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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
漆 禍つびの神獣(かみ) ─前篇─
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《三》いつかの出逢い──人の形を成せば、人たりえると申すか。

 犬朗いわく、死なない程度に電撃をくらった追い剥ぎ男は眷属という横のつながりを経由し、闘十郎とうじゅうろうへと引き渡されることとなった。


「まっタく、アタクシをこんな辺鄙へんぴな場所にまで呼びつけるナンテ! ハク殿の嫁御は、本トに良ヒご身分ですコト!」


 河原に転がった元凶の大男を、鶏より少し大きめの黄褐色の鳥が、げしげしと蹴りながら小言をたれる。

 ──黒虎こくこ・闘十郎の眷属、雉草ちぐさだ。


「ん~、この国の治安を守るのも大事なお役目だってコクのじ……いサマから聞いてるぜ? つか、絶対コレ、雉草のオバチャン褒められるから!」

「……コク様に?」

「そうそう! 『ようやった、雉草。ナデナデ』ってな感じで」

「──分かりマシタ。この一件は、アタクシが責任をもってコク様にお知らせしますワ。心配ご無用! とっとと神獣の里なり常世なりにお行きなサイな」


 男の上に乗ったまま、くちばしを上げ、雉草は咲耶たちを追い払うように片方の翼を広げてみせた。


「ありがとな、オバチャン。今度、うまいイナゴ食わしてやるからさ!」


 調子よく片方の前足をひらひらと振る犬朗の横で、咲耶も愛想笑いを浮かべ河原から遠ざかって行く。


「……闘十郎さんたちって、ああいうぞくみたいなのを捕まえたりもするんだ? 大変なんだね」


 感心しながら赤虎毛の犬を見上げれば、前へと向き直った犬朗が笑いをこらえるように片方の前足で口を押さえた。


「いんや? 本来なら検非違使けびいし庁辺りの管轄だろ。コクのじいさんが取り締まるのは、人間ひとが手に負えない俺らのような物ノ怪だろうしな」

「えっ、そうなの? 大丈夫かな……」

「ま、だからといって放置するような御ヒトじゃねぇだろ。こう言っちゃなんだが、ハクの旦那やセキの野郎より、よっぽど自分の役割に忠実っぽいしな」


 心配になって振り返りつつ歩く咲耶に、犬朗が肩をすくめて応える。言われてみれば、和彰やあかねと違って、年の功ともいうべきか、闘十郎はこの国のことを考えて動いている気がした。


「それより──旦那の穢れは、ホントに神獣ノ里に行けばはらえるのか?」


 咲耶の首にかかった御珠の袋を、犬朗の隻眼が不審そうに見やる。粗方は雉草に事情を話す流れのなかで犬朗にも伝わっているはずだが、詳しい状況は伝えきれてはいなかった。


「それは間違いないと思う。なんだかんだで愁月は綾乃さんの『再生』を望んでるように見えたし」

「咲耶サマに神力がないっつーのは、愁月も誤算だったってコトか。で? 旦那の肉体……神ノ器はどうなってるんだ?」


 平坦な道から、また、険しい山道へと足を踏み入れていた。犬朗の片腕に軽々と持ち上げられたのち、咲耶は犬朗に手を引かれながら山道を登る。


「……愁月が、浄めてくれた、みたい。一応、ヘンなモノに、かれないように……結界のなか、に……入れてあるっ……て」

「ふうん。まぁ、それは信じるしかねぇか。──だいぶ息が上がってきたみたいだし、そろそろ休むか、咲耶サマ?」


 犬朗の気遣いに、咲耶は首を横に振った。

 まだ陽は高い。陽が暮れるまでに、できるだけ“神獣ノ里”に近づいていなければ──。


「無理して先急いで、身体こわしたら元も子もねぇだろ。……そんなん、旦那だって喜ばねーよ?」


 ひょいと咲耶の身体を持ち上げると、赤虎毛の犬は自らの肩の上に担ぎ上げた。そのまま、とんっ、と、軽く跳躍する。


「わっ」

「──……っし。暴れるなよ、咲耶サマ? 落ちたいなら別だけどな」


 咲耶を後ろから抱きかかえる形で大木の枝もとに腰かける。かすれた声音が告げる意味に、咲耶の身体が硬直した。


(た、高っ……)


 安定感のない枝の上。高所恐怖症の咲耶にとって、柵や手すりのない高い場所は、無駄に心拍数を上げてくれる。


「……お、意外に静か。咲耶サマ、高いとこダメなんだよな?」


 くっ……という押し殺した笑い声が背後でした。咲耶は、自分の身体に回された犬朗の両腕にしがみつくことで、落ち着かない気分を振り払う。


「もう! いきなりなんなの? 遊んでる場合じゃないのに!」

「……んな怒るなって。ほら、良い風吹いてきただろ?」


 犬朗の言葉と共に冷たい風がひゅうう……と通り抜け、少し汗ばんでいる額に落ちた前髪が、揺らされた。その心地よさに、咲耶は思わず目を閉じる。鳥のさえずりが、のどかに辺りに響いていた。


「……ほんとだ……」


 しっかりと自分を抱える犬朗に安心して、咲耶は深呼吸をする。そっとまぶたを上げれば、目に優しい緑の葉が、遠くに近くに春の陽差しを浴びる様が視界を埋めた。


 しばしの沈黙ののち、そよ風に紛れるような声で、犬朗が言った。


「……あんたが危ない思いをしたり傷ついてまで、自分が元に戻るなんてこと、旦那は望んじゃいないさ」


 驚いて仰ぎ見れば、細められた隻眼が咲耶を見下ろす。


「もちろん、俺たちもな」


 いつになく真剣な声と眼差しに、咲耶は二の句が継げない。まばたきを繰り返す咲耶から視線をそらし、犬朗が続けて言った。


「神獣の『対になる者』には替わりがきく。俺は、自分の国でその現状を嫌ってほど見てきた。

 ……けどよ、旦那はあんたがいいって言って、譲らなかったよな? 正直、うらやましいっつーか、まぶしかったな、あん時の『ハク様』は」


 犬朗の隻眼が遠くのほうを見て細められる。


「自分がそれだけ傾けられる相手なんて、そうそう見つけられねぇからな。それを簡単に見つけて……まっすぐな想いを向けてさ。

 純真無垢な神獣サマなんだって思ったら、護ってやりたくなったよ。──あのお方が護ろうとしているものを含めて、な」


 おもむろに落とされる視線に、咲耶は息をのむ。かすれた声音が静かに告げた。


「……俺の言いたいこと、解るだろ?」


 それが何を、誰を指しているのかを。


 咲耶は唇をきゅっと引き結ぶ。「無茶はするな」と言ったいつかの和彰の言葉が、いまになって咲耶の胸に重たくのしかかった。あの時、淡々とした口調の裏で和彰はどれだけの想いをこめていてくれたのだろうか──。


「…………うん」


 ようやくしぼりだした返事に、赤虎毛の犬の前足が、幼子を褒めるように咲耶の頭を乱暴になでた。



       *



「──では訊こう。そなたは、人間か、獣か」


 目の前にいる男以外、生き物の気配のしない世界。最初に連れて来られた場所と同じに見えるが、違うと感じるのは、そのせいだろう。


 白い前足は、毛のない『肌』に変わっている。前足を鼻に近づける感覚で動かせば、視界に入るは『人の手』だ。


「……今は、ヒトの形をしている」


 自らが放つ音は、空間を伝わる『人の声』。獣の咆哮ほうこうではない。庭に目を向ければ、満月の光が藤棚を照らす。風はなく、雲も出ていない。


「人の形を成せば、人たりえると申すか」


 パチリ、と、男が手の内で扇を鳴らした。細い目をさらに細め薄く笑う。


「否。ヒトが人間ひとである証は、人としての心をもつことだ」

「こころ……」


 それは感情。それは、身内からわき起こり、手足を操ろうとするもの。外部から受ける刺激に、身のうちでざわめくはずのもの。


 男が為した説明。だが──。


「私の内には、何もない。見つからない」


 感じるのは、規則正しい自らの鼓動。男の放つ香に混じる体臭と覚えのある匂い。身体を折り曲げて、床に丸まっていたい欲求。


 男の笑みが、さらに深まる。


「いずれ時が満ちれば、そなたにも解るはず。人が人たりえるのは、人を乞うことに他ならないのだということが」


 乞うとは、うことなのだと、男は続けた──。



       *



「かずあき……」


 咲耶は、自らの寝言で目を覚ました。暗闇だが、辺りの様子はなんとなくは分かる。ここは森のなか、月のない夜──。


 あたたかな感触は、犬の毛並みだ。それが、いまの咲耶の身を包みこんでいる。


 たぬ吉は他の野生動物に襲われないよう火を焚いていたが、


「は? 獣に襲われるぅ? ナイナイ、あり得ねぇよ、んなコト。俺の気配を察して、あいつらのほうが逃げるっつーの。

 連中はそういうトコ、賢いからな。バカ正直に俺らにケンカ売ろうとするのは、人間くらいだろ」


 などという犬朗の言葉に、たぬ吉との歴然とした力量差が表れていた。


(あったかい……)


 心地よさに、自然とまぶたが落ちる。もふもふとした肌触りのそこへ頬を寄せ、咲耶はふたたび眠りについた──。



       *



 南風が頬をなでていく。月影に映る己は、ヒトの形をしていた。


 化身を覚えてからというもの、獣の姿でいるよりも人の姿でいることが多くなりつつあった。国獣でいるために人型を為すことが必要不可欠だと男が言ったからだ。


 誰かに呼ばれたような気がしてやしきの庭へ出てきたはいいが、当然ながら誰もいない。この空間には自分たち以外、生きたモノはいないと、男から聞いている。そもそも、人とも獣ともつかない自分を、誰が呼ぶというのか。


 天を見上げれば、大きな満月が浮かぶ。他に何者の気配もない庭を、明るく照らす光。耳鳴りがしそうなほどの静かな空間だった。


「……人の姿でいる必要があるのだろうか」


 本性は獣のはずの己が。自らの口をついて出た言葉に、違和感を覚えた。刹那せつな──つむじの辺りの髪を上に引っ張られるような感覚と共に、咲耶は(・・・)宙に浮いていた。


(えっ……!)


 分かたれた魂のように、先ほどまで「自分だと思っていた存在」が下に見えた。色素の薄い髪をした白いうちぎ姿の……おそらく少年が。


(私……?)


 混乱が思考を襲う。あれが自分であるならば、いまこうして思考する自分は、いったい──。


 するり、と、歩きながら身にまとった衣を脱ぎ捨てようとする少年の背に、ぎょっとして思わず叫ぶ。


『なっ、裸ッ、ダメっ、脱がないでっ……!』


 咲耶の声に反応し、己だと思っていた存在が振り返った。月下に映える絹糸のような髪を散らし、冴え冴えとした青みがかった黒い瞳が咲耶を射ぬく。


 交わる視線が互いに驚きを示した。直後、よく似た面差しを知る咲耶の脳内で、彼の名がひらめく。


 しかし──声に出せない。言葉にしようとする咲耶に対し、何か、阻む力が働いていた。


「……何者だ」


 記憶に残るものより、わずかに高く感じる声音。放つ面は咲耶が知る彼よりも幼い。


『えっ。私は……』

あやかしにしては霊力に乏しいな。自己を形作ることもできぬようであるし」


 不可解なことを探ろうとして、眉をひそめるさま。見慣れた表情に、咲耶の胸がつまる。


(逢いたいって思ってたから、夢で逢えたのかもしれない)


 咲耶は彼に近づき、手を伸ばした。たとえこれが夢だとしても、たとえ咲耶を知らぬ者として扱われたとしても。


『逢えて良かった……。ずっと、逢いたかったんだよ?』

「逢いたかった?」


 咲耶とそれほどに違わない背丈。返される言葉には、純粋な問いかけのみが感じられた。


『うん。逢いたかった。だから、人の姿でいるあなたに逢えて、良かった』


 夢だと思えば思うほど、はかなく消えてしまいそうな彼の姿(・・・)に、咲耶は言葉を重ねる。そうすることにより、夢が持続しそうな気がしたからだ。


『だから、必要ないなんて言わないで。人の姿でいても、獣の姿でいても、私はあなたが──』


 咲耶の目には映らない(・・・・)自らの手が、先ほどまで己だと思っていた存在に触れようとした時。


「ハクコ」


 男の声が割って入った。呼びかけは、有無を言わせないものだった。


「何をしている──」


 言いかけてやめた抑揚のある声音に対し、咲耶がそちらを振り返る。狩衣姿の男の目が人間の眼には見えないはずの(・・・・・・・)咲耶を正確に捕えていた。


「そなたは……そうか、そういうことか」


 一人で何かに納得したように、能面のような顔に笑みを刻む男──下総ノ国の神官、賀茂かもの愁月だった。


「“魂駆たまがけ”は生命力をけずるもの。どこから来たか(・・・・・・・)は分からぬが、早く戻ることだ。それが、そなたのためぞ?」


 ふいに上げられた指先が、咲耶の眼前で軽く振られる。


「いずれ、また──」


 告げた言葉の真意を問う間もなく、咲耶の『夢』は唐突に終わりを迎えた。



       *




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