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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
弐 人ならざる半獣(もの)
6/73

《三》仮の主と眷属──犬貴と、お呼びください。

 


 赤虎の屋敷へ行く、辺りを草木に囲まれた道中。咲耶は、隣を歩く『青年』に目をやった。


(なんていうか……シュールだけど、ちょっと……いや、かなり格好良いかも……)


 法被はっぴを着たニホンザルに続いて咲耶の前に現れたのは、白い水干を身にまとった、二足歩行をする黒虎毛の甲斐かい犬だった。


 精悍せいかんな顔つきで人語を話す──ハクコの眷属らしい。咲耶の護衛を兼ねて、道案内をしてくれている。


「あの~……私、あなたのことをなんて呼べばいいんですかね?」


 椿から道順だけを聞いて、一人で赤虎の屋敷へ向かおうとしたとたん、縁の下から現れた存在。


 猿助のこともあったので、驚きは半減だったが、それでも『犬の顔』で言語を操られるのは、違和感をぬぐえない。……ぬぐえないが、同時に、昔読んだ童話やおとぎ話を現実で体感しているような、妙な感動を覚えるのも確かだった。


 堂々とした歩行を見せていた犬の眷属は、咲耶の問いかけにピタリと足を止めた。その反応に、ハクコとの最初の頃の会話を、思いだしてしまう。


(あ! この『人』も、ひょっとしたら名無しのゴンベエだったりするのかな?)


 一瞬、

「じゃあ、ゴンベエさんでもいいですか?」

 などという、間抜けな返しを考えた咲耶だが、直後に、そんな考えをあっさりと否定された。


「──犬貴いぬきと、お呼びください」


 その場で身をかがめた黒い甲斐犬が、地面に前足の爪で『犬貴』と書いた。


「へぇ、いい名前ですね。犬貴……名は体を表すってカンジで」


 思わず感心してしまった咲耶を見上げ、犬貴が、ふっと笑うような気配をみせる。


「ありがとうございます。この名は、ハク様に戴きました。


 私も、良き名を戴いたと思っておりますが、肝心のハク様に御名みながおありにならない……いえ、咲耶様が居られるわけですから、すでに()()()()()()()()()のでしょうが」


 犬貴に指摘され、咲耶は朝食時を思いだす。


「口にだしてはならない」のなら、念じて伝えろという高度なことを求められているのか。

 無茶なことをいう……と思いつつ、試しにやってみたのだが、

「何だ。朝餉が足りぬなら、私でなく椿に言え」

 と、ハクコから大食らいの烙印らくいんを押される始末だった。


(不思議なことは、色々と周囲で起きてるけど、私自身が『なにか』できるようになるわけでは、ないんだよね、きっと)


 口にだすのが駄目なら書いて伝えればよいのでは? などと、とんち的な発想もしてみた。しかし、いざ書こうとすると、目には見えない力に阻まれ、書くことができなかったのだ。


「咲耶様」


 けさ方の、ハクコの名前にまつわる事柄を思いだす咲耶に、声がかかる。じっ……と、まっすぐで深い色をした眼が、犬貴から向けられていた。


「咲耶様。どうか、一日も早く、ハク様に御名をお与えくださいませ。

 あの方は、淋しい方なのです。ご出生もお育ちも……他の虎様方と、違われてますから」

「ああ確か、椿ちゃんもそんなことを言ってたような……」

「えぇ。これ以上は、私の口からは申し上げられませんが……。

 ──失礼、咲耶様。

 ヒトの匂いがいたします。私が咲耶様の影に入ることをお許しください」


 鼻先を上へ向けたかと思うと、犬貴が緊迫した声をだした。訳が分からず「どうぞ」と応じる咲耶に、犬貴が鋭く言いそえる。


「私の頭に手を置き、「犬貴、許す」と、おっしゃってください」

「え? えっと……「犬貴、許す」?」


 疑問系で言いながら、ひざまずいていた犬貴の頭に触れる。とたん、犬貴が猿助のように煙のようなものに姿を変え、咲耶の影に吸いこまれるようにして消えた。


『私はしばらくのあいだ咲耶様の影となり、咲耶様をお護りいたしますので、ご安心くださいませ』


 一瞬、背筋にゾクッと悪寒が走り直後に犬貴の『声』が、咲耶の身のうちで響いた。


「あの……犬貴、さん? これ、一体どういうことなのか、説明してもらえます?」


 状態は解るが、状況が解らない。なぜ犬貴は、突然、姿を隠すような真似をしたのか。

「人の匂いがする」と、咲耶の“影”に入らなければならないのは、なぜなのか。


『この辺り一帯は、本来は只人である者は入れぬよう愁月しゅうげつ様が結界けっかいを張っておいでのはずですが……ほころびができたようです。

 ハク様をはじめ他の虎様方のお住まいが点在する山野なので、神域として民には知れ渡っているはずですが、近頃は……』


 急に歯切れの悪くなった犬貴の『言葉』に重なるように、がさがさという草木をかき分ける音と人の息遣いが、咲耶の耳に届いた。


「……ってぇ……。やっと道らしきとこに出られた……」


(なんだ、子供じゃない)


 転ぶように茂みの影から出てきたのは、粗末な継ぎはぎの着物姿の七八歳くらいの男の子だった。裸足の足裏をさすっていた手が、咲耶の存在に気づき、止まる。


「……ねえちゃん、虎の神様の嫁さんか?」


 犬貴の警戒ぶりに、暴漢を連想してしまっていた咲耶は、拍子抜けしながら応える。


「えぇっと……まぁ一応、そんなとこかな……?」

「ふーん。……白いの? 赤いの? それとも……黒いの?」


 最後の問いかけに、子供の目がわずかに底意地悪く見えた。

 咲耶の背筋が、また、ぞくぞくとした。……犬貴から与えられる感覚なのだろうか?


「えーとね──」

『咲耶様!』


 とがめるような犬貴の制止に、咲耶はその先の言葉をのみこんだ。

 子供が、そんな咲耶をいぶかしげに見上げる。次の瞬間、おおい、と、野太い男の声がした。


「父ちゃん……? ──父ちゃん! おいら、ここだよぉ!」


 子供の張り上げた声を聞きつけたのか、野良仕事風の男が、子供が出てきた所から現れた。ホッとしたように、子供に近寄る。


「よかった、お父さんがいてくれて」


 正直、迷子を送り届けられるような余裕は、いまの咲耶は持ち合わせてはいない。だから思わず本音がでたのだが、男親は、ぎょっとしたように咲耶を見た。


「あんたは、まさか……!」


 言った男の目が咲耶の全身を注視する。視線が、胸もとを押さえた右手で止まった。


「やっぱりな……。あんた、白い虎の供物だろ? 気の毒に。

 まぁ、俺らには関係ねぇことだけど()()()()()()()()()()()()から言わしてもらうとだな。いいかげん、役に立たねぇ神様はいらねぇってこった。

 ()()()()ふとらせるだけで、こちとら一向に恩恵にあずかれねぇ。できそこないの神獣を、いつまでも()()()()お公家サマの考えることは分からねぇが……いい迷惑だ!」


 ぺっ、と、地面につばを吐き、子供の父親が咲耶をにらむ。ぞくぞくとする感覚が、いっそう咲耶のなかで強くなる。

 直後、だった。頭のてっぺんが、ぐいと上に引っ張られるような気分にとらわれた──勝手に、口が開く。


「只人の分際で、よう申した」


 底冷えを誘うような声音が、自分の口をついてでた。突風が、子供と男親のあいだを、裂く。


わらわを『供物』とさげすむとはの。今はこの身にあらぬ神力しんりきも、じきにいかようにも遣いこなせるはずじゃ。その時に後悔しても、知らぬぞえ?

 ──目障りじゃ、ね!」


 一喝と共に意に反して動く咲耶の右手。立ち去れと、親子を追い払うようなしぐさをして見せる。


 咲耶の豹変ひょうへんに震えあがった父親は、子供を抱きかかえ、抜け出てきた茂みへともぐり、逃げて行く。と、同時に、咲耶の身体から力が抜けた。


 地面に倒れこみそうになる刹那せつな、犬貴の腕が咲耶を支えた。


「──申し訳ございません、咲耶様」


 本当に申し訳なさが表れた声。咲耶は、言ってやろうとしていたことの半分も、言えない自分を感じた。


「……だね? いまのは、ちょっと……やりすぎだと思うよ……?」


 傍観者のような立場からすると、犬貴は、道に迷った親子を怖がらせただけのようにも見える。


 一方で、神獣としてあがめられていると思っていたハクコ達が、実は権力者の愛玩動物扱いされているのだという認識が、咲耶のなかに加わった。

 だからこそ、忠実で律儀そうな犬貴が()()()のだろう。


 咲耶は深呼吸した。……情報量が少なすぎて、ずっと自分の立ち位置がつかめずにいた。判断できないことを、先延ばししてきてしまった。


(でも、それじゃ、いけなかったのかもしれない)


 椿に「姫さま」と呼ばれ、犬貴に「咲耶様」と敬われ、いい気になっていた。まるで『裸の王様』だ。


 犬貴は眷属である自らのことを、ハクコと咲耶の『盾』であり『剣』であると、初めに言っていた。

 そしてハクコは、

「お前が、私のあるじであるという、あかしだ」

 と言い、咲耶に『白いあと』をつけた。

 つまり──()()()()()()()、咲耶のほうなのだ。


(私に何ができるかは分からないけど)


 椿も犬貴も、そして、ハクコも。こんな自分を頼りにしてくれている。それが盲目的な根拠のない信頼だとしても、咲耶は彼らの一途な眼差しに、応えたいと思ってしまった。


「犬貴」


 呼びかけに賢い眷属は気づいたのだろう──『仮の主』が主たる己を主張しようとしていることを。ゆっくりと咲耶から離れ、片ひざをつき、こうべを垂れた。


「私は、この世界のこともハクコのことも、まだよく解っていない。だから犬貴が、そんな頼りない私の矜持きょうじ()()()()()()()()()も、理解は、できる。

 でも」


 そっと、犬貴の頭に手を置く。……扱うべきは、自分。


「これからは、私の意思を無視するようなことは、しないで。これは、主命」

「──はい」


 厳しい口調で言いつける咲耶に、犬貴が低くうなずく。それを見届け、咲耶は犬貴と目線を合わせた。


「でも、さっき犬貴が、私を護ってくれようとしたのは、嬉しい。

 ……頼りない主で、ごめんね。ちゃんと犬貴に釣り合う主になるように、いろいろ学ぶから。

 だから、これからもよろしくね」


 わずかに見開かれた犬貴の眼が、おもむろに伏せられる。


「……仰せのままに」


 それは、微笑みに、似て。

 咲耶は口角をあげてうなずくと、犬貴に赤虎の屋敷への案内をするよううながした──主としての自分に足りないものを、少しでも補うために。






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