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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
伍 囚われの神女(めがみ)
26/73

《一》後朝──お前が我らにとって、かけがえのない存在だからだ。

❖作者より❖

この作品は、日本の歴史的背景を参考にしております。が、用語・様式など本来の意味とは違う単語もあります。

この作品において通用する語句として捉えていただければ幸いです。


 


 人肌のぬくもりと、けだるい全身を感じながら目覚めれば、和彰の腕のなかにいた。


(きれいな顔……)


 改めて、まじまじと寝顔を見つめてしまう。整いすぎて冷たくも見える面差しは、最初こそ「感じ悪い」と思ったものだが、いまは──。


(この顔と、あの声と)


 それから、咲耶の身をつつみこむこの腕と、触れる体温とが。咲耶を、いままでにない充足感へと導いたのだ。


(──って! 朝になると、なんでこんなに恥ずかしいの~ッ!)


 ふいに、脳裏に浮かんだ『一夜の出来事』に、咲耶は和彰の胸もとに顔を寄せ、赤面した。冷静に考えると色々したし、言った気がする。


「……姫さま? お加減は、いかがですか?」


 ためらいがちに部屋の外からかけられた声に、咲耶の心臓が思いきり跳ねあがる。驚いて声が出ない咲耶の頭の上で、低い声が放たれた。


「──私も咲耶も、もうしばらく休む。声をかけるまで、下がっていろ」

「……承知いたしました」


 驚いたような気配のあと、椿は部屋前から立ち去ったようだった。咲耶は、気まずい思いで顔を上向かせた。


「……和彰、起きていたの?」

「お前の身体の震えで目覚めた。具合が悪いのか?」

「別に、ちょっとダルいくらいで特にどこも──」


 ゆるめた腕を上げ、和彰の手のひらが咲耶の頬に触れ、次いであごに移る。寄せられた唇が、咲耶の唇を愛おしんだ。


「……楽になったか?」


 間近で感じる息遣いがこそばゆく、咲耶の胸のうちを甘く染めあげた。ただただ、咲耶はうなずいて見せて──言葉の代わりに、和彰を抱きしめる。






(朝から、また『仲良く』してしまった……)


 我に返れば恥ずかしいのに、和彰に触れられるたび、衝動が押さえきれない。なごり惜しそうに咲耶を離さない和彰の腕から、無理やり抜け出て咲耶は手水ちょうず場に向かう。


「──っつう! テンテン、今のはすげぇ効いたぜ。もちっと手加減してくれよぉ……」

「手加減したら『お仕置き』にならないじゃないのさ! ね、犬貴?」

「その通りだ。転々、遠慮なくやれ」

「がってん、承知の助ッ。──うっりゃあ~っっ」


 ……何やら、中庭のほうが騒がしい。咲耶は足を止め、方向転換をした。


 大きなかしの木に吊された犬朗と、後ろ足に体重をかけ、今にも飛びかかろうとする転々。その様を腕を組んで見ている犬貴に、いつも以上におどおどとして彼らを見比べるたぬ吉。


「………………なに、やってんの?」


 理解に苦しむ光景に、あきれて声をかければ、犬朗の絶叫を背後にした犬貴が、咲耶の前にひざまずく。


「お早うございます、咲耶様。

 これは、我ら眷属のしきたりの一環。ご関心を向けるは、不要にございます。お目もけがれますゆえ、早々にお立ち去りくださいませ」

「──そんなシキタリなんて、俺、聞いたことねぇけどな……」


 早口で告げる犬貴の向こうで、宙吊りにされた赤い甲斐犬がぼやくのを聞き、咲耶は黒い甲斐犬を見下ろした。


「……って、犬朗は言ってるけど?」

「はて、なんのことやら。役に立たぬ駄犬の、遠吠とおぼえにございましょう。

 ──転々、続けてくれ」


 しれっと受け応えた黒虎毛の犬が、キジトラ白の猫を振り返る。ふたたび、軽やかな飛翔の蹴りでもって、蓑虫みのむしのような犬朗が、振り子のように揺れた。

 かすれた情けない声が、さわやかな朝の空気のなかを響き渡る。


(んー。犬朗だし……ま、いっか)


 眷属たちが、そろって遊んでいるように、見えなくもない。隻眼の虎毛犬には気の毒だが、咲耶は無慈悲にそう結論づけた。


「でも、なんでこんな『遊び』をしているの?」


 遊びだなんて、ひでーよ、咲耶サマ……という犬朗の傷ついたような嘆きを尻目に、訊いてみる。忠実で生真面目な虎毛犬は、怒りをあらわに咲耶を見上げてきた。


「おそれながら、それは愚問にございます、咲耶様。あやつめは……」


 言いかけた犬貴の眼が、咲耶の姿をまともに映した瞬間、あわてたように伏せられる。さらに、おもてごと伏せたまま、先を続けた。


「眷属としての己の力を過信し、咲耶様の異変に気づかなかったばかりか、ハク様への報告を怠ったのでございます。

 大神社おおかむやしろ内は神域中の神域。我ら眷属は『不浄のモノ』であるがゆえ、本来の力が発揮できぬ場所。それをわきまえ、あるじ様に仕えるが筋というものでしょうに、あのような失態を……!」


 どうやら、咲耶が毒虫に刺されたことや、その後の尊臣との対面においての不手際の責めを、犬朗は負わされているようだ。


 咲耶は思わず、苦笑いを浮かべた。


「そっか。でも、あんまり犬朗をいじめないでやってね? どちらかというと、私の不注意が招いたことだし」

「しかしながら咲耶様──……その……あまり、甘やかしてはなりません。咲耶様の、御身に関わることですので」


 諫言かんげんのあまり上げかけた視線を、犬貴はハッとしたように止め、一瞬、言葉につまったようだった。その態度をいぶかしく思う咲耶の耳に、不機嫌にもとれる低い声音が届く。


「……いつまでも見苦しい姿でいるな」


 物言いとは裏腹に、ふわりと優しくかけられたうちぎに、咲耶は困惑しながら眉を寄せた。声の持ち主を見上げる。


「見苦しいって、ナニよ!? 自分の花嫁つかまえて」


(そりゃ私は、和彰みたいに整った容姿はしてないけどさっ)


 と、ムッとしたのもつかの間、寝起きの自分の、あられもない格好を思いだした。犬貴が、目をそらすはずである。気まずそうな犬貴の沈黙と、ばつが悪い咲耶を一瞥いちべつして和彰が言った。


「犬貴、たぬ吉、転々」


 呼びかけて、自分の前に集った眷属ものたちの額を、指先で順に突いていく。犬朗が話してくれた、和彰が『生命力を分け与える』行いだろう。


「ちょっと、犬朗にはやってあげないの?」


 この場に用はないといわんばかりに、素っ気なく自身の下僕しもべらに背を向ける和彰を追いかけて問う。


「……必要ない」

「なんでよ?」

「理由は、あの者が一番よく解っているはずだからだ」


 歩みを止めずに言う和彰の腕をつかむ。すると、じっと咲耶を見つめてくる眼差しと、ぶつかった。


「お前を護りきれなかったことを悔いていた。私に処分を求めてきたが、あの者を処したところで何にもならぬ。捨て置いた。

 あのような『弱い束縛』を甘んじて受け入れているのは、何かしら自らを律しておきたいからだろう。違うか?」


 理路整然とした和彰の物言いに、咲耶はぐうの音も出なくなる。言われてみれば、その通りだ。そして、和彰にしても犬朗の心中を察したからこそ、あえて『呼ばず触れず』にいたのだろう。


「なんか……犬朗にも和彰にも、悪いことしちゃったね」

「悪いこと?」


 けげんそうに眉を寄せる和彰に、咲耶は素直にうなずいた。


「うん。だって……心配させたあげくに、私の不注意のせいで自分を責めてるわけでしょ?」


 和彰は、大きく息をついた。不愉快さを全面に出して言う。


「……それは、お前が我らにとって、かけがえのない存在だからだ。悪いこととは、違う。

 お前は、他者には必要以上に気を遣うのに、己に対してはあきれるほど無頓着むとんちゃくだ。もっと、お前自身を大切にしろ」


 怒ったような表情を向けられ、頬に大きな手のひらが添えられる。伝わるぬくもりに、和彰の愛情と間接的な犬朗の想いを感じ、咲耶は満たされながら微笑んだ。


「───ありがとう、和彰」





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