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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
肆 癒やしの接吻(くちづけ)
22/73

《四》ダメじゃねぇけどさ。……いや、ここはダメって言うべきなのか。今度黒いのに訊いとくか……。

 


 何度か虎次郎の制止する声がしたが、咲耶は「すみません」と「ごめんなさい」を繰り返し、彼を置いて子供の父親のいる山中へと入った。

 どうやら、足を滑らせて山道を転がり落ちたまま、身動きがとれなくなったらしい。


「──小僧のオヤジは、村の連中に嫌われてんのか?」


 救いを求められ、とっさに咲耶はわれるまま来てしまった。

 しかし、犬朗の問いかけに、人同士の助け合いでどうにかなることだったのでは? と、今更ながらに気づく。……だからといって衛士のように、子供の頼みをむげに断ることはできなかったが。


「き、嫌われてなんか……けど、ここはキンソクチだから……。ほんとは入っちゃいけないって、父ちゃんが、言ってて……」


 追捕の者から逃れようとした時よりも多少の失速感はあったが、子を背負う犬朗も『咲耶のなか』の たぬ吉も、常人では体感することのない速度で駆けていた。そのため、子供は舌をもつれさせながら、言葉を発していた。


「……ああ。村の連中にバレたら、村八分にされる可能性が高いんだな?」


 納得したように犬朗がうなずく。


 子供が口にした『キンソクチ』とは、『禁足地』のことだろう。『神の領域』であるとされる一帯は、只人が入ることは禁止され、また、村社会においては暗黙の了解のもと、立ち入った者を拒絶する可能性が高いと聞く。


 咲耶も事態をのみこんだ。


(あの時も、犬貴いぬきが言ってたっけ……)


 この辺り一帯は神域とされ、只人は立ち入れないよう結界を張っていると。そして、言葉をにごした犬貴。おそらく、この子供の父親のように『禁足地』に踏み入ることをなんとも思わない者が増えたと、続けたかったのだろう。


「あっ、あそこっ……!」


 犬朗の背に身を預けたまま子供──孝太こうたというらしい──が、腕を伸ばし前方を指差す。木の根元に、まきとキノコらしき物が入った背負いかごがあった。


 辺りを見渡せば、杉の木が乱立しており、よくよく見ると、ゆるやかに下った傾斜が左方向にある。土はぬかるんでいて、なるほど、足を滑らせたのも無理はない。


 咲耶が暮らす和彰の領域からは外れていて、昼間だというのに薄暗く、じめじめとしていた。ふいに、湿った土の匂いに混じって、わずかな血の臭いが咲耶の鼻腔びくうをつく。


(タンタンの嗅覚きゅうかくのせいかな?)


 と、臭いの正体を探ろうと踏み出しかけた足を、犬朗の片腕が止めた。


「咲耶サマは、それ以上動いちゃなんねぇ。小僧のオヤジの二の舞になられちゃ困るからな。俺が降りて見てくるから、ここで大人しく待っててくれ」


 言うなり、一瞬で姿を消すような素早さで、犬朗が傾斜を下って行く。心配そうに身を乗りだしかけた孝太を、今度は咲耶が留める。


「危ないから、一緒にここにいよう? じきに犬朗が」


 言いかけた咲耶の声におおいかぶさるように、孝太の父親の発見を告げる、犬朗のかすれた叫びが響く。


「いたぞ! まだ息はあるみたいだ! いま、連れて行く!」


 父親を抱きかかえた犬朗が、行きと同じ早さで傾斜面をのぼってきた。それを見届け、咲耶の『内側』から たぬ吉が抜け出す。


 犬朗が地面に男親を横たえる。身体のあちこちに切り傷を負い、露出した右のふくらはぎが異常にれあがっているのが分かった。骨が折れているのかもしれない。

 不自然な呼吸の合間にうめき声を漏らしているが、孝太が呼びかけても反応がない。


 咲耶は深呼吸をした。たぬ吉が影に入っていた影響で疲労感が残っていたが、それで少し、身体が楽になる。


(まずは、ふくらはぎ……)


 白いあとのある右手に意識を集中させ、腫れのひどいそこへ手を伸ばす。

 医療の心得などない咲耶にとって、それは「痛みを取り除いてやること」と「元の状態に戻してやること」を『願う作業』であった。


 最初は熱く、じんじんとする右手が、徐々に冷めていく。同時に、触れたふくらはぎが腫れのない左のふくらはぎと同じように変化する。目に見えて、切り傷も減っていく。


 咲耶の右手が置かれた部分から波紋が広がるように、子供の父親の身体がやされていった。それを確認し終えた瞬間、咲耶はめまいに襲われた。自分の頭のなかから思考力が奪われ、真っ白くなるような感覚──。


「咲耶サマ、大丈夫か?」

「さ、咲耶様っ」

「──父ちゃん、気づいたか? もう、平気か?」


『音』は拾えるのに、咲耶の頭のなかは『空っぽ』で。何度目かの犬朗とたぬ吉の呼びかけに、やっと口を開く。


「……うん。大丈夫……」


 応えながらも、夢から覚めたばかりのような心地のなか、孝太の父親が身体を起こすのを見ていた。


「これは……いったい、どういうことだ……? あんた達は……」


 不思議そうに身体をさすり、咲耶たちを見回した男親が、ハッとしたように身構える。


「な、何をしたっ……!?」

「違うよ、父ちゃん。このヒトたちは、『白い虎の神さま』の、『お使い』なんだって。おいらが、父ちゃん助けてくれって、頼んだんだ」


 孝太が説明するも男親の表情は不信感があらわで、喜ぶ幼い息子を自分に引き寄せた。


「……何が望みだ」


 腕のなかに子供を抱え、咲耶たちを上目遣いに見て低く問う。犬朗が小さく舌打ちした。


「……身体、もう動かせますか?」


 咲耶の言葉に、男親が困惑したように見返してくる。咲耶は、ちょっと笑ってみせた。


「私は望みを『聞く側』なので、大丈夫そうならこれで失礼しますね。タンタン。悪いけど、この方たちを家まで送ってあげて」


 たぬ吉が心得たようにうなずく。咲耶は、面白くないといった態度の犬朗の腕を取り、来た道を引き返す。


「ねえちゃん! ありがとな!」


 背中にかかる声に、咲耶は一瞬、振り返るのをためらった。

 けれども、邪気のない言葉の響きに、ゆっくりと肩ごしに見れば。孝太が元気良く手を振る姿と、男親が頭を下げているのが目に入ってきて。ようやく、心からの笑みを浮かべられたのだった……。






「──旦那、呼ばなくていいのか?」


 大神社へ戻る道を黙々と歩く咲耶に、犬朗がちらりと視線を寄越す。


「へ? 和彰を? なんで?」


 犬朗の言いたいことが解らず、咲耶は驚いて訊き返した。すると、「うわぁ、まだ旦那、なんも説明してねーのか……」と、犬朗が肩を落とす。


「あのさ、咲耶サマ? いま、身体しんどいんだろ? で、コレ、なんだよな?」


 コレ、と、犬朗の空いた右前足の指が、自らの左前脚を指す──咲耶の指が絡むそこに。


「うん、ちょっとだけ。ここ、道悪いし。駄目だった?」

「ダメじゃねぇけどさ。……いや待てよ。俺、ここはダメって言うべきなのか? 今度、黒いのに訊いとくか……」


 途中から独りごとになる犬朗の腕に頼りながら、咲耶は、歩くたびに左脚に走る妙な痛みを気にしていた。


(なんか、時々、チクッとするんだけど、なんでだろ……)


 飼い猫の毛が服に付いていた時のような、痛がゆさ。転々の毛でも、付いているのだろうか?


(場所が場所なだけに、いま確認できないしな……)


「足、どうかしたのか?」


 咲耶の様子に、犬朗がけげんそうに尋ねてきた。あわてて咲耶は首を横に振る。


「ううん、なんでもない。それより、和彰が説明してないことって?」


 ああ、と、犬朗が相づちをうつ。木立のあいだから漏れた陽に、片方の前足をかざし説明を始める。


「前に俺、話したよな? 俺たち眷属も咲耶サマも、旦那から生命力を『分けてもらってる』ってさ」

「あぁ、うん。言ってたね、そういえば」


 確か、犬朗たちの食事について、咲耶が尋ねた時のことだ。


「んで、俺たち眷属は、もともと生命力を『糧』にして喰らっていたモノだからな。ま、その『応用の仕方』っつうのは心得てんだ。自然にな。だから、毎日一回、旦那に名前を呼ばれて、こう、ちょんとしてもらうだけで事足りるんだ」


 自らの額のあたりを軽く叩いて、犬朗は言った。


「つまり、旦那に『触れてもらうこと』が、生命力を『分けてもらえること』と同義なワケ」

「私も、そうだってこと?」

「だな。

 けど、咲耶サマは俺らと違って、もともと『気』を喰らって生きてきたワケじゃねぇだろ? だから、旦那から生命力を分けてもらっていても、多分うまく自分のうちに留めておけねぇんじゃねーかって、俺は思うんだ」

「……じゃあ、私ってば、せっかく和彰から生命力もらってても、無駄にしちゃってるの?」

「あー、いや、ちょっと違うな。待ってくれよ……いま、咲耶サマにも解るようなたとえ、探すからな……」


 しばらく考えこんだのち、思いついたように犬朗は口を開いた。


「そう、アレだ。

 俺ら眷属が、地中に根をはって生きてる『草木』だとして旦那からもらう生命力が『特別な水』だとする。俺らは旦那の『水』がなくても、雨水や地中の栄養、太陽の光でもって生きていられる存在だ。

 けどよ、咲耶サマは、切り花と同じなんだ」

「切り花?」

「そう。いったん『摘まれた存在』だ。旦那が与える生命力っていう『特別な水』を、肉体っていう『花器』に注がれて生きているワケだな。

 そういう状態だから、切り花を長くたせる『特別な水』が、不慮の出来事によって『花器』からこぼれたり、枯渇したりするとしおれちまうってコトだな」

「……私、いま、萎れてるの?」


 沈んだ声になる咲耶に対し、犬朗が勢いよく噴きだした。


「たとえだって言っただろ? 別に、いますぐどうこうってワケじゃねぇさ。そゆとこ咲耶サマは、可愛いよなぁ……」


 くくっと笑ったあと、犬朗が真顔になった。前に向き直り、遠くを見るようにして、話の先を続ける。


「咲耶サマも気づいているだろうけど、俺らの影っていう能力は、その対象である咲耶サマの肉体も精神も『むしばむ』ものなんだ。

 もちろん、わざとそうしてるワケじゃねぇけど、仕組みっつうか状態は、そういうコトなんだよ。……俺たちが疎まれるゆえんさ」


 自嘲じちょうぎみに話す犬朗に思わず咲耶は、つかんだ犬朗の腕に力をこめた。


「それはちょっと違うわよ? だって、私も影に入ってもらうことによって、早く目的地に着けたり、自分に無い能力が備わったりしているわけだから。

 いわば、ギブアンドテイク……持ちつ持たれつな間柄で、もっと言っちゃうと、あなたたち眷属の力を利用してるのは、私のほうなんだから。

 必要なら私のなかの……その、生命力っていうの? 『喰らって』もらわなきゃ。でしょ?」


 咲耶は犬朗の話す内容を聞いて、思ったことを言った。しかし犬朗は、思いもよらない言葉を聞いたとでもいうように、咲耶をまじまじと見返してくる。直後、失笑をもらした。


「……なるほど。黒いのが言ってたのは、『これ』か」


 つぶやきは普段より、いっそうかすれた声音で。けれども、咲耶を見下ろす深い色合いの隻眼に、優しさをにじませていた。


「な、なに? 私、犬貴になんか、言われてんの?」

「あぁ、いや……」


 言いかけた犬朗が、ふと、いたずらを思いついたように口を閉ざす。


「──咲耶サマは、変わった御人おひとだって、コトさ」


 含みのある言い方に、咲耶は一瞬だけ複雑な心境になりかける。しかし、犬朗の眼差しと物言いにそれが良い意味であることを知って、今度は逆に、照れくさい思いを抱えるのであった。





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