《四》彼氏未満の存在──猫より松元さんを見ていたいから
軽快な電子音が頭のすぐ近くでした。咲耶は小さなうめき声をあげ、音の方向へと片手を伸ばす。
「……うるさ……」
身体に染みついた習慣が音源を途絶えさせようと、手探りする。
一瞬、『人』という簡単な漢字の字形を疑うかのような認識のずれがあったものの、すぐに指先が携帯電話のアラームを解除した。
「眠い……」
二度寝の誘惑に毎朝かられながら、うつ伏せの状態でつぶやく。仕事の疲れだろうか、やたらと身体が重い。おまけに──。
「ものすごく長い夢、見てた気がするんだけど」
独りごち、咲耶はその長い夢のなかの住人たちを思いだそうとした。
「うーん……?」
犬がいて、猫がいて。タヌキもいた気がする。
ああ、それから。
「ホワイトタイガー」
……どうやら、動物園にでも行った夢のようだ。
「動物園、か……」
携帯電話を手に取り、メッセージアプリを開く。未読は、化粧品の通販サイトや車の販売店などの商品案内のみ。
「連絡、来ないな……」
最後にやり取りしたのは、先週……いや、先々週だったか。ぼんやりと咲耶が『彼氏未満』の存在を思い浮かべた時、階下の母親から声がかけられた。
(なによ、デキ婚て!)
出勤前に聞かされた、弟からの結婚話。おめでたい話には違いないだろうが、自分だけ除け者にされたようで、咲耶は面白くなかった。
カーステレオからはお気に入りのアーティストが、この世には恋よりも大切なものがあると、切々と歌い上げている。出勤時にはカラオケ並に熱唱する咲耶だが、今日はそんな気分にはなれなかった。
(連絡ないし、もうダメなのかな……)
車は慣れた道筋を行く。交通量の少ない国道。咲耶の出勤時間は一般的な会社より遅い時間帯なので、運転のストレスなく職場に着ける。
だが、マイカーを駐車場に停めた時、咲耶は盛大な溜息をついていた──人生は、恋や愛がすべてじゃないと、自らに言い聞かせながら。
※
合コン、と便宜上は銘打っていたが、総勢十数人のそれは、同窓会のような『食事会』だったように思う。世話好きの友人が、自分の職場と同級生のうち、現在フリーな人間に片っ端から声をかけたらしい。
「──で、あたしのオススメは、右斜め前の岡田くんね。顔はイイし次男坊だしさ。どっちかっていうと草食系だから、まっちゃんから声かけた方がいいかも」
イタリアンレストランの貸し切り広間。友人は各テーブルを回りながらカップリングをしているようだ。
友人の耳打ち話の最中、ちらりと見やった岡田くんとやらは、確かに優しい顔立ちのアイドルのような外見だった。咲耶と目が合うと、人懐っこい笑みを浮かべた。
「『まっちゃん』って呼ばれてるんだ? 松元だから?」
「そう。どこかのお笑い芸人みたいでしょ?」
「オレもまっちゃんって呼んでいい?」
「あー、うん。どうぞどうぞ」
チャラいというよりは能天気な気質なんだろうと、咲耶は相手に合わせてうなずいてみせる。
……実は、友人ならともかく、これから付き合う対象になるかもしれない男性に、アダ名で呼ばれるのは微妙に思えたのだが。
他愛もない話のあと、自然に途切れた会話で互いに隣の同性との話が始まり、咲耶はようやく息をついた。ふいに視線を感じ、何気なくそちらに目を向ける。
(わっ……めっちゃ見られてる……)
咲耶のテーブルから離れた対角線上にいる、遠目にも分かる整った容貌の男性。咲耶より五歳くらいは年下に見えるが、場にそぐわない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「……っもう、撃ちーん。何あのイケメン、ロボットか何か? 無表情無気力無感動! なら、合コンなんかくんなっつーの!
ねぇっ、そう思うでしょ?」
「えっ? ど、どうしたんですか?」
観察するような冷たい視線から逃れるように、咲耶は隣の席に戻ってきた女性に話を合わす。
「ほら、あそこの席のオトコ! ちょっと顔がいいからって、感じ悪いったら! こういう席で気取ってたら、釣れるモンも釣れないのにさ!」
「……あ~、はは、なるほど。ですよねぇ……?」
自分より二つ三つ年上の垢抜け美人に調子を合わせながら、咲耶は、やっぱりこういう場は性に合わないなと、冷めた料理に手をつけながら思ったものだった。
結局、誘い合わせて一緒に来ていた同級生いわく、
「あ~あ。ただの食事会で終わっちゃったよ~」
のその場を、咲耶も収穫なしのまま、あとにしようとしていた時だった。
「松元さん」
低い声音に呼び止められ立ち止まると、すらりとした長身の男性が近づいてきた。
色素の薄い前髪の奥の瞳には、見覚えがある。なんの感情もうかがえない、熱のこもらない眼差し。
「……あ、わたし先に車行ってるねー」
棒読みのセリフからは同級生の気遣いと羨望が感じられた。しかし咲耶は、自分が彼女が思うような立場にないことを知っている。
(だって私、この人と話もしてないし)
ましてや、相手側ならともかく、自分がひとめ惚れされるような容姿でないことも、充分に解っている。忘れ物でもしたのだろうかと、バッグの中身を確認しつつ、訊き返す。
「えっと……何か?」
忘れ物はない。となると、気づかない間に失礼を働いたのだろうか? と、そこまで考え、隣にいた女性に調子を合わせていたことを思いだした。
(うわ、悪口言ってたって、根にもたれてる?)
よくよく思い返せば、年上美女との話の前から視線を向けられていたのだが、咲耶には、こと恋愛方面で自分に都合よく解釈する要素が欠落していた。
だから、次に目の前の男が発したひとことも、彼はなんのミッションを受けてきたのだろうと、考えてしまうほどだった。
「連絡先、教えて」
※
(先に声をかけてきたのは、向こうなのに)
店の片隅にある個室で制服に着替えた咲耶は、携帯電話の画面をうらめしく見つめる。
霜月柊と表示された左横には、白い虎の写真のアイコンがあった。
無表情で咲耶に連絡先を訊いてきた彼の名だ。そして現在、咲耶の『彼氏未満』でもある存在──。
(そりゃ最初は、ちょっと胡散臭いなとは思ったけどさ)
身だしなみチェックのため、鏡を見る。そこに映る自分の顔は、絵に描いたような十人並みだ。対して相手は、無表情なのを差し引けば、引く手あまたな美貌の持ち主。
(罰ゲームじゃなきゃ結婚詐欺かもって、思ったりもしたし)
だが、詐欺なら愛想よく振る舞うだろうし、咲耶を『落とす』のが目的のゲームならば、なおのことだろう。そう気づいたのは、初めて食事に誘われた時だ。
※
合コンで使われたイタリアンレストラン。会話もほぼなく終えた食事に、次はないなと咲耶が思った帰りの車中でのこと。
車の走行音のみが響くなかで彼が口にした言葉は、
「好きだと思ったけど、違ってた?」
「へ?」
「食事、ほとんど口にしてなかったから」
「や、あの……緊張して……」
相手の愛想のない態度とムダに綺麗な顔を前に、気後れして食が進まなかった咲耶に当の本人は気づいてはいないようだった。
「緊張? どうして?」
「どうしてって……」
純粋に疑問をぶつけてくる率直さに、咲耶は内心あきれる。
(この人、いままでどういう人付き合いしてきたんだろう?)
悪い人間ではないと思う。少なくとも、咲耶をだましてどうこうしようとするには、人との関わり方が致命的に下手過ぎる。
「にゃんとびっくりあいらんど」
「……はい?」
いきなり飛び出た言葉に、咲耶は目をしばたたく。
気づけば、自宅付近の裏通り。車を停めた彼の顔が咲耶に向けられた。対向車のヘッドライトが、彫刻かと思うような無表情を一瞬だけ照らしだし、過ぎ去って行く。
(真顔で冗談? これ、笑うところ?)
反応にとまどっていると、綺麗な顔が咲耶をのぞきこむように傾けられる。
「知らない?」
「え? し、知らない」
「猫がたくさんいて触れ合えるところ」
首を思いきり横に振ると、抑揚なく説明が返ってきた。これは、つまり──。
「猫は好き?」
「好き!」
暗に次の約束を提示されたことよりも、単純に『猫』というワードに心が踊った事実は否めない。
「そう」
素っ気なく、短い返答。ともすれば、咲耶の嗜好には興味ないとの相づちにも聞こえる。
だが。
街灯の照らすわずかな明かりのなか、彼はかろうじてそうと分かる微笑みを、浮かべたのだった。
※
いつになく客足の少ない午後。雑用をやり尽くした咲耶は、本日三度目のレジ周り清掃をしていた。
「松元さん。休憩どうぞ?」
店長の村井佐智子からうながされ、壁時計を見やる。長針と短針がL字型を差し示す、おなじみの時間だ。
「はい、ありがとうございます」
「……少し長めにとってもらって構わないから、ゆっくり休んで」
言って微笑んだ佐智子の顔は、覇気がない。咲耶の母親より少し若いはずだが、実年齢より上に見えてしまうほどだ。
(店長、どこか具合悪いのかな……)
内心気にかけつつも、咲耶は言われるがまま店裏に下がった。ロッカールーム兼休憩室となっている小部屋に向かいながら、貴重品を入れた巾着袋から携帯電話を取り出す。
(……ウソでしょ……)
朝に受けたダメージが倍増する事態に直面する。
高校時代からの友人、それも、咲耶と同じ独身仲間。その彼女が結婚するという報告のメッセージが届いたのだ。
(なんで、今日に限って、次から次へと)
おめでとう、と、すぐに返信するべきだろう。けれども咲耶には、できなかった。
(私……心せまいな……)
小窓から射し込む秋の日が、まぶしい。思わず携帯電話を傍らに追いやって、咲耶は弁当の包みをといた。
キジトラの猫をあしらったデザインの弁当箱の片隅には『ニャンと!愛ランド』という文字があった。
※
日本の猫と世界の猫、長毛種と短毛種、等々。
分類された猫たちと触れ合うスペースの他、部屋と部屋をつなぐ廊下には、猫雑学や家猫の歴史を小物や史書を交え紹介したショーケースが並ぶ。
(猫カフェみたいなのを想像してたけど……)
それよりも、かなり広い敷地と多種多様な猫の総数、猫グッズ中心の土産物店と食事処として隣接されたレストラン。『ニャンと!愛ランド』は、猫のテーマパークだった。
「……疲れた?」
「えっ? ううん、疲れて……なくはないけど、心地よい疲れだから」
「……そう」
衛生面の配慮からか、レストラン内に猫の姿はない。その代わり、あちらこちらに猫をあしらったデザインの食器やインテリアが使われているのだが。
(似合わない……)
アメリカンショートヘアをモチーフにしただろう可愛いマグカップ。を、無表情で口に運ぶ目の前の男の顔を盗み見ながら、咲耶はしみじみと思う。
こんな場所に誘うくらいだから、見かけによらず無類の猫好きかと思いきや、相変わらずの無愛想さかげんだ。
それでも、心のなかは違うのかもと思い、
「……猫、触らないの?」
と、猫を抱き上げながら問う咲耶に真顔で返ってきた言葉は、
「猫より松元さんを見ていたいから」
だった……。
(やっぱり結婚詐欺?)
と、ふたたび警戒しかけた咲耶だが、霜月の放つ声音はみじんの甘さもなく……どうやら自分は、めずらしい観察対象なのだろうと結論づけた。
(なんか変な人)
と思いつつ、これきり会わないと突き放せないのは、彼には裏表がないように感じるからだろうか。
(なんだかんだで猫にも好かれてたしな)
自分からは積極的に近寄ってはいなかったが、猫たちのほうは親猫に甘えるようにすり寄ってきていた。それに対し不快な表情をしなければ追い払う素振りもなく、されるがままだった。
「これ」
帰り際、目の前にキジトラ白の猫を型どったキーホルダーが差し出された。なんの気なしに受け取りかけ、あわてて訊き返す。
「えっと……くれるの?」
圧倒的な言葉数の少なさはどうにかならないものかと思いながらも、黙ってうなずき返された咲耶は礼を言った。
「ありがとう。……ええっと、じゃあ、私もあげるね。交換ってことで」
入場チケットや食事代などを当たり前に支払われ、恐縮していたのもあり、咲耶は自分用にと買っていた物を手渡す。ペルシャ・チンチラのキーホルダーだ。
ところが霜月は、何が起こったのか分からないといわんばかりに、咲耶から受け取った姿勢のまま、固まってしまった。
(あれ? 私、ひょっとしてやらかしたのかな?)
ありがた迷惑だと思われたのかと、嫌な汗をかきかけた、その時。
「……ありがとう」
聞き取りにくいほど、ポツリと低く告げられた言葉。思わず見上げた咲耶に向けられた、微笑み。まるで、無くしてしまった何かを取り戻したかのような、あたたかなものを手に入れたかのような、そんな笑みだった。
(────……っ、殺す気か!)
心臓に悪い微笑みの爆弾投下はやめて欲しい、と。内心で茶化すことで、咲耶は自らの胸にわきあがった思いを見ないふりして、その場をやり過ごしたのだった。
※
目の高さに上げた、車とロッカーのキーを留めているキジトラ白の猫のキーホルダー。もう一方の手で頬づえをつき、咲耶はぼんやりと回想にふけっていた。
(結局、傷つきたくなかったんだよね)
デートの誘いもメッセージも。一度だって咲耶からはしていない。
理由は簡単だ。万が一、霜月にだまされていたとしても、咲耶に恋愛感情はなかったと、誘われたから行っていただけだと、言い訳がつくようにしたかったのだ。
ちっぽけなプライドを守るために。十人並みの顔の女が、勘違いしたと馬鹿にされないために。
(だから私に『そんな気持ち』はないって、言い聞かせてた)
自分で自分をごまかしていた。けれども──。思い返せば返すほど、霜月から向けられた想いには、偽りの欠片も見つけられなかった。
(人を信じるっていうのは、相手の行いを見極め、それでも心を寄せたいと願うこと)
……誰の言葉だろうか? 以前、何かの本で読んだものだろうか?
分からないが、いまはその言葉を実践したいと思い、咲耶は携帯電話を取り上げた。
結婚報告のあった友人への祝いのメッセージと、もうひとつのメッセージ書くために。




