《八》浄化──お前が護るべきは民の恵みではないはずだ。
遠くでカラスの鳴き声がする。
咲耶は、薄暗くなりつつある森の小道を歩きながら、前を歩く虎次郎に遅れをとらないように、かといって近づき過ぎないようにしていた。
「……“つぼみ”って、一体なんのこ──きゃっ……」
さすがに黙々と歩き続けるのに飽きた咲耶が問いかける。木の根につまずいた咲耶を見下ろし、虎次郎がふっと笑った。
「……俺は、手を貸すべきか?」
「結構よ! で? “つぼみ”って何!?」
即座にはねつけ、ふたたび尋ねれば、わずかに口角を上げた虎次郎の片腕が伸びて、咲耶の手をつかんだ。……反抗は逆効果だとさとったものの、すでに疲労のたまりつつある身体は、楽なほうへと流れた。
「“つぼみ”とは──」
高くなった斜面の上へと虎次郎が咲耶を引き上げる。そのまま咲耶の手を引き、道なき道へと入りこんだ。
「この国では花子になる前段階の者をいうんだ。早い話が、見習いだな」
「それで……“つぼみ”?」
「そうだ。“つぼみ”のいる庵でこの数日のうちに流行り病にかかる者が増えてな。
幼子がかかるぶんには『必要な罹患』であっても、大人がかかっては……──」
木々の合間をぬうように歩く虎次郎。連れられて進む咲耶は、すでに方向感覚を無くしていたが、虎次郎の足に迷いはなかった。と、その虎次郎が顔を上向け、眉をひそめた。
「いやにカラスが騒ぐな……」
言われてみれば、夕暮れ時の鳴き方にしては騒々しく、咲耶も不審に思って天を仰ぐ。が、幾重にも木の葉に覆われ、その向こうの様子は見えにくかった。
瞬間、虎次郎が舌打ちし、咲耶を抱えこむようにして地に伏せた。
「ちょっと、なにっ……!?」
背中を地面にしたたか打ちつけられ、驚く咲耶の耳に、クェーッという甲高く奇妙な鳴き声が突きささる。次いで、砂ぼこりが立ち、咲耶は反射的に目をつぶった。
突風が吹き抜けたかと思ったが、それは何か大きな鳥の羽ばたきによるものだと、遅れ聞こえた音が伝えた。
「……憑かれたか……!」
いまいましそうに、虎次郎がつぶやく。直後、ゴォーッという空気を裂くような低い音が咲耶の耳に入った。続いて、生木の燃える嫌な臭いが鼻をつく。
「……なに、あれ……」
目を開けると、上体を起こした虎次郎の肩の向こうに、黒い大きな鳥が見えた。羽ばたきひとつで旋風が吹き、木の枝がメキメキと折られ飛ばされていく。
「惚けるな、動け!」
咲耶の二の腕を無理やりつかみ寄せ、虎次郎が走り出す。一瞬前まで咲耶がいた辺りに、拳大の火の玉が落ちた。
訳がわからず虎次郎に引きずられる咲耶を追うように、火の玉が次々と降り注ぎ、暗くなりつつあった周囲を茜色に照らしだす。
自分たちが炎の柱に取り囲まれていると気づくのに、さして時間はかからなかった。
「……っ……なんで……、こんなっ……!」
「──商人司の屋敷から持ってきた死骸に『良くないモノ』が憑いて、物ノ怪になったんだろうよ。ふん。やはりお前ら花嫁の慈悲は、罪悪にしかならんな」
虎次郎の視線の先は、息があがり思うように言葉がでない咲耶ではなかった。
狙いを定めるように頭上で浮遊する、カラスに似た双頭の大きな鳥をねめつけている。懐から、青銅色の鞘に包まれた、小刀らしきものを取り出した。
「……付属でも、あの程度の物ノ怪には充分だろう」
「え?」
「動くなよ。ヤツの狙いはお前だ。──そこを、断つ」
欲しい状況説明は相変わらずもらえない。
咲耶は、奇声をあげる怪鳥と、鞘を払った白銀の刃を斜に構える虎次郎を、代わる代わる見つめた。
そこへ、二つ頭の黒い鳥が身体をしならせ、咲耶のほうへと勢いよく突っ込んでくる。大きく開いた二つのくちばしが、咲耶の目前に迫った刹那──断末魔をあげ消滅した。
「……消えた……?」
「──問答無用の“浄化”だ。
さて、残るは『炎の檻』か。どうしたものかな」
黒く変色した小刀を鞘にしまい、虎次郎は明日の天気を占うかのように独りごちた。
咲耶たちを囲う火の手は徐々にせばまり、冬場とは思えない汗が、咲耶の額ににじむ。その時、頭上で稲光が閃き、轟音が鳴り響いた。
「……雨!」
ぽつん、と、ひとしずく。熱くなった頬に感じた直後、雨脚が強まり、やがてそれは大地を叩きつけるように降り出した。
あっという間に消え失せる炎の向こう。雨に打たれて濃い赤毛となった、隻眼の虎毛犬が見えた。
「犬朗っ……!」
駆け寄る咲耶の前で、呼びかけられた眷属は、左前足を掲げ横に払うようなしぐさをしてみせる。とたん、嘘のように雨は止み、草木を濡らす匂いだけが残った。
「──旦那、呼べって……言った、ろ……?」
かすれた声が弱々しく届き、初めて咲耶は犬朗の異変に気づく。身にまとった、そでのない袷の腹部を染める、赤黒い染み。
「ケガしてるのっ!?」
片足をひきずって歩く姿に驚いた咲耶は、悲鳴のような声をあげる。
がくん、と。傾げた身体が地についたのを見て、犬朗に向かい腕を伸ばした。後ろから、虎次郎の声がかかる。
「結局、心配になってついてきたわけか。……代償は、臓物と腱か?」
「……俺みたいな……まっとうな化け物を排除して……。あんな、狂気の化け物を受け入れる、って……。なんなんだ、この結界……。作った人間の……本性を疑う、ぜ」
虎次郎が、くくっと笑う。
「『適度にかかる災厄は残せ』と俺が命じたからな。何もかもから救われた世など、不健全だろう?」
咲耶は軽口をたたき合う二人を無視して、血濡れた袷に右手を置こうとした。犬朗の、いつにも増してかすれた声音が、止める。
「ダメだ……咲耶サマ」
「なんで? 治させてよ。私のために、無理したんでしょう?」
涙声になった咲耶に、犬朗の隻眼が見開かれたが、じきに首が横に振られた。
「前にも……俺は言ったよ、な? あんたの、神力は……下総ノ国の、民のモンだ、……って」
きつい口調で言い切って、犬朗がひとつの眼で咲耶を見据える。主と眷属のやりとりを見ていた下総ノ国の長が口をはさむ。
「立派な心意気だな。だが、肉体を無くせば、この先“主”は護れなくなるぞ。……お前が護るべきは、この国の『民の恵み』ではないはずだ」
皮肉げな笑みに、犬朗が不愉快そうに息をつく。仰向いた赤虎毛の犬の眼が、閉じられた。
「……咲耶サマ。旦那を、呼んでくれ。……あんたは、自分から進んでは……呼べない、みたいだからな。俺が……頼むよ」
開かれた隻眼が、咲耶をじっと見つめる。
「俺のために……旦那を呼んでくれ」
懇願の眼差しに、咲耶はついに折れた。
初めて、この場にいない自らの伴侶の名を、呼びかける──。




