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僕らは囚われの身
「僕らは『心』にとらわれている」
私はそうつぶやく。
誰も共感してくれない。しかし私は余計にそう感じてしまう。
『決断』『決意』『覚悟』それらすべては『心』の問題でどうにかできてしまうものだから。
「暇だな」
誰かが呟く。その言葉でさえ『心』を具現化したものだ。
誰かのつぶやきや、行動。それらはすべて『心』が決めているものだ。
脳にある心ではなくて、『心』それ自身。
非科学的な話だが。
心では「これはいけない」「こうしよう」と、そう決めていても『心』が心と逆を向いているとなかなか前に進めない。足が重たく、進むことがなかなかできない。
それを実行できるときは心と『心』が繋がれた瞬間。ただそれだけだ。
心では決めても『心』がついてこないと気持ちも乗らない、テンションも上がらない。できない自分を『心』が痛めつけ心が痛めつける。
だから囚われの身から離れるために人は心の仮面を作り出す。「助けて」なんて声すら出せずに。
出られる檻に囚われ。
人は人それぞれの『心』の檻の中での自由の中で生きている。