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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
壱 契りなす処女(おとめ)
2/73

《一》契りの儀──そなたにこれを拒否することは叶わぬ。

❖作者より❖

この作品は、日本の歴史的背景を参考にしております。が、用語・様式など本来の意味とは違う単語もあります。

この作品において通用する語句として捉えていただければ幸いです。




 耳をつんざく金属音。


 身体に受ける、いままでに感じたことのない衝撃と痛み──に、備え、咲耶さくやは、身体を縮めていたのだが、一向にその気配がやってこない。


(助かった、の……?)


 いや、それにしては静か過ぎる。そう……静か過ぎるのだ……。


 ゆっくりと、咲耶は身を起こした。ぎゅっとつむった目を開け──そして、気づく──自分がいる場所が……車のなかでないことに……!


(なに、コレ……なに、ここ……)


 三畳ほどあるかないかの板の間に咲耶は突っ伏していたようだった。


 出入り口は、月明かりが射し込んでくる透かし組まれた戸口がひとつ。室内には、神棚のようなものがある以外、何もない。


 影が自分の顔にかかるのを感じ、びくりとそちらを見やった──視線が一瞬、交わり、咲耶は硬直してしまう。冴え冴えとした冷たい色をなす瞳は、眼差しだけで射すくめられるほどだった。


 格子戸ごしにも分かる美しいおもてにはなんの感情もなく、その者は、ただ、じっと咲耶を見つめていた。


 咲耶は、思いきって声をかける。


「あの……ここ、どこ……ですか?」


 本当は、居場所うんぬんの問題ではないことは、重々承知していた。だが、他に言葉が浮かばなかったのだ。


「ここは下総しもうさノ国(のくに)。今は尊臣たかおみ様が国司こくしを務めておられる」

「…………は?」


 咲耶は泣きたくなった。話す言葉──言語は解るものの話の内容の意味が、まるで理解できなかったからだ。


(あ、でも……)


 目の前にいる人物が、男だということは解った。全体的に涼しげな美貌びぼうはいわゆる中性的な顔立ちで、放たれた低い声音により、ようやく男だと判断がついたのだ。


「今、着替えを持ってくる。しばし待て」


 言って、男は姿を消した。咲耶は男の背中を見送りかけたものの、何もここで待つ必要はないだろうと思い、格子戸に手をかける。


(だってさ、なんか監禁されてるみたいなんだもん、ここ……)


 しかし、簡単に開きそうだった戸は、押しても引いても、横に引いても、開くことはなかった。


(みたいじゃなくて、ひょっとして私、監禁されてんの……?)


 どうあっても開かない戸は、外側から鍵がかかっているとしか思えない。咲耶は仕方なく、その場に腰を下ろした。


 ややして、布の載った漆塗りの盆を手に、男が戻ってきた。


「よびてきたりしハクコのついなるは、これここにあらんとす。ちぎりしものをほっするわがみにおりてたまわらんことを。

 カイジョウ」


 すらすらと、咲耶には意味の通じない文言を言い連ね、男はなんなく戸を開けた。呆然としている咲耶の前に、持っていた盆を置く。


「着替えたら、声をかけろ」

「えっ。……あの。……なんでか、いてもいいですか?だって私、わけ分かんないし──」

「必要だからだ。早くしろ。刻限までに、時がない」


 取りつく島もなく言いきられ、咲耶は二の句が継げなくなった。しかし、これは咲耶の悪癖だろうが、高圧的な態度をとられると、つい、従ってしまうのだ……。


 渡された『着替え』は、着物一式だった。が、咲耶の知っているそれと、微妙に違っている気が、しないでもなかった。


 下着にあたる襦袢じゅばんはともかく、その上に着るのだろう物は、飾り気もない白無垢しろむく。飾り帯のようなものはなく、ただ着物をはだけさせないための細い帯も、やはり白い。


 唯一、一番上に羽織るのであろう打ち掛けに、白地に金の刺しゅうが施されていた。


(着物専用のブラとかショーツ……は、ない、よね……?)


 下着の線が出てしまう問題よりもここで下着まで脱ぐこと自体に、かなりの抵抗を覚える。咲耶は、下着は身につけたまま、それらに着替えた。


「──終えたか。では、ついて来い」


 今度は、なんの抵抗もなく開いた戸を不思議に思ったものの、外で待っていた男に、ためらいながら声をかける。


「あの……ええと。私、松元まつもと咲耶っていいます。それで、あなたは?」

「……私に名はない」


 予想しなかった返答に驚き、咲耶はしどろもどろになった。


「え? 名前がないって……え? あの……じゃ、みんなは……えーと、あなたの周りの人は、あなたのことを、なんて呼んでいるの?」

「私を呼ぶ者など、たかが知れている。それは……名ではないのだ」


 淡々と答えながら、そこで一瞬、男はわずかに眉をひそめた。


「……物を指し示す便宜上の名なら、ある。ハクコだ」

「はくこ……?」


 それが名字なのか名前なのか。いや、便宜上と断りを入れるあたり、正式名でないことは確かだろう。


 咲耶が閉じ込められていた場所は木々が周囲を覆っていた。一見して、村外れにひっそりとありそうな、何かをまつってある社のように見える。


 ハクコ、と、とりあえずの名乗りをした男は、色素の薄い髪を腰近くまで伸ばし、後ろで一つに結んでいた。


 男の身を包むのは、その昔、公家の者が着ていたとされる狩衣かりぎぬの一種である水干すいかん。だが、その下からのぞく衣服は、指貫さしぬきと呼ばれるはかまではなく、細身の筒袴だった。


 着丈の短い白い水干に黒の筒袴と、なんとも奇妙な取り合わせだが、すらりとした長身に、その姿はよく似合っていた。


(私も、こういうカッコのほうが動きやすいのに……)


 ハクコの後ろを黙って歩きながら咲耶はそんなことを思った。


 何しろ普段、大股で歩くことになれているせいか、動きの制限される着物は、歩きづらくて適わない。そして、用意されていた履き慣れない下駄げたにも、指の付け根が痛み始めていた。


「あの……まだ歩きます?」

「もうすぐそこだ」


 言って、ハクコが指し示す向こうには、松明たいまつの灯りらしきものが見える。ひそひそと人の話し声も聞こえてきて、そこが目的地なのも解ったのだが──急に咲耶は、不安にかられた。


(どうしよう……。なんか、怖い……)


 先ほどまで感じなかった恐怖が、せきをきったように咲耶を襲う。


 自分はなぜ、言われるがままに、この男のあとを付いてきてしまったのだろう? いや、それよりもなぜ、車に乗って家路についていたはずが、こんな見知らぬ山奥を、歩かされているのだろう……?


(夢をみてる……とか?)


 その可能性は高い。あの瞬間、事故にい意識を失って──。


「何をしている。ついて来い」


 立ち止まって考えていると、ハクコが抑揚のない口調で呼びかけてきた。条件反射のように言葉に従ってしまい、咲耶はふたたび歩きだす。


「──ほう。今度の娘御は、なかなかしっかりしてそうじゃな」


 頭の上のほうからした声は、古めかしい言い回しに不つり合いな、少年と思わしきものだった。


 咲耶は、びっくりして足を止める。


 がさがさと、枝と葉のしなう音がしたかと思うと、目の前に黒い物体が落ちてきた。──否、声の持ち主らしい十五六の少年が降り立った。


 そでのない丈の短い上衣に筒袴という出で立ちは、格闘家の道着を思わせる。その色は、闇に溶けるように黒一色だ。


「ハク、皆が待ちかねておるぞ? おぬしの花嫁の到着を」


 ボサボサの黒い前髪の奥で、いたずらっぽく動く漆黒の瞳が、ハクコを捕える。意味ありげに笑う少年に対し、先ほど見せたのと同じくハクコはわずかに眉を寄せ、不快さを表わした。


「……儀式は、これからだ」

「あぁ、そうじゃ。おぬしの寿命も……そこな娘御の命運も。

 尊臣公は、気の短い御仁じゃからのう。早まった考えを、もたねばよいと思うておったが……困ったものじゃ」


 外見には似合わない口調で言い、咲耶を憐れむように見た少年の眼差しは、これまた老成さを帯びている。


しかし咲耶は、そんな少年の見目と言の整合性よりも、少年の放った単語に、何やら不穏なものを感じてしまった。


(いま『寿命』だの『命運』だのと、言ってなかった……?)


「──行くぞ、咲耶」


 日常では、ついぞ縁のない……というより、人間としての本能が避ける言葉が、当たり前のように発せられ、咲耶は動揺する。


「あああああのっ、ちょっと待って! ひょっとしたら、私、ひと間違いされてるんじゃ…」

「気の毒じゃがな、娘御。これは『決まり』じゃ。

 なに、見たところ丈夫そうな身体をしておるし、年嵩としかさのようじゃし、心持ちも気丈じゃろうて。心配せんでも、ちぃとばかし痛いのをこらえれば、すぐに済むからの」

「それって、どういう……」

「──闘十郎とうじゅうろう。言葉が過ぎる」


 あきれたような物言いと共に、黒髪の美女が現れた。ちら、と、咲耶を映す眼が、冷たく光る。


「早く行け。その姿なりで、今更いやだもないだろう。時間の無駄だ」


 切り捨てるような言葉に反し、女の眼には少しの同情が窺えた。あきらかに年下と分かる二十歳前後の女の落ち着きはらった様子に、自分が駄々をこねる子供になったようで、ばつが悪くなる。


 言うだけ言って、女は少年の肩を抱き、きびすを返した。ひるがえった女の衣から、なまめかしい白い素足がのぞく。


 女は中華服のような、すそから大腿だいたいのあたりまでに切れ目の入った黒い着物を身にまとっていた。


「無事に儀式を終えたら、わしの屋敷に遊びに来るとよいぞ」

などと、軽い調子でひらひらと片手を振り、少年は女と連れ立って行った。


「──来い」


 言って、ハクコが二人を見送っていた咲耶の手首を強引につかむ。揺るぎない力に言葉も気力も失ったまま、引きずられるようにして連れて行かれる。


 小道を抜けると先ほどから見えていた灯りが、開かれた視界を照らした。


 十数人の色とりどりの着物を着た老若男女が、咲耶たちを通すように両脇を固め、その先に何があるかをはっきりと浮かびあがらせる。──祭壇と、社だ。


 祭壇の正面に立った中年の男が、ハクコと共に在る咲耶をすがめ見た。


「来たか。──そなた、名は?」

「…………松元咲耶、です」

「歳は?」

「あの……二十八、です……」


 周りの人々が、驚いたようにざわめいたのが分かった。そのなかで中年の男だけが「そうか」と、ただ相づちをうった。


「では、咲耶。これからそなたは、ハクコと奥にある神殿で、“契りの儀”を交わしてもらう。

 初めに申しておくが、そなたにこれを、拒否することはかなわぬ。それは、死を意味する。

 よいな?」


(いいかって……断れないって先に言っておいて、なに訊いてんのよ……)


 ハクコ同様、狩衣姿の中年男は、続いて心のうちで突っ込む咲耶の横にいるハクコに、目を向ける。


「そして、ハクコ。尊臣様の命により、この儀が、そなたにとっての最後の機会であることを、もう一度、告げておく。

 四度目はない。よいな?」

「……はい」


 無表情に、ハクコがうなずく。咲耶は上目遣いに、その横顔を見上げた。


(契りの儀って……やっぱ………アレ、なの?)


 それが肉体的な契りを意味するのか、果たして別の意味なのか。咲耶には、はかりかねたが、拒むことは許されないと言われた以上従うしかないだろう。


 だが、そうと自らに言い聞かせてみても、泣きたい気分になってきた。なにがなんだか解らず、流されてしまった咲耶のあずかり知らぬところで、事態はとんでもない方向に進んでいる気がしたからだ。


(もう、いいよ…… 。もういいから、夢なら早く覚めてよーッ!)




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