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第29話 帝国軍の大反攻 ビルマ戦線編1

どうも、クラウスです。


最新話を投稿です。



今回から、暫くの間、帝国軍の再反攻に関する話を執筆します。



それでは、スタートです。

1945年6月14日


この日、ビルマ戦線の後方に位置するタウンジーと呼ばれる都市の郊外にある帝国陸軍の飛行場に、1万人を超える工兵隊が到着した。


このタウンジー郊外の基地を、拡充させる為にだ。



タウンジーにやって来た工兵隊には、実は本格的な作業専門の重機は、存在しない。


全て、帝国陸軍が過去に使用していた旧型戦車や、鹵獲された米英ソ等の外国産の戦車や装甲車等に、ドーザーブレードなどを取り付けるという改装作業を受けた車両であり、純正の作業機械は存在しなかった。


中には、強力な戦車砲を装備したままの車両すらあった程だ。



もっとも、現地で作業にあたる人間にとっては、そのような事は別段問題では無かった。


現地で作業を行う者にとって重要なのは、いかに効率よく作業を行えるかであった。



だから、作業を行う為に使用する機材の中に、米国製のブルドーザーが混じってようが、本格的な重機が無かろうが、兎に角作業に使用出来れば良かったのだ。



タウンジーにやって来た帝国軍の工兵隊は、戦車擬きの重機を大いに活用する事によって、本格的とまでは言えないものの、ある程度実用に耐えうる規模の滑走路を備えた基地施設の拡充を、僅か1週間弱で成し遂げた。



そしてそのタウンジー郊外に設けられた基地に、現地時間の6月20日、ビルマ戦線での帝国軍の反攻の中核となる戦力である増援部隊の1つに含まれる戦闘機部隊の一隊が、遂に到着した。



未来日本軍から供与された高性能エンジン「秋欄」を搭載した三式戦闘機「飛燕」二型改と、同型のエンジンを搭載した四式戦闘機「疾風」一型甲改の2機種で固められた帝国陸軍「飛行第252戦隊」が、到着したのだ。



米英との開戦時、同戦隊は他の飛行戦隊と共に支那戦線において洛陽(ルオヤン)方面において、中国軍及び同軍を支援するアメリカ軍の部隊と、実に激しい戦闘を繰り広げていた。


その中でも、同戦隊は抜群の戦績(同地域における帝国軍側の敵機撃墜機数の実に6割を占める)を収めており、同戦隊に所属する幾人かの歴戦搭乗員の名は、敵である中国軍やアメリカ軍にすら名が知られている程であった。



現在の飛行第252戦隊は、開戦時以来の歴戦パイロットだった黒田栄吉朗大佐が戦隊長を務めており、揮下の3個飛行中隊総計36機と共に、このビルマ戦線にやって来た。


愛機の四式戦闘機「疾風」一型甲改を、滑走路脇の航空機格納用の専用格納庫に駐機した黒田栄吉朗大佐は、同じように自分の機体を格納庫に駐機した部下たちと共に、同じく基地施設内の司令部へとやって来た。



司令部内に入った黒田大佐以下36名を待っていたのは、タウンジー基地の司令官である木下佐京少将であった。


最前線では無い位置に存在するこのタウンジー基地は、実際の所、さほど重要視されていない。


故に、この基地の司令官である木下少将は、指揮官としては「可もなく不可も無い」といったレベルの指揮官であった。


但し…それは飽くまで最前線で指揮を振う指揮官としての実力であって、全ての点において劣っている訳では無かった。


この木下佐京という男は、最前線で戦う指揮官というような人間ではなく、どちらかと言えば持ち前の広い視野と柔軟な発想を用いて後方から戦闘をコントロールする戦略家という表現が、大いに当てはまる人間であった。


現に、木下少将は米英との戦争状態に突入する以前、僅か半年という短期間ながらもアメリカに駐在武官の補佐役として渡米していた。


そしてその時に、世界が認める巨大国家「アメリカ合衆国」の力の根底の一端を、垣間見ていたのだ。


帰国後の木下少将は、米国の産業力を具体的な数値に出した資料を作成するなどして、米国と下手に事を構えないように軍上層部に進言すると共に、自身が籍を置く帝国陸軍の近代化にも従事していた。


だが、確かな見識を持ち、柔軟な発想をする事が出来た木下少将の陸軍改革の為の意見は、一個人としての意見としては優れていたものの、硬直した思考を持ち、なお且つ既存の権益を保持する事に固執する軍上層部にとっては、厄介以外の何物でもなく、結果として提出した自身の意見報告書が災いとなって中央の出世コースから、外されてしまった。


しかし、現場の人と成った木下は、持ち前の確かな見識と柔軟な発想力とが功を奏して、部下となった下士官以下の人間からは、広く慕われていた。


持ち前の温厚な性格も、その人気に拍車を掛けた。


彼が指揮を執る事になった部隊は、他の部隊より戦果を上げる事も多く、支那戦線においても抜群とまではいかないまでも、平均以上の戦果を上げていた。



…話が逸れてしまった。


兎に角、木下少将は同時代に活躍した指揮官と比べ、確かな見識や優れた発想力を持っていた事は確かだ。


この日に木下少将が司令官であるタウンジー基地に配備される事なった飛行第252戦隊を率いる黒田大佐をして、


『このような人(木下少将を指す)が軍の中央にいれさえすれば、少なくともこれ程大きな戦争に帝国が突入する事は無かった筈だ』


と戦後に自身が執筆した回顧録に書いたほどだ。



*もっとも、黒田大佐がそのように自身の回顧録に記したのは、当時の帝国軍(帝国陸軍)の将校に、そのような確かな見識等を有していた指揮官が、それ程多くなかった事を暗に示している。




木下少将に着任の挨拶を行った飛行第252戦隊の面々は、一旦兵舎へと向かったものの、長く寛ぐ事は出来なかった。


タウンジー基地に新たに設置された(未来性の)高性能対空レーダーが、米英軍の勢力下にあるインド方面より定期的にやって来る「定期便」と呼ばれる爆撃隊の接近を捉え、敵機接近を知らせる警報を発したからだ。



警報が鳴った直後、飛行第252戦隊の搭乗員はすぐさま愛機が格納されている滑走路脇の格納庫へと走り、出撃の準備に入った。



幸いにして、飛行第252戦隊所属機は、全機が既に出撃準備を整えており、いつでも飛び立てる状態であった。


機体の心臓たる発動機「秋欄」のセルモーターを起動し、エンジンを稼働状態にもっていた搭乗員達は、エンジンの出力を絞りつつ滑走路の端まで誘導員の指示に従って移動し、飛び立つ準備が整った機から、順次エンジンの出力を最大まで移行させ、大空へと次々に飛び立っていった。



全機が異常なく大空へと飛び立つ事が出来た飛行第252戦隊の面々は、4機で1小隊を形成して、合計12個小隊36機で迫りくる米英軍機の迎撃に向かった。



一方の攻める側であった米英軍は、どうであったのか…


今回のタウンジー基地攻撃の為に出撃したのは、連合国側が保持する最前線基地である「インパール」から飛び立った英国の爆撃機軍団に属する「第29・36爆撃機群」の2個群合計107機の「ランカスター」重爆と、その爆撃隊の護衛を務めるアメリカ陸軍航空隊所属のP−51D「マスタング」戦闘機64機の戦爆合計171機であった。


米国の戦闘機部隊が、英国の爆撃機部隊を護衛して帝国へと攻撃を行う…という世にも奇妙な光景であった(事実、指揮権の問題で両者は相当揉めた)が、両国の本国では「米英の堅い結束」を示す絶好のプロパガンダとして利用されるなど、非常に特異な面を持っていた。



もっとも、そんな事は前線の兵士には関係ないと言わんばかりに、持ち前の膨大な量の物量を生かした米英側の攻撃は、帝国にとっては厄介な事この上なかった。



現に、ビルマ戦線の航空戦力比は、本格的な増援・補給を得た米英側が圧倒的有利に立っている事は明確であり、ビルマの西半分を完全に我が物顔で飛んでいる米英の爆撃機の姿を見れば、子供でも理解できた。



ただ、その米英側の圧倒的有利な現状も、どうやら今回の航空戦によって、大きく変化しそうであった。



タウンジー基地を飛び立ってから約2時間。


先日米英側の300機を超える爆撃隊を中心に行われた「マンダレー空襲作戦」の舞台であるマンダレーから北に70〜80km地点を飛んでいた攻撃隊に、異変が生じる。


攻撃隊の本体である107機の「ランカスター」と、それを護衛する52機の「マスタング」に先行する形で突出している12機の「マスタング」の内の1機から、通信が入ったのだ。


曰く、『敵機の待ち伏せを受けた』という…



この報告に、攻撃隊の隊員達である多くの兵士が、疑問を持った。


しかし、暫くして前衛部隊たる12機からの定時連絡が途絶えた。


そしてその数分後には、本来なら前衛部隊の戦闘機が展開している方向から、倍以上の数の黒点が接近してくるに至り、米英連合の攻撃隊は自身の攻撃隊が以前には考えられなかった事態に陥っている事をようやく認識したのであった。


もっとも、その認識を抱くには、明らかに遅ぎた。


敵機は既に、目と鼻の先にまで接近してきたのだ。



英国の爆撃隊の指揮官であるエドモント・ルール・ジャックステイン中佐は、咄嗟に指揮下の爆撃隊に対戦闘機用フォーメーションである「ボックス隊形」をとるように命じると共に、護衛を務めるアメリカ陸軍航空隊の戦闘機部隊に、接近してくる日本軍機の撃滅を命じた。


*基本的に、米英連合の攻撃隊の指揮権は、爆撃機に占める割合によって決められていた。故に今回の場合は攻撃隊の主力たる爆撃機は、全機が英軍機と言う事もあって、指揮権は英国側が握っていた。



命令を受けた米軍機は、残存機である52機の内、爆撃隊の護衛として16機を残し、36機を率いて迎撃に向かった。


対する日本軍機は、先程前衛部隊の「マスタング」戦闘機12機を全機叩き落とし、勢いに乗っていた黒田大佐率いる36機の戦闘機部隊であった。



実に驚くべきことだが、圧倒的な機数の差と高度差を生かした奇襲攻撃を仕掛けたとは言え、黒田大佐が率いた飛行第252戦隊は、後に「マスタング」の決定版と言われたPー51Dを、全機撃墜したのだ。


その時の勢いそのままに、黒田大佐以下36機は、同数の敵機を相手に戦闘を挑んだ。



爆撃隊を守るべく、自機を犠牲にしてまで戦う味方の戦闘機隊の奮戦を、爆撃隊の隊員やその爆撃隊の護衛の為に残った16人のアメリカ陸軍航空隊の隊員たちは、信じて疑わなかった。


これまで通り、向かってくる敵機を全機撃滅する事を、信じて疑わなかった。



だが、彼等攻撃隊の隊員たちの目論見は、願いは、脆くも崩れ去った。


攻撃隊の隊員たちが目にしたのは、これまでに無い高性能を誇る日本軍機を迎え撃ち、苦戦する味方機の姿であった…



黒田大佐が自ら率いる飛行第252戦隊の第1小隊以下4機は、一旦戦闘が行われている高度6800m付近から1000m程上昇し、戦況の推移を確認した。


黒田大佐が目にしたのは、支那戦線以来の歴戦パイロット達が操る三式・四式の両戦闘機の改良型が、米国が世界に誇る戦闘機「マスタング」…しかも決定版と呼ばれるD型…を相手に互角以上に戦っている姿だった。



エンジンを交換し、また細かい部分においても改良を受けた2機種の日本軍機は、米国が誇る強力な戦闘機に対してもあらゆる面において、多少は劣る面は未だに存在するものの、少なくともカタログスペックだけを見るなら対等に渡り合える機体を手にしたのだ。


しかも、支那戦線以来の超ベテランである歴戦の搭乗員達によって操られた日本軍機は、護衛についていたアメリカ軍機のパイロット以上の力量を持っていたのだ。


故に、戦闘を開始してから僅か数分の間に、味方は6機の落伍機こそ出したものの、撃墜された機体は1機も存在していない一方、米軍機は既に16機を失い、残った20機も多くが被弾していた。



その光景を間近で見ていた攻撃隊の指揮官であるジャックステイン中佐は、同じ友軍であるとは言え、味方機が全滅するまで戦ってほしい…と内心では思っていたものの、それを口にして命じる事など当然の如く出来ず、仕方なく被弾した戦闘機部隊に撤退を許可するしかなかった。



そしてこの好機を逃す程、帝国軍の軍人はお人好しでは無かった。


護衛の減った攻撃隊に、「羊を襲うオオカミ」の如く、獰猛に襲いかかった。



最後の切り札的存在であった16機の「マスタング」も、ほぼ同数の日本軍機との空戦に巻き込まれ、護衛の体をなさなくなった。


黒田大佐直率の第1小隊と、副戦隊長を務める黒田大佐の親友である江夏豊久中佐の第2小隊(第2小隊も第1小隊同様、四式戦闘機「疾風」の改良型を使用)は、護衛機との空戦を他の小隊に任せ、大物(無論、敵の爆撃機を指す)を「狩る」べく、弾幕を掻い潜って接近した。



爆撃機の下方から接近した8機は、両翼に装備された4門の20mm機関砲を一連射して発砲した。


発射された機関砲弾は、吸い込まれるように爆撃機の編隊に命中し、少なくとも「ランカスター」重爆2機が空中で爆散し、撃墜された数の2倍に当たる4機が大きく損傷して落伍した。



たった1度の攻撃によって、2機を撃墜され、倍の4機を落伍させられた爆撃隊は、大きく動揺したように見えた。



事実、一部の機体がボックス隊形を崩し、編隊に乱れが生じた。


一撃目を編隊下方から上方へと一撃離脱で与えた第1・第2小隊は、再び一撃を加えるべく、爆撃隊の上方より襲いかかった。



爆撃隊も、むざむざやられるつもりは無い。


機体下方より襲われた時と違い、機体の上方に設置された大量の防護用の機銃を撃って、弾幕を張った。


未だ100機以上の爆撃機によって構成された編隊が張る弾幕は、かなり強力であり中々接近できるものでは無かった…筈だった。



英国の爆撃隊にとっての誤算は、自分達の編隊を襲ってくる30数機の日本軍機が、自分達が見た事も聞いた事も無い程強力な機体であった事だ。



時速700km/hに達する高速機は、自分達側…つまり連合国側のアメリカかイギリス、或いは敵国である技術大国ドイツのいずれかしか保有していないと考えていた爆撃隊の隊員達は、その高速性に面食らった。


時速700km/hに達する敵機の迎撃の訓練など、爆撃機に乗り込む機銃手達は受けた事は無かったからだ。



故に、爆撃隊の機銃手達が撃つ機銃弾が、迫りくる日本軍機を捉える事は出来ず、日本軍機による二撃目を許してしまった。


もっとも、そうは言っても爆撃隊が張った弾幕は、無視できるような代物では無かったらしく、日本軍機による二撃目の被害は撃墜機0、落伍機2で納まった。


しかし、ホッとするのも束の間、爆撃隊の隊員たちが見たものは、先程の2回の攻撃時に比べて倍以上に増えた戦闘機が、自分達の編隊に向かって迫って来る光景だった。




護衛を務めていた16機の「マスタング」戦闘機を、あらかた片付ける事に成功した飛行第252戦隊は、被弾してタウンジー基地に向かって退避・後退した3機を除いた全33機によって、改めて爆撃機の編隊に向かって総攻撃を再開した。





この日、マンダレーから約80km程北方で行われた日米英の3ヵ国の三つ巴(?)の航空戦は、2機種の新型戦闘機を前線に投入した日本軍の勝利に終わった。


航空戦事態は、タウンジー基地を目指してインパール基地を飛び立った攻撃隊を、同基地の(未来性)高性能対空レーダーによって接近を察知した同基地所属の戦闘機部隊が迎撃。


彼我の戦力差を物ともせずに奮戦した日本側の勝利であった。


しかし、実態はそう簡単な物では無かった。



護衛を務めていた戦闘機の相当に、相当数の弾薬を消費してしまった事もあって、有効な攻撃を僅かな間しか行えなかったからだ。


爆撃隊は、弾切れとなった日本軍機を尻目に、目標であるタウンジー基地に刻一刻と近づいていく。


ただやられるのを、黙って見ているしかないのか?


飛行第252戦隊の搭乗員達が、その光景を歯噛みして見つめていた時、機内に設置されていた無線機から、1本の連絡が入る。



その内容は、彼等をして、信じられない様な内容だった。



数分後、南の方角から「海軍機」と「陸軍機」の援軍が、東の空からは「陸軍機」が、それぞれ友軍の危機を救うべく、応援に現れたのだ。



南から現れた戦闘機部隊は、インド洋のアンダマン海にまで進出した帝国海軍が保有する歴戦の空母機動部隊である第4航空艦隊第2航空戦隊所属機である48機の艦上戦闘機「雷鳴」と、ヤンゴン基地に進出している陸軍の「飛行第268戦隊」所属の24機の「疾風」改戦闘機の合計72機。


更に、東から現れた陸軍の「飛行第289戦隊」所属機の「飛燕」改戦闘機18機が、応援に現れた。



この応援部隊の登場によって、戦局は一気に帝国側に有利になった。


「雷鳴」や「飛燕」改、「疾風」改の翼内に装備されている20mm機関砲が火を吹く度に、少なくない数の「ランカスター」が撃墜される。


たとえ撃墜されなくても、最低限、落伍させる位の戦果は上げていた。



所で、何故陸軍機の応援は兎も角、海軍機の応援がいるのだろうか?



答えは、偶然に偶然が重なっていた。



戦闘が行われたその日、応援に駆け付けた海軍機の母艦である「信濃」・「大鳳」の2隻が所属する第4航空艦隊第2航空戦隊は、ビルマ戦線への増援部隊の護衛為にインド洋のアンダマン海に進出していた。


その第4航空艦隊第2戦隊は、偶然にも補給の為にマルタバン湾に面している「モーラミャイン」に寄港していた。


そしていざ出港と行こうとした途端、モーラミャインにいた陸軍部隊から緊急連絡が入った。


その緊急連絡こそ、タウンジー基地の木下少将が発した緊急暗号通信であった。



その緊急暗号通信を受け取り、一読した第2航空戦隊の将官は、すぐさま揮下の戦闘機隊に救援の為の戦闘機部隊の発進を命じ、陸軍の戦闘機部隊の応援をするように図ったのだ。



緊急連絡を受けた30分後には、五月雨式に48機の戦闘機が飛び立ち、途中でヤンゴン基地から飛び立った陸軍機とも合流して、タウンジー基地と同基地所属の飛行第252戦隊の危機に駆け付けたのだった。



総計90機にも及んだ応援部隊によって、タウンジー基地と黒田大佐以下30数名の飛行第252戦隊の面々は、事なきを得た。



反対に、攻撃を敢行した米英合同攻撃隊は、総勢171機で出撃したにも関わらず、1発の爆弾を目標に投下出来ぬまま、出撃した戦闘機64機の内の半分にも及ぶ32機を失い、また同時に101機いた「ランカスター」重爆も59機を撃墜され、帰投後も31機を失うなど、合計で90機を失った。


全体で121機も失った米英軍の動揺は大きく、これ以後の航空攻撃を大きく躊躇させる原因になった。



しかし、今回の空戦は、その後に行われる帝国軍の大反攻の一端に過ぎなかった…



如何でしたでしょうか?


次回も今回と同じくビルマ戦線の続きを執筆します。



…次回もお楽しみに。


それでは。



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