さもありなん。
「おじゃましますよ。シーラさん、ちょっとお尋ねしたいことがあるんだけど…今、いいかな?いやね…お弟子さんが洗濯で使ってる板の件なんですがね…」
あら、お隣のご主人が来たわ。
むふふっ、お弟子さんだって。新鮮な響き。いけない、口元が緩むわね…。
ご主人の話によると、奥さんが市場で買い物をしていた時に、釣銭をぼったくられそうになったところを、アギーラが手助けしてくれて、事なきを得た事があったんですって。
あの計算能力は半端じゃないものね。アギーラったら…そんな事してたのね。
知らなかったわ…アタシ、買い出しはとっくに丸投げしちゃってたから。
だって、アタシがいる意味ないんだもん…荷物持ちが必要な時だけ声かけてって言ってあるわよ…
お隣の奥さんとアギーラはね、それからというもの洗濯場で一緒になると、ちょっと会釈したり、軽く挨拶を交わすような間柄になってたらしいんだけど…どうしても欲しくなってしまったそうなの…例のあの板を。
確かに汚れ落ちも洗濯のスピードも断然違うんだから、気持ちはよくわかるわ。
うちでは既に小さめな家用と通常サイズの外用で4枚体制だし…町と工房とで2枚ずつよ。
お隣の奥さんも、アギーラの洗濯のスピードが、それまでとは全然違う事に気付いて…虜になってしまったんですって。
高いのかしら…見たこともないし…でも欲しい!あぁぁ我慢できない!!何とか手に入れたい!!!って、一人悶々としていたらしいわ。
私もアギーラの魔力が戻ったら、正式に売りに出しても良いかなって考えてたから…気持ちはわかるけどね。
でも、道具を販売するとなるとね、色々な便宜も図って貰えるから、生産ギルドへ入会しておいた方が良いのよ。
ギルドが何かって?…組合とか…寄合?みたいな感じかしら。アタシに聞かないでよ…ギ、ギルドはギルドよ…。
そのギルドに入会するとね、ギルドカードっていう本人証明のカードが発行されるんだけど…そのカードを作る時に、自分の魔力をカードに流さないといけないの…。
ね。アギーラにはまだ無理でしょ?
だから、魔力が覚醒してから販売って事にした方が良いかな、って思ってたんだけど…。
一つでも販売したら、それはもう商品だもの。入会は早い方がいいわ。
なにか抜け道があればすぐにでも作ってやりたいけど…ちょっと調べてみようかしら。
あらやだ、アタシったらギルドの話に夢中になっちゃった。
お隣の奥さんは、洗濯場でアギーラに言うと「知り合い価格で買わせろ」って無理を強いるみたいで、困らせてしまうかもしれない…って、思ったらしくてね。
きっと魔道具だろうからお値段の事も聞きたいしって…奥さんに頼まれたご主人が尋ねて来たって訳なのよ。
「妻の説明じゃよくわからなくって…シーラさんが作った魔道具なんでしょうか?じゃぁ、やはり注文品で?」って聞くからさ、魔道具じゃないんだって説明すると驚いてたわ。
アギーラが作ったと聞いてさらに驚いちゃって。
ご主人はアギーラを10歳くらいの子供だと思ってるね、さもありなん。
「魔道具じゃないから、私はノータッチだけど…アギーラが作るというなら、うちの店から販売するという形でお売りしますよ。アギーラはちょうどお遣いで出かけているので、帰ってきたら話をしておきますね。たぶん作りたいって言うんじゃないかしら~」
そう、ご主人に伝えたら、「また来ますので、アギーラさんに宜しく!」って言って、とっても足取り軽く帰って行ったわ。
魔道具と普通の道具じゃ、価格が随分違うもの。
おねだりされたご主人もそりゃ足取りが軽くなるってものよ。
◇◇◇
帰ってきたアギーラは開口一番「シーラさん、こんな立派なナイフをくださってありがとうございます。一生大切にします」って、ぺこっと頭を下げたの。
…こういうところ、本当に育ちの良さがにじみ出てるって感じなのよねぇ。
どこでどんな風に暮らしてきたんだか…知りたいような知りたくないような、複雑な気持ちだわ。
「ラシッドはまだ若いけど腕は確かだからさ。グスタフさんはこういう普通のナイフなんかはもう作らないし、ラシッドが独立する前に買えて良かったわ。ちょっとアタシにも見せてよ」
そう言って、アギーラにナイフを見せてもらう。
うん…さっぱりだわ。何もわからない。
アギーラは買ってきた食料や日用品を棚にしまいながら、「ラシッドさんに『これからも何か欲しいものが出来たら、いつでもここへ相談に来てね』って言われました。でも、僕にはとても手が出そうにないや…」なんて、楽しそうに話している。
ラシッドが独立を考えてる時に『これからもいつでもここへ』だなんて…グスタフさんも認めてるって事よね。
ラシッドのあの様子を見る限り、この近くで独立して店を構えるなら、後継弟子だからアギーラを顧客にするだろうけど…ラシッドはどこでお店を構える事になるのかしら。
ドワーフの中でも、ほんの一握りの人たちだけが知る世界かぁ…。
アタシ達の知らない別の世界があるって感じ。
そういうの…夢があって、嫌いじゃないわ。
アギーラに、お隣のご主人との話をして「こういう商品を作る道具職人を目指すのも良いんじゃない?」って言ったら、もの凄く嬉しそうな顔をしたわ。
記憶が全く戻っていないのね…。明るくふるまっているけど、今後の人生が不安で、悩んでいるんじゃないかと思うと胸が痛むわ…。
だからこそ、もし記憶が戻らなくても生きる術がある、大丈夫なんだって、アギーラ本人が心から思えるようにする事は、やっぱり大事なのよ。
アタシも早めに腕の良い道具職人を探しておくべきかしら…べきよねぇ…