《六》神力を顕す──神ではなく、人として。
咲耶と沙雪が通された広い座敷には、先ほど“市”で見かけた庶民風の者たちが居並んでいた。室の中央には、布がかけられた盆が置かれている。
上座に腰をかけた咲耶たちを見届けて、権ノ介が立ち上がった。
『──……死臭がする……』
犬朗の苦い『声』に反応しかけた咲耶の前で、権ノ介が巨体を揺らしながら中央の盆へ歩み寄った。かけられた紺色の布を、取り上げる。
「これは……!」
咲耶の横で沙雪が、怒りまじりの驚きを露わにした。咲耶も、思わず眉を寄せてしまう──盆の上に載っていたのは、カラスの死骸だった。
「さぁさぁ、サクヤ姫様。その神力でもって『コレ』を生き返らせていただけますかな?」
細い目を見開いて、権ノ介が笑みを浮かべる。やれるものならやってみろ、と、言われているようだった。咲耶のひざ下で、犬朗が舌打ちする。
『くそっ……咲耶サマに恥をかかせるのが狙いかよ……咲耶サマ、アレは穢れだ。触れちゃなんねぇ!』
咲耶は、自らの右手が熱くなるのを感じた──神力が発動する兆し。
これまで咲耶の神力は、まだ『生』のあるモノに対して行われ、また、発揮してきた。だが、今回の『相手』は、すでに屍と化している。
「権ノ介殿。このような振る舞いは、姫を愚弄するもの。いったい、どういう了見で──」
「できません」
片ひざを立て気色ばむ沙雪の言葉をさえぎり、咲耶は毅然と言い放った。
室内にいた者たちの嘆きと溜息、それに嘲笑が入り混じる。権ノ介も、やれやれといった様子で首を横に振った。
「姫……」
どこかホッとしたような表情で、沙雪が咲耶を振り返ってくる。
「私には、できません」
もう一度、室内にいる者すべてに聞こえるように、咲耶は言った。熱くなった白い痕のある右手の甲を、なだめるように左手でなでる。
(死んでしまったものを、生き返らせることは、できない)
──可能か不可能かといえば、おそらく『可能』なはずだ。自分のもつ神力は、咲耶ですら想像を超えた先の『力』を備えているように感じるからだ。
息も絶え絶えだった、神獣・白虎を再生させたように。ただひたすらに念じて想えば、この神力の限りは咲耶にははかりしれないのだ。なぜならそれは、和彰という神獣のもつ力と、同義であるのだから──。
(私は『白い神の獣の伴侶』で、代行者だけど)
『神』ではない。ただの人だ。
その、『只人』でしかない者が神力をもつからといって、蘇生まで行ってしまうことは……何やら、とてつもなく恐ろしいことに思えた。
少なくとも咲耶にとってそれは、『死』という『自然の摂理』をくつがえす、まさに神をも畏れぬ悪しき所業に感じられた。
二度も「できぬ」と告げた白い花嫁に対し、権ノ介を始めとする『民』の目は、徐々に剣呑さを増していった。気づいた沙雪が何かを言いかけた、その時。
「おのおの方、勘違いなされますな」
清々しい若い男の声が、響いた。室内の嫌な雰囲気を振りはらうような、ひと声。
「咲耶様ができぬとおっしゃられたのには、訳がございます。そこにあるは『民ならざるモノ』。すなわち、民以外のモノにほどこしてやる神力がないというだけのこと。
しかしながら」
そこで言葉を切り、直垂姿の男が、腕に抱きかかえた幼い少女を見せつけるようにして、室内に入ってきた。
「私の腕にある女の童はまぎれもなく、この下総ノ国の民。咲耶様の神力を授かるに、ふさわしい存在にございます」
場にいた者たちの視線を充分に集めると、沙雪とよく似た面立ちでありながら正反対の性質をもつ男は、咲耶のほうへと近づいてきた。
「若……」と、苦々しくつぶやく沙雪の声は、咲耶の耳にだけ届いた。
「──咲耶様。何とぞ、御力を」
咲耶にだけ解るように、ふたつ名をもつ男──虎次郎は、目線でもって語る。俺の役に立て、と。
一瞬、ふざけるなと怒鳴りたい衝動に駆られた咲耶ではあったが、すぐに虎次郎が腕に抱く少女の異変に気づいた。
頬が真っ赤に腫れあがり、呼吸が見るからに荒い。具合の悪さは一目瞭然だった。
(アホ男に目がいってて気づかなかったけど……)
あえぐ姿が痛々しく、咲耶は右手を伸ばして少女の頬に触れた。火がついたように熱いとは、このことだろう。
(可哀想に……。こんな状態で、こんな所に連れて来られるなんて)
一刻も早く、身体が楽になるように。少女の身を襲う病が、癒えるように。
祈りながら優しく触れる咲耶の右手の下で、次第に静まる少女の呼吸。大きくふくらんだ頬が自然な赤みを取り戻しながら、小さな可愛らしい頬へと変わっていく。
その様に、どよめきが起こった。信じられないものを見たという、正直すぎるほど正直な反応であった。
「これはこれは……!」
興奮を隠しきれないように権ノ介が小刻みにうなずき、ほうっ……と、息をつく。次いで、咲耶に向かい両手を畳につけると、額ずいてみせた。
「当代の白い花嫁様の神力、しかと拝見いたしましてございます。いや、実に良き日となりました。この場にいる者を代表し“商人司”権ノ介左衛門、サクヤ姫様のご慈悲に、深く……深く感謝いたしまする……!」
伏したまま張り上げた声音に反応するように、居並ぶ民人たちが、同様に咲耶に対し、ぬかずいた──。
咲耶をもてなそうと引き止める権ノ介に丁重に断りを入れ、咲耶たちは商人司の屋敷を去る準備をしていた。
「……若、なぜいらしたのですか」
栗毛と白い馬を連れてきた下男に心付けを渡した沙雪が、三人だけになったのを確認した直後、問いかけた。
「俺では対処しきれない件ができた。お前がなんとかしろ」
あっさりと沙雪に任を押しつけ虎次郎が言うと、男装いの女の顔がくもった。こめかみを押さえる。
「……またですか。対処できないのではなく、する気がおきないだけにございましょう? 本当に、仕方のない……」
「分かったのなら、さっさと戻れ。国司・尊臣が長きに渡って不在では困る」
「もちろんでございますとも。
……ああ、姫。屋敷までお送りできず、申し訳ございません。火急のことなれば、これにて失礼いたします」
しなやかな手でもって、うやうやしく咲耶の片手に触れたのち、沙雪が栗毛馬に近づく。虎次郎が言った。
「『疾風』は置いていけ。俺が乗る」
「……まさか、姫を『六花』に?」
「こいつが俺と一緒に騎乗すると思うか?」
問いには応えず鼻で笑う虎次郎に、沙雪は一瞬だけ申し訳なさそうな顔を咲耶に向けたあと、うなずいた。
「では、わたくしは権ノ介殿に馬を借ります。──姫。本日は誠に、良き働きをなされました」
ふたたび咲耶に目を向けねぎらうと、一礼をして沙雪が立ち去った。虎次郎が栗毛の『疾風』に、ひらりと騎乗する。
「『六花』は『疾風』と違い、鈍感だ。眷属が『お前のなか』にいても、問題なく走るだろう。
──おい、赤イヌ。聞いての通りだ。早く咲耶の影に入り、馬に乗れ」
咲耶への気遣いも状況説明も、いっさいがっさい省き、虎次郎は馬上から咲耶を見下ろして地中の犬朗に言い放つ。当然のごとく咲耶の気分は最悪で、そして犬朗も居ないもののように反応しなかった。
「──俺は、時は無駄にしない質だ。咲耶、お前は俺に言ったな? この下総ノ国の者たちのためにも、と」
初めて虎次郎と出会った日に、己の気構えを話した咲耶の言葉をもちだされた。真意が解らず見上げる咲耶に、手綱を引きながら虎次郎が続ける。
「これからお前が行くのは白虎の屋敷ではない。“つぼみ”の所だ。日暮れまでに屋敷に戻れなくなっても、俺は知らんぞ?」
からかうように虎次郎が笑みを浮かべる。
咲耶は、自分がこの男に付き合わなければならないことを思い知った。そして、同じ気分を抱えているだろう眷属に、しぶしぶ主命を下す。
「……犬朗。影に入ってくれる? 『私の代わりに』馬を走らせてちょうだい」




