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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
陸 告げられる秘事(ひみつ)【前篇】
38/73

《一》魂駆け──だから、私の想いをお前の魂に刻んだ。

❖作者より❖

この作品は、日本の歴史的背景を参考にしております。が、用語・様式など本来の意味とは違う単語もあります。

この作品において通用する語句として捉えていただければ幸いです。


 


 見慣れたはずの、けれども、どこか違う屋敷の風景。誰かの記憶を覗いているような、知るはずのない景色を知ってしまったような感覚。

 いわゆる既視感というものだろうか? それは、夢で見た情景を思いだす感覚に似ていると、咲耶さくやは思った。


 内庭にある大きな樫の木。あの枝に犬貴いぬきによって吊されていた犬朗けんろうは、いまどこにいるのだろう。長い廊下を歩く咲耶の目の端に、椿つばきが先日、部屋に活けてくれた菊の花が映る。


(みんな……どこ……?)


 咲耶の視界がぼんやりとして薄暗いのは、曇り空のせいなのか。花子も眷属たちも、いる気配がしない屋敷を、力ない足取りで咲耶は歩く。

 奥まった場所にある自室の障子を開けたとたん、薄墨で描いたような世界だったものに、紅色が差しこまれた。


「────……っ!」


 ひきつった声が、のどの奥で止まる。信じられない光景に固まった身体を無理やり動かし、横たわっている少女に歩み寄った。


「……つば……き、ちゃん……?」


 ぴくりともしない花子の少女の名を呼びかける。


 着ている質素な衣は、いつも椿が身にまとっていた物だ。しかし、あけに染まってよく判らない顔と、手足のない身体に咲耶の全身が震える。衝撃のあまり、涙がこぼれ落ちた。


「……っ……いやぁっ……!」


 力いっぱい泣き叫ぶ咲耶の頭に響く、断罪の声。


『治癒はいとわぬが、再生は拒む。近しい者にあっても、は変わらぬか?』

「……な、に……? ……っ……なん……なの……?」


 嗚咽おえつまじりに咲耶は声の持ち主を探す。

 まるで咲耶とその問答をするためだけに、椿をこんな目にわせたのだといわんばかりの問いかけ。咲耶の心のうちに、憤りの荒い感情がわきあがる。


「椿ちゃ……が……っ……何を……たって……言うの、よっ……!」


 首をめぐらせ、怒鳴りつけても声の持ち主が見当たらない。黒衣のギョロ目の男の姿はなく、声だけが咲耶の頭に響く。


『自らの矛盾から目を逸らせば、またむくろが増えるだけ』


 室内だと思ったそこは、四方を木々が取り囲む見慣れた森のなか。風もないのに揺れる枝に貫かれた、明るい茶と黒のしま模様の猫───。


転々(てんてん)……!」


 目の前の光景に、咲耶の震えが止まらない。カタカタと噛み合わない歯の根。あふれた涙が、頬を伝う。

 近寄り、身体を地に下ろしてやりたいのに、次々と突き付けられる惨状に、咲耶のひざがいうことをきかない。


『もはや人間ひとではないのだから、気に病むこともあるまいに』


 憐れむ言葉は、誰に向けられたものなのか。咲耶の瞳から流れる涙に終わりはなく、そして、咲耶の耳にか細く懇願する声が入る。


「……さ、咲耶、様……! 早く……お逃げ、くだ……さ、い……」


 こと切れる音が聞こえそうな、弱々しい たぬきちの声。直後、傍らに転がるタヌキ耳の少年の無惨な姿。


「もう、やめてっ……! もう……もうっ、こんなこと……!」


 心の許容量を越えた出来事に、ついに咲耶は顔を覆って泣きだした。気が狂いそうな一歩手前で、暗闇のなかにある光を求めるように、つぶやく。


「………………き」


 魂が揺さぶられる衝撃に堪えかねて、人間ひとであることを手放したくなるような激情から逃れるために。咲耶は、唯一無二の存在に焦がれ、心の奥底から叫んだ。


「かずあきっ……!!」


 呼びかけて、来てもらえなかった事実も忘れ、咲耶が乞う、ただひとつの真名なまえ。深い闇の底に引きずりこまれそうな自分を取り戻すには、彼の名を呼ぶことしかできなかった。


「──ここにいたのだな」


 耳に落ちる低い声音。

 吹くはずのないあたたかな風が、咲耶の胸のうちに届く。その瞬間、濁った色の世界が、鮮やかな色彩へと激変した──光りさす庭に、咲耶はたたずんでいた。


「咲耶」


 耳になじんだ呼びかけと共に、ふわりとつつみこまれる身体。先ほどまでとは違う想いの涙が、咲耶の頬を伝う。


「和彰……遅いよっ……」

「すまない」


 応える声が頭上から落ちてきて、咲耶は仰向いて確認する。そこに、冷たい美貌の青年がいることを。


「呼んだのに……どうして来てくれなかったの?」

「…………すまない」

「すまないじゃなくて、私は理由をいて──」


 言いかけた咲耶の唇が、答えを要しない想いのこめられた唇によってふさがれる。言葉よりも雄弁に、咲耶に伝わるもの。


 申し訳なさよりも、出逢えた喜びが。せつなさよりも先に、狂おしいほどの愛しさが。そして、ほんのわずかに感じられる今ふたたびの別れの兆しに。


「……かずあ……」


 あえぎながら告げかけた咲耶しか呼べない(・・・・)真名は、和彰本人の強引なくちづけによって、のみこまれてしまう。


 まばゆいばかりの白い世界にあって、和彰の息遣いを感じるたび咲耶の眼裏まなうらに光が弾けた。


 やがて、まぶたを開けた咲耶の視界に映ったのは、野に咲き乱れる花の数々。薄紅色、群青色、山吹色……いろあざやかな花々が、咲耶と和彰を取り囲んでいた。


「──なに、ここ……どこ……?」

「お前の夢の中だ」


 事もなげに言う和彰を、咲耶はぽかんとして見上げた。


「私……夢を見ているの?」

「そうだ」

「……じゃあ、和彰は……偽物なの? 私が夢のなかで、和彰の姿を期待して見ているだけなの?」


 甘い気分から急にしおれた気持ちになりつつも、咲耶は指を伸ばして和彰の頬に触れる。


 いやに現実的なぬくもりを感じていた自分自身に、がっかりしてしまう。だが同時に、椿たちのむごい様を思いだし、これが夢であるなら良かったと、咲耶はホッと息をついた。


 そんな咲耶の様子をじっと見つめていた和彰が、口を開く。


「お前の夢だが、私は私だ。“魂駆たまがけ”で、お前の元にやって来た」


 自らの頬にある咲耶の指先を軽く握って言う和彰に、咲耶は疑問に思い訊き返す。


「“魂駆け”って……なに?」

「肉体という器のしがらみから離れ、魂だけの存在となり別の場所へ行くことだ。……お前のこころが、表層よりも深く沈みこんでしまっていたため、来るのが遅れた。

 すまなかった」


 握られた指先に、力がこめられた。和彰のかすれた声音が言葉以上に悔いているようで、咲耶は笑ってみせる。


「もういいよ、こうして来てくれたから。ゆるしてあげる」


 冗談めかして言って、咲耶はふと気づいたことを口にした。


「夢を見てるってことは、私、眠ってるんだよね?」

「ああ」

「タンタンや転々……それに、椿ちゃんがどうしてるか……和彰、知ってる!?」


 あいまいだった視界が和彰の出現によりはっきりとしたものになると、咲耶の思考もめまぐるしく動き始める。


 これが『夢のなか』であるのなら、現実世界はどうなっているのか。黒衣の男が椿や たぬ吉らを傷つけていないという保証はない。だからこそ、咲耶の不安が先ほどの『悪夢』となって表れたのだろう。


「たぬ吉と転々はお前を護るために生命力を奪われたようだ。椿は……──」


 淡々と応えていた和彰が、そこで言いよどんだ。息をつめる咲耶を見据えたのち、先を続ける。


「お前の近くに、る」

「私の……? 近くって、側にいるって意味?」

「傍らという意味なら違う。──咲耶」


 いつも以上に低く堅苦しい響きの声で呼びかけられ、咲耶はとまどって和彰を見返した。


「な、なに……?」


 和彰から向けられる、真っすぐすぎる強い眼差し。そこにこめられたものに、漠然とした怖れをいだかされた。


「お前が目覚めた時、私はお前の側にいてやれない。……お前の側に在りたいが無理なのだ。

 だから、私の想いをお前の魂に刻んだ」


 冷たく長い指が、咲耶の唇をなぞる。


「──赦せ……」


 つぶやくように告げられた言葉と共に、伏せられる瞳。見ているこちらが苦しくなるような表情に、咲耶は思わず和彰にしがみついた。


「和彰、何かあったの? 私のところにすぐに来れなかったのは、そのせい!?」


 詰め寄る咲耶の髪をいなすようになで、和彰は黙って咲耶を見つめる。青みがかった黒い瞳をのぞいても和彰が謝る本当の理由が解らず、ただただ咲耶の胸は、きしむように痛んだ。


 そんな咲耶の前で和彰はいつもの無表情に戻って、淡々と話を続ける。


「幸い、お前の元には犬貴も犬朗も来れるはずだ。お前たちの結びつきは、強固なものだから。目覚めたらまず、あのモノらを呼べばいい」


 いつでも呼べと言った自らよりも、配下である眷属を頼れなどと、和彰の口から聞くとは思わなかった。それほどまでに、和彰の置かれている状況は悪いものなのかと、咲耶は勘ぐってしまう。


「……目が覚めたら、犬貴と犬朗を呼ぶわ。それから、椿ちゃんを見つけだして……タンタン達も、助ける。和彰のことは一番最後になっちゃうけど……いい?」

「咲耶、私のことは──」


 軽く首を横に振り、咲耶の申し出を拒むしぐさをする和彰に、咲耶は強く言い返す。


「私の所に和彰が来てくれたように、今度は私が和彰の元へ行くから。あなたが託してくれた眷属たちを連れて。だから……待ってて」


 和彰は、何かを思うように瞑目めいもくした。ややして開けられた瞳は、迷うことなく咲耶を映す。


「……分かった。だが、無茶はするな。そして──お前は、お前の信じることを為せ」

「え?」

「迷う心に付け入れられ、お前は凶夢を見せられたのだ。お前のこころを弱らせるために。だからお前は、お前自身を信じ、為すべきことを為せばいい」


 きっぱりと言いきった和彰の唇が咲耶の唇に近づき、触れたと思った瞬間。直前まで感じられたぬくもりが嘘のように、目を開けた咲耶の側には和彰の姿はなかった。


 あざやかに咲き乱れる花は変わらずに。辺りは、和彰が現れたときのまま、色彩豊かな情景であるのに。咲耶が心から求めた神獣の化身だけが、その場からいなくなっていた。


(…………大丈夫)


 目じりをぬぐって、咲耶は大きく息をつく。


(私には、やらなければならないことがあるんだから)


 胸にこみあげたせつなさを追いやって、自らに言い聞かせる。──咲耶に残された、愛しい者がくれたしるべ


 まずは。


(目を、覚まさなきゃ)


 そこから、すべてが始まるのだから。





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