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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
参 呼びかける真名(なまえ)
12/73

《四》眠れない夜──ずっと側にいるから。あなたに名前を伝えても……その先も。

 


 いつもなら、とっくに休んでいる時間ではあったが、今日は朝から晩までいろいろとあって──ありすぎて。咲耶は、なかなか寝つけずにいた。


(先に寝ててもいいんだろうけど……)


 ハクコに、まだきちんと礼を述べていない。


 百合子の指摘を受けて犬貴が提言したのか、闘十郎から直接、苦言を呈されたのか、それは解らない。どちらにせよ、ハクコが咲耶のためを思って、新たに眷属を増やしたことには違いなかった。


 これで少なくとも百合子の懸念のひとつは、なくなったことになる。犬貴が眷属として、ハクコと咲耶、どちらを優先するべきかなどと、悩まなくて済むからだ。


(まぁ、そんな事態にならないことが、一番だけどね)


 備えあれば憂いなし、ともいう。咲耶の力量が伴わない今だからこそ、尽くせる手は尽くしておくべきだろう。


「失礼する」


 布団の上でひざを抱えていた咲耶は、その声の持ち主を、勢いよく振り返った。


「すごいね、ハク。今日だけで、眷属が三人も増えるだなんて──」


 気づいた時、咲耶はハクコに抱きすくめられていた。いきなりのことに事態がのみこめない咲耶の耳に、ハクコの低くかすれた声が、響く。


「……だから、『ここに』いてくれ」

「え?」

「『仮の花嫁』は、元いた世界に戻れるのだそうだな? コクに聞いた。だが──戻らないでくれ……」


 揺れて、震える声。

 切実な、願いのこめられたハクコの言葉に、昼間いだいた想いが、ふたたび咲耶の胸のうちにわきあがる……泣きたいほど、愛しい感情。


「あのね、ハク、私……──」


 言いかけた咲耶の身体から、ハクコのぬくもりが腕にあるものだけを残し、離れる。直後、咲耶は布団の上に押し倒されていた。


 燈台とうだいの灯りが斜めに照らす、端正な顔立ち。陰影がつけば、ことさら際立って美しさが増して。

 さらりと、咲耶の顔の脇に、色素の薄い髪がこぼれ落ちた。

 向けられる眼差しの強さに、咲耶は、仰向けで横たわっているのに、めまいがするような気がした。


「ここに……私の側に、居てくれ。眷属が、あのモノたちだけでは不十分だというのなら、明日もまた、探してくる」


 じっと咲耶を見つめる瞳の奥に、ひたむきにう光が宿り、いっそう強く咲耶のめまいを誘った──ハクコの顔が、さらに近づく。


「咲耶、お前のために」

(……っ……キスされる……!)


 と、咲耶がぎゅっと目をつぶった瞬間、訪れたのは唇ではなく──ごつんという、額への頭突きだった。


(えぇっ!?)


 痛みよりも、衝撃による驚きと自分の勘違いの恥ずかしさに、先ほどとは違う意味でめまいがした。


「私の名を、呼べ。呼んでみてくれ。

 そうして、『仮』などではなく、真実の花嫁となり、私の側にずっと、いて欲しい……」


 しかし、至近距離で告げられるハクコの願いは、拍子抜けしている咲耶の心をまっすぐに捕える。苦笑いの心境が、すぐさま、せつなさと申し訳なさへと変わった。


「……ごめんね、ハク」


 吐息まじりに言うと、びくっとしてハクコが咲耶から身を起こした。咲耶もおもむろに上半身を起こし、ハクコと向き合う形となる。


「なかなか名前、教えてあげられなくて」


 ──咲耶自身、薄々気づいていた。

 毎晩のように、寝言をいい歯ぎしりをする自分。それが、思うようにならないことへの、自分自身へのいらだちの表れであることを。


「ずっとね、夢のなかでは言えてるんだよ? あなたの名前。でもね、いざ、現実で声に出さないで呼びかけてみても……全然ダメみたいで……。

 本当に、ごめんね。早く名前、知りたいよね……?」


 手を伸ばして、ハクコの頬に触れる。寄せられる眉が、困惑していることを咲耶に伝えた。


「私が名を()()()、お前はずっと()()()()()()()()のだろう?

 だから私は、己の名を知りたいのだ。お前を困らせたいわけでも、悲しませたいわけでもない。お前さえ側にいてくれるのなら、私は、名などなくとも良いのだ」


 伸ばした咲耶の手が、ハクコの大きな手に包まれる。


 名前が知りたいから、咲耶を必要とするのではなく。咲耶を必要とするから、咲耶をつなぎとめる『手段』として、名前を知りたいのだという。


 咲耶は、ハクコに対していだく想いを、痛烈に感じた。胸の奥のほうをぎゅっとつかまれるような、愛しくてせつなくて、こそばゆいほど優しい気持ち。


「恋愛感情とは違う」と自分に言い聞かせるようにして、無意識のうちにハクコに対し、一線を引いてきた気がする。

 しかし、この『想いの名前』など、本当はどうあってもいいのではないだろうか? 純粋な願いに応えるのは『単純な恋情』でなくとも、いいはずだ。


(だって、なんか、もう……っ……──)


 いたたまれずに、咲耶はハクコの顔を引き寄せ、ハクコの唇に自らの唇を重ねる。胸に宿る想いのすべてが伝わるように、くちづけた。


「……咲耶……」


 唇を離した瞬間、吐息と共にささやかれ、恥ずかしさとは違うもので、咲耶の身体が熱くなる。倒れこむようにして、ハクコの身体に自らを預けた。


「ずっと……側にいるから。あなたに名前が伝えられるまでも──その先も」


 背中にハクコの腕が回されて、強く引き寄せられる。咲耶の身体も心もハクコに近づいて、痛いほどに伝え合う、互いへの想い。


 ややしばらく、そうしてぬくもりを共有したあと、ぽつりとハクコが言った。


今宵(こよい)はこのまま、人の姿のままで、お前と共寝をしたい。良いか?」


 一瞬、ハクコの言葉を深読みし、

「それはさすがに心の準備が……」

 と、言いかけた咲耶だが、すぐにその問いかけが艶っぽいものでないことを察した。


(……まぁ、まだ成長過程みたいだし)


 茜の言葉を借りれば「性成熟してない」らしいので、どちらかといえば咲耶の先ほどの行為のほうが、道義に反するのかもしれない。


「それは全然、構わないけど……なんで、そんなことを訊くの?」


 考えてみれば最初の晩からハクコは、わざわざ神獣の姿に戻り、咲耶と一緒に寝ていた。


 咲耶はそれを、ハクコのほうの都合上そうしているのだとばかり思っていたのだが。いまの訊き方は獣の姿で寝ることが、まるで咲耶の都合であったかのようにもとれる。


(確かに、最初の晩に関していえば、あの姿だったからこそ一緒に寝るのに抵抗なかったんだけどさ)


 こういってはなんだが性成熟してない幼いハクコが、そういった咲耶の女心の機微を理解できていたとは思えなかった。


 咲耶の疑問に、ハクコは一瞬だけ言うのをためらったようだが、すぐに口を開いた。


「お前が獣の姿である私のほうを、好ましく思っているようだったからだ」


 意外な返答に、咲耶は目をしばたたく。


「へ? 私、そんなふうに見えた?」


 咲耶の反応に、ハクコはこくりとうなずいた。


「化身をとき元の姿に戻った私を初めて見た時、お前の顔には喜色が窺えた。それを師に話したところ、ならば共寝の際は、獣の姿になるといいと言われた。案の定、お前は私に寄り添い、そして、私をでてくれた」


 言って、ハクコはわずかに目を伏せた。それは、かろうじて分かるような微笑みだった。


「だから今まで共寝はお前の好む姿でいようと思ったのだ。だが、先ほどのお前は」


 ハクコの指先が、自らの唇に触れる。


「人の姿の私に、口吸いをした。それは、この姿の私のことも、好ましいと思っているからではないのか?」


(──……っ……ぎゃーっ!!)


 瞬時に咲耶の頬が朱に染まる。残念ながら、ハクコの言葉の後半部分を、咲耶は耳に入れていなかった。


 自分がしたこととはいえ、改めて言われると、なんと恥ずかしいことをしてしまったのか。否、それもそうだが、ハクコの表現が率直過ぎて、咲耶の心が受け止めきれなかったのだ。


(口吸いって……そうなんだけどそうなんだけどっ。違ってないんだけど、なんか、妙に生々しい表現だわっ)


 布団を被って現実逃避をしたくなったが、

「咲耶? どうしたのだ?」

 と、気遣わしげにハクコに見られてしまい、咲耶はなけなしの『大人の威厳』を保つために、布団は握りしめるだけにとどめた。


(えっと……なんの話をしてたんだっけ?)


 意表をつくハクコの言葉に、思考回路が混乱してしまったが。

 なぜわざわざ白い虎になって咲耶の布団に入ってくるのか、その理由を知りたかったはずだ。ハクコは、咲耶が人姿の自分よりも獣姿の自分のほうを気に入っていると思ったから、そうしていたという。


(……まぁ確かに、最初の頃は、人間よりも小トラのほうが可愛いと思ったけどさ)


 咲耶は、ハクコの手を両手でつかむ。少し気恥ずかしさの残る頬をぎこちなく動かし、ハクコを見つめた。


「いまの、人の姿に化身したあなたも、神獣である白い虎のあなたも、どちらも同じ存在でしょ? だから……私は、どっちのあなたも……好き、だわ」


 口にするのは照れくさかったが、ハクコの誤解をとくには、きちんと伝えるべきだろう。

 そう思う咲耶に対し、ハクコは自らの手にある咲耶の手指を引き寄せ、胸もとへと導いた。もう一方の手を、重ねる。


「獣の私も、ヒトの私も、どちらも私であることには変わりない。お前のいう通り、それが真理なのだ。

 だからお前に、どちらの私も気に入ってもらえたのなら……嬉しい」


 ハクコは、最後のひとことをかみしめるように言った。咲耶の手を包むハクコの手に、やんわりとした力がこめられる。


「師の……言った通りだ。お前といると私は、今までに抱いたことのない心持ちになる」


 向けられる微笑みは、無防備だった咲耶の心をたやすくさらった。めったに見せることのない、やわらかな表情。


「お前は人の形をした器のような私のなかに、優しい彩りを注いでくれる……」


 静かに響く低い声音が頬に触れたかと思うと、次いで唇にぬくもりを感じていた。

 確かめるように触れて、かすめとられる唇。息遣いを間近に感じ、咲耶は初めて、ハクコが自分にしている行為を理解する。


(キ、キスされてるっ……!)


 あまりのことに、身体が硬直してしまう。官能的なくちづけというよりは、咲耶に触れることを楽しんでいるような感じだ。そうされている自分と、そうしているハクコを実感して、熱病に浮かされてるような心地になる。


「……咲耶……?」


 ささやかれる呼びかけに、目を開ける。身体のあちこちに変に力が入りすぎて、脱力感に襲われた。力の抜けた咲耶を支えるようにハクコの腕が伸びて、そのまま布団に横たえられる。


「眠いのか? 遅くまで付き合わせて、すまない」

「…………いや、あの……いま私に──」


 なんとか理性を取り戻し問いかけた咲耶の髪を、ハクコの手のひらが撫でた。


(ちょっ……これから寝るっていうのに、心臓がっ……!)


 唇を奪われて、髪を撫でられて。「好き」と伝えたそばから行われるハクコの一連の行動に、咲耶は自分のなかの認識が、間違っていたような錯覚に陥った。


(「性成熟してない」って、ガセネタですか、茜さ~んッ!)


「──咲耶? 私はお前にされたようにお前に返したつもりだが……不快だったのか?」


 ハクコの顔がくもって、咲耶はあわてて首を振る。


「ふ、不快じゃないわよ、全然。むしろ気持ちい──じゃなくて、いや、そうなんだけど、そうではなくて……。え? 返したって、なに?」


 咲耶の混乱ぶりに、ハクコの瞳がとまどったように揺れる。


「……お前にされて『嬉しい』と感じたことは、お前に返すといいと師に教わった。駄目だったか?」

「だ、ダメじゃないけどっ……」


(愁月さん、なに教えてんのっ!? ……って、アレ? この場合、私が教えちゃったのか……!?)


 一瞬、あらぬ疑いを愁月にかけたが──どうやら元凶は、咲耶本人だったようだ。


 思えば、咲耶の『頬っぺにチュー』を、まじないだと信じて続けてるようなハクコである。純粋な、汚れなき想いで、咲耶にされた「嬉しいこと」を返してくれていたのだ。それなのに、こんなに動揺してしまっては、ハクコがまた変に誤解してしまうかもしれない。


「ごめんね。全然、ダメじゃないよ、ハク。……ええと、嬉しすぎて、その……ちょっと、びっくりしただけ」


 言葉を選ぶ咲耶に、ふたたびハクコの顔に笑みが浮かぶ。そうか、と、相づちをうって、咲耶の身体を引き寄せた。


「人の身になると、こうしてお前を抱きしめることができる。やわらかくてあたたかいお前の身体は、とても心地よい」


(ぎゃーっ! だから、寝られないっての!)


 心のうちで絶叫する咲耶をよそにハクコの()()()()()暴走は止まらない。咲耶の首筋に顔をうめて、呼吸する。


「……獣の身ほどではないが、お前の匂いも感じられる」

「えっ、ヤダ! 私ちゃんと、お風呂に入ってるよ!? そんなに臭う?」


 ──『こちら』に来て、初めての日。椿から、


「わたし供は普段、湯に浸かる習慣はないのですが、姫さま方のいた世界では日常だそうですね?」


 と言われ、逆に椿たちはどうしているのかと問えば、


「着物に香をめますし、行水が一般的なんです。

 けれども、ハク様はじめ虎さま方は、匂いにとても敏感で……香を嫌がられるのです。ですから、その分、姫さま方は、日々の入浴が必要になると伺っております」


 という、さらに逆の説明を受けた咲耶である。


 匂いに敏感、などと言われては、きっちり毎日風呂に入り、一日の汚れを落とすようにしている。しかし洗髪に関しては、乾燥させるのがめんど……大変なので、三日に一度で済ませてしまっていた。


(髪!? 髪がクサいの!?)


 思わずハクコの腕のなかから逃れ自分の髪をいでみる。……咲耶に感じられるほどの匂いはないが、ハクコの嗅覚きゅうかくでは違うのかもしれない。


「なぜ、私から離れていくのだ」

「だってハク、いま、臭うって言ったじゃん!」

「……すべての生き物は匂いを放つ。そして、お前の匂いは私にとって「良い匂い」なのだ。側で感じていたいのに、そんな風に離れられては意味がない」


 不満そうに言いきって、ハクコは咲耶を抱き寄せる。


「……これで良い」


 咲耶をのぞきこむハクコの瞳には無邪気さが宿っている。


(クサいって言われたんじゃないのは解ったけど、これはこれで問題が……)


 向き合う形で横になっているハクコを、咲耶は複雑な心境で見返す。咲耶を慕ってくれてはいるが、ハクコの寄せるそれは、愛玩動物が飼い主に対して抱くものと同じような気がした。


(これからずっと、こんな感じなのかなぁ?)


 咲耶がハクコへ寄せる想いは、それと対になる要素が含まれているだけに、お互い様なのかもしれない。しかし──。


(これで良いような悪いような……物足りないような?)


 いま現在はハクコが性的に未成熟ではあるが、この先、咲耶に対して欲情したりする日がきたら──。


 この綺麗な顔と長い手指、低い声音がつむぐ一夜。ふたりの共寝の意味が、変わる日。


(……って! 私ってば、ナニ考えてんのよっ!?)


 よこしまな妄想をしかけて、咲耶は身を縮めて頭を横に振る。


「咲耶? 先ほどから一体どうしたのだ? そんなに興奮していては、眠りにつけないのではないか?」

「こ、興奮なんて、してないわよっ。ってか、誰のせいで、こんな気分になってると思って……」

「誰のせいなのだ?」


 いぶかしげに見られ、咲耶はハクコの言葉通り『眠れない夜』を過ごすことを悟ったのだった……。





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