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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
裏挿話・其ノ壱【犬貴視点】
43/73

貴女の目覚めを待つのは、そんな卑しい願いのためなのか。

【作者より】

本編主人公である咲耶の視点だけでは補えないエピソードを、他の登場人物の視点からお届けする章の第一弾です。

今回は『犬貴』の視点となっております。

 

 ❖❖❖❖❖


 雷鳴が轟いている。


 叩きつけるように降りだした豪雨は、しかし、地中を隠形おんぎょうしてきた彼らの全身を濡らすことはなかった。

 不動明王像がまつられた仏堂のなか。黒衣の男は己の流した血だまりへ顔をつけ、すでにこときれている。その傍らに、彼らのあるじはいた。


 ──巧妙な罠によって、目の前から奪われてしまった主。完全に断たれてしまった彼女の『気』は、唐突ともいえるほどに切実な『心の悲鳴』と共に、彼らのもとに届いた。


「咲耶サマ!」


 床に身体を伏し、気を失っているらしい主に駆け寄り抱き上げたのは、赤い甲斐犬のほうだった。黒い甲斐犬は、姿を形成したまま、その場にとどまっている。


(……咲耶様……!)


「お願い」と託され、調べた空間に『罠』はなかった(・・・・)。そこにあったのは、花子の少女の遺体だけ。


(あの男は、何もかも椿を利用していた)


 椿をかどわかし手にかけることによって、咲耶の心情に付け入り神力を遣わせるために。


 椿の蘇生そせいは想定内。さらに、その瞬間に転移が発動するまじないを仕込んでいたのだ。椿が立ち上がることを発動条件としていたに違いない。


(見落としがあったのだ)


 隠された呪を発見できなかった己の手落ち。そんな自分に、主に駆け寄る資格などない。


「旦那の匂いがするな……」

「ああ」


 無惨な遺体に一瞥いちべつをくれ、犬貴は、この場にいない主が残した手がかりを知る。


(ハク様の匂いにわずかに混じる、このこう──)


 いだ覚えのあるものだ。……必ず意味があるのだろうと従った、あの日の記憶が犬貴のなかでよみがえる。


「これは……旦那の仕業か?」

「おそらくは。だが──」

「旦那の意思じゃねぇ! ンなこたぁ、解ってるさっ……」


 犬朗が、吐き捨てるようにして、言葉をさえぎる。事の本質を見極める『材料』が犬貴より少なくとも、あるじふたりに寄せる想いは同じだった。


(犬朗も、ハク様が咲耶様の前で、このような振る舞いをなさるはずがないと、解っているのだ)


 赤虎毛の犬の前足が、血しぶきを受けた主の頬に触れ、憐れむ。


「……堪えられるもんじゃねぇよな、こんなこと……」

「──犬朗。咲耶様をお連れしろ。これ以上の長居はお身体に障る」

「手遅れだろうが、ナンボかマシってことか。……お前は?」


 溜息まじりに言い切った犬朗の眼が、黒虎毛の犬に向けられる。感情を押し殺した声で、犬貴は応えた。


「後始末をしなければなるまい」

「……りょーかい」


 不承不承のていでうなずき返し、血染めの白い花嫁を抱えたまま、隻眼せきがんの虎毛犬が立ち上がる。生真面目な虎毛犬を無言で見据えたのち、けぶる雨のなかへと消え去った。



 ❖❖❖❖❖



「……これでもまだ、信じておるのか?」


 立ち尽くす黒い甲斐犬に声がかかった。若い男の声だ。だが、その本性が自分よりも遙かに年を重ねた存在であることは、犬貴も知っている。


 花嫁を我が物にしようと企み、堂の床に転がる最期を迎えた壮年の男は、赤い甲斐犬がいた時よりも傷ついたむくろをさらしている──まるで、鎌イタチにでも襲われたかのように、黒衣が裂かれていた。


 ぼさぼさ髪の少年は、容姿に見合わない暗い眼差しで、道幻の遺体を見下ろす。


「難儀な性格よのぉ、おぬしも。しかしこれは──」


 次いで、闘十郎とうじゅうろうの口から出たのは、ぞっとするほどの低い声。


ゆるされることではない」

「……存じております」


 生真面目に応じる黒い甲斐犬に、大仰なほどに闘十郎は眉を上げた。


「ほぉ、認めるか。だがの、本心から出た言葉とはいえ、軽率でないと誰が言える?

 わしには到底、理解しがたいわ──おぬしも……愁月しゅうげつも」


 何もかもを受け入れた深い色合いの瞳が、老齢な心の少年を静かに見返した。


「この男の始末はコク様が?」

「そうさのう……。面倒だが、これもわしの務め。役割じゃからな」


 下総ノ国の神獣のうち、律儀に役割をこなしているのは、この黒い神獣だけだろう。犬貴の主である白い神獣も、女装いの赤い神獣も、自らの花嫁以外のことには無関心だからだ。


 つかの間、黒虎毛の犬の目が伏せられた。ふたりの主を想い、己に何ができるか問いかける。


(私にできることなど、限られている……)


 事の顛末てんまつを、主である咲耶に語ること。そして、判断を仰ぐこと。


 主に背き、自分だけが知る真実を伏せていたわけではない。話すことが本当に主のためになることなのか、疑問だったのだ。

 ──かつて、想いを寄せた存在がいた。その意志を尊重することと、主を想うことは同義であったはず。


(だが、今回のことは──)


 何が、正しいのかは解っている。信じたい存在も信じてもらいたい存在も、いる。優先すべきは、何なのか。……選ばなければならない時が、来たのかもしれない。


 雨音だけが響く堂内で、おもむろに犬貴は片ひざをつき、こうべを垂れた。


「──御前を失礼いたします、コク様」

「咲耶を気にかけてやれ。白い花嫁は血の穢れに弱い。あるいは……」


 何かを言いかけて、闘十郎は口を閉ざす。続けられた言葉は、取り消しのそれだった。


「いや、わしの杞憂きゆうかもしれん」


 つぶやく声は独りごとのようにか細く、犬貴は一礼ののち、闘十郎の前から消え去った。



 ❖❖❖❖❖



 闘十郎の警告の意味を犬貴が真に理解したのは、『気を失っているだけ』と思っていた主が、翌日もまたその翌日も──ひと月近くに渡って、目を覚まさなかったことによってだった。


「……咲耶様は、いつお目覚めになるのでしょう……」


 神獣のついとなる存在が異世界よりばれ、最初に降り立つ場所。各国にひとつずつある、特別なやしろに、犬貴たち眷属は集っていた。


「ちょいと坊主! あたいらがあえて言わずに我慢してきたことを、よくも言ったわね!」


 シャアッ、と、威嚇音を発した転々の前足の爪が、たぬ吉の背中を容赦なく引っいた。


「ひっ……ご、ごめんなさいです、皆さん!」

「──まぁ、タンタンの気持ちも解るぜ。こんだけ八方手詰まりじゃあな。旦那さえ居てくれりゃあ、簡単に咲耶サマを目覚めさせてくれただろうにさ」


 タヌキ耳を伏せ涙目で謝る たぬ吉に、犬朗が助け船を出す。その視線は、犬貴に向けられた。


「結局、神獣の里とやらも空振りだったんだろ? やっぱ、どう考えても愁月のオッサンのとこじゃねぇの?」

「……神獣の里にも我ら眷属ですら入れぬ地があるのだ。そこに居られる可能性がないわけではない」

「可能性でいうなら、愁月ンとこが一番だろーが。確かに厄介な結界だけどよ、俺とお前の力を合わせりゃブチ破るくらい──」

「ハク様や咲耶様のご命令なしにそんなことをしようとしてみろ! 私が先にお前をこの世から抹殺する!」


 赤い甲斐犬の軽口まじりの提案に、黒い甲斐犬が本気の忠告で応じる。


 おい、と。首を締め上げられながらも動じない素振りで犬朗が言った。


「黒いの。お前、少しヘンだぞ? そりゃ、旦那もいなくて咲耶サマも眠ったままじゃ、ヘンになるのも分からなくもねーケドさ。いつものお前なら──」


 犬朗の言葉を最後まで待たずに、犬貴はその胸ぐらを突き飛ばし、赤虎毛の犬をめつける。


「仮に、愁月様の御屋敷に強硬突破を決行したとして、周辺に被害が出た場合、ハク様や咲耶様のお立場が悪くなる。

 この国において、現状、主様の地位が低いのは事実だ。咲耶様が岩牢に入れられたのを忘れたわけではあるまい?」

「……お前な。今頃ソレ持ち出すのかよ……」


 過去の己の過ちを指摘され、隻眼の虎毛犬は片方の前足で額を押さえた。反論する気ががれたらしい。


 犬貴はそれを見届け、タヌキ耳の少年とキジトラ白の猫に目を向けた。


「ハク様から『生命力』が与えられぬ今、余分な力を使うことは避けたい。そして、我ら眷属の行いはあるじ様に還るもの。良きにしもしきにしも」

「は、はい!」

「そんなの当然だわさ。分かってないのは、そこの阿呆あほうな甲斐犬だけ!」

「うわ、テンテン、めっちゃ偉そうじゃね?」

「偉そうじゃなくて、あたいのが偉いの!」

「ハァ~? なんだこのドラネコ、丸焼きにして食っちまうぞぉ?」

「やれるもんならやってご覧! 阿呆ヅラのお間抜けイヌ!」

「あ、あの、犬朗さん、転々さん! ここはその、狭いんで──ふぎゃっ」


『阿呆な甲斐犬』と『偉そうなドラネコ』の追いかけっこに、タヌキ耳の少年が踏み台と化している。彼らの一方の主が見れば、苦笑いをしながらも微笑ましい光景だと思ったであろう。


(咲耶様……)


 そんな馬鹿馬鹿しいほどに騒がしい眷属たちの姿を視界に入れながらも、生真面目な眷属の胸中は、別のところに思いをせていた。


(あの方は、私をなじるだろうか?)


 肝心なことを伏せ、過去を語った自分を。眷属として、望外な信頼を寄せてもらっているのを解っていながら、何も語れなかった(・・・・・・)自分を。


(いや)


 あの優しい主は他を責めたりはしないだろう。だからこそ、心苦しいのだ。


(いっそ、役立たずの犬めと、罵ってくださればいいのに……)


 主の目覚めを待つのは、そんな卑しい願いのためなのかと思うと、自分が情けなくなる。

 だが、それ以上に、あのやわらかな眼差しと声、あたたかな御手に触れられたいと、願うのだ。


(それは、私だけの望みではあるまい──)


 自分を含めた、目の前の眷属全員の総意であるはず。そう犬貴が感じた、その時。


「あっ……」

「い、いまの!」

「──だよな? 犬貴!」


 狭い板の間でじゃれあっていたモノらが、一斉にこちらを振り向いた。


「……お目覚めに、なられた」


 独り言のような肯定に、勢いよく社を飛び出して行ったのは、キジトラ白の猫。次いで、タヌキ耳の少年。


「……お前は、行かねぇの?」


 風脈に溶けこみながら、犬朗が見下ろしてくる。動きだせずにいる黒い甲斐犬の耳に落ちる、かすれた声音。


「待ってるぜ、俺らの大事な『咲耶様』が」


 消え失せる姿が残す、その真意。


「……こんな時だけ、心のこもった『様付け』か」


 黒虎毛の犬の口から、溜息がこぼれる──行かねば、なるまい。


 待ち望んだ主の目覚めは、もう一方の主を闇から救いあげるための、幕開けとなるはずだから。





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