泥団子とトマトって…
「誰だ?」
「あ…あの、遅くにすいません。ベルの…孤児院の院長です」
「院長先生!?こんな時間に…一体どうされたんです?」
「あの、ベルが、ベルはここに居ますよね?」
「アギーラ、ベルを呼んでくれ!孤児院の院長先生がいらした」
ベルを呼んでくれ!という大きな声が二階まで筒抜けで、私は驚いて階下へと急ぐ。
「院長先生!一体どうしたんですか?」
院長先生が私を見て、すごくホッとした顔をする。
あれれ?ちゃんとガイアさんが責任を持って孤児院に送り届けるって言ってくれてたの、私もちゃんと聞いてたんだけども…?
「あぁ、良かった!ガイアさん達と一緒だから大丈夫だとは思ったんだが…ベルの…ベルの部屋に泥棒が入ったんだ」
「「「え!」」」
「今日は遠足だったろう?子供も少なかったし…いや、そんな事はどうでも良い。もしかしてベルに何かあったんじゃないかと思って…本当に良かった…」
「ベルの部屋って言っても、同室の子供が居るんじゃないんですか?ベルが狙われたとか…そういう事じゃないんですよね?みんな、無事だったんですか?」
「みんな、無事でした。怪我一つありません。ベルはその…色々と発明品を持っていて…色々な植物を大量に手元に置いて作業しています。…今現在、とても有効性の高い薬に関わっている事もあり、一人部屋になっているんですよ」
「じゃぁ…ベルを狙ったと…」
「わかりません。いや…そういう事かと…。遠足から帰ってきた子供が、鎧戸が下に落下している部屋があるって騒ぎ出して…どこの部屋だ?誰の部屋だ?って…駆けつけてみればベルの部屋で。もうベッドからなにから…めちゃくちゃに荒らされていたんです…」
「他の部屋は…何か盗られたりはしていないんでしょうか?」
「いえ…それが…他の部屋は一切…荒らされてもいません。院長室に置いてあった現金も…全く手も付けられてもいませんでした。ベルの部屋からは何が盗られたのかなんて、分からないけれど…」
「‥‥‥」
「部屋に…今は大事なものは残していません。特にあの研究の素材に関してはすべてお渡ししてありますし、部屋にある物を探っても何もないと思います」
マイ収納が使えるようになってから、大事なものは全て収納にしまい込んでいる。薬の素材や調合グッズ。パトナの服やお芋ちゃんの糸、もちろんケサラとパサラの毛。拾った魔石にアギーラから貰った逃亡グッズ…とにかく全部収納しちゃってる。その方が便利だと思ってしてただけなんだけどさ…良かった~!
「ただ、乾燥途中の植物なんかは大量に残っていたと思いますが…」
これと言って使い道の決まっていない、採取した植物をたくさん乾燥させていた。まぁ、ほとんどはハーブブレンドに使えないかなって思って採ってきた植物だけど…。
「あぁ…やっぱりか。みんなもそんな事を言っていたからな。そういうものが…部屋には一切残っていなかったんだよ。薬草の種類を特定する為に持っていかれたんだろう」
「でも…一番多いのはトマトですよ?孤児院の食事で使うように沢山作っていて…。植物じゃないけどあとは…泥団子。ツルツルに磨いて飾ってたやつが沢山あったはずなんですけど…。トマトは天日干ししてる最中だったから沢山干してました。ドライトマト、あともう少しだったのになぁ」
「ぷっ…」
「ははっ。…悪い悪い、不謹慎だよな。いや、部屋中めちゃくちゃにして持ち帰ったのが、泥団子とトマトって…くくっ」
「いや…ふふ…ベルが無事で良かった。もう本当に…あの、ガイアさん、申し訳ないのですが、ベルを一晩預かっては頂けないでしょうか。私は獣化して森を走って…残党がまだ残っていたとしても、ここに来たのはバレていないと思います。なので…」
「…院長は元冒険者でしたね」
「えぇ…大昔ですけれどね」
ガイアさんがソウさんを呼んで何やら話をして、ソウさんが何度かうんうんと肯いている。
「気配もないようですし、大丈夫でしょう。ベルはもちろんこちらでお預かりしますよ」
「ありがとうございます。どうか、どうか宜しくお願いします。ベル…明日からの事は今夜考えるから心配しなくて良いからね。明日また来るから、それまではここに居させて頂きなさい、いいね?」
「はい。あの…迷惑かけて…ごめんなさい」
「ベル、それは違う!」
院長先生が私の両肩に手を置いて目線を合わせながら、きっぱりとした口調で言ってくれた。それから少し優しい声で、私に諭すようにゆっくりと低い声で話す。
「迷惑なんて誰も思ってない。みんなね、ベルの事をとても心配してるだけだよ」
「うん…」
ガイアさんには聞かない方が良いって言われたけど、部屋の惨状を詳しく聞いた。背筋に冷たいものが走る。
泥団子も院長先生が見た限りでは目につかなかったらしいから、持って行かれたんだろう。
ベッドも机も全て破壊されて、裁縫親衛隊で作っていたバザー用の裁縫品まで切り裂かれてたって…。
子供部屋で…そんな事までする?
これってかなり悪質なんじゃ…。
「あの、私は急いで戻らないとなりませんので、これで失礼します。明日、私が必ず迎えに来ますので…申し訳ないのですが…」
「わかりました。あぁ、それでしたら早朝、ギルドに一度来てもらえませんか?俺も用事があってギルドへ行きますので、上の部屋を借りておきます。とりあえずそこで少し話をしましょう」
「それは…ありがとうございます」
「では、6時にギルドで。院長先生、どうかお気をつけて」
◇◇◇
「ベル…災難だったなぁ」
「うん…」
「それにしても何でそんな事に…」
雑魔石の件はリブロさんが中心になって対応してくれている。傍から見たらリブロさん主導にしか見えないと思うし、私の関与は匂わせてもいない。
人工魔石に魔力を込める仕事を生業にしている魔石生産人のリブロさんは、その道ではとっても有名な人で、その彼が全面的に取り仕切ってくれたおかげで、私は一切表に出ていないんだ。
ソウさんの…先祖返りの件に関しては、今のところグリンデルさんとリーフさんだけの秘密で、あの二人がどこかに漏らすとは思えない。
リーフさんなんて研究の邪魔をされまくってきた人生だったらしく、秘密厳守に関しては凄く気を付けてる人だし…時期的にも考えられるのはやっぱり…
「実は…あの…獣人女性の不安定期を緩和する薬草茶とか…私が作ったんです…」
「なんだって!あ…あれ…ベルが作ったのか!?」
「うん…もちろん国とのやりとりや安全性の確認なんかは、ギルド…薬師会の人達にお任せしてるけど、薬師さんに薬草茶と飴を持ち込んだのは私なの」
「そういう事か。なるほどな…」
「だから…薬師さんが、その…ソウさんの事も、症例として…仕事の一環として話してくれて…それで知ったんです。せっかく薬を作っても、他の獣人さんを別の事で脅かす薬にはしたくなかったから…先祖返りの方々に影響があるようなら、再考の余地があるかもって思って…」
「あぁ、それでか。薬の開発者から、薬によって獣人族の生態系が崩れる事のないようにって、口酸っぱーく言われてるって。先祖返りの俺にも協力依頼がきたもんだから…そうか、ベルがそう言ってくれていたんだな」
「うん。でも、先祖返りには影響がないって結論が出て…あれが世に出せる事になったのも、ガイアさん達の協力のお陰でもあるんです」
「よせよせ。俺達獣人がどれだけあの薬の発明者に恩を感じているか、ベルにだってわかるだろ?なぁ…部屋には本当に何も残ってなかったのか?」
「とっくに私の手を離れてるから…もう何も置いていません。それに大事な素材はその…例の収納に入れてしまうクセがついちゃってて…。部屋に干してある植物が全部持っていかれたって事は、やっぱりあの薬草茶と飴の事が関係してるんだと思って…あ、グリンデルさん達にこの事を伝えないと!」
「そうだな…俺が今から行ってくるから安心しろ。まぁ、十中八九、不安定期と発情香の件で間違いないだろう。孤児院の…しかも子供の住む部屋だけに押し入るなんて…普通では考えられない」
「こんな事になるなんて…でも…考えなかったわけじゃありません。だから私、薬草茶も飴も権利を全部放棄したんです。有用性の高いものを発明出来る子供だって思われたら危険だって事も、勿論わかってました。でも…見つけた効能を見なかった事にするなんて、私には出来なかった…」
「‥‥‥」
「出来れば…成人するまで孤児院でみんなと居たいって…ずっと思ってたんですけどね。あそこは私にとっては唯一の場所で…みんなは大事な家族だから。大人になったら離れ離れになるのはわかってるけど…それまでは一緒に居たいって。でも…こんな危険な事になるなら…誰も巻き込みたくない」
「そうか…」
「でも…でも…私は…みんなと一緒に…ふぇぇぇーーん」
◇◇◇
即席のベッドが作られていて、私はそこで目が覚めた。
昨日はガイアさんに抱っこされて、ぎゃん泣き寝落ちしてしまった事を思い出す。うぅぅ…これはかなり恥ずかしい。
それにしても…獣人女性の不安定期や発情香の為の薬草茶と飴に対する嫌がらせ?それとも…私自身を狙ったもの?
私の作ったものは…誰かの怒りを買うものだったのだろうか…




