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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
伍 囚われの神女(めがみ)
27/73

《二》生真面目な眷属の過去──ある御方をお慕いしていたからでございます。

 


 咲耶が陽ノ元に来てから、ふた月半ほどが過ぎようとしていた。


 わけも解らず和彰の花嫁となり、目まぐるしい日々を送っていたためか『まだ』ふた月半くらいかとも思っていたのだが。


(………………来ない)


 誰が、ではない。アレが、である。環境の変化や精神的な負荷が原因で遅れているのだろうと、最初は思っていた。


 だが、神籍しんせきに入り老化現象がなくなって、食物の摂取もほぼ必要とされないといわれる身体だ。以前と仕組みが違うのかもしれないとも考えていた。


 そして──和彰と『親密』となったいま、別の要因も考えなければならない。


(やっぱり、ここは『先輩』を頼るべきだよね……)


 咲耶はそう結論づけ、赤虎・茜の花嫁である美穂へ文をしたため、自らの眷属キジトラの猫・転々に託した。






「……犬貴が、送ってくれるの?」

「左様にございます。私では、ご不満でしょうか?」

「ううん。犬朗が私たちの眷属になってからは、犬貴が私についてくれることがなくなってたから、ちょっとびっくりしただけ。じゃ、よろしくね」


 驚く咲耶に対し、わずかばかりの自尊心を見せつける犬貴に、心のうちで咲耶は苦笑いした。


(これって……やっぱり、犬朗への当て付けなのかな?)


「……咲耶サマ。気をつけてな」


 柱の影から犬朗が、芝居がかった表情としぐさで、淋しそうに声をかけてくる。


 先日の『お仕置き』以来、強面こわもての甲斐犬が形無しなくらい、耳も尻尾も元気がない。咲耶は、そんな犬朗が少し哀れになり、笑ってみせた。


「行ってくるね、犬朗。留守番よろしくね」

「……っ! おう、咲耶サマ、任せとけ。土産はいらねぇからな?」

「咲耶様、参りましょう」


 気を取り直したように胸を張る犬朗を、冷ややかに一瞥いちべつした犬貴が、咲耶をうながしてくる。咲耶は、犬朗に片手を振ってから犬貴の背を追い、表に出た。


 瞬間、北風が容赦なく吹きつけ、咲耶はぶるっと身を震わせた。一応、なかに着込んではいるし、温石おんじゃくという熱した石を布で包んだ防寒具を懐に入れてはいるが、それだけでしのげる寒さではなかった。


「お寒いのですか? 咲耶様」


 そんな咲耶を、犬貴が気遣うように窺ってきた。咲耶は軽く首を横に振り、肩をすくめる。


「まぁ……冬だもんね。このくらいの寒さ、当たり前だよね」


 強がってみせる咲耶の前で、犬貴がひざまずいた。


「──咲耶様、どうぞ、お手を前へ」


 意味が解らずも咲耶は、条件反射で犬貴の言葉に従い、片手を前に出した。首を傾げる。


「手? こう……?」


 犬貴の前足が、差し出した咲耶の片手を包むようにして触れた。短く、犬貴が言をつむぐ。



「“東風とうふう──庇護ひご”」


 ふわっという暖かくも強い風が犬貴に触れられた手の先から全身を、かけめぐるように吹いた。


 風に散らされた咲耶の、肩下まで伸びた髪が落ち着いた頃には、先ほどまでの凍えるような空気は消え失せ、暖かな春の陽気が感じられていた。


「うわ……これ、犬貴の“術”のせい? すごいね……!」

「お気に召していただけたのなら幸いにございます。では、参りましょう」


 感嘆の声をあげる咲耶に犬貴は事もなげに応え、立ち上がる。颯爽さっそうとした後ろ姿に、咲耶は、犬貴にいだいた第一印象をふたたび胸のうちに刻んだ。


(やっぱり、犬貴は格好いいなぁ)


 遣ること成すこと、いちいち様になる犬である。それだけに色々なことが目について、もどかしい思いを抱えることが多いのかもしれない──。


「犬貴……ひとつ、訊いてもいい?」

「何なりと」


 間、髪を入れずに、犬貴が応じる。咲耶は、機会を逃してしまい、言えずにいたことを尋ねた。


「私に追捕ついぶの令が下って、眷属のみんなで私を神獣の里にまで連れて行ってくれようとした時……。あの時、犬貴は私を「の地へ」って、さっきみたいな不思議な“術”を使って、送りだしてくれたよね?」

「……はい」

「あれね、私、ずっと気になってたんだ。だって、犬貴──」


 咲耶は大きく息を吸って、それからひと息に告げた。


「茜さんからもらった神獣の里までの地図、全然、見てなかったでしょ? それなのに、なんで彼の地へ、なんて私を送りだせたんだろうって」


 犬貴は、黙っていた。深い色合いをした眼が、咲耶を見つめたまま、動かなかった。


「私、ちゃんと和彰に確認してないけど……。


 茜さんや犬貴自身も言ってた通り、和彰は神獣の里で生まれ育ったわけじゃないんだよね? ってことは、和彰は、あの場所を知らなかったはずでしょ? そんな和彰の眷属である犬貴が、どうして神獣の里を知っていたのかなって」


「咲耶様──」


 思いつめたような響きのある声が、咲耶の詰問を止める。


 薄曇りの空へ視線を転じた犬貴の瞳が、愁いを映した。遠い何かを思い返すように、ややしばらく犬貴は、晴れないそらを見上げていた。


「……私が言えることは、ただひとつ」


 ゆるぎない落ち着いた声音でもって、ふたたび犬貴が咲耶を見据えた。


「ハク様と咲耶様の御身は、この命に代えてもお護りいたします。終生、お二方にお仕えし、忠誠を誓う所存にございます」

「犬貴、それは──」


 聞きたい答えではないことに、咲耶はぎこちなく首を横に振ってみせた。しかし犬貴は、それが()()()()()()()()と信じて疑わないような眼差しを向けてきて、先を続ける。


「ふた心があって、このようにお答えするのではございません。これは私の心の在り方……ハク様や咲耶様に関わりのない部分の問題なのでございます。しかしながら」


 乾いた風が吹き抜け、生い茂った木々が枝を揺らし、がさがさと耳障りな音を立てる。


「咲耶様の御心を惑わし、ご不快にさせるは私の真意ではございません。私の話せる範囲でお答えするということで、よろしいでしょうか?」


 咲耶は、とまどいながらも小さくうなずいた。犬貴の態度からは()()()()()()というより()()()()事情があるといった印象を、受けたからだ。


 踏み込んではならない領域を侵す……自分が、無粋で下衆げすな人間に思えるような感覚をいだく。そんな咲耶の前で、犬貴は言葉を探すように、ゆっくりとまばたきをした。


「私が神獣の里の在処ありかを知っていたのはお察しのように、ハク様を通じてのことではありません。──ある御方を、お慕いしていたからでございます」


 意外な答えに、咲耶は眉を上げた。誰かに恋慕の情を向ける犬貴に、想像が追いつかなかったからだ。咲耶の驚きを見てとった犬貴は、苦笑いのような表情を浮かべる。


「いえ……私の、一方的で身勝手な想いから、彼の御方を付け回していただけなのでございますが……」


 重ねられた犬貴の言葉に、ますます咲耶の頭のなかは混乱をきたした。


(それって、ストーカーだったっていう告白なわけ!?)


 いやいや犬貴に限って、そんな馬鹿な……と、否定する咲耶の心中をよそに、犬貴は肯定の弁を述べた。


「しつこい、と、何度も追い払われましたが、私はお側についてまわりました。そのうちに、根負けされた彼の御方が、お側にはべるのを許してくださったのです。

 ──その縁で、私は神獣の里を知りました」


「つまり……犬貴は『彼の御方』の眷属だったっていうこと?」


 ようやく犬貴の話す内容に理解が追いついた咲耶は、改めて確認をする。


 神獣の里は、神獣と花嫁、そして眷属にしか『開かれていない』。茜から聞いた原則に照らし合わせれば、そういう結論になる。


「私の個人的見解から申し上げれば、厳密には違っていたかとは思われますが……えぇ、そう()()()()()()()()()私は彼の地に、足を踏み入れることができたのかと」


 咲耶は、自分がどさくさに紛れて神獣の里の地を踏んだいきさつを思いだした──追捕の者に迫られ、和彰と一週間ぶりの再会と同時に、一緒にがけ下へと落ちていった時のことを。


 あれは確かに犬貴の表現通り、神獣と花嫁であると『判断されて』神獣の里に入ることを許されたように思えた。


 咲耶や和彰が、直接的な許しを求めたのではないのだから、()()()()()受け入れ態勢があってこそだろう。


 正確な仕組みは咲耶には解らないが、おそらく茜の言っていた結界が、そういう取捨選択をできる類いのものだと考えられた。


「でも……そんなふうに、その……犬貴は慕っていた『御方』の眷属だったわけでしょ? なのに、いまは和彰の眷属って──」


 言いながら咲耶は、自分が本当に、触れてはいけない話題を犬貴にしてしまったのではないかと、気づく。


 犬貴が前置きしたように、犬貴自身の私的感情に関わる部分だろう。そこに、主とはいえ無遠慮に詮索せんさくするなど、あって良いものか、ためらわれた。


「──彼の御方は、すでに役割を終え、現世うつしよには居られません」


 静かな……犬貴にしては、めずらしいくらいに感情を伏せた物言いに、咲耶は申し訳ない気分で「そうなんだ」と、相づちをうつ。


「ですから、いま現在、私が真に忠誠と信義をもってお仕えするのは、ハク様と咲耶様に他なりません。どうか、そのことだけは、お疑いくださいませぬよう──」


 歩みを止めた犬貴が、その場で片ひざをつき、こうべを垂れる。ひたむきで誠実な様は、いつも咲耶の胸をうつ。


(何か理由があって、隠しているんだと思っていたけど……)


 犬貴にとっての大切な想いが、隠されていたのだ。咲耶は、身をかがめて犬貴の肩に手を伸ばす。


「ありがとう、犬貴。話してくれて。疑うだなんて……そんなふうに言わないで? 私も和彰も、犬貴を信頼してるんだから。まぁ私は、信頼しすぎて……その、知りたい気持ちが先走っちゃったんだけど」


「咲耶様……」


 やるせない思いで犬貴をのぞきこむと、犬貴もまた、咲耶を見返す瞳に申し訳なさをにじませていた。それこそが、忠誠の証であるかのように。


「もったいなき、お言葉にございます。

 私は……いえ、我ら眷属一同、貴女様の尊い御心に触れるたび、魂が震え、良き主様にめぐり合えた僥倖ぎょうこうを、感謝せずにはいられないのでございます」


 大仰な犬貴の言葉に、咲耶はくすぐったい思いで否定する。


「やだな、犬貴ってば、おおげさ……」


 ところが犬貴は、深く澄んだ真剣な眼差しで、じっと咲耶を見返してきた。その声に、力がこもる。


「いいえ、咲耶様。どうか、これだけは。

 我らは、姿形や異能の力、そもそもの存在理由から、人々からは忌み嫌われるモノにございます。それを眷属として召し抱え行使するは、よほどの清き心根と、正邪を見極める心眼がなければなりません。

 ……そうでなければ、我らの闇にのまれてしまう……」


 つぶやくように、か細くなる声音。いっそう強まる風に揺らされた木々の放つざわめきが、犬貴の言葉をかき消してしまいそうだった。


「我らは、ハク様の御力により『清き器』である“仮宿かりやど”という肉体を与えられた存在なのでございます。だからこそ」


 言った犬貴の前足が、うやうやしく自らの肩に触れた咲耶の手を取る。


「このようにあたたかな御手に触れることも叶うのでございます。そして、そのような『不浄のモノ』と関わり己を保つには、先ほど私が述べた通りの『御心』がなければ……到底、つとまるものではございません」


「──犬貴は私に、その資格があると、思っているの?」

「はい」


 逡巡しゅんじゅんする間もなくうなずいてみせる、忠実で生真面目な眷属。咲耶は、自分は一生この誇り高き虎毛犬には、かなわないだろうと思った。


 ささやかな意趣返しの気分から、いたずらな笑みが浮かぶ。


「ずるいなぁ、犬貴は」

「……おそれながら、それはどういう……」


 驚いたように咲耶を見上げる黒い甲斐犬の前足を、ぽん、と、叩いてやる。


「──私は、そんな御大層な人間じゃない。

 でも『そういう者』だって、信じてくれる存在がいるのなら、『そうありたい』って思う人間では、あるんだよね」


 身体を起こして、咲耶は自らの眷属に告げる。


「行こっか、犬貴。私がそうあるためには、まだまだ知らなきゃならないことが、あるから」

「──……仰せのままに」


 応える犬貴を見届け、咲耶はセキコの屋敷へ向かう歩を進める。


 天から舞い降りた白い結晶は、辺りを冷たく彩り始めていたが、咲耶の身は暖かく、心は晴れていた。すべては、自らが信頼する眷属の不可思議な力と、主に対して寄せられた真心によって。





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