽ノ元は、自由に行き来できる世界くにではないのに……)


 それを、咲耶はどこか簡単に考えていた──そう、陽ノ元に召喚され、観光気分でいた当初そのままに。


 何も事情を告げずに、陽ノ元にいることはできない。だから、自分が陽ノ元に居ることを伝えられれば良いと。


 きっかけはともかく、犯罪に巻き込まれたのではなく、咲耶の意志で陽ノ元にいるのだと。そう説明することができれば、里枝たちを心配させることはないのだと思いこんでいた。


(もう二度と会えないって言うのと、同じなのに)


 永遠の別れを告げるようなものだ。それが、死と同義でないと、どうして言えるだろう。咲耶が目を背けてきた本当の理由が、そこにはあったのだ。


(結局……私の決断は、お母さんを悲しませることになるんだ……)


 説明しようがしまいが、生きていようがいまいが。陽ノ元という世界に行くことは、この世界のすべてとの決別を意味する。


 陽ノ元にいる時は実感がわかなかったが、こうしてこの世界に戻ってきたことにより、その重大性が身に染みて分かる。一葉の指摘通り、自分は浅はかで愚かな人間なのだと思い知らされた。


「……人は愚かなものですよ。あなただけではありません」


 どこか自嘲じちょう的な響きを宿す言葉。

 真意が分からずに一葉を見つめ返すと、やや視線を外される。顔を覆うように、一葉は眼鏡のブリッジを上げた。


「それに、あなたが思うよりも、この世界は……いや、『神々の世界』は、残酷にできています。あなたが神獣サマを想えば想うほどにね。いっそ出逢わなければ良かったと思うはずですよ」

「どういう……意味ですか?」


 話の成り行きに、咲耶は眉を寄せる。これまでの調子を一変させ穏やかに話す一葉の態度に、逆に不穏なものを感じてしまう。


「聞きたいですか?」


 もったいつけた物言いでちょっと笑うと、一服すると言い残し、一葉は車外に出て行く。追いかけて、咲耶も車を降りた。


「……心の準備は、しなくてもいいんですか?」

「嫌なことはさっさと済ませてしまう性質たちなので」


 くわえタバコでからかうように咲耶を見る一葉を、キッとにらみつける。


 吹き抜ける風を避けながらタバコに火をつけ、一葉は紫煙をくゆらせた。


「……あなたにとっては、どちらを選んでも痛みを伴うのです。陽ノ元を選べば親兄弟を失い、この世界を選べば神獣サマを失うこととなります」


 心に鎧をまとって一葉の話に耳を傾けはしたが、それでも受けた衝撃の大きさに、咲耶の胸はぐっとつまる。


「それは……どちらか一方の命を奪われるって、こと、ですか……?」

「いいえ。

 はっきり言ってしまえば、あなたが陽ノ元を選んだ場合、あなたがこの世界にいた事実が抹消される(・・・・・・・・)のです。最初からね。

 あなたのお母様はあなたを産まないから、弟さんにあなたという姉はいないことになる。つまり、あなたが親兄弟だと認識している存在は、あなたの頭の中だけにしか存在しなくなるということです」


 一息で告げたあと、一葉はふたたびタバコを吸い込む。我慢できずに、咲耶は先をうながした。


「和彰を、失うっていうのは……?」


 自然に囲まれた場所で、身体に害しか与えないそれを思い切り享受し、一葉は灰を落とす。意外なことに、片手には携帯の灰皿があった。


「その、名前。

 和彰という神獣サマは本性ちから真名なまえを奪われ、『霜月柊』という何も持たない男だけが残る。もちろん、あなたの記憶……想い出のなかの神獣サマも、消えてくなります」

「そんな……!」


 せっかく和彰と過ごした陽ノ元での日々を思いだしたというのに、また失うというのか。


「和彰は……このことを?」

「もちろん、知っておられますよ。だからこそ、私には理解しがたいのですがね。

 あなたの記憶が復活し花嫁に戻ったいま、あなたにどちらかを選ばせるなど愚かなこと。

 二人そろって陽ノ元に帰ればいいものを、わざわざ選択肢を与えるとはね。優しいようで残酷な神獣サマだ」


 咲耶に背を向けると、一葉は車に寄りかかり天を仰ぐ。雲ひとつない高い秋空。その澄みきった青さを汚すように、煙が吐き出された。


 たまらずに、咲耶は言い返す。


「和彰は私が後悔しないように、あえて私に選ばせてくれているんです。あなたの言う通り、自分に都合良く事を運べたはずなのに」


 咲耶が陽ノ元での記憶を取り戻した直後なら、その混乱に乗じて、咲耶をふたたび陽ノ元に連れ去ることもできただろう。しかし、和彰はそれをしなかった。


(たぶん……この世界での私のことを知ってしまったから)


 咲耶がどんな暮らしをして、どんな人々に囲まれているかを。


「霜月柊は好き?」そう尋ねてきた和彰の心情が、いまなら手に取るように解る。あの時のせつなげな表情の意味も。


(本当の姿も名前も捨てて、私が望むならこの世界にいようって思ってくれたんだ)


 たとえ咲耶が一時的に自分とのことを思いだしたとしても、また自分の存在自体を忘れてしまう可能性があると、知っていたにも関わらず。


(和彰……)


 もう一度この世界で『霜月柊』という名の和彰と出逢い恋をして、関係を育むこともできるはずだ。けれども。


(私は……和彰と陽ノ元で出逢ったことを、無かったことにしたくない)


 あの世界で出逢った人々との交流も、あの世界で自分が培った経験も。咲耶にとってはかけがえのない『財産』なのだ──。


 咲耶は、笑った。自分が出した結論は、やはり人から後ろ指をさされるものなのかもしれない。


「一葉さん。私は、強欲なんかじゃありません」


 それでも、譲れないものはある。


「私は自分の想い出を、何ひとつ、失いたくない。貪欲な、人間なんです」


 自分の存在がこの世界から消えて無くなったとしても、咲耶の記憶にはこの故郷の想い出が残る──。


「陽ノ元に、戻ります」


 救いがあるとするなら、最初から存在しない(・・・・・・・・・)咲耶を思い、悲しむ人などいなくなるということだ。


「……分かりました。そろそろ神獣サマもお戻りになっている頃かと。参りましょうか」


 一葉は事務的にそう言うと、車に乗りこんだ。

 神獣の花嫁として生きると宣言した者が、こぼした涙に、気づかぬ素振りで。





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