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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
参 呼びかける真名(なまえ)
17/73

《九》闘十郎と犬朗──いきなり御大登場って、あり得なくねぇ?

 


 東の空が白み始めていた。


 咲耶の脱獄に気づき、追捕ついぶの令が下されるのは、夜明けと同時くらいだろうというのが犬貴の読みだった。


 いま咲耶は、常人では有り得ない速度で地を駆け、谷間を飛び越えていた。正確には、咲耶の影に入った犬貴の『力』によって可能になったのであり、咲耶自身の身体能力が上がったわけではない。つまり、犬貴に身体を()()()()()()状態なのだが。


 地を蹴る足も、風の抵抗を受けるはずの目も、時折つかむ枝に触れる手も。見えない防具におおわれているかのように、衝撃や抵抗が少なかった。


(だいぶ慣れてきた、かな……?)


 あまりの速さに目を回しそうになったり、宙を跳ぶ浮遊感に恐怖を抱いたりもしたが、ようやく平常心を保てるようになった。


「──やっと叫ばなくなったな、咲耶サマ?」


 咲耶と並走している犬朗が、ちょっと笑って声をかけてきた。咲耶は苦笑いで応える。


「ごめんね、うるさくて」


 もともと絶叫系の乗り物が苦手な咲耶は、犬貴や犬朗に悪いと思いつつも、悲鳴のような声を張りあげてしまっていた。すかさず、()()()()()の犬貴が言った。


『ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません、咲耶様。あちらに沢がございます。少しのどを潤わせてはいかがでしょう』


 目を向ければ、木々の奥のほうで岩と岩の間に小さな水の流れが見える。犬貴の言葉に甘え、沢のほとりに近づき、両手で岩清水をすくった。


「……あとどのくらいで着けそう?」


 岩場に腰を下ろした犬朗に訊けば、そでのないあわせの懐から犬朗が地図を取り出す。


「んー、やっと半分てとこか。……けどさ、咲耶サマ。この地図だいぶ『あばうと』なんだろ?」


 犬朗の態度や物言いに、以前、咲耶が表現したのを本人は気に入ったらしく、時折こうして使ってくる。


「まぁ、茜さんによると「行けば自ずと分かるわ」っていう場所で『出入り口』も日によって違うらしいから……」


 神獣の里は神獣と花嫁、そして、その眷属以外には()()()()()()()場所だそうだ。


 秘密保持のためというのが一番の要因らしいが、神獣である茜自身ですらここ十数年、里帰りしていないせいもあり、正確な位置は分からないようだった。


「なん箇所か、入り口の目星はつくけど……日によって変わるし、あえて変えてるのよ。一応、結界もほどこされてはいるけど“術者”によっては破れるしね。

 “治外法権”とはいえ、時の権力者から、無用な干渉を受けないための措置ってワケ」


 神獣の里は、本来、地図上には表せない場所にあるという。それを地図にしたためたのは、おおよその位置関係を口頭で伝えるよりはマシ、という茜の判断だ。


 犬朗いわく『あばうと』な地図においても、咲耶の足で向かうには道のりは険しく、ゆえに強行軍だとしても三日はかかる距離だった。

 物見遊山ならともかく、いまは追われる身の咲耶だ。そんな悠長に時間をかけられるはずもなく、こうして犬貴に影に入ってもらっていた。


 ふいに咲耶は、自身がまとう真新しい衣のそでを見やる。一週間も同じ物を着ていた咲耶を憂い、椿が犬朗に託してくれたものだった。


 咲耶が逃亡者となると花子の椿に迷惑がかかるのでは? との心配は、犬貴に一蹴された。


「花子は使用人ですから主が居なければ、用を為しません。役目を解かれるのみです」


 冷たいようにも聞こえるが、ようは、害は及ばないのだから心配するなということだろう。

 考えてみれば、犬貴は咲耶よりも椿との付き合いが長い。今回のことで何も思わないはずもなく、咲耶はそれ以上の追及をしなかった。


「……そろそろ行くか。タンタン達がおとりになってくれているうちに」


 犬朗の言葉を合図に、咲耶の『内側』にいる犬貴が反応する。咲耶はなるべく犬貴の妨げにならないよう、身体から力を抜いた。


 タンタンこと たぬ吉は、転々と共に咲耶たちより遅れて山道を歩き、追捕の者らを引き寄せる手はずになっていた──咲耶が着ていた水干と筒袴をまとい、咲耶に“変化”して。


「……咲耶サマより美人じゃね?」

 という犬朗の正直な感想に、

「遠目から見れば違いは判らないだろう。咲耶様のご容姿を知らぬ者が見れば、十分通用するはずだ」

 と、犬貴が肯定するのを聞き、複雑な心境になる咲耶に対し、転々がだめ押しをした。

「咲耶さま、女は愛嬌あいきょうですよ! 第一ハク様は『そんなこと』気にする御方じゃありませんからねっ?」

「あ、あの……ボクから見える咲耶様は、こういった感じなんですが……に、似てない、です、か……?」

 本物の咲耶を、かなり贔屓目ひいきめで修正してくれ『咲耶もどき』になった たぬ吉に泣きそうに問われ、咲耶は懸命に慰めたものだった……。


(タンタン……転々……)


 つかの間、後ろ髪を引かれた咲耶に、同化している犬貴が気づかぬはずもなかった。


『咲耶様。彼らなら、大丈夫です。なにしろ、ハク様が咲耶様のために、探しだした者たちなのですから』


 気休めの言い方ではない、犬貴の誠実な言葉。続いて犬朗が、いつもの調子で同意する。


「そーそー。旦那の意に適ったんだからな、信頼してやらなきゃ。俺からすりゃ、むしろタンタン達くらいの力量のほうが、引き際をわきまえて、る、から……──」


 不自然にきられる語句。直後の舌打ち。


「……気づいたか、犬貴」

『ああ。おそらく、コク様の眷属だろう』

「なんじゃ、そりゃ。『同士討ち』させる気なのかよ、尊臣ってのは」


 憤然と言いきる犬朗に、咲耶のなかの犬貴が息をつく。


『……我らの主様と、()の方々は、役割が違うのだ。仕方あるまい』


 ふたりの話の様子と緊迫感に、咲耶もただ事ではない事態だと否応なしに気づかされた。


「追っ手は……闘十郎さん、たち、なの……?」


 嫌な鼓動を打ち始める心臓をごまかすように、咲耶は確認をする。かたい声で、犬貴が肯定した。


『左様にございます。斥候(せっこう)でしょうが、気配を察知いたしました。──咲耶様、参ります!』


 言うが早いか、咲耶の身体が岩場を跳躍した。犬朗が、あとに続く。


「くっそ……雲がねぇな……。()べるか……? いや……犬貴! ()()()()()くれ!」

『──まったく、貴様は昔から……』


 風を切って、宙を舞い、地を駆って行く。

 舌をかまないようにぐっと奥歯をかみしめる咲耶をよそに、犬朗と犬貴が、ふたりだけにしか通じない会話をする。


 宙を高く舞った咲耶の片腕が上がり、虚空を二度三度、円を描くように動いた──一陣の、風が吹く。

 陽が昇り光射す薄紅色の空に、風に流されてきた雲が、頭上に広がった。みるみるうちに雷雲が発生する。


「ありがとよ、犬貴。──“鳴神なるかみ招来しょうらいッ”!」


 天に向けて、犬朗の左前足が上がる。器用に広がった指先へ、雷撃がひらめく──落雷を受けた犬朗の姿に、咲耶は驚き悲鳴をあげかけた。


『ご心配には及びません、咲耶様。犬朗は自ら帯電し、それを自由に操る能力ちからをもっているのでございます』


「そうなんだ? ……びっくりした……」


 犬貴の説明に、ホッとした咲耶の足が、ふたたび地を踏む。

 同時に着地した犬朗と、走りだすか、否か。咲耶たちの行く手を阻むように、黒い物体が木立の間を抜け、降り立った。

 ──漆黒のざんばら髪からのぞく人懐っこい瞳に、わずかに哀しみをにじませて。黒虎・闘十郎が、咲耶たちの前に立ちはだかる。


「これより先は、通さぬよ、咲耶」


 おおげさに両腕を水平に上げ、闘十郎は言った。

 少年の容姿で老齢な心をもつその本性は『黒い神の獣』。漆黒の道着の肩には、金と銀の刺しゅうが炎を思わす紋様を描いている。


「……つーか、いきなり御大登場って、あり得なくねぇか? お宅の眷属ナニしてんの?」


 軽口をたたきながらも、すきのないしぐさで犬朗が咲耶をかばうように、闘十郎との間に立つ。闘十郎は、あっけらかんと笑ってみせた。


「わしは己の役割において、斥候は遣っても、仕留めるにあたっては眷属を同行させぬのよ。……無用な争いは、避けたいからの」


 ぽつりとこぼれ落ちた最後のひとことに、犬朗が気色ばむ。


「はぁ!? ナニ寝ぼけたこと抜かしてんだよ、ジイさん! 無用な争いってのは、いまこの瞬間、ウチの姫サマを追ってきてる、この事実を言うんじゃねーのか、よっ」


 バリバリバリッ……と、稲光が犬朗の指先から放たれて、闘十郎を襲った。瞬時に、ひらりと身をかわした闘十郎に対し、犬朗は距離をつめ、拳を叩きつける! またしてもかわされた拳の先、じゅっ……と、髪が焦げる臭いが、咲耶の鼻をついた。

 次々と繰り出される犬朗の打撃との間合いをとりながら、闘十郎が苦笑いを浮かべる。


「近ごろの若い衆は、礼儀を知らんのう。あいさつ代わりに、物騒な拳を見舞ってくるとは──」


 言いかけた闘十郎の身体には、バチバチと音を立てて火花が絡みついていた──まるで、鎖のように。


「行け、黒いの!」

『任せたぞ、赤いの!』


 短い会話が交わされ、咲耶の身体が、ふたりの横を風のようにすり抜ける。数秒後には、もう、咲耶をつつむ周りの景色が変わっていた。


 が。


 地鳴りが響いたかと思うと、足もとが大きく揺れた。


(……地震!?)


 くるん、と。きれいに受け身がとれたのは、犬貴が影に入ってくれているからだ。立っていられないほどの、直下型の震動。だがすぐに()()()()()で否定される。


『いえ……そうではありません、咲耶様。………………参ります』


 いやな沈黙ののち、犬貴が咲耶の身体を操り、走りだす。振り向き、戻りたい衝動にかられる心は、咲耶のものか、犬貴のものか。

 同化が伝える互いの想いに、けれども咲耶の身体は、前へ前へと進み行く。それが、この道を開いてくれた者たちへ報いることだと、知っているのだから──。






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