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仕事、家族、友人、恋人──どれ一つ何ひとつとってもうまく行かない現状。



       ❖❖❖



 人生最悪の日だ、と、咲耶さくやは思った。



 アルバイト先の洋菓子店「ショパン」は、郊外にある小洒落た構えの店だ。


 客用の駐車スペースは五台分あり従業員である咲耶は、店の入口から一番遠い場所にマイカーを停めさせてもらっていた。


 たかだか10メートルほどの距離を、よろめくように歩き、車に乗り込む。


(……何も、誕生日の前日に、こんなにいろいろと起きなくても、いいじゃない……)


 仕事の疲れと、自分の身に降り掛かった数々の不運に急に泣きたい気分になり、シートを倒して目をつぶる。


 ──涙が伝って耳のなかに入り、あわててバッグのなかからハンカチを取り出そうとした手に、封筒の硬い感触があたった。



       ❖❖



「これ……今月分の、今日までのお給料。

 松元まつもとさんには、本当、よく働いてもらってたから……こんな結果になってしまって、申し訳ないんだけど……」


 閉店後、いつものように店内の後片付けを終え、あとはタイムカードを押すだけだった。店長の村井むらい佐智子さちこは、おずおずと、そう切りだしてきた。


「えっと、あの……」


 なんの冗談でしょう? と、問いかけた言葉をかろうじてのみこむ。


 咲耶は、自分でも分かるくらいの嫌な笑みを浮かべた。事態の把握はできたが、認めたくなかったのだ。


「来月には店閉めるんだよ。これでもギリギリまで松元さんには働いてもらったんだけどね。……悪いね」


 製造室からコック服を脱いだ村井正夫(まさお)が、ボソボソと言いながら出てきた。この店のオーナー兼パティシエの正夫が、度々、店の売上減少を嘆いていたのは知っている。


「これじゃ人件費も出ないよ」と、時折、こぼしてもいた。だが、それを実感できるほど、咲耶は店の経営状態を理解してはいなかった。


 売上金額を日報に記入したりはしていたが、実際コストがどのくらいかかっているかなど、一雇われの身で分かるはずもなかった。


「──お疲れさまでした。お先に……失礼します」


 咲耶に理解ができたのは、今日でこの店に、自分は必要なくなったということだけだった。



       ❖❖❖



 ハンカチで目もとを押さえ、鼻をすする。


(家に帰るのも、億劫おっくうなんだけど……)


 店で売れ残った生菓子類は、『試食をする』という名目で、従業員が持ち帰ってもいいことになっていた。咲耶は、今日持ち帰ってきたなかから、シュークリームを取り出す──腹が減っていた。


 車内の暗闇で、マナーモードになっている携帯電話が振動し光った。シュークリームを片手に、そちらに目をやる。自宅からだ。おそらく母親だろう。


(……もうっ、勝手にすればいいのに……!)


 投げ遣りな気分で携帯電話から視線をそらし、シュークリームにかぶりつく。意地でも出たくなかった。



       ❖



「あいつに子供ができたんだ。だから、結婚するよ、オレ。でさ、このボロい家に住むのもなんだし、中古の一戸建てでも買って、そこに住もうかと思ってるんだ。

 母ちゃんは……まぁ、オレ長男だし面倒みるつもりだけど、姉ちゃんは一人でなんとかしてよ」


「わ、私だけ仲間外れな訳!? だって三人で……うちは、お母さんとあんたと三人で、今まで頑張ってきたじゃん! なのに、なんで私だけ、のけ者にするのよ!?」


「あいつにとっちゃ、しゅうとめだけでもウザイのに、このうえ、姉ちゃんっていう小姑こじゅうとまでいたら、頭おかしくなるよ、きっと。胎教にもよくないだろうし」


「そんなっ。私、イジメたりなんか、しないよ? あんた私が、そんな根性ワルだと思ってたワケ!?」


「あ~~~とにかく、今日、帰って来たら、よく三人で話そうよ。だけど、とりあえず、そういう方向で話もっていくからさ。じゃっ」


 ──それが、朝、四つ違いの弟と、出勤前に交わした会話だった……。



       ❖❖❖



(私ひとりだけ、あのボロ家で暮らせっていうの……?)


 ゴキブリはもちろんのこと、クモやムカデが出る、築数十年にはなるだろう市営住宅。


収入に応じての家賃は、フリーターである咲耶には有り難いが、雨漏りはするわ、床は抜けそうにきしむわで──段ボール生活者よりはマシ、という家だった。


 携帯電話が、ふたたび耳障りな振動音を立てた。今度は、メールのようだ。


『当日、受付もよろしくね(^o^)v』


 咲耶は、大きな溜息をつきながら、昼間届いた友人のメールを読み返す。


『突然ですが、11月**日に結婚式やります(≧ω≦)

 招待状、今度会えそうなときに渡すね! とりあえず、ご報告までに☆』


 幸せ全開のメールだ。


 咲耶には、高校時代から仲良くしている友人が5人ほどいたが、そのうち4人は結婚し、すでに子供がいた。つまり──最後に残った友人のひとりに、先を越されてしまったのだ。


(私、なんにも悪いコトしてないよ……。なのに、なんで……?)


 合コンで知り合った彼氏、と、いえるかどうか分からない相手──何しろデートといえるものは3回、あとは一週間に4、5通ほどのメールのやりとりをしていたくらいだ──とは、現在、音信不通だった。


 咲耶のほうで「ちょっといいかも……」と、本格的に付き合いたいと考えていた矢先、ぱたりと連絡が、途絶えしまったのだ。


(ま、キスもしてない間柄じゃ、男友達にケが生えた程度だってくらい、分かってるわよ)


 それでも、今度こそ、と、期待していた。


(ひょっとしたら一生付き合っていける相手かもしれないって、思い始めてたのに……)


 ──時刻は、午後9時50分。


 咲耶は40分近く、駐車場に停めた自分の車のなかで、過ごしていたことになる。その間、家からかかってきた電話は5回以上。さすがにもう、帰ったほうがいいだろう。


(気が重いけど、私が帰る場所はあのボロ家しかないんだもんね)


 仕事、家族、友人、恋人──。


 どれひとつ、何ひとつとっても咲耶にとっては憂うつで満足のいかない現状だが、自分がこれまで生きてきた結果なのだから、仕方ない。


 そう思って、大きな溜息をつく。おもむろにキーを回し、帰途につくことにした……。



       ❇



 あっ……と、思った瞬間、白い猫がスローモーションのように、咲耶の車の前に飛び出してきた。


 とっさに急ブレーキをかけ、間に合いそうもないと、ハンドルを切る。


 だがそこに、車のヘッドライトが接近してきて──思わず、目をつぶった──。






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