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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
陸 告げられる秘事(ひみつ)【前篇】
40/73

《三》岩山の餓鬼──利用するつもりが、利用されたのだろう。

 


 犬貴の術によって切り裂かれた障子に近寄り、犬朗は舌打ちした。


「……ったく、あのクソ坊主、言うだけ言ってトンズラかよ──」


 そこで言葉を失ったように絶句する。

 犬朗が力任せに蹴り飛ばした障子の先。咲耶の視界に広がった景色は、想像していたものとはかけ離れていた。


 どこまでも見通せるほど何もない、荒れ地。ゴツゴツとした岩が大小あるだけで、草木はもちろんのこと、生き物の気配がまるでしない。


「……どうやら、奴の術中にはまったようだな」


 苦々しげな犬貴の声に合わせたかのように、室内にあったはずの調度品や咲耶が寝ていた布団も……畳さえ、消えて無くなっていた。


 頭上には、太陽も月も出ていなかった。気味の悪い赤紫色のよどんだ空気が、天を覆っている。

 どこからか、臭気も漂ってきた。こちらの季節は真冬のはずだが、咲耶の頬をなでるのは、生暖かい風だ。


「なにこれ……。私、まだ夢を見ているの?」

「いいえ、咲耶様。これは現実にございます。おそらく道幻の奴めが仕掛けた罠──」


 犬貴が咲耶に説明をするさなか、咲耶のいる数歩先の地面に、人の頭大の盛り上がりができた。地の下から何かが、飛びだそうとしている。


「咲耶様!」


 かばうように犬貴が咲耶の前に立つ。身構えた犬朗の背後からも、同じ現象が起きていた。


「犬朗、後ろ!」


 咲耶が叫ぶのとほぼ同時。あちらこちらから鈍い音を立て、得体の知れないモノが飛びだす──!


「ウヒャ、ヒーヒヒッ」


 人とも獣ともつかない声を放つ、目玉だけが異様に大きいせこけた顔。口からは、ダラリと長い舌が垂れている。腹部だけが栄養失調の者のように、大きくふくらんでいた。


餓鬼がきか──!」


 いまいましげに、犬貴がつぶやく。


「グフェッ!」


 ひょろりとした腕は人間のそれ。手にしたなたを振り回し、咲耶たちに近づいてくる。


「失礼、咲耶様」


 短く許しをうた犬貴の片腕が、咲耶の腰をさらう。ふわっと抱え上げられた咲耶は、黒虎毛の犬のもう一方の前足が、素早く空を切る様を見た。


旋風せんぷう撃破げきはッ!」


 咲耶を片腕で抱いたまま宙に浮かせ、犬貴はその場で身体を半回転させる。つむじ風が地をい、命をもった独楽こまのように異形のモノに向かう。すとん、と、咲耶が地に足を着いた時には、石つぶてとなり粉々に散っていた。


閃光弾せんこうだんッ」


 赤虎毛の犬の左前足から繰りだされる無数の火花が、逆方向からの襲い手を打ち砕く。地中から現れた十数の餓鬼を、眷属である甲斐犬たちは、いともたやすく撃退したかに思えた。


 ──が。


「おい……まさか、延々出てくるとか、言わねぇよな……?」


 土人形のように崩れた山から、ふたたび地獄の亡者を模したモノが、這い出てきた。

 犬朗のうんざりとしたような嘆き声に、犬貴が鋭い声でぴしゃりと応じる。


「つべこべ言わずに排除しろ! これしきのことでぼやくな、駄犬がっ」

「……へいへい、しっかり働かせていただきますよ。犬貴、サ・マっ」


 言って、振り向き様、隻眼の虎毛犬の後ろ足が、餓鬼の頭に打ち下ろされる。続いて別の一体を、今度は前足の拳が叩きつぶした。


真空しんくう裂破れっぱ!」


 犬朗とのやり取りのなか、咲耶たちの近距離にあった餓鬼を、犬貴の術が砕く。主を片腕に抱き、災いから遠ざける生真面目な犬に対し、咲耶は思わず言った。


「ねぇ、犬貴。私の影に入ったほうが、楽なんじゃない?」


 咲耶を護りながらの攻撃は、犬貴には悪いが、効率が良いとは思えない。咲耶の影にあっても術使用が可能なはずの高度な力をもつ眷属だ。その考えが及ばないはずがないのだが──。


「あ~、残念だけどな、咲耶サマ。できたらそうしてぇはずなんだよ、こいつも」


 咲耶を挟んで、犬貴と背中合わせになっていた犬朗が、苦笑ぎみに応じる。


「けどよ、いまの咲耶サマの影に、俺らは入れねぇんだ」

「どうして?」

「……咲耶様の御魂みたまが、現在はハク様のお力によって、護られているからでございます」


 単純に疑問に思った咲耶に、今度は犬貴が応えてくれた。


「え? よけいイミ解んないんだけど。どういうこと?」

「──我らが『不浄のモノ』であるからでございます」


 告げた眷属の片方の前足が、スッと横に空を切る。見えない力によって、対面した異形のモノらは一斉に排除(・・)された。


「ハク様のご加護を受けている咲耶様の御魂は、清浄であるがゆえに、我らの憑依ひょういを拒む状態にあらせられるのです」


 堅い文言に、咲耶の眉根が思いきり寄せられたのを、背後の眷属は感じたらしい。かすれた声音が、説明を加えた。


「あ~、平たく言うと、だな」


 右前足の拳で一体、回転した勢いの右後ろ足で一体。さらに、やや離れた位置にいた五六体の餓鬼に、小さな雷のような攻撃を放つ。そうして目につくモノすべてを掃滅した犬朗が、咲耶を振り返った。


「いまの咲耶サマの影に俺らが入るには、旦那の()()()()()()()()消されちまうかもってコトさ」

「そんなっ……」


 非難めいた反応をした咲耶に、赤虎毛の犬は頭の後ろをかきながら、うーんとうなる。


「……旦那なりの気遣いだろ。自分が側に居てやれないから、咲耶サマに『よくないモノ』がかないように、ってさ」


 犬朗の言葉に、咲耶ははっとした。自らの唇に手をやる。


(『私の想いをお前の魂に刻んだ』っていう、あれ……?)


 和彰の『気持ち』がこめられたくちづけだとばかり思っていたが。どうやら、それだけではなかったようだ。


「しっかし、キリがねぇな……!」


 舌打ちしてぼやく犬朗に、さすがの犬貴も同意する。


「我らの体力を消耗させるのが狙いなのだろう。そろそろ違う方法を考えるべきか……」


 崩れた石の山から、ふたたび這い出る気配をうかがわせるモノらに目を向け、精悍せいかんな顔つきをした黒い虎毛犬が独りごちる。


 繰り返される餓鬼の攻撃が、単調で力も弱いのは、咲耶でも解る。しかし、いくら打ちのめしても向かってくる敵に対し、終わりが見えないことに焦りが生じた眷属たちが、根負けしそうになるのは否めないだろう。


「……つぅか、気づいてるだろ、お前も」


 餓鬼らが石の山から顔をのぞかせるのを見ながら、独りごとのように犬朗が口を開く。


「あぁ。──我らの目をかすめて動いているようだがな」


 犬朗を見ずに犬貴が応じた。その視線の先は犬朗とは違い、咲耶たちのいる場所から離れた、岩山の一点を見据えている。


「ま、『弱っちぃ力』しか感じねぇから、お互い放っておいちまったけど、な」


 犬朗の左前足が器用に開かれて、バチッ……という小さな音と共に、その上で火花が散った。そのまま、ぶん、と、横投げの動作をする。


 赤虎毛の犬の手元から放たれた雷光を思わす鎖が、岩山の陰へと真っすぐに向かう。直後、釣り糸を引くような仕草をした犬朗の腕のなかへ、光の鎖に包まれた小さなモノが飛びこんできた。


「……おっと。こいつが、首謀者か?」

「表向きはな。利用するつもりが、利用されたのだろう」


 髪の抜け落ちた頭部に、ひょろひょろの体つき。腹だけ膨らんでいる姿は、咲耶たちを襲った餓鬼共と同じ。違うのは、大きさだけだった。

 犬朗の指先につままれた状態で咲耶たちを見回す瞳におびえた色が走る。


「ひねり潰しちまうか」

「いや、ここから抜け出す方法をく──身体にな」


 冗談にも本気にもとれる赤い甲斐犬の言葉に、戯れでない直球の返答をする黒い甲斐犬。咲耶は、あわてて眷属たちの暴挙を止める。


「ダメ! そんなカッコ悪いことしちゃ!」

「カッコ悪いって、咲耶サマ……──て、おい!」


 軽く傷ついたような仕草をする犬朗から小餓鬼を取り上げようとした咲耶に、今度は隻眼の虎毛犬が目をむいた。


「旦那の加護があるからって、うかつに手ぇ出さないでくれよ」


 ひょいと、咲耶の手の届かない位置に小さな餓鬼を持ち上げる。すると、拍子に背中が見えた。


「それ……なに?」


 餓鬼のやせこけた背に、何か文字が浮かんでいる。梵字だ。いままさに刃物で切り刻まれたかのように、数秒間、浮かび上がり消えた。


「おそらく道幻のまじないでしょう。奴めが仕掛けたものかと」


 現れては消え、消えては現れる。延々と傷を負わせ苦しめることを目的とするかのようだ。


「おいこら、やめろって──」


 犬朗の制止を振り切り、咲耶は飛び上がって腕を伸ばす。小さな餓鬼を手の内に入れた。


(延々と傷つけるだなんて……!)


 怒りの衝動は、咲耶に軽率ともいえる行いをとらせた。傷ついた背中に右手をあてがい、神力を発動する。繰り返された梵字を刻む現象が止まった。咲耶を仰向いた餓鬼の目に、涙が浮かぶ。


 次の瞬間。

 ボッ……と、手のなかの餓鬼の身体が燃え上がった。驚いて、咲耶は小さな悲鳴をあげる。


「咲耶サマッ」

「咲耶様!」


 犬朗の前足が餓鬼をつかみかけるのと、犬貴が咲耶を自らに引き寄せるのが同時だった。


『強欲なる者よ、餓鬼道に堕ちるがいい──』


 餓鬼の背中に触れた右手から、這うように伝わってくる怨嗟えんさ呪縛こえ。咲耶の心の深部を目指すように近づいたそれは、しかし、たどり着くことなく弾かれる。──他でもない、白い神獣の加護によって。


 思わず手放した咲耶と手を伸ばしつかみかけた犬朗のあいだで、火の玉のように宙に浮いた餓鬼は別の何かへと形を変えていく。次いで、玻璃はりを割ったような高い音が、辺りに大きく響いた。


 ぐるん、と、天と地が逆さまになったような、奇妙で不快な感覚が咲耶を襲う。甲高く鼓膜に突きささる耳鳴りに堪えかねて、咲耶はギュッと目をつぶった。


「──咲耶様」


 落ち着いた響きの呼びかけに、おそるおそる目を開ける。


 気づけば、寒空の下。犬貴に抱きしめられ、咲耶はどこかの屋敷の庭にいた。西洋の龍を思わす置物と、日本庭園の趣き。太鼓橋の下では、丸々とした錦鯉が泳いでいる。


「ここって……」


 犬貴の腕のなか、辺りを見渡した咲耶は、見覚えのある景色にがく然とした。


「──おい、ジイさん」

「ひぃっ……!」


 不愉快さを前面に出した犬朗に対し、おびえた声を出す初老の男。不恰好な直衣のうし姿に、咲耶の記憶がようやくつながった。


権ノ介(ごんのすけ)さん、ですよね……?」


 沙雪さゆきに連れて来られた“商人司”権ノ介左衛門(ごんのすけざえもん)の屋敷だ。当主である権ノ介は、滑稽なほどにガタガタと震え、霜の降りた土の上で平伏している。


「さ、さ、さ、サクヤ姫、様っ……! ふ、深きご慈悲にて、手前を、も、元の姿に戻してくだされたこと……か、感謝のしようも、ございませぬ……!」


 権ノ介のおびえきった態度と、眷属たちの先ほどの会話。道幻が咲耶を『サクヤ姫』と呼んでいた、意味。


 咲耶は、笑った。ふつふつと沸く怒りを、身の内にため込みながら。


「なんだか、一辺に事情がのみこめました。いろいろと言いたいことはありますが──でも、いまは、このことだけに答えてください」


 三度みたび、咲耶は同じ質問を繰り返した。


「椿ちゃんは、どこ?」





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