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第7話 帝国陸海軍再編2

第7話を更新いたしました、クラウスです。


今回は、次回以降の布石をいくつか埋め込んでおりますが…当初の予定通りなら○縄戦よりも先に○連の対日参戦の方が先になりそうです(汗)


…今のネタばれになってしまいましたかな(汗)?


ともかく、第7話をお楽しみください。ボリュームたっぷりでお届けいたします。


それでは、どうぞ。

帝国陸海軍は、元々長期戦を戦う様な軍ではなかった。


いや、帝国そのものが長期戦を戦えなかったのである。


自国で採掘される満足な資源は少なく、その多くを外国からの輸入に頼っていた。


現在の日本は、石油は中東、石炭や鉄鉱はオーストラリア、ニッケルや天然ガスは東南アジアの国々から輸入している。


しかし第2次大戦期の日本は、石油などの多くの資源を米国を中心とした欧米列強から輸入していたのである。


兎も角、資源のない国が長期間の戦いをする事は出来ない。


短期決戦


それしか道は残されていなかった。


もっとも、戦争をしないに越したことはないが…



支那戦線


45年の初めにおいて、中国大陸には、総勢で80万を超える日本軍と、50万を超える軍属、そして200万を超える日本人が居た。


当初こそ、破竹の勢いで各地の都市や基地を占領していった日本軍であったが、国民党軍の司令官である蒋介石が中国の奥地である四川省の重慶へと逃げてしまった為に、一向に集結の見込みが立たなくなってしまった。


いかな80万の日本軍が攻め込んでも、中国の広大な土地の前では塵に等しく、やっとの思いで占領した都市・基地とそこを結ぶ鉄道の沿線沿い…所謂「点と線」を維持するのがやっとであり、とてもとても重慶まで攻め込むのは不可能であった。


一時は、海軍航空隊・陸軍航空隊の爆撃部隊が戦略爆撃の形で重慶を爆撃したものの、重慶にいた中国空軍と在支義勇軍と呼ばれた米国を中心とした義勇航空軍部隊の活躍により、被害が鰻上りに増加し、護衛戦闘機の不在も相まって爆撃開始から僅か3ヶ月で中止となってしまった。


こうなると、自前で重慶まで攻め込むしか方法は無い訳だが、武漢(中国湖北省の省都)を維持するので精一杯の日本軍に、攻め込む余裕などなかった。


43年の末に、1度軍上層部が日本軍が占領していた北部仏印と中華大陸経由で朝鮮半島の南端の釜山を結ぶ大陸鉄道を建設する目的で、建設予定の沿線沿いの地域の占領・確保の為に62万の兵力を投入した「大陸打通作戦」が発動されかけたが、成功の見通しが立たない事と、満州国境でソ連が軍事演習が行った為に中止された。


この作戦の中止は、大陸鉄道の建設を根本から不可能とさせ、南方からの物資輸送を海路一本に絞る事となってしまった(元々の大陸鉄道建設の目的は、海路以外の南方からの資源輸送ルート・手段の確立)が、結果的にまとまった規模の戦力の維持につながり、今日までの支那戦線の崩壊を防ぐ事となる。


さらに、史実では44年の3月から行われた「インパール作戦」が弾薬をはじめとする各軍需物資の不足と、陸軍航空隊の満州方面・マリアナ方面への抽出によってビルマ戦線の航空戦力が激減したために、作戦そのものが行われなかった。


これらの作戦が行われなかった御蔭で、合計で10万人近い兵士の命が救われる事となった。


これが後に響いてくる…



44年の12月2日


この日、満州の某飛行場に、8機の新型戦闘機が降りたった。


今までの日本製航空機に共通していたひ弱さが見えない、どちらかと言えば欧米的なデザインが目に付く戦闘機であった。



『御苦労であったな、大尉』


『はっ。第23戦闘隊、只今着任いたしました』


『うむ…』



陸軍航空戦隊飛行23戦隊…この部隊は、以前に紹介した未来日本軍から供給された「秋欄」エンジンの強化型(正確に言えば、「秋欄」がパワーダウンされたもの)である「春欄」エンジンを搭載した未来製レシプロ戦闘機「雷光」三一型を有する予定の部隊であった。


満州に到着した彼ら8機の航空機とそのパイロットは、外地での運用試験を行う事となった言わば「実験部隊」であった。



未来日本製レシプロ戦闘機「雷光」三一型(陸上機型)


全長:12.43m 全幅:15.68m 全高:4.37m


全備重量:4993kg 動力:「春欄」22型空冷24気筒エンジン(3200馬力)


最高速度:822km/h 実用上昇限度1万2430m 航続距離:1986km(増槽なし)


武装:翼内20mm機関砲4門(各携行弾数235発)、機首12.7mm機関砲2門(各携行弾数240発)、翼下懸架式37mmガンポッド2門(各携行弾数50発)


この高性能レシプロ戦闘機の実用試験である。


パワーダウンさせた「秋欄」エンジン共々、この2つのレシプロエンジンには過給機付き排気タービンエンジンであり、既存の日本製エンジンに比べて非常に強力な発動機であり、中島・三菱をはじめとする各企業が後に参考にするほどであった。


それも仕方がなかった。


なぜなら、当時の日本製エンジンで最も強力だったのは、陸軍の四式重爆撃機「飛龍」に搭載された「ハ104空冷複列星型18気筒エンジン」の2000馬力であった。


なぜなら、馬力こそハ104は2千馬力の出力を誇るものの、整備性は圧倒的に劣っており、安定した稼働率を維持するのに苦心していた。


対する「秋欄」とその上位種である「春欄」の両エンジンは、整備に多少の手間が掛かるものの、南方や満州戦線などの過酷な状況下での運用を計算にいれて開発されただけあって稼働率は比較的安定した結果を残した。


それを、日本の企業は参考にしたのである。


「雷光」8機が簡易格納庫に運ばれる一方で、別の機体が今まさに大空に飛び立とうとしていた。


逆ガル翼が目を引く大型の単発爆撃機…いや、攻撃機である。


単発艦上攻撃機「烈火」一一型である。


全長:12.68m 全幅:14.98m 全高:4.32m


全備重量:5422kg 動力:「秋欄」13型空冷20気筒エンジン(2100馬力)


最高速度:607km/h 航続距離:1769〜2743km(装備により変化)


武装:翼内20mm機関砲4門(各携行弾数180発)、機首12.7mm機関砲2門(各携行弾数250発)、13mm後上方旋回機銃1門(各弾装60発)、800kg魚雷2本、800kg爆弾2発、50kg爆弾3発、25kg爆弾6発(何れかの爆弾・魚雷を選択)


この「烈火」は、帝国海軍が未来日本から提供された機体で、その一部を陸軍航空隊に譲与されたものである。


当初は、機体名の変更も考えられたが、結局海軍名の「烈火」をそのまま用い続ける事となった。


現在満州に配備された「烈火」は、艦載機から陸上機へと小規模な改装作業を施され、着艦フックを取り外すなどの措置が取られた。


満州方面には、今後これ等最新鋭機が其々200機ずつ配備され、さらに支那戦線に廻されていた部隊も多数が配属される事となる。


更に、現在南方で訓練中の帝国海軍の艦隊も、日本海へ回航される事となる。


全ては、対ソ開戦に備えたものであった。


では、太平洋で対峙する米軍の相手はどうするのであろうか?


本土・沖縄・台湾などの防衛は、全て未来日本軍が担当する事となっていた。


勿論、当初から沖縄や台湾に配属されていた現地の帝国軍と合同で、である。


帝国陸海軍上層部は、当初こそ反発したものの、未来日本軍からの資料を提示され、また同時に実際に彼等が扱う兵器の質の高さを目にして納得し、帝国陸海軍の戦力の北方方面への転出を実現させた。


現在満州には、当初の44個師団61万人に加え、南方・本土・支那の各方面から転出してきた合計17個師団31万人の兵力が増強され、未来日本陸軍の満州方面軍12個師団22万人とを合わせて114万の兵力を集めていた。


戦車などの車両も、旧型の九七式中戦車「チハ」、一式中戦車「チヘ」に、新たに主力戦車に制定された三式中戦車「チヌ」などに加え、試作車両として少数が増加試作機として組み立てられた仮称四式中戦車「チト」に仮称五式中戦車「チリ」などの戦車がちらほら確認できる。


更には南方や支那戦線で鹵獲された米国製戦車のM3軽戦車「スチュアート」やM4中戦車「シャーマン」、英国製戦車である歩兵戦車Mk.2「マチルダ2」などの外国製鹵獲戦車100両以上が満州の各地に配備された。


満州に配備された戦車の合計は、鹵獲戦車を含めて2千両。


他にも各種火砲3千門、トラックなどの車両を3千台を集めていた。


航空機は、海軍の基地航空隊を合わせて戦闘機897機に爆撃機が凡そ1200機が集められた。


さらに、これに未来日本軍の航空戦力や機甲師団の戦力などを加えれば、その総合的な戦力は極東ソ連軍と互角以上に戦える程の力を備えていた。



一方の帝国海軍はと言えば、前述の基地航空隊を満州に派遣すると共に、南方で訓練中だった第1艦隊と第2艦隊を朝鮮半島南端の釜山へと回航すると共に、呉や横須賀の工廠で修理・改装作業の終了した艦艇を順次日本海へ送り出していた。


その艦艇の中に、あの『大和』の姿もあった。


大日本帝国海軍 戦艦『大和』(45年度改装後)


全長:298.4m 全幅:39.2m


基準排水量7万1800トン 満水排水量:8万380トン


武装:45口径46cm三連装砲3基9門、50口径12.7cm連装高角砲12基24門、50口径12.7cm単装両用砲6基6門、55口径40mm三連装機関砲54基162門、同連装機関砲4基8門、55口径25mm三連装機関砲6基18門


速力:29.8ノット(機関に一時的に負荷を掛ける事により、31.8ノットを出す事も可能) 航続距離:16ノット/7,800海里


改装作業は比較的短期に終わった為に、素早く訓練に移る事も可能であった。


『大和』は、2隻の大型空母(超甲巡改装空母)と2隻の『雲竜』型空母を引き連れ、長崎の佐世保港に入港した。


『白百合』級大型改装空母(超甲巡改装空母)


全長:240.2m 水線幅:27.7m 飛行甲板:長さ238.6m×幅29.6m


基準排水量:2万7400トン 満水排水量:3万1080トン


武装:50口径12.7mm連装高角砲11基22門、50口径12.7cm単装両用砲4基4門、55口径40mm三連装機関砲10基30門、55口径25mm三連装機関砲8基24門


搭載機数:戦闘機32機(捕用4機)、爆撃機25機(捕用5機)、攻撃機25機(捕用5機)、偵察機10機(捕用2機)…計92機搭載


速力:36.4ノット 航続距離:16ノット/8600海里



改装空母としては、元が巡洋戦艦や戦艦であった『赤城』級・『加賀』級両空母と同等の大型改装空母であり、この性能を超える改装空母は『信濃』だけである。


他方、『雲竜』型空母はと言えば…


全長:232.24m 水線幅:24.32m 飛行甲板:長さ228.3m×27.48m


基準排水量:2万230トン 満水排水量:2万4850トン


武装:50口径12.7cm連装高角砲8基16門、55口径40mm三連装機関砲23基69門、55口径25mm三連装機関砲12基36門


搭載機:戦闘機28機(捕用4機)、爆撃機20機(捕用5機)、攻撃機20機(捕用5機)、偵察機4機(捕用なし)…計72機搭載


速力:33.2ノット 航続距離:18ノット/7800海里


この『雲竜』級空母は、『蒼龍』級空母の設計図を基にしていくつかの機能の簡略化を行った上で建造された言わば日本版「戦時標準空母」と言える空母であった。


この4隻の空母はそれぞれ…


『白百合』級超甲巡改装大型空母…1番艦『白百合』、2番艦『(すみれ)


『雲竜』級正規空母…1番艦『雲竜』、2番艦『葛城』


…と命名されていた。


この4隻は、後に第8航空艦隊として編成される事となるが、現在はまだ編成が終わっていないために『大和』などの他の艦艇を含めた多数の艦艇(主力は旧型駆逐艦・海防艦など)と共に第8艦隊として佐世保港に錨を降ろして停泊した。


しかし、佐世保港に停泊している艦艇は彼等第8艦隊だけでは無かった。


この他にも、30隻を超える輸送船が佐世保港には武器・弾薬・食糧などを満載にして、停泊していたのだ。


彼等は2日後に佐世保港を出港して、遼東半島の旅順港へと向かう事となっていた。


以前の日本海近海は、「帝国の湖」や「帝国の裏庭」などと言われていた時代は最早過去の話であり、現在では多数の米国潜水艦が出没する危険な海に変わりつつあった。


しかし、未来日本海軍が現れたお陰で、彼らが積極的に潜水艦狩りが行われ、現在の日本海近海は嘗ての「帝国の裏庭」に戻りつつあった。



現場はせっせと戦いの準備を進めている一方、国を運営する国家の首脳達は何をしていたのであろうか?


未来の世界から雨宮兄妹が真っ先に手を付けたのは、陸海軍の改革であった。


然るべき方の後押しを得た二人は、御前会談の後も陸軍の親玉であり、現首相である東条英機や海軍の重鎮である海軍大臣米内光政の双方の協力を得る事で、少しずつ軍改革を実施していった。


まず彼等が行ったのが、戦線の縮小と持久戦の指示であった。


支那・ビルマの両戦線では、兄妹二人が来る以前から積極攻勢が控えられていたこともあって戦力の大量損失は起こっておらず、現地に配備されている多数の戦力を内地に戻し機械化を進める一方で現地に残った部隊には、徹底的な持久戦を厳命して戦線の膠着を狙った。


結果、ビルマ戦線では11月の末に米英連合軍11万の総攻撃が始まったものの、現地の帝国陸軍のゲリラ戦術を用いた徹底的な持久作戦によって連合軍の進撃は遅々として進まなかった。


その間に本土では、支那戦線やビルマ、南方から帰還してきた部隊の近代化を進めて、満州方面に向かわせる事に成功した。


何故、帝国はこれほど満州方面に神経を注ぐのであろうか?


それは、45年の春にソ連が満州侵攻を計画していたからである。


この情報を帝国陸海軍上層部に伝えたのは、勿論雨宮兄妹達である。


44年の欧州戦線は、開戦当初の圧倒的なドイツ軍の快進撃の姿を最早見る事は出来ず、現在のドイツはポーランド・フィンランド・フランス各国軍と共同で『レニングラード』・『モスクワ』・『スターリングラード』の3点を結んだラインで防衛線を構築して何とかソ連軍の構成を防ぐのに一杯一杯であった。


ドイツにとって唯一の救いは、ヒットラーが過度なユダヤ人排斥政策を採らずにいた事と、占領下の欧州各地で膨大な量の地下資源が見つかった事で、戦争を継続できるだけの力を得ていた事である。


それでも、現在のドイツは西部戦線・東部戦線・アフリカ戦線の3つの戦線に大西洋各地で米英海軍と死闘を繰り広げており、最早人的余裕は少なかった。


対するソ連であるが、41年の開戦当初にドイツの奇襲攻撃を受けた事で僅か1年の間に500万の兵士を失い、1300台の戦車と1万1千門の火砲、数千丁とも言われる小銃とその各種弾薬を膨大に鹵獲され、3千機以上の航空機を空戦や地上撃破などで失った。


お陰で、その後の反撃に大きく支障が出ており、あっと言う間に前述の3都市をドイツ軍に占領されてしまった。


ソ連の指導者であるヨシフ・スターリンは、非情なまでの辣腕を振ってドイツ軍の侵攻を食い止め(正確にはソ連がドイツ軍を押し留めたのでは無く、ドイツ軍が補給等の関係から攻勢限界点を迎えて進撃を停止したに過ぎないのだが…)、膨大な量の物量をもってドイツに反撃しようとしていた。


さらに、スターリンは米国指導者のフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領と密約を結び、密かに満州・朝鮮半島、更には北海道・本州を含めた極東での侵攻作戦を計画を練り始めたのである。


スターリンは、45年の4月に満州・南樺太への侵攻を開始出来るように極東へ徐々に戦力を移動させた。


さらに、以前シベリアの収容所に収容された政治犯などの人々も軍に編入し、満州侵攻に向けてなりふり構わぬ姿勢を見せ始めていた。


そして45年の1月…


極東に配備された兵員の数は、北樺太に駐留している部隊も合わせて合計で122個師団200万を超える兵員と約2万門の火砲、約1万2千両の戦車・自走砲に4千機を超える航空戦力を揃えていた。


ソ連軍の指揮官は、圧倒的な戦力を得て有頂天になっていた。


彼等は、最早戦闘後の勝者の特権…つまり満州国・朝鮮半島での略奪行為に考えが移っていた。


いくつの財を奴等から奪えるか。


何人の女を陵辱出来るか。


何人の捕虜を殺せるか。


…彼等極東ソ連軍司令官達の考えはそんなモノであった。


上の人々がそんな事を考えているのだから、末端の兵士の考えている事も似たり寄ったりであった。


まさか彼等は、自分達が相手にするのがドイツ軍以上に手強い相手であるとは思わなかった。


その代償は、高くつく事となった。


話を戻そう。


この情報を東条英機、杉山元を始めとする陸軍首脳部に見せたところ、陸軍は早急に手を打つ必要があると判断して各地の戦線(主に支那戦線)から部隊を満州に転出させた。


同時に国内の軍事工場に武器・弾薬の増産を要請すると同時に、未来日本軍の首脳部にある要請をした。


それは、「未来日本軍の満州派兵」である。


彼等は正しく情報を理解し、それに対する最善の手を打とうとした。自分達の力だけでは、ソ連軍に勝てない事を正しく認識したのであった。


雨宮兄妹と軍首脳が会談を行って、満州への未来日本軍の派兵が決まった。


これで、最低でも互角以上にソ連と戦う事は出来るようになった。


後は…運であろうか?


帝国は、生き残るべく最善の方法を見つけ、対処しようとした。


たとえどんなに厳しい道であったとしても…


兎に角、双方の大軍が終結して睨みあっている満州の国境線沿いは、俄かにきな臭くなってきた。


満州の大地は、そう遠くない内に再び戦火に見舞われることは、確実であった。

如何でしたでしょうか?


次話以降は…やはり○連との開戦が先になりそうです。


ただし、「予定は未定」とも言いますから…ねぇ(苦笑)


兎に角、次話の更新をお楽しみください。


それでは。

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