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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
漆 禍つびの神獣(かみ) ─後篇─
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《十一》誰も知らない真実──秘匿された扉が、開かれる

 下総ノ国の白い花嫁の神力は、“神逐らいの剣”をも凌駕りょうがする──。


 大神社内に集った貴族を中心とする『官』も、商人を始めとする『民』も。目の前でなされた『神の再生という名の復活劇』に、畏敬と畏怖をいだかざるを得なかった。


 さらに、白き神獣の化身が直後に起こした奇跡が、そのことに拍車をかけた。


「咲耶、お前の願いを叶える」


 そう言って、自らの花嫁の想いに添うため為された神獣の御力は、下総ノ国中に癒やしの風を吹かせ、傷を負ったすべての者を救ったのだった──ひと足早い春の訪れを告げる、桜の開花をもたらすと共に。






「あの……和彰?」

「なんだ」

「ちょっと近……──なんでもない」

「そうか」


 文机ふづくえに向かい筆を持つ咲耶の背後で和彰が微笑む。まるで背もたれのようにぴったりと張りつく自らの伴侶に、咲耶は二の句が継げないでいた。

 元に戻ってから一週間というもの、和彰が咲耶の側から離れることは数えるほどしかない。


(さすがにもう、限界かも……)


 ちらりと上目遣いに見やれば、愛おしそうにこちらをのぞきこむ瞳と目が合って。


(……ダメ。私には美穂みほさんみたいな対応はムリ)


 赤い花嫁のように邪険にすることもできず、咲耶はあきらめて筆を置いた。


「文は書かぬのか?」

「……うん。あとにする」


 事の顛末てんまつを問うため、愁月宛てにしたためかけた手紙。本当は、何をどう書いたら良いのか分からないというのもあった。……和彰が側で見ているのなら、なおさらだ。


「ならば、私にお前の顔をよく見せてくれ」

「へ? 私の顔なんて見て、どうするの?」

「お前と同化している時、お前の心は強く感じられたが、肝心のお前の顔を見ることができないのが不満だった」


 和彰の腕のなかでくるりと回転させられ、否応なしに向き合う形となる。ひざ上に乗せられた体勢に、咲耶はあわてて言った。


「ちょっ……、まだ昼前なのにっ」

「……私と『仲良くする』のに刻限があるのか」

「そ、そうじゃないわよ。だけど、いくらなんでもくっつき過ぎで──」

「姫さま、よろしいでしょうか?」


 間近で不機嫌そうな顔を見せつけられ、咲耶がひるみつつ和彰の両肩をつかんだ、その時。障子の向こう側から声がかけられた。


「構わぬ。入れ」


 咲耶が応える前に、和彰が許可を出す。室内に入ってきた椿は咲耶たちを見て一瞬動きを止めたが、すぐににっこりと笑ってみせた。


虎太郎こたろう殿よりお預かりいたしました。……失礼いたします」


 小さく折りたたまれ結ばれた文を手渡し、椿は早々に退室する。いつもながら、若いのに気が利く少女だ。


(なんか椿ちゃんには、私と和彰って年中バカップルに見られてそう……)


 咲耶はあきらめの境地で和彰のひざ上に乗ったまま、虎太郎こと沙雪からの文を開く。はらり、と、零れ落ちる桜の花弁。


『すべて、つつがなく、とどこおりなく』


 咲耶にも読めるようにと、仮名で書かれた文字は流麗で、余分な言葉は一切ない。だが、それだけで十分だった。


(良かった……)


 開いた文を胸に押しつけると、沈香じんこうがほのかに鼻をくすぐった。


「咲耶?」

「……ありがとう、和彰」


 何の報せかと窺うしぐさに応え、その首の後ろに両腕を回す。


「下総ノ国の人たち、みんな、無事だって」


 ──『白い神の獣』が、『まがつ神』とされる要因をつくった震災。負傷者はすべて間違いなく治癒に至っていたと沙雪は伝えてきたのだ。そして、もうひとつの懸念についても。


権ノ介(ごんのすけ)さんにも、一応あとでお礼言わなきゃ)


 咲耶を拉致らちし、花嫁の神力を我が物にしようとした商人司。

 沙雪から法にのっとり処刑すると聞かされた咲耶は、いくつかの条件と共に、減刑することはできないかと要求した。すなわち、今度の震災で家屋を失った者への救済だ。


 貧しい者へは無償で、ある程度余力のある者には無利子で貸付を行うこと。高利貸しである権ノ介に役に立ってもらうことの方が、法に照らして罰を下すより建設的だろうと咲耶は考えたのだ。


(反対する人もいるだろうし、沙雪さんも法令遵守な人っぽいから難しいかなと思ったけど)


「姫の……白い花嫁様の意向であると強調すれば、反対する者も少ないでしょう」


 咲耶に向かって微笑んだ沙雪の瞳には、苦い想いが見え隠れしていた。咲耶に対して──いや、白い神獣に対しての罪ほろぼしの意味もあり、尽力してくれたのかもしれない。


「咲耶。桜は好きか」


 唐突に和彰に訊かれ、驚いて咲耶は身を起こした。


「好き、だけど……。なんで?」

「そうか」


 問い返しには応えず、和彰は咲耶をひざから下ろすと立ち上がった。


「では、行くぞ」






 和彰に手を引かれ表に出ると、犬貴が自らの術を遣い、まきを割っていた。咲耶たちに気づくと、片ひざをつき、こうべを垂れる。


「出掛けてくる。案ずるな」

「お気をつけて」


 素っ気なく告げる和彰に対し、顔を上げた黒虎毛の犬の眼が、見守るモノの優しさを宿す。……愁月に貫かれた四肢は、主が為した慈悲の御力により本来の姿を取り戻していた。


「行って来るね、犬貴」


 咲耶も声をかけると、誠実で生真面目な眷属は、いつになく穏やかな声音で応えてくれた。


「行ってらっしゃいませ、咲耶様」


 ふたりの主を見送ることができる、無上の喜びをかみしめるように。






 降り注ぐ陽差しは穏やかだが、和彰の歩幅に合わせて行く道に、咲耶の身体は次第に汗ばみ始めた。


「和彰、どこまで行くの?」


 しびれをきらして訊いた咲耶に、和彰が指を上げる。


「もうそこまで来ている」


 長い指が差し示した方向を見やり、咲耶は思わず声をあげた。


「あれって……愁月、さんの邸につながってるっていう……」


 見覚えのある二つの小石の山。道なき道へのしるべとなるものだ。『あの向こう側へ』と行くために眷属らの力を借りたのが、随分と昔の出来事に思えた。


 咲耶は傍らに立つ長身の青年を見上げ、つないだ手に力を込める。


「愁月、さんの所に、行くの?」


 ──ずっと気がかりだったこと。『師』と慕っていた愁月に裏切られ利用されていた事実は、咲耶との同化によって和彰自身も知ることになったはずだ。


 たとえそれが、愁月の行き過ぎた愛情(・・・・・・・)によるものだったとしても、当人にとっては納得し難いものに違いない。そう思う咲耶の前で、和彰はゆるく首を横に振った。


「師の邸に着くまでの道だ。──目を閉じろ」


 とまどう咲耶の手を引き、和彰は小石の結界の側まで行くと短く命じてきた。言われるまま目を閉じた次の瞬間、咲耶の身体を強い風が吹き抜ける。自らをつつみこむ空気が変わったのが分かった。


 和彰の低い声音が目を開けろと告げるよりも前に、咲耶は目を開いてしまう。


「……わっ……」


 視界を埋め尽くす薄紅色の景色。やわらかな風が運ぶ、淡雪のような花びらの舞い。


 一本道のそこは、両脇に桜の樹木が立ち並び、今が盛りといわんばかりに咲き誇っている。幻想的で美しい世界は、この世のものではない気さえした。


 呆然と立ち尽くす咲耶に、和彰が言った。


「気に入ったか?」


 咲耶を見下ろし満足げに微笑む。大きくうなずいて、咲耶は和彰の腕を取った。


「うん、すっごく。もしかして、ここ和彰のお気に入りの場所?」

「いや」


 あっさりと否定し、和彰は上げた指先で咲耶の髪に触れた。ひらり、と、その指先から桜の花びらが放たれる。


「だが、私の心にも桜が咲く日が来ると師が教えてくれた意味が、今、ようやく解った」


 感慨深げな口調と咲耶を見つめる穏やかな眼差しに、咲耶はいたたまれずに訊いてしまう。


「愁月、さんのこと……恨んだりしてないの?」


 咲耶の言葉に、和彰はわずかに目をみはったが、すぐに微笑を浮かべた。


「……師には感謝しかない。こうして、お前と出逢わせてくれた」


 ひんやりとした長い指が、優しく咲耶の頬に触れる。青みを帯びた黒い瞳には、一点のくもりもない。


「……そっか」


 なぜだか無性に泣きたい気分になったが、咲耶はそれを隠すように笑ってみせた。






 桜並木は愁月の邸へと迷いようもなくつながっていた。築地ついじがめぐらせられた邸は、人の気配がなく──咲耶の想像通りであるなら、以前に来た『邸の幻』だろうと思われる。


(よし!)


 邸内に足を踏み入れようと、気合いを入れた咲耶の前にスッ……と空中を滑るように白い折り鶴が現れた。


『こちらへ』


 くるりと方向転換した折り鶴からは聞きなじんだ声がする。咲耶は声に従い、あとを追った。


 邸の奥、庭に面した濡れ縁の柱にもたれるようにして、愁月は腰をかけていた。白い袿姿に髪を下ろした様は、咲耶に病人を連想させる。


「どこか、お加減が悪いんですか?」


 近寄れば、頬はこけ、血の気のない顔をしている。つい一週間ほど前に見た姿からは、想像もできなかった。


「病ではない。当然の報いを受けているのだ」


 それでも、咲耶に向かい浮かべる微笑は変わらず、見る者にその心のうちを悟らせないものだった。


「報いって……」

「尊臣様をあざむき、そなたらを意のままに操った。何より、神ノ器を二柱も手に入れ、身の丈以上の力を奮ったのだ。相応の報いを受けるのも道理であろうな」


 おもむろに上げた腕を見せつけるように、愁月の反対側の手がそでをめくる。


 黒い縞の紋様が刺青のように浮かび、皮膚は青紫色に変色していた。いまにも腐り落ちてしまいそうな愁月の片腕に、咲耶は息をのむ──神と人に背いた者の代償。


「私に……治させてもらえませんか?」


 尋常でない様に、自然と咲耶の口をついて出た言葉。しかし愁月からは、拒絶のそれが返ってきた。


「先ほども申した通り、これは因果応報……天からのしっぺ返しを受けただけのこと。

 仮にそなたの神力が天の力を上回ったとしても、私は治癒を望まぬ。望まぬ者に神力を与えるのは、そなたのことわりに反するのではないか?」


 じっと咲耶を見据える愁月の眼の奥にあるのは、確固たる意志の強さ。自らの命をもって償おうとする愁月の気持ちを無視して治癒をほどこすのは、果たして正しいことなのだろうか──。


(愁月がしてきたことは、確かに赦されないことなのかもしれない。でも……)


 和彰のことを想うと、胸が痛む。だまされ利用されたと知ってもなお、愁月を慕っている白い神獣。


「だけど……それなら私だって、途中からあなたの策略には気づいていたんです。あなたの狙いが解っていながら、逆らわずに動いてしまった」


 咲耶も片棒を担いだようなものだ。その点において、咲耶と愁月は同罪だろう。


「それは、そなたの退路を私がすべて絶っていただけのこと。そなたにとがはないというもの」


 理詰めで説得しても、敵う相手ではない。咲耶にはもう、情に訴えるしかなかった。


「和彰が……悲しみます」


 愁月は何も答えなかった。ただ、もの悲しげな笑みを浮かべ、咲耶を見返しただけだった。それは、いつか見た寂寥せきりょうがひそむ眼で──あの時からすでに、愁月の覚悟は決まっていたのだと気づかされる。


 咲耶は言葉に詰まり、けれども何か言わなければと必死に思いをめぐらした。沈黙を受けて、愁月が口を開く。


「……そなた、ここへは何をしに参ったのだ」


 庭先へと視線を向けた愁月は、言外に、用が済んだのなら帰れと伝えてきた。咲耶は、和彰を桜並木に置いてまで、ここに来た目的を思いだす。


「……綾乃さんのことを、お話ししたくて……」


 “神逐らいの剣”は魂魄のつながりを断ち切り、現世うつしよにも常世とこよにもいられなくすると聞いた。そんな綾乃を、愁月は常世へ戻してやりたいと願ったのではないか。


「綾乃さんのはく……肉体を司る『たましい』を、道幻どうげんが持っていたんですよね? だから、和彰を操って取り戻させた」


 和彰の御珠によく似た玻璃はりの玉を飲み込んだ道幻。綾乃の“精神体”が神獣ノ里にいたのなら、残りは“核”と呼ばれるものになるはず。


「“核”を取り戻すことだけが目的で、和彰が道幻を手にかけるだなんて、あなたは望んでいな──」

「すべてをつまびらかにして何になる」


 推測をひとりで話す咲耶を非難するように、愁月がさえぎった。


 抑揚のない口調と鋭い眼差しに、咲耶は口をつぐむ。心が冷えて、萎えてしまうような感覚に襲われ、何も言えなくなってしまう。


「すでに終わったことだ。……さとい振りして物事を見定めようとするは、そなたの悪い癖ぞ?」


 抑揚あるいつもの口調に戻っても、愁月が話す内容は辛辣しんらつで容赦ない。人の心を完全に理解した気になるなと忠告したのだ。


「そう……綾乃の再生は、確かに私の悲願ではある。だが、それよりも前に、私はそなたに謝らなければなるまいな」


 消え入りそうな声音は、咲耶に話しているというより独りごとのようで、咲耶は思わず眉を寄せた。


「何を私に、謝るっていうんですか?」

「──神獣ノ里で、香火彦かがひこ様から何か賜ったのではないか?」

「え? あの……はい。ええと、金色に輝く稲穂をもらいました。使い方は賀茂家──愁月さんに聞けって、言われて……」


 思いがけない方向から話を振られ、ぎょっとしつつも、神獣ノ里からの帰りがけに猪子から手渡された時のことを告げた。あの後いろいろとありすぎて、咲耶の記憶からも懐からも遠ざかっていたが、屋敷に大切に保管してある。


「そうか。やはり、何もかもご存じでおられたか……」


 今度こそ確実に独りごとと分かるつぶやきをもらし、愁月は目を伏せた。


 一瞬ののち咲耶を見つめた神官の口から放たれたのは、謝罪ではなかった。


 この国の、誰も知らない、真実。


「そなたは……本来、ばれるべき者ではなかったのだ、咲耶」


 ──はじまりから秘匿された扉が、開かれる。





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