《三》花嫁の終焉の地、常世──獣の仔、産むの怖い?
セキコ・茜の屋敷に着くと、例によって花子の菊が丁重に咲耶を出迎えたが、通されたのはいつもの客間ではなく、どうやら美穂の私室らしかった。
「宣旨の使者が来た時以来? 元気そうじゃん」
蒔絵の施された小さな火桶に手をかざしながら咲耶を見上げ、美穂はニヤリと笑った。赤と銀の刺しゅうが華やかな柄を描いた黒地の打ち掛けを羽織っている。
「相談があるとかいうから厄介なことに巻き込まれてんのかと思ったけど、そういうカンジじゃないね。あいつ心配してたけど、除けといて正解?」
あいつ、というのは、間違いないなく茜のことだろう。思えば咲耶がこの屋敷を訪れて、茜抜きに美穂と話そうとしたのは初めてのことだった。
「たいがいのコトはあたしでも解ると思うけどさぁ。なんか手に負えなさそうなコトとかでてきたら、こいつ通じて訊くことにするから」
言った美穂の懐から、もこもことうごめきながら出てきたのは、スズメだった。
「眷属のチュン太。……ほら、あいさつ」
わずかに羽を広げ、小さく鳴いたあと咲耶に向かって会釈する。てっきり人語を話すと思っていた咲耶は、拍子抜けしたものの可愛いらしいしぐさに微笑んだ。
「こんにちは」
「こいつ、普段は口きけないの。でも、伝達係っていうか……あ、『電話』みたいな感じ? で、役に立つから」
小さな頭をぐりぐりと美穂になでられ、満足そうにチュン太はまた美穂の懐にもぐっていく。
「で? あたしに訊きたいことって?
──あ。待った。先にあたしが訊きたい。あんた、ハクとヤッたんでしょ?」
「……………………えっと、まぁそのことに関連しての質問というか相談というか疑問なんだけど……」
相も変わらず率直な美穂の問いに、咲耶は口ごもりながら切りだす。途中、美穂から卑猥な突っ込みが多々あったがなんとか応えつつ、自分の訊きたいことを話し終えた。
「あー……そっちの相談かぁ。てっきりハクが下手すぎて、不満ぶちまけたいのかと思ったのに……」
あからさまにがっかりとした表情を浮かべる美穂に、相談する相手を間違えたかもしれないと、咲耶は後悔をする。
(なんとなく恥ずかしくて、茜さんには言いづらいと思ったけど……)
口調といい見目といい、茜はある意味『女性的』だ。ただ、いかんせん性別は男であるからと、咲耶は躊躇してしまったのだが──。
「あんたさぁ、ハクとの間に子供ほしい?」
「は?」
話の流れや内容からすれば、あながち的外れな質問ではなかった。にもかかわらず、咲耶がぽかんとしてしまったのは、咲耶自身のなかで直結された問題ではなかったからだろう。
(ヤダ、私ってば……!)
咲耶は急に、恥ずかしくなった。自分が、浅はかで愚かな人間に思えたからだ。
身体を交わすということが、生殖行為と同義であることはもちろん認識している。だからこそ、こちらに来てから月経の訪れのない己の身体を、いぶかしんだのだ。
けれども、咲耶が和彰と『親密』になったのは、子を為すことを目的としたからではなく……単純に和彰自身を望んだ結果だった。美穂風にあけすけなくいえば、情欲におぼれただけの話だ。
「……獣の仔、産むの怖い?」
「えっ? ……って、え?」
続けざまに問われた内容に、ついには咲耶の思考回路が寸断された。真っ白な頭のまま、美穂を見返す。
ぶしつけなほどまっすぐに咲耶の目を見つめる美穂がいた。茶化すような物言いと、あけすけない言動に慣れていた咲耶には、目の前にいる美穂が別人に見えてしまう。
「あの……言ってる意味が……」
「解らない? 考えたくないからじゃなくて? だってさ、あいつら化身できるようになると“国獣”として遣わされるんだよ? それってつまり──逆にいえば獣の姿で生まれるってことじゃないの?」
矢継ぎ早にだされる問いは、容赦なかった。咲耶は息をのむ。
「か、考えたことは、確かになかったけど……」
美穂の眼差しにひるみながらも咲耶は懸命に思考力を取り戻す。いままでの知識と経験から得たことをもとに、思ったことを口にした。
「怖い、とは、思わない。むしろ、嬉しい、かも……?」
「はあ?」
「あ、いや、疑問系な言い方になったのは、単に私に出産経験がないからで……。その、テレビとか親の話とかからの想像で判断すれば、嬉しいと、思う」
正直、咲耶は、生まれたての人間の子供を「可愛い」と思ったことがない。サルに似てて、お世辞にもそうと思えなかった。
だが、一度だけ立ち合った猫の出産で、生まれてすぐの猫を見たとき「可愛い」とは思わなかったが庇護欲に駆られたものだった。
普通なら「猫と人間を一緒にするな」と叱られるところだろうが、この場合、ネコ科の獣である『トラの仔』を美穂が指しているのだから、比較の対象は間違ってないはずだ。
そういった自身の過去の感情を振り返っての結論だったのだが。
「………………あんた、変わってるね」
心底あきれたように、美穂が息をつく。
咲耶は遠い目をした。久々に人から言われたが、やはり自分は『普通』から外れているのかもしれない。
「──まぁね。あたしも人のことは言えないんだけどさ。あんな男オンナの花嫁やってるくらいだし」
火箸で炭をつきながら、美穂はふーっ……と、深く息をついた。
「──これは、全部あいつからの受け売りなんだけどね。
あたしらって、外見上は歳とらないじゃん? ま、あんたは『コッチ』に来てから大して経ってないし、実感ないかもしんないけどさ。
あたしはもう、二十年以上も『この姿』なワケ。でさ、これって、どうやら成長が進まない状態らしいんだ。んー……、肉体だけ時間が止まってるっていうのかな?」
ぱちん、と、火桶のなかで爆ぜる音がした。美穂に勧められ、一緒に暖まらせてもらっていた咲耶の頬は、すでに熱いくらいだった。
「それは……茜さんや和彰の『力』でって、こと?」
「力っていうより、あいついわく『定め』ってことらしいよ。
ようするに、あたしが女であいつが神獣だってことと同じで、最初から決められたことなんだって。つまり、事実は変えようがないことだから、それ以上でもそれ以下でもない……」
そこで美穂は疲れたような表情をして、立てた片方のひざにあごをのせた。
「って説明は、随分と昔にあいつからされたんだけど、あたしにはサッパリ。意味わかんないから、考えるのやめたんだよね」
お手上げだといった様子で美穂は肩をすくめた。咲耶も力なく笑って同意する。
「……ああ、うん。私も、解ったような解らないような……。人間は、どこからやってきたんだろうとか、そういう話になっちゃうってことなのかな?」
「じゃない? めんどくさいから深く考えないできたけどさ。で、それと同様に、あたしがあいつとシたからって、すぐに子供ができるわけじゃないんだって」
美穂の言葉に、咲耶は、なんとなく感じていたことを口にする。
「……身体の造りが違うってこと? 遺伝子の構造が違うから、そもそも受精されないとか?」
「は? そういう小難しいことじゃなくて──」
思いきり顔をしかめた美穂が、説明したことをまとめると。
『天』によって定められた時期がくると、自然に『神獣の仔』を授かるらしい。それがすなわち、咲耶たち花嫁が役割を終えることに近づく──。
「……あの。役割を終えると……私たちって……死んじゃう、の? いまは神籍にあるけど、そこから抜かれてしまうとか……?」
ここに来る道すがら犬貴に聞いた『彼の御方』とやらは、すでに現世──この世に居ないとのことだった。だから咲耶は、そう思ったのだが。
「あー違う違う。役割を終えるだけであって、死んだり殺されたりはしないって。そこんとこは、あたしもハッキリあいつに問い質したから間違いないよ」
美穂がくれた否定の言葉に咲耶は安心したものの、今度は犬貴の話してくれた内容に矛盾を感じてしまった。それで、美穂に質問を重ねたのだが──ついには音を上げられた。
「あんた、話すことが高度すぎるよ~。あいつ『呼ぶ』から直接訊いて」
言いながら美穂は、自身の懐をなでた。もこもこと出てきたチュン太に告げる。
「つないで」
手の甲にのったスズメが応えるように、鳴く。直後、その黒い小さなくちばしから、人の言葉が流れ出た。
『──あら、もう限界なの?』
つややかな男性の声音にそぐわない、女性的な口調。スズメを通じての茜のからかいに、美穂は不満そうに唇をとがらせた。
「うっさいなー、仕方ないじゃん。咲耶はあたしと違って小難しい話が好きなんだよ」
文句を垂れたあと、美穂は咲耶が訊いたことをそのまま話す。チュン太の口を借りた茜が応じた。
『あぁ、なるほどね。
確かに一般論でいえば、現世に居ないと言われたら「死んだ」と考えるのが普通ね。だけど、アタシたち神獣の感覚でいえば、それは常世に「戻った」ってことなのよ』
スズメの口から茜の声が出てくる奇妙さにとまどいながらも、咲耶は考え考え問い返す。
「えぇっと、違う世界に行くってことですか? その、神様のいる所っていうか……」
チュン太の片方の羽が上がった。咲耶を指すように、動く。
『半分、正解。
異なる世界──アンタ達がいた世界という意味ではない、『異界』ね。常世は、この陽ノ元という世界の延長線上にある特別な場所だから。
そうねぇ……神獣の里も、いわば常世のなかにあるようなものなのよ』
「……そこが、役割を終えた“国獣”──いずれ神獣や花嫁が行く場所ってことですか?」
『そう。相変わらず、のみこみが早いわね。──どうでもいいけど、まだるっこしいから、ソッチに戻るわよ』
へ? と、咲耶がまばたきをした瞬間、
「ただいま、美・穂」
語尾に桃色な吐息を含ませて、セキコ・茜その人が、咲耶の前に姿を現した。
いつにも増して豪奢なあつらえの打ち掛けに、赤褐色の波打つ髪を結う紐には、白い梅の花が飾られている。季節を考えると奇妙だが、生花のようだ。
「あぁっ! うっとうしいなっ」
自分を後ろから抱きしめるあでやかな青年に、鈍い音を立てて、美穂がひじ鉄をくらわす。愛が痛いわ~……と、泣き真似をする茜を、咲耶はあっけにとられて見ていた。
(えっ!? いま茜さん、どこから来たの?)
神獣という虎に変わるように、実は、内緒の相談があるという咲耶の手前、チュン太などというスズメの眷属を装い、ずっと茜はこの部屋にいたのだろうか?
そんなふうに思う咲耶の視界の端で、小さな鳥がぴょこぴょこと飛び跳ねていた。
(あ、あれ……?)
「ほら、お前がアホなコトするから、咲耶があきれてるじゃんか」
「そうなの? ……違うんじゃない?」
二人の視線に気づいた咲耶は、あわてて首を横に振る。思わず、茜を指差した。
「茜さん、ですよね……?」
動揺する咲耶を見て、美穂がポンと手を叩く。
「──そっか。ハクは、『瞬間移動』とか、しないんだよね? 人の姿でいるときは、ちゃんと『歩く』んでしょ?」
「え? え? え?」
美穂の言っている意味が、まったく解らない。咲耶の反応に、茜が失笑した。
「やぁね。それじゃ、ますます咲耶が混乱するわよ。
咲耶。アンタの前で、ハクは突然、現れたり消えたりはしないのね?」
「え……あの、はい」
「それ、ハクは愁月の言い付けで、そうしているのよ、きっと」
苦笑いで付け足す茜に、咲耶の頭のなかで、過去の和彰の不可解な言動が唐突につながった。
(『師に戒められた力』って、そういうこと?)
和彰は『人として』行動することを、愁月から義務づけられている、ということなのだろう。
(そっか……考えたら、仮にも『神』がつくんだものね)
咲耶には与り知らない様々な能力を、和彰が持っていても不思議はない。
(あ、そういえば……)
神獣の里にて和彰に真名を告げた余韻にひたったのちのこと。我に返った咲耶は、自分のために闘十郎らや追捕の者らと相対していた眷属たちの元へ、駆けつけたいと思った。
一刻も早く彼らの所へ戻らなければと焦る咲耶に、和彰は、
「目を閉じろ」
と言い、そして、一瞬の間ののち咲耶は犬貴と別れた場所に移動していた。
いまにして思えば、和彰の『力』の片鱗を、咲耶はすでに体感していたのだ。
しかし、犬貴や犬朗の負傷をなんとかしなければという気持ちが逸るあまり、和彰の特殊な能力をありがたがりもしなかった。
(うわ~……私ってば、最低……)
和彰は咲耶の『願い』に応え、おそらくそれまでは封じていた、自らのもつ“人ならざる力”を遣ったのだ──師と仰ぐ愁月の戒めに背いて。
(ちゃんと、和彰にお礼を言わなきゃ……!)
いまさら遅い、ということもないはずだ。咲耶はそう思いながら、セキコ・茜の屋敷をあとにした。




