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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
漆 禍つびの神獣(かみ) ─前篇─
56/73

《八》天の災い──花嫁殿を、お連れせねばなるまい。

 複数の荒い息遣いと、うめき声。どこかで鳥の羽ばたく音がした。


「武官長殿、これはいったいどういうつもりじゃ」


 黒いざんばら髪の奥、人懐っこい目の少年の眼差しは、しかしいまは鋭く、集団の中心にいた男を見据えている。


 親子ほどの年齢差がある少年の視線に、屈強な男は一瞬だけひるんだものの、すぐさま負けじと闘十郎をにらみ返した。整えられた口ひげの下の唇を、ひきつらせる。


「それは、こちらの台詞。コク殿こそ、いかなる権限あって邪魔をなさった?」


 言い置いて、武官長と呼ばれた中年の男は配下らしい者たちへ目をやり、二三言葉をかけた。応じた者たちの報告では、負傷者はいるものの、死人は出ていないようだ。

 ……犬貴があえて、動きを止めるだけに手加減したのだろう。


 剣をさやに収めはしたが、つかに手をかけたまま、武官長が口を開く。


「まがつ神の伴侶をそのままにすれば、ふたたび災厄が訪れましょうや。それが解らぬコク殿ではありますまい。何故なにゆえ、かばいだてなさるのか」


 畳み掛けるような男の言葉に、闘十郎は大きな溜息をついてみせた。


「……尊臣たかおみ公の命は、捕縛せよとのこと。生死は問わぬとは仰せではない」

「ハッ……、強大な物ノ怪(もののけ)()きのおなご相手に、丸腰で対処せよとは聞き及ばぬが?」


 薄気味悪そうに咲耶をちらりと見た男に、闘十郎は懐から折り畳まれた和紙を取り出し突きつける。いぶかしげに書状らしきものを受け取り、目を通した武官長の顔色が、変わった。


「理解できたかのう? 咲耶はわしが捕縛し連れて行く。おぬしには形だけの警固(・・・・・・)を任せようかの」


 くるりと咲耶に向き直り、何かを言いかけた少年から、咲耶は後ずさりする。背後にいる武装した男たちが身構えたのが、咲耶にも分かった。


「どういう、ことですか……?」


 眉を寄せる。意味が解らなかった。


 神獣の里からの帰り道、このような待ち伏せをされ、犬貴が護ってくれなければ、咲耶はひどい怪我をさせられていたかもしれないのだ。神籍にあるとはいえ、無敵の肉体ではないのだから。


(いったい、何が起きてるの?)


「……ケガレは、はらえたのかの?」


 咲耶の問いには応えず、おおよそ彼には似つかわしくない憂いを帯びた漆黒の瞳が、咲耶をじっと見つめてきた。


「はい。だから、これから和彰の所に戻るつもりです」


 先ほどの闘十郎たちのやり取り。捕縛だの生死は問わないだのと、これではまるで、咲耶が罪人扱いではないか。それより何より──。


「まがつ神って……まさか、和彰のことじゃないですよね?」


 まがつ神の伴侶と武官長は言い、その後、咲耶をねめつけた。他に解釈のしようがないが、そんな扱いをされるいわれがない。まがつ神、つまり、邪神だなどと。


「……おぬしが神獣の里へ入っている間、大きめの地震が起きての。人死にこそ出ておらぬものの、倒壊した家屋にたくさんの者が大怪我をしたのじゃ。

 尊臣公はそれをまがつびの神獣かみ──ハクの仕業と結論づけおった」

「待ってください! 地震と、神……和彰が、なんの関係があるっていうんですか! そもそも地震は自然災害で、誰かのせいってものではないでしょう!?」


 言いがかりとしか思えない尊臣の見解に対し、咲耶は興奮してまくし立てる。闘十郎はそんな咲耶を静かに見返した。


「地震が起こることを予知した者がおる」


 告げられた言葉に、咲耶のなかの犬貴が息をのむ気配がした。


「『まがつ神である神獣・白虎をこのままにすれば、近いうちに下総ノ国に天の災いが起こるだろう』、と」


 闘十郎の漆黒の瞳が、呆然とする咲耶を映しだす。少年のものとは思えない老成した声音が続けた。


「愁月が進言したのじゃ」


 あえて感情をこめずに言ったような闘十郎であったが、それはまるで、咲耶を突き放すような物言いだった。……いや、咲耶に向けてというよりも、これは。


「コク殿」


 咳払いをして、武官長が咲耶たちの会話をさえぎった。手にした書状と思わしきそれを、かざす。


「もうその辺りで、茶番は止めにしてもらおうか。こちらの……愁月殿が記されたことが真実まことであるならば、早くこの者──花嫁殿を、お連れせねばなるまい」


 丁寧な語に言い換えても、武官長の目は変わらずに咲耶を見下している。だが、そんな態度も気にならぬほど、咲耶は困惑していた。


(愁月が私たちを……陥れたっていうの?)


 なんのために、どんな得があってそんなことをしたというのか。考えれば考えるほど、咲耶の思考は絡まっていく。


『咲耶様』


 犬貴の呼びかけに、咲耶は一瞬、選択を迫られたのかと思った。この者たちからひとまず逃れて、反撃の態勢を整えるか否かの。けれども次に発せられた言葉に、自分にはそんな選択の余地すらない(・・・・・・・・・)ことを、思い知る。


『申し訳ございません、咲耶さ──』


 一番頼りにしていた眷属を、封印されてしまう時が、やってきたのだ。直後、身体が急激に重たくなったように感じられ、咲耶は軽い立ちくらみを起こした。気づいたらしい闘十郎の腕が伸びて、咲耶を支える。


「……すみません」

「いや、謝るのはわしのほうじゃ。……すまんのう、咲耶」






 闘十郎の言葉の意味を理解したのは、四方を囲まれた薄暗く狭い場所で目覚めた時だった。


 どこか部屋の一室かと思ったが、ガタゴトと身体の下から伝わる音と振動に、自分が何かに閉じ込められ運ばれているのだと気づく。


牛車ぎっしゃ、みたいなもの、かな……?)


 窓のような明かり取りの隙間から時折、光が差し込む。揺れに合わせて動くそれに手を伸ばそうとした時、わずかにみぞおちに痛みが走った。どうやら、闘十郎に当身あてみをくらわされたらしい。


(動けないほどじゃないけど、身体が重い)


 考えてみれば、咲耶の身体は体力作りに費やした時間を上回り、ひと月ほどの眠りについたのだ。筋力が落ちてしまったのかもしれない。


(どうしよう……)


 眷属はすべて、愁月によって封じられてしまっている。和彰は『まがつ神』として扱われ、咲耶自身も、どこかに連れて行かれようとしていた。


(何か、できることは……)


 懸命に思いめぐらせる咲耶の耳に、男たちのひそひそ話が聞こえてきた。


「──……本当に大丈夫なのか? 先ほどの鬼神のような動き。到底、普通のおなごとは思えぬわ……」

「コク様がおっしゃっていただろう? すでに憑きモノは落ちて、害はないと」

「だが、いきなり物見ものみを突き破って、出て来られたりなどしたら……」

「臆病者め。それでも武官のはしくれか。

 それより、ハク様の御珠みたまの行方だ。いくら神の器を封じたとしても、災いの元を断たねば意味はないというではないか」


(神の器を封じたって……)


 和彰の肉体は、どこかに隔離されているのだろうか? そして、尊臣や愁月の狙いは、和彰の御珠だというのか。


 咲耶は胸元にある、小さく蒼白い玻璃玉の入った袋を取り出した。──もしこれが、彼らの手に渡ってしまったら。


(隠せる場所は……)


 移動中だ。不審な動きは見張られているに違いない。だからこそ、男たちの声が間近でするのだ。


(だとしたら)


 ──咲耶のなかで、ひとつの考えが浮かぶ。それは、けに等しいものだった。


(私自身に何かするってことは、ないはず)


 確証はないが、武官たちを闘十郎が止めに入ったのは、咲耶に危害を加えさせないためだろう。


(ゴメンね、和彰──!)


 心のなかで謝って、咲耶は和彰の御珠を──飲みこんだ──。



       *



 酩酊しているようだ、と、咲耶は思った。なぜなら、視界が定まらず、わずかに吐き気を感じたからだ。何より、牛車のなかに『いるはずのない人物』が、目に映りこんできた。


「……そなたは私を、どう思うのだろうな」


 能面のような顔に浮かぶのは微笑だった。よくよく見れば、その目の奥にあるのは憂いと寂寥せきりょう


「恨む感情は、芽生えたか? 憎む感情は、持ち合わせておるか? ……私はそなたに、何を遺せたのだろうな」


 こちらに向かい話しかけてはいるものの、答えを期待してはいないような物言い。まるで大きな独りごとだ。


「……っ……だま、したん……で、すか……?」


 うまく操れない自らの声は低く、驚く咲耶と同様、目の前にいる人物も驚きの表情を浮かべた。


「そなた……咲耶か」


 細い目が大きく開かれたのは一瞬だけ。すぐさま、もとの微笑へと変わる。


「そうか。そなたらを、信じておるぞ」


 言って伸ばされた愁月の手のひらが咲耶の目を覆い──そして、白昼夢のような光景は、消え失せた。



       *



(いまのは……何!?)


 愁月が目の前にいたのは解ったが、愁月のほうは『咲耶ではない者』を相手にしているようだった。この場所ではない、どこか部屋の一室。……あれは、愁月の邸ではなかったか。


 記憶をたどる咲耶の身体にひときわ大きな振動が伝わり、牛の鳴き声が聞こえてきた。どうやら、目的地に着いたらしい。


 思わず身構える咲耶の前方ですだれが上がると、涼しげな美貌の若い男──いや、男装の麗人が現れた。


「姫、お手をどうぞ」


 やわらかな声質でありながら、力強い口調とりんとした眼差し。国司・尊臣に影武者として仕える女性、沙雪さゆきであった。


「あの、私……」


 心細い思いでいた咲耶は、いたわるようにこちらを見つめる沙雪の手に、自らの手を重ねる。

 解決の糸口を求め、すがる思いで見た沙雪の肩の向こう。


「愁月……!」


 狩衣姿でたたずむ中年の男が見え、疑問と憤りを抱えた咲耶は牛車から飛び降りた。が、一瞬前に振り払う形で離したはずの手が、後ろから捕らえられる。


「姫」


 空いた片腕に咲耶の腰を引き寄せ、感情を抑えた低い声音で沙雪が言った。


「わたくしに、手荒な真似をさせないでいただきたい」





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