CASE 7 氷の女
ホロカワミツネとの決着です。前回メタに盛り過ぎたと反省中です・・・
外は油断すると耳と足の指先がすぐに霜焼けになるくらいの極寒でも、学食内は上着どころかセーターも脱いでTシャツ1枚になりたいくらいの暑さだった。
向かいの席に座った寒がりの彼女は少し着膨れしていたから、額にうっすらと汗をかいていた。
ビールジョッキのような大学のロゴ入りのプラスチックマグカップに入ったアイスココアを飲んでいた。明らかに二人前はあるミックスサンドの皿も前に置かれている。
「北海道の人達の暖房の温度設定と飲食品のボリュームの概念はタガが外れてると思うわ」
ここで昼食を取る為に朝は水しか飲んでこなかったらしい。おかげで午前中の講義の間、貧血になりかけたとか。
「味付けはあっさりしてるし、必要な物に正直でシンプルなところとか、俺は好きだな」
「へぇ」
彼女は俺の右手の甲の絆創膏に視線を向けた。トウモロコシ柄のファンシーな物だ。
今日は受けなきゃならない講義の開始時間が遅かったからバイトしているカフェの朝の営業に手伝いに入ったのだが、厨房でちょっと火傷してしまった。
絆創膏は店長の気の強そうな高校生の娘さんが手当てしてくれた物だった。
「地元の人にすっかり感化されてるようね」
「そうなことないよ?」
「公認心理師って、覚えること多いんでしょ?」
「まぁそうだけど、勉強はしてるよ?」
「カフェ、楽しそうね」
彼女は気位が高いので嫉妬も強い。俺は話題の修正を試みることにした。
「アクアリウムのバイト、どう?」
彼女はミックスサンドを噛り、ココアを飲み、たっぷり間を取った。俺の露骨な話題修正にどうしてくれようか? と思ったんだろう。
「・・苔取りとフィルター交換とメダカの水槽管理ばかりしているわ。後は水槽と関係無い雑用。この、私が」
「でも楽しそうだね」
彼女はハッとした顔をして、すぐにそっぽを向いた。最近、白状したがアルバイト自体初めてだったらしい。
「メダカは本州の魚で、外来種みたいなものよ。水槽以外では冬には凍って死ぬばかり。わざわざ北国のアクアリウムでコーナーを作るのは不可解だわ。無駄なコスト」
「俺達だって、必要もないのに本州からこんな北国に進学しているじゃないか。一種の内省だよ」
「内省。カウンセラーの卵らしいことを言うのね」
「君を診断したりしないよ。カウンセラーは身内をカウンセリングできないんだ。齟齬が生じるからさ」
「身内、ね」
彼女は俺の、普通盛りなのに量が多過ぎる生姜焼き定食に添えられたサラダのプチトマトを取って口に入れた。
「私がカウンセラーなら、君のことを診断できるよ? それはもう、残酷にね」
彼女は挑戦的に笑ってみせた。左耳のベルベット色のピアスが学食の安っぽい照明に反射して光り、目眩いがする様な感覚を覚えた。
裕福な東京の家に生まれた彼女は親族の厳格さと美貌に起因した複数のストーカー紛いのファン達にうんざりしてこの北の大学に進学し、俺は父の鬱病や母の不倫や弟の非行に付き合い切れなくなってS県の実家から逃れる為に奨学金でここに進学していた。
俺達は交際はしていたが共犯意識の様な物があり、しかし心理学を学んでいる俺はこれが状況的な物で、持続せず、相互の鬱屈の解消と共に段階を過ぎた物として然るべき時に離別すべきだと既に了解していた。
・・勿論これは彼女の言う残酷、ではなく俺の臆病からくる姑息な予防線に過ぎなかったが。
それからたった3ヶ月後、彼女は道内でもっとも有力な病院のベッドの特別個室にいた。北海道の冬は長く、窓の外は春を忘れたかの様に猛吹雪だった。
バスも電車も遅延しタクシーも捕まらず、実家から大学に通ってる友人に家の四駆車で通常の倍の時間を掛けて送ってもらわなければならなかった。
最初の頃はバイトを率のいい深夜営業のジンギスカン屋に変えて、週に3度は同じ道内でも決して近くはない彼女の病院に見舞いに通っていた。
しかし、病状が進行すると彼女は俺の見舞いを禁じた。3週間程前からは直接連絡を取ることも叶わなくなった。
だから今日は、覚悟していた。
「薬をね、多めに入れてもらったから、少し、要領を得ない、かも、しれないわ」
彼女は少し呂律が回らなくなっていた。細い、というより2周りは身体が小さく縮んでいた。ニット帽で頭部は隠されていた。
部屋には消毒液と、死にゆく人の匂いがした。
「うん」
「綺麗な、思い出のまま、消えようかと思ったけど、君を少し苦しめてやろう、てね」
彼女は笑った。
「らしいね」
「手を」
彼女が枯れ木の様な左腕を差し出したから、俺は消毒液で改めて手を消毒してから彼女の手を取った。温かみを失いつつある手だった。氷より冷たく感じた。
「ミツネ。とても光栄だと思っているよ。北海道に来て、良かった。良かった」
自分が泣いているかどうかはもうよくわからなかった。
「最近、夢を見るの。不思議な夢。力も感じるわ。かつてない、くらいよ」
「どんな、夢?」
「君に逢いにゆく」
彼女は俺を見て、意外な程の握力で俺の手を握り返した。
「私には、その力がある。それが、わかった。私は、知った」
手を握る力は弱くなり、彼女の天井に視線を移し、意識を混濁させていった。
それから5日後、彼女は1度も意識を取り戻さずに亡くなった。厳格な親族に俺は認められていない。葬儀への参列は認められず、後に彼女の墓がどこに建てられのかもわからなかった。
春、すっかり雪が溶けた頃、俺は彼女が一時勤めたアクアリウムに行ってみた。
入り口にはメガネ鮫のマスコットが置かれていたが、このアクアリウムに鮫の水槽の様な大掛かりな展示は無いようだ。
ただ鮫の類いの骨の展示は執拗な程詳細にしてあった。資金難で施設の規模を計画より縮小したという運営会社の意地の様な物らしい。
少し高いラムネ菓子も売っていたのでグレープ味を買ってみた。シュワシュワと美味しかった。
ラムネの袋を手に、亡霊の様に館内を歩いた。平日の午前の微妙な時間だったから人影は少ない。
件のメダカの水槽の前に来た。キタノメダカの水槽だった。水草の中を多数のキタノメダカ達が泳ぎ回り、何かを食べていた。この子達は外では生きてゆけない。
と、一匹のキタノメダカが身体を水平に腹をこちらに向けて力無く浮いているのを見付けた。
「どこへゆくんだい?」
俺は冷たい水槽の表面に片手で触れ、彼女の掌の温度を思い出していた。
この後のことはよく覚えている。俺は翌月には大学を辞め・・・
「君は7年後に結婚して、その13年後に故郷に帰って弟の再就職の世話と父の墓の整理をして、その32年後に失踪した母とは会えないまま自宅の庭に植えた北海道から持ち帰ったラベンダーの畑の手入れしている最中に心臓発作で倒れ亡くなっているのを娘に見付けられた」
俺は暗い吹雪の中にいた。白衣を着た片腕になった彼女、いや『先生』は年老いた俺の胸に手を置いた。心臓が・・凍り付いた。
「先生・・」
「私は全て知っている」
先生は吸い寄せられる様に俺に近付き、顔を寄せた。ベルベット色の口紅を差していた。
「君に、逢いにきた」
先生は老いた俺に口付けをした。俺は心臓以外も全身凍り付けになり砕け散り、また集まって今の俺になった。
「あの女は敵よ」
先生はもう1度俺にさっきよりも強く口付けをした。吹雪は消え、氷海を割り、俺達は凍える海に落ちていった。
海中でに2頭の鯱になった俺と先生。先生のヒレは片方無かった。俺達は戯れながら泳いでいた。先生は語り掛けてくる。
「君に逢いたかったけど、私達から近い宇宙では私の死が確定し過ぎていて、上手く会えなかった」
「先生は旅をしてきたんですか?」
「ええ、とても長く、気が遠くなる程。最初の私をもう殆んど忘れてしまうくらいに。でもね。長い旅で私はどんどん純粋な力その物に変わっていった。そうして」
俺達が泳ぐ先に光が見えた。
「君が現れ、私の死が確定しない宇宙に、私はたどり着いた」
俺達は光の中に飛び込んだ。
その先は、俺のマンションの上空だった。夜だ。季節はまだ冬だったが、S県の冬等たかが知れている。屋根や屋上や車道の端を、薄く雪が覆っている程度。それでもS県なりに風は冷たかったはず。
そんな冷たい風の上空にタナカさんはいた。チャンチャンコは着ていないが、部屋着だ。マヨネーズのロゴと『土方しか勝たん』という文字が背に入ったヨレたTシャツとハーフパンツ、サンダル。
空中で両手と両足を拡げているがタナカさんは目を閉じ、眠っているらしい。タナカさんは不思議な光に包まれていた。
「もうすぐ始まる」
先生は鯱の姿から白衣を着た隻腕の人の姿に戻った。俺も人の姿に戻る。
「っ?」
近くの別のマンションの給水塔の陰に、フード付きマントに猫の面を被った子供がいた。確かジンゴロ、とかいう『探偵』だ。
万能に見える先生だが、ジンゴロのことに気付いていないようだ。あるいは視界に入っても、居る、と上手くわからないのかもしれない。
「ふぅっ!!」
タナカさんが宙で眠ったまま小さく声を上げ、眩しく光るとタナカさんから半ば透けた8つのやはり眠った人物達が現れた!
死なせてしまった幼馴染みのチャンチャンコを着た幼い女の子、転校したラベンダーの消しゴムを持っていた小学校の同級生、自殺した卓球部のライバル、俺を殺害した親友の高校生、病弱な俺の早世に心を痛め修道院に入った従姉妹、後に俺と不倫関係になる専門学校生、戦争する世界で俺と共に戦った小隊長、子供を堕ろしアクアリウムで働いた腹違いの妹・・
タナカさんを構成する近しい宇宙の分身達はタナカさんと同調し、タナカさんの力を高め、より強い光を放たせた。
やがてタナカさん達の前方に小さな灯りが点き、それは眠る赤子の形になり幼児の形になり少年の形になり青年の形になり、最後に俺の形になってやや使い古した背広を着て、眠ったまま宙に浮き上がった。
「ここだったわ。あの女が君の為にこの世界をほんの少し改変し始めるこの瞬間」
タナカさんの分身の内、チャンチャンコを着た幼い女の子が凍り付き砕け散り、そこで時が止まった。
「軽率だった。あの女の分身の中でもっとも幼く意思が固まっていない、本来すぐ死んでしまい、その後の年月を捏造し易いあの子の存在を乗っ取ろうとしたのだけど」
先生は悔しげな顔をした。
「死因もただの交通事故。回避も容易だと思えた。だけど、改変される歴史の中であの子になり変わった私は、私が私であることを忘れ、あの日、自動的と言っていい程に避けようもなく、ゴムボールを追い掛け、軽トラックに跳ね跳ばされた」
先生は止まった時の中で眠るタナカさんを睨み付けた。
「無意識なまま、自分が攻撃されたことを気付いたに違いないわ。あの子供に関して辻褄合わせと君を傷付け過ぎないようにやっていた、起こった出来事の『修正』をせずに、むしろ事実を固定して乗っ取った私ごとあの子供が死んだ過去を確定させた」
ゲームの達人でもあるタナカさんならそれくらいやってのけそうではあった。
「私は死の確定を避ける為に私の一部を切り離し、やり方を変えなくてはならなくなった」
時が再び動きだした。幼い子は砕け散って消え、代わりにタナカさんがチャンチャンコを羽織った姿に変わった。
相変わらず先生は気付いていなかったが、給水塔の陰にいたジンゴロの姿も見えなくなっていた。
7人の分身達はタナカさんの中に戻り、タナカさんは眠ったまま宙を泳ぐ様に進み、眠ったままの俺の頬を持つと、眠ったまま唇を寄せ・・ここで周囲の風景が朝焼けの玉塔上空に切り替わった。
「浅ましい女。近しい宇宙で8度も機会があったのに、浅はかで・・しつこいっ!」
先生は吐き棄てる様に言い、片腕で俺の肩を抱き寄せた。
「見て、ここは特別よ。この宇宙に私はいなかったけれど、私の一族の家勢と私と君の関係性はここにも投影されていた」
先生は掴んだ肩に爪を立てる様にした。
「あの女がこの街で君を造り出すことも私達の運命に組み込まれていたのよ。ここでなら君は私を認識できた・・。ふふっ」
先生は笑い、一陣の吹雪を起こした。思わず目を閉じて、また開くと、俺はマンションの自分の部屋にいた。
この『場面』が、現在の時間だとすぐにわかった。と言ってもダイニングの時計の時刻は午後10時31分で、秒針が電池が切れ掛けた様に行きつ戻りつしていたが。
今日、8月最初の金曜日、夏季休業が近く少し慌ただしい会社で俺は退職の相談を上司にして「力になれなかった」と無念がられた。
帰りに回転寿司屋で持ち帰りパックを5人前買い、おまけにキャンペーン中の魔法少女アニメのグッズを多めに渡されてタナカさんの趣味でもないし、少し困惑して帰宅した。
フィレオレ・プレプレ星人用に改造され、開け放たれた冷蔵庫は無人。冷房は吹雪の中より多少マシな程度の温度。
リビングのテーブルにはほぼ食べ尽くした寿司とサラダとポテトチップスと桃缶、空いた酒。魔法少女グッズはダイニングのテーブルで、ツマミが足りなかった時用の乾き物と追加の酒や割り材の間に埋もれていた。
ソファに作られた歌唱ステージは無人。部屋は無人。俺と先生以外は誰もいなかった。
先生は片手で俺の頬に触れた。
「最初は危なかった。君の診断をしている内に本当に君のカウンセリングを担当をしている公認心理師だと錯覚してしまって。実体を持っている君の認識に引っ張られてしまった」
「先生は俺をどうするつもりなんですか?」
瞳の奥の冷たいの底が凍り付いている様だった。先生がどれ程の孤独を越えてきたか、俺にはわからない。
「あの女はもうどうでもいい。あと7回も殺されたら、私はあの女と心中することになる。だから」
冷たい指で俺の唇に触れる。
「私は、私も君も存在しない宇宙を知っている。少し寂しい世界だったけれど、あの世界なら紛れ込める、私達は誰のアンチにならなくてもいい」
先生を片手で俺の腕を取って玄関へと歩き出した。俺は何の抵抗もしない。頭の芯が凍り付いたようで、何もできなかった。
「もう1度始めよう。私は起業するの。君はサポートして。ようやく始められる、私達の、明日がくる」
玄関を開け、先生は俺を連れてマンションの廊下に出た。隣のタナカさんの部屋の玄関のドアは縁を凍り付けにされていた。
俺達が前を通るとドン! ドン! ドン! と中から叩かれたが、先生が一睨みして玄関のドア全体を完全に凍り付けにすると静かになった。先生は嗤った。
「玉塔にゆこう。あそこからなら、跳べる。あの女も、小人達も、恐ろしい船も、もう私達に手出しはできない」
腕を取られて歩きながら、俺は呟いた。
「タナカさんは大丈夫でしょうか?」
「君の思いはあの女の卑屈なプログラム。あるいは敗れ去った近しい宇宙の君の燃えカスみたいな物よ。私は違う! 私は私その物がここに来たっ!! 君も私と来れば本物になれるわっ」
「本物・・」
と、足元にゴムボールが転がってきた。見覚えがある。これは・・
「何だ? お前。なぜ私の世界にいる?!」
先生が周囲に無数の氷塊を出現させて警戒した。エレベーターの前にフード付きマントを羽織り、猫の仮面を付けた子供がいた。ジンゴロだ。
先生は躊躇無く氷塊を5~6個ジンゴロに飛ばしたが、全てジンゴロを素通りしエレベーターのドアをボコボコにヘコませ、凍り付かせただけだった。
氷塊に触れたジンゴロは映像ノイズが入り、姿が揺らめいた。
「電子知性体か・・コスモポリスとかいう連中にでも雇われたか? 私はこの宇宙にいないはずの人間を1人連れてゆくだけだ。むしろ秩序が元に戻る。邪魔をするなっ」
「・・・」
ジンゴロは猫の仮面を外した。
「っ?!」
「えっ?」
たぶん12歳くらいに成長しているし、少し中性的な印象もしたけれど・・俺のせいで軽トラックに跳ねられて亡くなったはずのホロカワミツネちゃんだった。
「ミツネちゃん? どうして??」
俺が問うと同時に足元に転がっていたゴムボールが弾け、閃光を放った!
「わっ?!」
「くっ?!」
先生が動揺したその一瞬の隙に、仮面を付け直したジンゴロは電光の様な高速で俺を先生からかっ拐うと、コの字の吹き抜けになっている上階の廊下の腰壁の手摺に降り立った。
「お前っ!」
先生は今度は帯電させた氷塊をジンゴロに放ったが、ジンゴロは俺を抱えたまま素早く器用に回避したっ。
「わわっ?」
「持って動くには大きい・・暫く小さくなって」
「ええっ?」
ジンゴロが回避しながらマントの生地を拡げ俺を包むと、俺は身体が煙か何かに変わって小さな何かに固まるのを感じた。
マントが除けられると、俺はジンゴロに片手で軽く持たれた。小さなフェルトでできた手足の・・。
「え? 人形?!」
俺はどうやらUFOキャッチャーの景品でよくあるフェルト人形に変えられてしまったらしい。『普通サラリーマン人形』てところか・・。
「返せっ!」
「君の物じゃない」
ジンゴロはどこからともなく取り出したゴムボールを先生がいる場所からズレた位置に投げ付けたが、ボールは全く減速せずに壁や床にバウンドし、またバウンドする度に数を増やし、あっという間に数十個のゴムボールがマンションの廊下と吹き抜けを高速でバウンドする異様な空間を作り上げた!
先生も思う様に帯電氷塊を撃てなくなった。
「なぜ邪魔をするっ?! お前は私の一部だろう?!」
「・・記憶の世界でトラックに跳ねられて死に、君から切り離され、それでも異物である僕はどこにも還れなかった」
ジンゴロは手近に飛来した自分のゴムボールを思い切り蹴り返し、そのボールが別のボールに命中し、そこからさらに連鎖的にボールがぶつかり合い、軌道を変えて、先生が宙にキープしていた。氷塊を全て破壊した!
「やがて行き場の無い僕の魂は来訪者達の電子ネットワークの隙間に迷い込み、そのまま時空嵐に巻き込まれ、なす術無く200年前の時間軸に吹き飛ばされた」
「200年っ?!」
フェルト人形の俺は驚くと共に同情する。乗っ取りの為に俺の幼馴染みと入れ替わって、失敗してすぐ亡くなり、先生に切られ、その上200年前にタイムスリップってっ!
「切った私に復讐かいっ?!」
先生は隻腕を帯電する氷の剣に変え、跳ね狂うゴムボールを斬り捨てて減らしに掛かりだしたっ。
「そこで『彼』に出会った。彼は・・」
彼? 200年前・・徳川家斉? 家慶? とかだっけ??
「ジンゴロ。先代の。彼は既に故人で、身体だけが当時の来訪者達の電子ネットワークを漂っていた。魂だけの僕は彼と契約し、その『使命』を引き継ぎ、身体を獲得した」
「使命? お前の役目はその男を奪うことだろうがっ?!」
ゴムボールを減らした先生は、猛然と帯電氷塊剣でジンゴロに襲い掛かった。ギィイインっ! ジンゴロは氷塊剣を年代物に見える十手を受け止めた。だが、氷は受けれても電撃は伝わるっ。
ジンゴロは肘の周りに光の輪を作り、輪に電撃を吸わせ肘より後ろが感電するのを防いでいたが、十手を持つ肘より先は電撃の影響で映像ノイズが激しくなっていた。
「ジンゴロっ、手が・・」
「大丈夫、動きを止めた」
「なっ?」
突然進行方向を変えた10数個のゴムボールが先生の背中に突撃し、命中すると同時に炸裂したっ!
「先生っ?!」
あれ? 俺、どっちを応援するんだっけ??
「ぐうっ・・」
ジンゴロは先生がよろめくと十手で氷塊剣を弾き返し、先生を下階の廊下まで吹っ飛ばしたっ。
「ボールは蹴らなくても軌道は変えられるんだ」
ジンゴロの周囲の中空で残りのゴムボールが全て静止していた。
「僕が引き継いだ使命は『探偵』。追究し、解明し、解決する。その概念がジンゴロそのもの。あれから200年、様々な依頼に応えながら、やがて現れることが確定している君に対処する為、僕は追究してきた」
「・・下らない。お前は失敗だっ!」
傷付いている先生は吹雪を起こした。フェルト人形にされた軽い俺は凍り付きながら吹き飛ばされそうになったが、ジンゴロがしっかり握っていてくれて何とかなった。
ジンゴロ本体に吹雪は透けて通用しなかったが、周囲のゴムボールは凍り付きつつあった。
「とても、長い時間があった。1つの事件にこれだけ時間を掛けたことはない。折を見て、他の宇宙も訪ね、彷徨う君の痕跡も見て回った」
「うるさいっ!」
吹雪は強まり、凍り付いたゴムボールは次々と砕けてゆく。フェルトの俺も霜まみれだ。
「この宇宙にタナカが産まれてからの日々も、タナカが力に目覚めて僕が死に、君に棄てられた日も、君が玉塔に現れてからの日々も、僕は観察していた」
先生に見せられたさっきの幻視? の中で、俺が現れた時にジンゴロがいたのは幻じゃなかったようだ。
「何様のつもり?! お前は私だろう?! お前はホロカワミツネっ!!」
ゴムボールは全て砕け散ったっ。
「・・もう、違う。それから、君のことは解明済みだ。君もほんとはとっくに気付いているんだろう? ・・タナカこそが、この遠い宇宙における君自身だと」
え? 霜まみれのフェルトの俺がジンゴロを見上げるのと、先生がヒレが片方無い、氷の鯱の怪物の姿になって咆哮を上げてジンゴロに襲い掛かるのは同時だった。
「ひぃっ?!」
フェルトの俺はビビったが、ジンゴロは冷静にマントをはためかせ、無数のゴムボールを出現させて氷の鯱となった先生に放った! 炸裂するゴムボールっ。だが、怒れる先生の突進は止まらないっ!
ジンゴロは回避したが、先生はさっきまでジンゴロが立っていた廊下の腰壁を噛み砕き、合わせて砕いた周囲を激しく凍結させていった。
「タナカとスズキが、負の因子を持たず、この宇宙でまた逢えた。僕が観測しうる限りの宇宙で、そんな世界は他に1つもなかった。ホロカワミツネ、君はもう救われている」
「認めないっ! 私は観客にはならないっ」
先生は炸裂するゴムボールをものともせずに突進し続けるが、確実に消耗はしていた。
「君が正しく君にとってのスズキに逢えないのは、君がより先の宇宙にゆくことを拒んでいるからだ」
「嫌だっ! 全て奪われたっ。全て失敗したっ。何も得られなかった! 私はこの宇宙で救われたいっ」
「先生・・」
「私は私を救うっ!」
氷の鯱となった先生は放電したっ! 電撃は濃度を増していた吹雪の雪を伝い、一部はジンゴロに届いたっ。
「っ!」
ジンゴロは咄嗟にフェルトの俺をマントで庇い、電撃を顔面で受け猫の仮面を吹き飛ばされたっ! 額から少し流血し、映像ノイズが入るジンゴロっ。
「君、出血しているよ?! 大丈夫? 電子で? できてるならどうしたら? データ書き直す、とか??」
「スズキ、だいぶ意識がはっきりしてきたようだ」
うっすら笑みを浮かべるジンゴロ。自分のダメージにはさほど関心が無いらしい。
「・・時間は掛けられそうに無い。少し『残酷』にゆこう」
ジンゴロは紐でフェルトの俺をマントの下のショートパンツのベルトに括り付けると、どこからともなく液体の入ったポリタンクを取り出し、先生に高速で飛び掛かった。
先生は再び放電する為に電気を溜めたが、その帯電した身体に、擦れ違い様、蓋を開けたポリタンクを投げ付けたっ。オイルの臭い。スパークでオイルは引火し、爆炎を上げたっ!
「ああーッ!!」
悲鳴を上げてのたうつ氷の鯱と化した先生っ。
「先生っ」
こんなに苦しめなくてもっ、
「自傷している様で気分が悪い」
ジンゴロは吹き抜けの上階に着地するとどこからともなく古めかしいガトリング砲を取り出すと台座を固定したっ。
「君、何でも出すねっ?!」
「手癖は悪い方だよ」
盗品?! フェルトの俺の戸惑い等お構い無しに、ジンゴロはガトリング砲を半身を炎に包まれた氷の鯱と化した先生にぶっ放ったっ! ガガガガガッ!!! 一方的に身体を削られる先生っ。
「え? ええっ? そんなに?!」
ジンゴロ容赦無いっ。
「アアアアッ!!」
砕かれ、焼かれ、溶かされ、先生は駐輪スペースのある一階のめちゃくちゃになったタイル床の上で水溜まりを作ったが、すぐに再凍結し始めた。
「分身の僕でも、物理的に破壊できるのはここまでかな・・」
「ここまで、てっ」
これ以上どうなるんだ??
ガトリング砲をマントの中にしまい、ジンゴロは凍り付いたタナカさんの部屋の玄関のドアを見た。その前にいつの間にか7色に輝くゴムボールが転がっていた。
「・・間に合いそうだ」
「君っ、見てっ!」
先生だった水溜まりは完全に凍り付き、そこから青く光る、人の頭部であるかの様な物が先端に付いた氷の柱が立ち登りだしたっ!
「邪魔ヲ・・スルナッ!!」
「先生ーっ?!」
か、どうかもうよくわからないっ。人面の氷の柱は口に青い光を溜め始めたっ! これ絶対ヤバいヤツだっ。
これにジンゴロは怯まず、避ける構えさえ見せず、真っ直ぐ氷の人面を見詰めた。
「僕は電脳探偵ジンゴロ。君を、解決するっ!」
人面に向け、片手の指を鳴らすジンゴロ。それに合わせ、凍り付いたタナカさんの部屋の玄関のドアの前のゴムボールが光と共に炸裂し、氷を全て打ち砕いたっ!
途端、破裂する様に玄関のドアの隙間から髪の毛が溢れ出し、氷の人面を襲い、何かを放とうとしていた口を塞いだっ!!
「グウッ?!」
「髪??」
「後はよろしく」
激流の様に溢れ、伸び続ける髪の中からロク・チャンが、ゴラエモンが、ジュエスが、サンビーが飛び出したっ!
全員小さなSFスーツを着込み、両手持ちのいつもより大掛かりな光線銃らしい物を抱えていた。
「スズキっ! ジンゴロっ! 待たせたのっ!」
「あっさり誘惑されてチョロいなっ、スズキよっ!」
「パラレルシューター充填完了してるよっ!」
「あらジンゴロ、あんたの顔、初めて見たわ。可愛いじゃん?」
「・・シュートだのっ!!」
フィレオレ・プレプレ星人達は隊長のロク・チャンの号令で光線銃から閃光を氷の人面に放ったっ!!!
パシュウゥゥーーーンッ!!!!
打ち砕かれる氷の人面柱っ! 砕かれた氷は溶けずに光の粒子になって搔き消え始めた。ボロボロになったマンションのあちこちにあった雪や氷も消えてゆく。
煌めく粒子の中から両腕を失い、姿も薄れた先生が現れた。
「・・スズキ君・・・シマヒコ。助けて・・もう、君の中にしか・・私が、いない・・」
「ミツネ」
俺はジンゴロのベルトに括り付けられた人形の姿で、手を伸ばした。先生に、彼女に、ホロカワミツネに。
「いい加減にして」
「っ?!」
髪の激流の中から、SFスーツを着たタナカさんが現れたっ! 両手で、人間サイズのフィレオレ・プレプレ星人達が使っているのと同じ形の光線銃を構えている。
「このスズキさんは私のスズキさんですっ。貴女は貴女のスズキさんのところに帰って下さい」
「お前ぇーっ!!」
ミツネはまた小さな氷塊を周囲発生させてタナカさんを襲う構えを見せたが、即座に眉間をタナカさんの光線銃で撃ち抜かれた。
「あ、ああ・・」
「横恋慕しないでっ!」
ミツネは光の粒子となって搔き消えていった。
「ミツネ・・」
「スズキさんっ!」
「あっ、はい。スズキです」
タナカさんはバタバタと髪の激流を越えて俺を持っているジンゴロのいるボロボロになった廊下に駆けてきて、光線銃を放り捨ててジンゴロのベルトに括り付けられた俺を手に取った。
「スズキさん、元に戻るんですか?」
「勿論」
ジンゴロがマントをはためかすと俺はまた煙になる様な感覚を経て元の姿に戻った。
「スズキさぁんっ!!」
タナカさんは泣いて俺に抱き付いてきてくれたが、タナカさんのメットがもろに俺の顎にヒットしたっ。
「がっ?!」
「あ、ごめんなさい。メットで距離感が・・」
「いえ、大丈夫です。あの、色々お世話になってしまったようで・・」
「いえっ、事情は隊長さん達から聞きました。さっきは急に閉じ込められてしまってどうしようかと思いましたけど」
『さっき』というくらいの時間しか経ってなかったんだ。俺、人生一回終えてきたのだが・・。
「何にせよ、一先ず一見落着だの」
「時間凍結が解ける前に後始末しないとな」
「アモチーを回収しないとこれは間に合わないよ」
「一応生体反応はあるから他の住人は無事みたいだけど」
フィレオレ・プレプレ星人達も髪の激流から廊下に降りてきた。
「この髪ってアモチーだよな?」
「そうだの。アモチー、聴こえとるか? ミッション完了だのっ。もう髪はいいわい、始末に負えん」
ロク・チャンの通信? に反応し、猛烈な勢いで髪がタナカさんの部屋の玄関のドアの隙間へと吸い込まれてゆき、全て吸い込み切るとその側からドォンッ! ドアがぶち破られたっ。
「ああっ、私の部屋っ?!」
「つぅううっっ~んんんん~~っ!!!」
何やら唸りながら、まだ収まり切らない髪をワサワサてうねらせて、アモチーがタナカさんの部屋から出てきた。全裸で。
「ええ~っ?!」
「何でぇ?」
「何してんのあんた?」
「力を・・解放したぁっ!」
「解放し過ぎでしょ? これ着ときな」
サンビーは手元にテレポートさせたベンチコートを雑に念力で投げ付けてアモチーの頭に被せた。
「・・・」
「一時、服を嫌って隙あらば全裸になろうとしていたが、悪癖を思い出したのかもしれんな」
「アモチーだしの」
「甘やかすのよくないよ?」
「スズキさん、見ちゃダメです」
「細部まで人類の人体を再現する必要はない、かも・・」
「ジンゴロ、観察するのやめたりな」
とにかく、気が付くと始まっていた、俺と彼女に関する騒動は片付いたらしい。
めちゃくちゃになったマンションの復元っ! は何とか間に合い。時計の時間も正しく進み出すと俺達は取り敢えず真冬温度の冷房を入れた俺の部屋飲み直すことにした。
傷の入った猫の仮面を拾った、額に絆創膏を貼ったジンゴロは面を側頭部の側に回して被り、殆んど喋りはせず、暫くは酒には手を付けずサイダーと桃缶とポテトチップスだけ口にしていたが、ウェットティッシュで手を拭くと、不意に立ち上がった。
「ジンゴロちゃん?」
『うたプリの残光』と背中にプリントされたダウンジャケットを着たタナカさんはジンゴロの隣に座っていたのですぐに声を掛けた。
「・・そろそろ帰る」
「ちょっとぉ、これから一曲歌うんだから聴いてきなさいよ?」
「君達の端末を解して録音録画しておく。事件以外で物事に直接関わるのは得意ではなかったことを思い出した」
「気難しいのう」
「まぁそんなヤツだ」
「もう帰んのぉ?」
「スズキ、言っとくことあんじゃない。記憶データ上のことでも。他にもさ」
「ああ、そうだった」
俺は慌てて立って、ジンゴロの前に行った。改めて見ると子供だが、少なくとも12歳くらいに成長していた。彼女の一部でもある・・。俺は淡々とこちらを見上げるジンゴロに、全力で頭を下げた。
「ごめんっ! 全体的にっ。上手く具体的に言えないけどっ、取り敢えず、八つ当たりでボール投げたのは最悪だったっ!」
「・・ふふふっ」
ジンゴロの笑い声が聞こえて顔を上げると、柔らかい表情で笑っていた。
「200年越しに謝罪されてしまった。それも正しくは僕が受け取るべき物じゃないけれど、それも僕らしいか・・」
ジンゴロは傷の入った猫の面を被り直し、俺に片手を差し出した。
「スズキ、僕と握手してほしい」
「ああ、うんっ」
俺は両手でジンゴロの手を取った。擦り抜けたりせず、握ることができた。それは少し体温を失っていて、驚く程病室の彼女と似た感触だった。俺の思い込みかもしれないが。
「ありがとう、君。逢えてよかった」
「うん、こちらこそ・・」
ジンゴロは手を離し、タナカさんを見た。
「セピアタウンでは何ともなかったから、案外そんな物かと思ったけど、やはり嫉妬してしまうね」
「ええっ?!」
「ふふっ・・」
ジンゴロは映像ノイズを残し、一筋の電光となってサンビーのブレスレットに入り、消えてしまった。
「帰っちゃったわ」
「地球系のネットワークに居たり居なかったりする、また会うだろう」
「録画するというし、気を入れて演奏せんといかんのう」
「今日、衣装強めだよね」
フィレオレ・プレプレ星人達は歌唱ステージで準備を始めた。俺は取り敢えずタナカさんの隣に座り直した。
「スズキさん」
「はい」
「私も嫉妬した方がいいんでしょうか?」
「まぁ・・俺でよければ」
「ふふっ、言いますねスズキさん」
「イチャついてるよぉっ」
一応ベンチコートは着てるが、まだ下は素っ裸なアモチーが殻付きピーナッツを俺達に投げ付けてきた。
「イテっ、やめろよアモチーっ」
「痛いですっ、アモチーさん。あの、痛っ、鼻ばっかり狙うのやめて下さいっ! 何で本気で仕止めにくるんですかっ? 痛っ、痛っ」
「おいっ、タナカさんへの攻撃が多いぞっ? アモチーっ!」
「ん~っ!!」
俺達が不毛な争いをしていると、歌の準備が整ったようだ。サンビーは魔法少女、ロク・チャンとゴラエモンは魔法使い、ジュエスは謎のファンシーな獣のコスプレをしていた。
「それでは聴いて下さい。『絶体絶命契約っ!』」
キラっ☆ もう戻らない 銀河の果て わたしは流星 箒が燃え尽きるまで翔ぶだけ
絶体契約絶体服従絶体完遂絶対迷走絶体絶命っ!! 全て燃やしてっ! キラっ☆ キラっ☆
カスタネットの靴 鈴の靴下 海月のドロワーズ モンスーンのスカート 噛み付くポーチ 音速コルセット 鍵付きチョーカー 空色リップ 乗せ過ぎマスカラ 竜耳カチューシャ ギロチンスティックっ!
キラっ☆ キラっ☆
キラっ☆ キラっ☆
わたしだけの願いっ☆
・・飲み会の後、俺は1人でマンションの屋上に来ていた。鍵はこの間、管理会社が付け直したが俺とタナカさんはジュエスに複製してもらった合鍵を持っている。フィレオレ・プレプレ星人達やアモチーには鍵等必要なかったが。
酒はもういいので、普段あまり吸わないタバコを棚から出して持ってきていた。
煙が夜空に昇ってゆく。胡蝶の夢の説話を思い出したりもしたが、俺はどこまでもここに居て、誤魔化しようがなかった。
「俺の中にしかいない、か・・」
俺は、屋上にしては低過ぎる手摺に両手を突いて泣いた。仕事が多過ぎるとも思ったし、もう若くもないことが初めて恐ろしく感じた。
「あのさぁ」
「えっ?」
頭上からアモチーの声がしてギョッとした。
見ればそれ程高くもないが屋上の上空に浮遊する形で固定されている小さなフィレオレ・プレプレ星人達の船を、宙に浮いたアモチーが何やら光の端末の様な物を出して何やらイジっていた。
アモチーは既に作業用のツナギに着替えていた。まだツナギの下には何も着ていないようだがっ。
「こっちはあの女にガチガチに時間凍結喰らって本体の調整でイ~っ、てなってんだからさぁ。メソメソするのは自分の部屋のベランダとかでしてくんなぁいっ?」
「ああ、悪い。オッサンが泣いても気持ち悪いよな」
「そこまで言ってないけどぉ?」
「うん・・」
俺は涙を拭い、煙草を一息吸って、携帯灰皿で始末した。
「じゃ、部屋戻って寝るわ」
「ちょいちょいぃ~」
俺がさっさと部屋に戻ろうとすると、アモチーが降下してきた。
「何?」
「そんなすぐ帰ったら、アモチーが強めに追っ払ったみたいじゃんかぁ?」
「いいよ別に、おやすみ」
俺はあまり1対1で人と話したい気分じゃなかったから、構わず立ち去ろうとした。
と、アモチーが髪を伸ばして俺の顎と肩の辺りを捕獲してグルンっと回転させて自分の側に近付けたっ。はぁっ?
「ぐぉっ?! 何だアモチーっ! 首折る気かよっ。今はおふざけしたい気分じゃないん・・っ?!」
そのまま髪で巻かれてアモチーにキスをされた。
「ぷはぁっ! やっちまったわぁ~」
アモチーは巻いた髪を逆回転させて俺を解放した。俺はクルクル回された勢いで屋上の床に尻餅突いてしまった。
「なっ? ・・はっ?? アレか、欧米的な」
俺は混乱した。ワケがわからんっ。
「口にするぅ?」
「ら、来訪者特有のっ」
「まぁ、そんな星人もいることはいる、かぁ?」
「何だよ一体っ?!」
俺は立ち上がった。頭にきたっ。
「おちょっくってるならそういう文明は地球に・・まぁ、ないではないが、俺の範疇じゃないっ!」
「ヒッヒッヒッ。『俺の範疇じゃない』だってっ!」
アモチーはやたらウケて、伸ばした髪も戻し切らずにふわり浮き上がり、作業途中の船の方に戻りだした。
「怒ったら元気になったんじゃなぁい? アモチー作業で忙しいから、さっさと帰ったらぁ?」
アモチーは早く去れと片手をひらひら振って、作業を再開しだした。
「何だよっ」
煙に巻かれる、ならぬ髪に巻かれる、だっ! 俺はアモチーの行動が謎過ぎて危うく帰りの階段を踏み外すところだった。