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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
捌 忘れえぬ故郷(ふるさと) ─前篇─
66/73

《六》29歳の現実──それで? お心は決まりましたか?

 霜月の家からの帰り道は行きとは違い、車のヘッドライトとおぼろげな街灯だけにも関わらず、咲耶に不安をいだかせることはなかった。


 山道を抜け、整備されたアスファルトをタイヤが滑り始める頃、ふと咲耶は、霜月の先ほどの言葉を思いだす。


(あれ……話があるって、言ってなかったっけ?)


 帰りの車中、咲耶のほうが一方的に霜月の家のことや兄たちのことを振り返りつつ話していた。それに対し霜月が簡潔に応えるという、いつもの図式だったのだが──。


 霜月に両親は居ないらしい。実質、貴たち兄二人が霜月の家族となるわけで、その彼らに「よろしく」されたせいで、妙に気分が浮わついてしまったのだ。


(私がペラペラ話しすぎたせい?)


 押し黙って、しばらく霜月の出方を窺う。前方に視線を向けたままの端正な横顔は、切り出すタイミングを計っているようには見えない。


(というより、何か……考え中?)


 急に咲耶は、自分ひとり盛り上がって話しかけていたことが恥ずかしくなった。


 霜月の反応の悪さはいまに始まったことではないが、そういえば咲耶が貴や朗に自分のことを話している辺りから、霜月の口数が極端に減っていた気がする。


(何か気に障るようなこと言ったかな……?)


 霜月の地雷を踏むようなことを。


 咲耶があれこれと思い悩むうちに、霜月の車は咲耶の勤め先だった洋菓子店『ショパン』の駐車場にたどり着いていた。


(…………明日から、職探ししなきゃな)


 洒落じゃれた店の外観を横目で見ながら、忘れていた現実を思いだす。


「あの……今日は、ありがとう。お店クビにされちゃって、他にもちょっとアレなことがあったんだけど、お兄さんたちと話せて良い気分転換になったみたい」


 実際、つかの間でも楽しい時間が過ごせたことには感謝していた。


「……そう」


 素っ気ない相づちにも慣れてきた咲耶は、そこで改めて霜月の顔を見て礼を言う。


「きちんと言えなかったけど……私も、嬉しかった。霜月くんが連絡してきてくれたこと。だから……本当に、ありがとう」


 言葉にするのは照れくさかったが、あとで伝えれば良かったと後悔するよりいいと、咲耶は思った。霜月は、そんな咲耶を黙って見つめ返した。


 駐車場の外灯に照らされた顔は、光の加減のためか、霜月の表情にかげりをもたらす。ややして咲耶から視線をそらした霜月は、後部座席に手を伸ばした。その手が、咲耶に何かを差し出してくる。


「この間、渡せなかったもの」


 薄灯りのなかに浮かぶ、編みぐるみ。タヌキだ。情けないほど気弱な顔立ちが、可愛らしい。


「可愛いね、ありがとう」


 素直に受け取りながら、霜月の話というのはこれだったのかと思い、別れを告げる。


「えっと……また連絡するね。それじゃ」


 なんとなく物足りなさはあったが、欲張ってはいけないと自分に言い聞かせ、ドアを開けようとした。背を向けた咲耶に、霜月の声がかかる。


「松元さん」


 声と共に伸ばされた霜月の手指の爪が、咲耶の右手の甲を軽く引っいた。驚いて動きを止めれば、車のシートとドアと、霜月に囲まれた自分に気づく。


(えっ……と)


 影に覆われているのは、霜月が助手席側に身を乗りだしたせいだ。咲耶の心臓がうるさいくらいに暴れだす。軽く触れられた程度の右手が、なぜかひどく熱かった。


「……霜月柊は好き?」


 霜月の長い指が自分の右手に置かれたままなのを見ながら、咲耶は低い声音の問いかけを聞いた。


 顔が、上げられない。上げればそこに、霜月の綺麗な顔があるのは分かりきっているから。


『猫は好き?』『動物好き?』と。訊かれて「好き」と答えてきた咲耶。この質問に答えたあとに何が待っているのか、解らない年齢ではなかった。


 ──嫌いではない。そう消極的な評価で霜月と向き合っていたのは、昨日までの自分だ。咲耶は、自覚した想いを思いきって口にする。


「す……好き……!」


 早鐘を打つ心臓を楽にしたい思いで仰向けば、案の定、霜月の顔がすぐ側にあった。その瞳に自分の顔が映るほどの距離。


「……そう……」


 揺らぐ瞳には、せつなげな色がにじむ。息遣いも間近にあるなか、霜月の表情の意味に咲耶が困惑しかけた直後、ぐっと顔が寄せられ反射的に目をつむる。


(キ、キスされるっ……)


 逃げ場もなく、逃げるつもりもなく。咲耶はその瞬間を待った──が。ごつん、という衝撃は、唇ではなく額に訪れた。


(いった……、え、えぇーっ! 私の勘ちが──)


 恥ずかしさに全身が熱くなると同時に、膨大な想いの奔流が渦となり、咲耶の心を襲う。


「な、っ……これっ……!」


 わずかに身を起こした霜月の目が、観察するような冷静さと相反するような熱情を宿し、咲耶を見ている。視界がぐるんと反転し、内側から脳が揺さぶられるような不快な感覚に、咲耶は吐き気をもよおす。


「……は……うっ……」


 咲耶の手元から、タヌキの編みぐるみが落ちた──。



 ※



 様々な人の顔と声が、現れては消えていく。その合間に見える景色は、知るはずのない遠い世界のもの。


びて来たりし白虎はくこついなるはこれ此処ここらんとす。契りし者を欲する我が身に降りて賜らんことを。解錠』


『そなたが呼ぶことで、初めてあれは、名をもつことになるのだ』


『わたしが姫さまにお仕えしている以上、姫さまの望むことをするのは、当たり前のことなのです』


『あの方は、淋しい方なのです。ご出生もお育ちも……他の虎様方と、違われてますから』


『へぇ……年増って聞いてたけど、こうして見ると、ハクと釣り合うくらいの歳に見えるじゃないの』


『お前の言動は、脈絡がない。だが……悪くない』


『“仮の花嫁”であるうちは、お前や私がいたあの世界に戻れる』


『お前さえ側にいてくれるのなら、私は、名などなくとも良いのだ』


『うちの姫サマに気安く触んじゃねぇよ。俺が椿チャンや犬貴に、怒られんだろーが』


『咲耶さま、お迎えに来たよっ! 詳しい話は、あとでしますからねっ?』


『忘れるな。私が欲しいのは名ではない。お前が私に与えてくれる、優しい彩りなのだ』


『あ、あの……ボクから見える咲耶様は、こういった感じなんですが……に、似てない、です、か……?』


『笑止な。わらわはそのようなごとを聞くために、ここに居るわけではないぞえ?』


『月からの使者の迎えも、天に帰る羽衣も、ないからではなくてか?』


『咲耶サマは、変わった御人おひとだって、コトさ』


しろの姫、わたくしは傀儡かいらいなのでございます。正確には、表向きの国司・尊臣を名乗っておる者』


『はっ。慈悲? 愛情? そんなもので、腹がふくらむものか。人がみな、高潔で貴い精神をもっているとすれば、話は別だがな』


『お前の望みは、私の望みでもある。ひと晩かけて、お前のことを私に、教えてくれ……』


の御方は、すでに“役割”を終え、現世には居られません』


『あんたさぁ、ハクとの間に子供ほしい?』


『これから、わたくしと共に商人司の屋敷に行き、神力をあらわしていただきたいのです』


『さぁさぁ、サクヤ姫様。その神力でもって、これを生き返らせていただけますかな?』


『──俺のために、旦那を呼んでくれ』


『お前にとって私が神という存在で、そのことによって私を呼ぶのをためらうというのなら、私は神でなど、いたくない』


『ふむ、我には道理が解らぬのだが。再生も治癒も、自然の摂理に反した行いであろうに』


『私は以前、綾乃様……ハク様の親神様に、お仕えしておりました』


『綾乃は、再生を許さないと言われる剣に、魂魄こんぱくを切り離されてしまったのだ』


『どうぞ、召し上がってくださいませ。多少なりとも、姫さまのお力になるはずです』


『ハ、ハク様、早く元のお姿に、お戻りになられると良いですね』


『不可解で無駄な言動が多く、私を悩ませるのがお前という存在だ。

 だが、だからこそ私は、お前自身をこれほどにも乞うのだろう』


『尊臣公はそれを、まがつびの神獣かみ──ハクの仕業と結論づけおった』


『わたくしに、手荒な真似をさせないでいただきたい』


『そなたの心にも、いつかは桜咲く日が訪れよう。案ずるな。今はまだ、その時ではないだけだ』


『不当な手段で奪われた我が“主”を、返していただく』


『無駄だ。神逐かむやらいのつるぎが断ち切るのは、魂魄なんだからな』


『師には感謝しかない。こうして、お前と出逢わせてくれた』


『そなたは本来、喚ばれるべき者ではなかったのだ、咲耶』


『咲耶殿。その気持ちを伝えるべき相手は、この世界には居りませんよ』


『そしてなんじは、かの者の記憶とそれに付する一切の記憶を手放し、この陽ノ元”を去ることとなる』






『咲耶──』


 幾度も呼ばれ、ささやかれた声音。

 肌に触れる指先と吐息。

 青みを帯びた黒い瞳が映すのは──彼を想う自分。



 ※



 咲耶は肩を大きく上下させ、必死になって呼吸を整える。押し寄せた記憶の波と自らの感情の渦に、混乱しきったまま問いかけた。


「……どうして……?」


 咲耶の右手をにぎりしめたままの美貌の青年。霜月柊という咲耶の『彼氏未満』の存在。


「どうして、和彰が、霜月くんなの……?」


 咲耶の記憶が確かならば、間違いなく二人は同一人物のはずだ。にもかかわらず、咲耶は初めて和彰と──白い神獣の化身と出逢った時、同じ人物であると認識できなかった。


 和彰が霜月と入れ替わったというのなら、まだ納得もできる。しかし、いくら思い返しても、目の前にいる青年が白い神獣の化身であることと霜月柊であることは、変わらぬ事実なのだ。


「……私が過ごした時の流れと、お前が過ごした時の流れが、違うからだ。

 記憶が封じられたお前は和彰わたしを知らない。私を知らないお前が霜月柊を知ることもない。在るのは事実だけだ」


 咲耶が陽ノ元に召喚されたのち、ふたたび同じ日を繰り返したことと。和彰がこの世界にやって来て、咲耶と共に過ごしたこと。


『卵が先か、鶏が先か』の議論でいえば『二人が出逢ったのは陽ノ元のほうが先』ということになるらしい。


(タイムパラドックスとかは、よく解らないけど……)


 そもそも『時の流れ』に干渉できる神により、この世界に戻されてしまった自分は当事者だ。

 傍観者でないのなら証明も解明も不可能であるし、また、その必要もない。──考えるべきは、これから先のふたりの行く末。


 最後にもう一度だけ深呼吸をし、咲耶は霜月柊と名乗り自分の前に現れた和彰を見つめる。


「髪……切ったの……?」

「短い方が目立たないと言われた」

「お兄さんだって紹介してくれたけど、あれ、犬貴と犬朗だよね? 人の姿してたけど……」

「あの者らがお前に会いたいと言ったので、二葉ふたばの力を借りた」


 淡淡と何事もなかったかのように交わす会話。見え隠れする存在。二葉とは誰か。


(違う、こんな話がしたいんじゃない)


 咲耶と和彰が、いまこの世界で共にるということ。同じ時と空間に存在する意味。


 重ねられた指先から伝え合う体温は離れがたく、泣きたい衝動にかられそうなほど愛しい。咲耶は、胸につまる想いを吐き出すように問いかける。


「和彰は……どうしてこの世界にいるの?」


 本来なら、一番初めに訊くべきだったことを。答えの解りきった問いをあえて尋ねるのは、ささやかな意趣返しだ。


 ──突き放されたと感じ、涙を流した自分には、その権利があるはずだと咲耶は思った。


 青みがかった黒い瞳が、まっすぐに向けられる。誰もいない静かな夜の庭にたたずむような、孤独をかかえた魂が、対となる魂を乞う。


「咲耶、もう一度、お前に逢うためだ」


 長い指に捕らえられたままの咲耶の右手が、上がる。その手を自分の頬に引き寄せ、和彰が告げた。


「私の花嫁は、お前しかいないのだから」


 自らの右手の甲にある『白いあと』。消えていたはずの証が現れたのは、咲耶が白い神獣の花嫁に戻ったことに他ならない。


「かずあき……!」


 のどがつまって、うまく声が出せない。視界がゆがみ、見えなくなる姿に不安を覚え、咲耶は和彰の胸に頬を押し付けた。


「もう……二度と、私のこと離さないで……! あんな思い、もう絶対に、したくない……!」

「咲耶……」


 かすれる声音が咲耶の鼓膜を震わせる。どんな愛の言葉よりも、自分を呼ぶ響きが一番に心に届く。そこに含まれる甘美な想いを知るからこそ。


 咲耶は、背に回された和彰の腕のぬくもりに、酔いしれる。いまだけは何も考えずに、ただ想いを寄せ合いたいと、願うのだった……。






 翌朝。目が覚めて、一番最初に咲耶が思ったことは。


(私……夢のなかの夢、見ている訳じゃないよね?)


 自分が神獣の花嫁であるというのは、28歳独身、子ナシ・職ナシ・彼氏ナシ! ……の三拍子がそろった現実が見せた、都合の良い夢にすぎないのではないかと。


(…………あ、29歳だった)


 化粧品の通販サイトからのバースデーメールで、今日が誕生日だったのを思いだす。溜息をひとつこぼしてから、携帯電話の通話履歴にある名前を確認した。


(……良かった。とりあえず『霜月くん』は実在してくれてる)


 咲耶は、布団から半身を起こした状態で、恐る恐る電話をかけた。ほどなくして聞こえてきたのは、機械越しのなじみある声。


「咲耶」


 瞬間、咲耶は脱力のあまり、携帯電話を取り落としそうになる。


「咲耶?」


 不審そうな響きの声が手元から伝わり、咲耶はあわてて話しかけた。


「……ごめん。なんか、和彰の声聞いたら、力が抜けちゃって」

「具合でも悪いのか」

「や、じゃなくて……。和彰の声が聞けて、和彰に咲耶って呼んでもらえて、嬉しかったから……」


 じわじわとこみ上げてくる幸せの実感に、落ち着かない気分になり、無意味にシーツのしわを伸ばす。そうか、と、相づちをうち、和彰が話を継ぐ。


「私も、お前の声が聞けて嬉しい。今の私はお前の『気』を探ってはならぬ上に、魂駆たまがけも叶わぬのだから」

「うん……」


 和彰がこの世界にいるのは、煌が三つの禁忌と引き換えに、咲耶の元に来ることを許したからだ。


 ひとつ、神獣としての『力』は遣わぬこと。

 ひとつ、自分が和彰だと名乗らぬこと。

 ひとつ、咲耶の名を呼ばぬこと──。


(私のことを『松元さん』って呼び続けた理由)


 この内の二つは、咲耶が煌の為した封印を解き、記憶を取り戻した時点で禁忌から外されることになっていたらしい。


 しかし、和彰の神獣としての本性や力は、この世界に大きなゆがみを与える可能性があるため、何があっても顕してはならないとされているそうだ。よって和彰は、この世界では人として(・・・・)過ごさなければならない。


「これから煌の元へ行き、お前が記憶を取り戻したことを伝えてくる」

「え? 大丈夫? また、和彰と私、逢えなくなったりしない?」


 子供の容姿に似合わぬ狡猾こうかつさと、無邪気な残酷さを宿したヘビ神。その恐ろしさを思いだし、咲耶は知らず知らずに片腕で自分を抱きしめる。


「煌とは神名をもって誓約を交わした。これをたがえることは叶わない。案ずるな」

「……本当に?」

「お前の願いを叶えるのが私のことわりだ。昨日お前が願った言の葉は、私の胸にある。あとはその願いを叶えるだけだ」


 咲耶の憂いを払拭するように、言葉を重ねる和彰。力強く告げる口調は、咲耶の不安定な心を捕らえる。


「……分かった。じゃ、帰ってきたら、連絡もらえる?」

「いや、それには及ばない」


 言って、和彰が咲耶に話した内容は、咲耶の今後を左右するものだった。






「おはよう、お母さん」

「……あら、めずらしい」


 いつもの起床時間より早い咲耶を、母親の里枝りえは眉を上げて見返す。自分用に淹れていたらしいインスタントコーヒーを、もう一つ用意した。


(変な感じ……)


 ありがとうと受け取り、カップに口を付けながら、咲耶は自分の食事を準備する。トーストに、レタスとベーコン、スクランブルエッグを挟む。咲耶の朝の定番食だ。


(すごく久しぶりな気もするし、日常のなんてことない朝な気もする)


 記憶と感覚が交錯して、当たり前のことが当たり前でなくなり、奇妙に思えてしまう。


「あの、さ、お母さん」


 ちびちびとトーストをかじりながら、咲耶は切りだした。


「私、お店解雇された」

「……どうして!?」

「あ、えっと……なんかやらかしたとかじゃなくて、お店側の都合で」

「都合って、そんな……!」


 納得がいかないというように顔をしかめる里枝に、咲耶は店の現状を思いだしつつ説明する。いまから思えば客入りが減ってきていたことや、この頃、店長の佐智子の様子がおかしかったことなどを。


「だから、すぐに再就職は厳しいかもだけど、次の職、できるだけ早く見つけるようにするから、心配しないで?」


 努めて明るく言ってみせたが、里枝は渋い顔で溜息をついた。


「……昨日、夜遅かったのもそのせい? あんた、変なこと考えてるんじゃないでしょうね?」

「まさか! ゆうべ遅くなったのは……その、彼氏の家に行ってたからで」

「彼氏?」


 娘が良からぬ考えをもたないよう説教モードに入りかけた里枝の顔が、一瞬だけ呆けた。が、すぐに、合点がいったという表情になる。


「ああ、あんたがちょっと前に、やたら休みになると出掛けてた理由ね。友達、とか言ってたけど?」

「だ……だって、また自然消滅したらって、言い出しづらくて……」


 ゴニョゴニョと言い訳する咲耶を尻目にしたあと、里枝は壁時計を見上げる。


「まぁ、あんたの歳で何もないのも考えものだけど……たけるの二の舞だけはやめなさいよ?」


 スーパーの出勤時間が迫った里枝は、弟を引き合いにした嫌みを言い立ち上がった。


 親戚のおばちゃん連中に「アンタの母さん、昔から一言多いのよ」と、小さな頃から言われ続けてきた咲耶だ。里枝のこういった言動には耐性ができている。


「……分かってるよ。気をつけて、いってらっしゃい」


 建て付けの悪い裏口のガラス戸から出て行く母親を見送り、咲耶は溜息を禁じえなかった。自分がこの世界に戻って来た、本当の目的を思いだしたからだ。


(私は神獣の花嫁になったの! ……なーんて言っても、信じてもらえないだろうなぁ……)


 精神こころの病を疑われて終わりだろう。特に、咲耶の現状を思えば、精神不安定からなる現実逃避と思われるのがオチだ。


(お母さんに心配かけたままなのは嫌だって思ってたけど、よく考えたら説明のしようがないんだよね)


 頭を悩ませながらも、咲耶は身支度を始める。約束の時間が近づいていたからだ。


 和彰が、霜月柊としてこの世界で暮らすことを手伝っていた人物。その者が、咲耶を迎えに来ることになっていた。和彰いわく、陽ノ元にもこの世界にも、精通している人間らしい。


(ひょっとしたら、その人が何か、妙案を教えてくれるかもしれない)


 和彰──霜月柊とのデートのたび、待ち合わせた裏通り。そこで待つ咲耶の元に、霜月が乗っていた物と同じ車種のセダンが停まる。


「初めまして、白い花嫁サマ」


 運転席から降り立ったのは、二十代半ばくらいの細身の男性。肩までの黒髪を一つに束ねており、銀縁眼鏡の奥の一重の目を細め、咲耶を見据えてきた。


「……それで? この世界に留まるか、陽ノ元に戻るか、心は決まりましたか?」


 丁寧語だが、ぞんざいな口調。咲耶は、自分が彼に歓迎されていないことを、肌で感じるのであった。





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