《五》白い神獣の過去──それは、何か深い理由があってのこと、ですよね?
“商人司”とは、ひとことでいえば街中にある“市”を統括する長──国司が任命する、公と民の中間的立場にある者をいうらしい。咲耶は、沙雪の操る栗毛の馬上にて、そう説明を受けた。
「商人を代表する……お偉いさんってコトですか?」
咲耶の言葉に、沙雪が苦笑いする気配がした。手綱を引き、方向を変えながら沙雪が言う。
「……姫? 姫はこの下総ノ国においては、民に敬われる『尊い御方』なのですよ?
もし、商人を束ねる長と聞いて気後れするようなことがあるなら控えていただかねば。下世話な言い方をさせてもらえば、姫は民草にとって『雲の上の存在』なのですから」
「……そうなんですか? 私、茜さんから国獣はこの国のなかで、かなり下の位だって聞いてたんで、花嫁の私も、そうなのかなと思って」
沙雪のたしなめる口調に、咲耶は釈然としないものを感じ、反論する。背後から沙雪の嘆息が聞こえた。
「……それは、確かにこの国の実情です。ですが、いまこうして姫が存在する以上、おいおい実情も変わってゆくものと、わたくしは信じております」
やわらかな声質に見合わない、実直で力強い物言い。咲耶は、自分が好意をいだく者たちの共通点に、改めて気づかされた。
(沙雪さんも犬貴も……それに、和彰も)
まっすぐで、自分を偽らない。信念をもって、行動する者たち──。
咲耶は、沙雪の言葉に含まれたものの意味を、あえて問い返した。
「私が『存在する以上』って……私っていう花嫁がいることが、何か特別なことにつながるんですか?」
「えぇ、もちろんです。
なにしろ、ハク様の花嫁の神力は、他の虎様方の花嫁の神力よりも、貴重な御力ですしね。……先代のハク様の“対の方”は『仮』のまま亡くなられたものですから、余計に」
商人司の屋敷まではかなりあるらしく、沙雪は馬を休めたいと言って、山中にある川辺に咲耶を降ろした。
頭上から降り注ぐ陽の光が川面にきらめいて、せせらぎが慣れない馬上での疲れを癒やすように、咲耶の耳を憩う。
沙雪と馬が離れたとたん、咲耶の背後に煙のようなものが浮かび上がる。直後にそれは、赤虎毛の甲斐犬の形を成した。
「先代ってコトは、ハクの旦那の親神サマだよな。──ん? 『仮』のまま亡くなった……?」
ずっと地中に隠形していた犬朗が、そこで初めて口をはさんできた。最初、咲耶の影に入ろうとしたものの、それでは馬がおびえるだろうという沙雪の指摘に応じてのことだった。
首をひねった犬朗に対して、馬に水をやりながら沙雪が言いにくそうに口を開く。
「これは……内々の者しか知らぬことですが……。先代のハク様は、自らの対の方を……手にかけたのでございます」
「えっ……」
あまりのことに咲耶は言葉を失った。それは、つまり──。
「ハクの旦那の親神サマは、自分の伴侶を殺めたってぇコトかよ……?」
苦いものを含んだように、犬朗の鼻にしわが寄る。口にするのも汚らわしいといった感じだ。
「それは……何か、深い理由があっての、こと、ですよ、ね……?」
そうあって欲しいとの願いから咲耶が言うも、沙雪の首は横に振られた。
「いいえ。先代のお言葉を借りれば『役に立たぬ対は不用。ゆえに妾が仕留めたのじゃ』と」
思わず咲耶は目をしばたたく。自らの認識が、根底からくつがえされたからだ。
「待ってください! 『妾』ってことは……先代のハクコは、女の人、ですか……!?」
「はい。神女様でございました」
沙雪の肯定に、咲耶は目をつむる。脳裏で何かがつながりそうな感覚がしたとき、沙雪が言いつないだ。
「そして、当代のハク様を身籠られたのち、お隠れになられた……。
当代のハク様が『めずらしい獣』として民から献上されたとき、初めて代替わりがなされたと、皆に知れ渡ったのです」
沙雪の語る当代のハクコ──すなわち和彰の出生について聞き、咲耶は、ああ、と、小さくうなずく。
「和彰は神獣ノ里以外で生まれたって、聞いてます。その、先代……和彰のお母さんは、どこで和彰を産んだんでしょうか?」
「それは、誰も知らぬことです。
分かっているのは、当代のハク様が、幼いまま山中をさ迷い、心無い手の者に捕われたこと。そして、国司に献上されるという形で下総ノ国にお入りになられたことです。
そののち、異例のことながら国獣の地位に神獣の御姿のまま就かれ、早く化身できるようにと、愁月殿の手に託されたのでございます」
徐々に明かされる和彰の過去。咲耶は、自分がなんとなく想像していた部分との修正に努めた。
犬朗が、独りごつ。
「……“花婿”は短命だって言われるけど、下総ノ国も例外じゃなかったワケか……」
咲耶が目を向けると、犬朗は心得たように話しだす。
「どこの国にもある『言いならわし』ってことさ。俺や犬貴は“甲斐ノ国”の出身なんだけどさ。そこの歴代の神獣サマは、気性の荒い女の神が多くてな。
対になるはずの“花婿”は、契りの儀で食い殺されるか、次代の神獣を授かる兆しがあったとたん、殺されるかの、どちらかだって話だ」
犬朗の話を継いで、沙雪が言う。
「下総ノ国では、逆に男の神様が多く……先代のハク様は、民からも官からも、あまり歓迎されなかったと聞いております。
そして、不運なことに先々代の“対の方”も神力を得られずにいたことから、
「この国の『白い神の獣の伴侶』は供物にしかならない」
と、蔑まれることになったのでございます」
馬装の点検をしながら言う沙雪に、咲耶は、陽ノ元に来たばかりの頃、吐き捨てるようになじられたことを思いだした。
(そっか……供物って、役に立たない人間っていう侮蔑の意味だけじゃなかったんだ……)
おそらくは、民の『希望』の裏返し。神力をもつ花嫁や花婿を望むあまり、期待に反した『結果』が続いたからこその、失意の表れだったのだ。
(私に対しての言葉も、下手に期待してまたダメな花嫁だったらっていう、不安の表れだったのかもしれない)
心の奥底で真に望めば望むほど、手に入れられなかったときの失望は大きい。であれば、初めから期待せずにいるほうが、気は楽だ。
咲耶は、そういう心理状態になった孝太の父親の気持ちが、解らなくもなかった。
白い“痕”がある自らの右手の甲を見る。刻まれた三本の白い筋。
(私のもつ神力の意味……)
「姫? そろそろ参りましょうか?」
沙雪の呼びかけに、咲耶は顔を上げる──自分が『白い神の獣』の代行者であること。これから顕す神力によって、下総ノ国の民に少しでも希望がもたらされればいいと、思わずにはいられなかった。
咲耶の行動範囲は、生まれ育った『あちらの世界』でも狭いほうだった。そして、この陽ノ元という世界においても変わりはなく……初めて咲耶は、街中の風景をながめていた。
歩き慣れた獣道以外の、きちんと整備された道の両脇に並ぶ店。野菜や果物、干物などを扱う、物売りの活気ある声。ときおり、何やら香ばしい匂いもただよってくる。
その通りを、貴族風な出で立ちでない老若男女が行き交う姿は、咲耶にとって初めて目にする『庶民』の姿だった。
(……なんか私、注目あびてる……?)
しかし、馬上の咲耶に集まる視線は、好奇心と猜疑心を宿していた。
白い水干に金ししゅう、黒地に金ししゅうの入った筒袴。白と黒と金の色を同時にまとうこと。それが、白い神獣と、その花嫁にしか許されていないことは、陽ノ元においては常識なのだろう。
場違いな異形の者を見るような目つきだ。いたたまれず、うつむき加減になる咲耶に、沙雪の声が制す。
「姫? うつむいてはなりません。それでは民が、いっそう不安に思います。どうぞ、その愛らしい顔容を、皆の者に、見せて差し上げてくださいませ」
最後はやわらかな声音に甘さを含ませて、咲耶の耳もとで沙雪がふふっと笑う。咲耶は思わず赤面した。
(沙雪さんが女の人だって解ってるのに、なんでかこう……ドキドキしちゃうんですけど!)
咲耶の緊張をほぐすための世辞か、天然の人たらしかは分からないが、沙雪のひとことにより咲耶の肩から余分な力が抜けた。
(とりあえず……笑っておこう)
そう思って目が合った者に微笑み返せば、ばつ悪そうに視線を外されるか、とまどったように目を伏せられるかのどちらかだった。……どうやら、表立っての非難はなさそうだ。
そうして“市”を抜け、喧騒から遠ざかると、高い塀が続く小路に入った。市に入ってからは、走るというより歩く速度に変わっていた栗毛の手綱を引き、沙雪が告げる。
「姫。この塀の向こうが、“商人司”権ノ介左衛門の屋敷でございます」
「……メチャクチャ広くないですか?」
咲耶の指摘に沙雪が苦笑いした。ようやく着いた門らしき手前、咲耶の下馬を手伝いながら言う。
「権ノ介殿は、“土倉”なのです。
──ご主人は居られるか? 虎太郎がハク様の対の方をお連れしたと、お伝え願いたい」
応対に出てきた下男らしき者に、沙雪がきびきびとした堅い口調で告げた。
ややしばらく待たされる間、沙雪に尋ねたところによると、“土倉”とは早い話が高利貸業者のことのようだ。
だが、ふたたび戻って来た下男に案内され屋敷内に通された咲耶の目に入ったのは、『倉』ではなく広い庭であった。
椿の花から始まって、咲耶のよく知らない手入れされた樹木があり、その向こうには立派な太鼓橋のかかる池が見えた。
『……なんだ? この置物』
東洋でなく西洋の龍を思わせる石像に、隠形していた犬朗が、あきれたような声をあげる。その反応に、咲耶は噴きだした。
犬朗は、見慣れない『生き物』に対する率直な感想を言ったのだろう。だが咲耶のほうは、和の景色のなかにある洋のちぐはぐな印象に犬朗の言葉が重なり、おかしくなってしまったのだった。
他にも、所々に置かれた石像は和洋折衷といった統一感のないもので、咲耶は正直、権ノ介という“商人司”の趣味を疑ってしまう。
(悪趣味とまでは言わないけど、これ、センス無くないのかな……?)
先頭の下男に続いて歩く沙雪の態度は、至って普通だ。もっとも、先ほどの話の感じからすれば、沙雪は何度か『虎太郎』という男名前と男の装いで、こちらに足を運び、見慣れているのかもしれないが。
「──これはこれは、白い花嫁様。ようお越しくださりました。手前は、権ノ介左衛門にございます」
横に幅のある老年期に入る少し前くらいの男が出迎えた。直衣姿だが『着せられている感』のある不恰好な装いは、体型もそうだが、派手な色彩の柄と合わさって、咲耶の目には下品に映ってしまう。
「……初めまして、松元咲耶です」
心のうちを隠して微笑みながらあいさつを返せば、たるんだ顔の肉を弾ませて、権ノ介が笑った。
「ほぉ! さしずめ、『コノハナノサクヤビメ』様、といったところですかな。いやはや……徳のある良き御名にございますなぁ!」
咲耶を見ながら揉み手をする“商人司”の細い目は、言葉とは裏腹に、咲耶を値踏みするかのようであった。さながら、大根やスイカ、鰯の鮮度を見るかのように。
「ささ、立ち話はこのくらいにして、どうぞこちらに。──おい、支度はできておろうな?」
咲耶に向けた猫なで声から一転して、室内にいる使用人たちへ放つ、鋭い確認の声。一斉に「はい、旦那様」との応えがあがったのを満足そうに見回し、権ノ介が咲耶たちを振り返った。
「サクヤ姫様。
その尊い神力を顕していただく前に、是非とも手前どもが用意した海の幸と山の幸の御膳を、ご笑味くださりませ」
「──いえ、権ノ介殿。こうして姫が顕現なされたのも、民への慈悲があってこそ。お心遣いだけで、充分かと」
沙雪の遠回しの『もてなし拒否』に、権ノ介はわずかにその片眉をぴくりとさせたが、直後に大げさともとれる理解を示した。
「なるほど、なるほど。そういうことであれば、姫の貴重なお時間を、頂戴するわけにはまいりませぬな。
では、早速、支度を。──おい、あれを持て」
言って、権ノ介が手を叩き、ふたたび咲耶を見た。
「……いよいよ白い花嫁様の御力を、間近で拝見できるわけですな」
──細い目の奥に、暗い輝きが、宿っていた。




