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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
肆 癒やしの接吻(くちづけ)
21/73

《三》国司との対峙──この下総ノ国の人たちのためにも。

 


 牛車ぎっしゃも用意せずに申し訳ない、と。大神社までの道のりを歩きながら、虎次郎こじろうは苦笑いする。


「車は、時間もかかりますし……このような山道では、なお、役に立ちませんしね。……目立つだけで、無用の長物だ」


 陽差しは暖かいが、ときおり強く吹く風は、凍えそうに冷たい。虎次郎の最後のひと言は、嘆くようなつぶやきとなって咲耶さくやの耳に届いた。


 虎次郎の言う『車』は、咲耶のよく知る自動車とは違い、貴人の権威を示すだけのもの。確かに、歩いたほうが早い乗り物だろう。だが、それを咲耶が思うのではなく、この世界に暮らしてきた虎次郎の口から聞くのは、少し意外な気がした。


「こちらでは、牛車が一般的な乗り物ではないんですか?」


 狩衣かりぎぬ直衣のうしといった衣服をまとう者たちが多く、平安貴族風な人々を見てきたせいか、なんとなくだが咲耶の印象ではそうなっていた。


「街中は、それでも事足りると思いますが……。私個人の好みを言えば、馬を走らせたほうが目的地にも早く着けますし、都合が良いかと」


 なるほど、虎次郎は合理的な考えの持ち主のようだと、咲耶は結論づける。


 ふいに、考えこむように黙ったのち、虎次郎が咲耶をちらりと見やった。


「私からも、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」


 切れ長の眼が、すきのない眼差しで咲耶を見下ろす。一瞬、何を訊かれるのかと構えた咲耶に、虎次郎がふっと笑ってみせた。


「──ああ、ご心配なく。難しい問いかけではありません。咲耶様はこちらの生活で、何か困ったことはありませんか?」

「困ったこと……ですか?」

「えぇ。我が主からも、不自由なことがあれば改善して差し上げるようにと、申しつかっておりますので」


 和彰ほどではないが──虎次郎が長身を折るようにして自らの胸に片手を置き、咲耶をのぞきこんでくる。


(近い近いっ)


 咲耶は思わず、身を引いた。さほど歳も変わらず、知り合って間もない男に急に顔を寄せられ、不快とまではいかないが動揺は隠せない。


「と、特にないので、お気遣いなく!」


 咲耶のうわずった声が放たれた直後、虎次郎が左頬をビクッとゆがませた。驚いたように頬をなでたのち、失笑する。


「……どうやら、『供のモノ』の気に障ったようですね。むやみやたらに姫君に近づくな、と」

「え?」

「バチッ……と、痛みが走りました」


 そのひと言で、犬朗けんろうが虎次郎に対し、彼の言うように牽制けんせいしたのだと気づく。咲耶は気まずさに目をおよがせた。


「ああ、えーと……本当に私は大事にされていますので、大丈夫です」


 重ねて言い直す咲耶の胸に、あたたかな想いがこみあげる。本当に、自分は──。


眷属けんぞくたちも花子の椿つばきちゃんも、よくしてくれてますから。……それに、何よりハ──和彰かずあきも、その……」


 優しい、ですし。という咲耶の声は、蚊の鳴くようなささやきではあったが、虎次郎の耳に届くには充分だったようで「優しい……?」と、目をみはられた。


 虎次郎の反応に、苦笑いする。

 おそらく咲耶が最初に感じたのと同じように、和彰が人に与える印象は、冷淡で優しさのかけらもないように見えるだろう。

 けれども、咲耶は和彰と共に過ごすようになって、冷淡な態度の向こうにある、人を思いやることのできる特有の気質に気づいた。当人ですら、意識していないだろう心根を。


「えっと、誰にでも解りやすい優しさじゃないですけれど……。でも、伝わってくるんです」


 たとえば、道に迷った親子からあびせられた非難を、自分のせいだと謝ったり。たとえば、自分が願ったせいで元の世界という『故郷』に戻れなくなったのを、憂いたり。

 ひとつひとつひもとけば、どれも咲耶の心のうちにある『想い』を、気遣ってのことだと解る。


「だから、私──いまは和彰の花嫁として、この世界にばれて良かったって、思ってます」

「……そう、ですか」


 虎次郎のつぶやくような相づちに、咲耶は我に返った。


「わわっ、私ってばナニ語っちゃってるんだろ!? 恥ずかしい~っ。──えっと、あの、じゃなくてですね……!」


 影に入っているたぬきちがくすっと笑うのと、隠形で地中を行く犬朗が足下で噴きだしたのが分かった。


「つ、つまり、何が言いたいかと言いますと……そういう彼らに見合うように、私も、花嫁としての役割を果たしたいんです。そのためには、まず──」


 気恥ずかしい告白を言いつくろい、咲耶は大きく息を吸いこんだ。尊臣たかおみの使者として現れた虎次郎に、告げる。


「ちゃんと、あなたの主である国司こくし・尊臣さんと、向き合わなきゃならないって、思ってます。

 ……この下総ノ国(しもうさのくに)の、人たちのためにも」


 直後に吹いた冷たい風が、咲耶の頬をたたくように、通りすぎていく。同様に、虎次郎の前髪が風にあおられ、わずかの間、その表情を隠した。


 おもむろに上げた片手で髪を払い、虎次郎が咲耶を見下ろす。細められた眼が、微笑であるとは思えないほどの沈黙ののち、虎次郎は応えた。


「──では、なおのこと、先を急ぎましょう」


 止めた足をふたたび進め、咲耶をうながしてくる。咲耶が対峙たいじするべき相手のいる、その先へ。






 白い鳥居と、虎を思わせる一対の石像。大神社の入り口が遠目に映った頃、咲耶の耳に小さな子供のわめき声が入ってきた。


「──お願いだよ、はやく……はやく父ちゃん助けてやってくれよぉっ……」

「だから先ほどから何度も言っているだろう。ここはボウズが来るような場所じゃない。とっとと帰れ!」

「なんで……っ……そんなこと言うんだよぉ……ここ、『白い虎の神さま』がいる所なんだろ!? なのに…っ……──」


 咲耶は聞こえてきた会話の内容に、思わず眉を寄せた。


 以前 大神社に来た時よりも少ない、二人の大柄な衛士えじと粗末な着物をまとった男の子とがいる鳥居の側に、足早に向かう。同じように歩を進めた虎次郎が、衛士に声をかけた。


「何事ですか」

「あっ、いえ、これは……虎次郎殿、お戻りになられたか。では、早速、中へ──」

「ねえちゃん、あの時の……!」


 衛士の一人に追い払われた子供が、涙と鼻水でグシャグシャになった顔を咲耶に向け、驚いたように叫んだ。見ればその顔は、咲耶のほうにも見覚えがあった。


 ここに来たばかりの時、結界けっかいのほころびから迷い出てきた子供だ。よろよろと咲耶に近づき、すがりついてくる。


「ねえちゃん、前に虎の神さまの嫁さんだって言ってたよな!? 神さま、呼べるか!? 呼んでくれるのか!? おいらの父ちゃん、助けてくれるか!?」


 期待のこめられた眼差しと紅潮した頬。鼻をすすりながらも涙は止まったようで、咲耶の着物をぎゅっとつかみ、見上げてきた。


 小さな手が伝えてくる切実な願い。咲耶は、その手をそっと握り返し軽く首を横に振った。


「ううん、呼ぶんじゃない。私が『行く』の。お父さんの所に、案内してもらえる?」

「咲耶様──!」


 虎次郎が、とがめるように呼びかけてくる。咲耶は虎次郎に向き直り、頭を下げた。


「すみません。私が遅れると、尊臣さんに伝えていただけますか? ──犬朗!」


 地中に向かって声をあげると、すぐさま赤虎毛の甲斐かい犬が姿を現した。虎次郎以外は恐れおののく様を尻目に、咲耶は主命しゅめいを下す。


「この子を、お願い。タンタンには、私を()()()()


 次いで咲耶は、直立し眼帯をした強面こわもての虎毛犬を見ておびえる子に、目線を合わせてかがみこんだ。


「……恐がらないで。この犬朗は、神さまの『お使い』なの。わかる?」


 泣き止んだはずの子の顔が、ゆがむ。咲耶と犬朗を交互に見ながら、唇を震わせ引き結んだのち、うなずいてみせた。



「父ちゃん……助けてくれるって……こと、だよな?」

「そうよ。だから私と犬朗に、お父さんの居場所、教えてちょうだい」


 咲耶の言葉に、もう一度うなずく泥まみれの子を、犬朗が担ぐ。おっかなびっくり背負われながらたどたどしい説明を始める男の子に誘導され、咲耶たちは駆けだした──。





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