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第21話 米軍が歩んだ軌跡5

どうも、クラウスです。


最新話を投稿したしました。


尚、今回の第21話の最後には、読者の皆様に大変不快な思いをさせる可能性が御座います。


*尚、作中最後の部分の事件・悲劇は、一切史実において確認されていない架空の事件であります。


予めご了承ください。


それでは、どうぞ。

マリアナ諸島を巡る戦闘は、米機動部隊の先制パンチによって、帝国がマリアナ諸島一帯に配備した航空戦力を軒並み潰される事から始まった。


2回の空襲によって、サイパン・テニアン・グアムの3島の主要な飛行場は壊滅し、基地に配備されていた航空機は、その機体を大空へと羽ばたかせる事無く、滑走路脇の駐機場や格納庫の中で、動かぬ鉄の塊となっていた。


唯一大空へと飛びたてたのは、米機動部隊を発見して出撃した第1次攻撃隊…結果的に第1次しか出撃出来なかったが…の陸海軍合計298機と、迎撃に上がった戦闘機部隊だけであった。



さて、その帝国側が放った攻撃隊は、自分達の帰る場所が無くなっている事を知らぬまま、ひたすら米機動部隊を目指して突き進んでいた。


基地を飛び立ってから約1時間半…マリアナ諸島から飛び立った攻撃隊の編隊の眼下には、傷付いた8隻のエセックス級空母からなる米機動部隊の中の1群を見つけた。


攻撃隊は、この好機を逃す事無く、小動物を狩る「獰猛なオオカミ」の様に米機動部隊へと攻撃を開始した。



しかし、何故彼らが発見したこの米機動部隊は、傷付いていたのだろうか?


答えは、本土からやって来た帝国海軍第3機動部隊が握っていた。



マリアナ諸島から出撃した攻撃隊が、未だ洋上を飛び続けている頃、第3機動部隊から攻撃隊が出撃した。内訳は…


 −−− 第3機動部隊 第1次攻撃隊 −−−


零戦123機:赤城級から各27機、翔鶴級から各24機、『大鳳』から21機


「天山」艦攻36機:赤城級から各12機(全機雷装)、翔鶴級から各6機(全機雷装)


「彗星」艦爆24機:赤城級から各6機、翔鶴級から各6機


九九式艦爆6機:翔鶴級から各3機


全機合わせて189機の第1次攻撃隊である。



さらに、第1次攻撃隊に続けて第2次攻撃隊も、出撃をした。


その内訳は…


零戦60機:赤城級から各12機、翔鶴級から各15機、『大鳳』から6機


「天山」艦攻36機:赤城級から各6機(全機雷装)、翔鶴級から各12機(全機雷装)


「流星」艦攻6機:『大鳳』から6機(全機雷装)


「彗星」艦爆24機:赤城級から各6機、翔鶴級から各6機


計126機の攻撃隊である。


2波合わせて315機の攻撃隊は、マリアナ諸島攻略の為に展開していた6つの米機動部隊の内、もっとも北に展開していた艦隊へと向かって快晴の大空の中を、突き進んで行った。


もっとも、315機もの航空機を投入しても、6つの機動部隊全てを潰せる筈が無い。それは明確だ。どんなに頑張っても、2つ潰せれば御の字だろう。


そもそも今回の戦いに投入出来る(或いは投入した)空母の数に、大きな差があるのだ。


米軍がエセックス級正規空母を22隻、インディペンデンス級軽空母17隻の39隻に加え、40隻近くの各種護衛空母を擁していた。


一方の帝国軍は、第3機動部隊の赤城級2隻と翔鶴級2隻、旗艦である大鳳級空母『大鳳』の5隻の正規空母に、第4機動部隊に組み込まれている正規空母に準ずる搭載機数を誇る2隻の商船改装空母の飛鷹級が2隻、更に同じく改装空母の千歳級が2隻、そして第4機動部隊旗艦の『龍驤』の5隻の準正規空母・改装軽空母と、戦艦・巡洋艦が主体の第2艦隊に制空戦力確保の為に編入されていた軽空母『龍鳳』・『瑞鳳』の2隻とを加え、合計で12隻…


日米の母艦機の差も、米軍が4千機を超える艦載機を擁していたのに対して、帝国側は677機である。


この帝国側の数字は、捕用機を合わせた数であり、実際の戦闘で参加する…使用されると言うべきか…機体数は、600機を下回る。


無論、米軍側も捕用機や帝国軍機とまともに戦えない旧型機も多数存在するとは言え、それでも零戦の天敵と言えるF6Fを始めとする強力な機体が、数千機も存在するのだ。


機動部隊同士の戦いでは、帝国側に勝ち目は無い。それは戦闘を知らない子供ですら理解できる事であった。


それでも、彼等は戦場へ向かう。帝国の為に…




さて、第3機動部隊から出撃した2波合計315機の攻撃隊は、複数存在する米機動部隊の中の1部隊へと向かって行き、そして目標としていた敵艦隊を発見し、攻撃を開始した。


眼下の敵機動部隊には、中部太平洋諸島の島々にいた友軍兵士達の多くの命を奪ってきた憎き『エセックス』級を中核とした…それも8隻という数…部隊を発見し、一斉に攻撃を仕掛けたのだ。


まず真っ先に始まった戦闘は、米機動部隊の上空にいた直掩のF6F「ヘルキャット」64機と、第1次攻撃隊の護衛を務めていた零戦123機同士の戦いである。


この時攻撃を受けた米機動部隊は、第3機動部隊からやって来た第1次攻撃隊を、敵編隊と認識していなかった。


時間的に見て、数時間前に出撃して帰投してくる味方の攻撃隊であると考えていた。


また、これは米軍全体に言えた事であったが、


『ジャップの機動部隊は、俺たちの大艦隊を恐れて逃げ帰っちまった!』


…という信じられない様な戯言を、末端の兵士達だけでなく上級将校ですら信じていたのだ。


一説には、この時全艦隊を統括しているハルゼー大将すら、この戯言を本気で信じていたとすら言われていた。



このような楽観論が、艦隊に属する将兵全員に蔓延していた事により、第3機動部隊の攻撃を受けたこの艦隊は、多くの代償を支払う事になってしまった。


まず最初に起きた戦闘機同士の戦いは、数に勝る零戦が性能で勝る…無論全ての性能に勝る訳では無い…F6Fを圧倒し、後続の艦攻・艦爆を一機も落とされる事無く、其々の攻撃位置まで進出させた。



生憎とこの時米艦隊は、マリアナ諸島に対する第2次攻撃隊の発進準備に取り掛かっており、いくつかのエセックス級空母の飛行甲板上には、爆弾を搭載したSB2C「ヘルダイバー」やTBF「アヴェンジャー」、機銃弾を満載にして出撃の時を待つF6Fが、少なからずいた。


この時に重要だったのが、この発進準備をしていた機体の多くに、既に航空燃料が給油されていた事であった。


もし仮に、爆弾の1発でも命中すれば、飛行甲板を破壊されて戦闘能力を失うばかりか、最悪沈没する危険性をもっていた。


故に、直掩の戦闘機を失った米機動部隊は、盛大な弾幕を打ち上げて、1機でも多く…否、全機を落とさんばかりの勢いで、弾丸を大空へと打ち出していった。


米軍は、43年の6月以降に、対航空機用の新型対空砲弾である近接信管を組み込んだ対空砲弾を、空母や戦艦は勿論、巡洋艦や駆逐艦、はたまた輸送艦などの船舶にまで搭載していた。


この近接信管は、従来の信管が目標とする物体の速度や高度から予想される接触未来位置までの時間を計算してあらかじめセットしてから打ち出され、一定時間後に爆発する時限式信管と違い、信管内に予め(小型)レーダーを内装して打ち出し、目標が砲弾の近くを通るだけで信管内装のレーダーが反応し、爆発する仕組みである。


*史実では、米軍はこの近接信管を開発する為に「あの」マンハッタン計画に匹敵する予算と開発スタッフを用意したと言われている。



この対空砲弾によって、対艦攻撃に移った帝国海軍の第1次攻撃隊は、尋常ならざる損害を受けた。


まず真っ先に大損害を受けたのは、急降下爆撃を仕掛けた30機の爆撃機である。


戦闘機の妨害を受けなかったまでは良かったが、いざ肝心の爆撃を開始しようとした所で、近接信管装備の対空砲弾によって、30機いた内の実に17機が撃墜された。


爆弾の投下に成功したのは13機。その内、九九式艦爆は1機のみであった。


投下に成功した13機であったが、目標であった空母に命中した爆弾は、たったの2発だけであった。


しかし、その内の1発が、前述の第2次攻撃隊を準備していたエセックス級の内の1隻に命中し、大火災を発生させた。


濛々と黒い煙が上がり、米軍将兵の視界を遮る。


その中を、好機と言わんばかりにプロペラが海水に接触するのではと言わん程の低空飛行で、目標とする敵艦へと突っ込んで行く雷撃機の姿があった。


『赤城』・『白城』・『翔鶴』・『瑞鶴』の4空母から出撃した36機の「天山」は、機体下部に必殺の九一式魚雷を敵艦に喰らわす為に、一矢の乱れも無く突っ込んでいった。


この36機の「天山」は、運悪く水面にプロペラが接触してバランスを崩して海面に突っ込み、大破した1機を除いて、全機が魚雷の投下に成功した。


35本の魚雷は、思い思いの敵艦へと向かって行き、大きな水柱を命中した艦の脇に、発生させていた。


その水柱の発生した数…凡そ28個。


35本の魚雷の内、実に28本のも魚雷が命中したのだ。しかも、回避運動をとっている敵艦に命中させたのだ。


その命中率は、驚嘆に値するものである。


しかし、命中本数の割に、大物は食えなかった。


命中した魚雷の大半は、輪陣形を敷いていた米機動部隊の内の、もっとも外側に位置する駆逐艦に命中していた。


結果、10隻以上の駆逐艦を瞬時に撃沈し、更に2隻のクリーブランド級軽巡洋艦を撃沈したものの、空母にはたったの3本しか命中せず、撃沈した艦は無かった。


しかし、この第1次攻撃隊の攻撃は、決して無駄にはならなかった。


何故なら、第1次攻撃隊が攻撃を終了させてから僅か20分後には、マリアナ諸島から出撃した攻撃隊が、この艦隊に殺到してきたからであった。



そして、冒頭の記述に戻る…


マリアナ諸島から出撃した攻撃隊は、誘導する3機の「天山」艦攻に率いられ、「運良く」つい先程まで第3機動部隊の第1次攻撃隊が、攻撃を行っていた機動部隊の上空まで接近した。


そして遂に…マリアナから出撃した攻撃隊の、猛攻が始まった。


真っ先に先陣を務めたのは、開戦以来のベテラン搭乗員である島津幸久海軍少佐に率いられた86機の「彗星」艦爆隊であった。


当然米軍も、新たに大編隊が接近してくる事には、優秀なレーダーを装備していた事もあり、気づいていた。


しかし、先の防空戦からそれ程時間が経っていない事もあって、迎撃機を上げる事は敵わず、仕方なく対空火器による防空戦を、再び行う事になった。


間断無く打ち出される砲弾の中を、帝国海軍が誇るベテラン搭乗員が指揮して率いる急降下爆撃隊が突っ込んでいく。


しかし、米軍には誤算であったのが、先の第3機動部隊から出撃してきた部隊が放った魚雷により、多くの駆逐艦を失っていたが為に、近接信管による鉄壁と言える防空網に穴が出来ていた事であった。


結果、86機中11機を失いながらも、残りの75機は爆弾の投下に成功し、8隻いたエセックス級空母の内、先の戦闘で大損害を受けていた1隻を除いて健在であった7隻全部に、2発〜4発の爆弾を命中させ、飛行甲板を破壊し、空母としての機能を損失させた。


更に空母以外の艦艇に投下された爆弾の多くも、護衛を務める駆逐艦や巡洋艦に叩きこまれ、大きな損害を与えていた。


そこへ「主役は俺だ」と言わんばかりに登場したのが、雷装の「天山」艦攻48機と、同じく雷装の九七式艦攻32機…計80機の雷撃機と、何故か低高度に降下してきている24機の「陸軍機」…九九式双発軽爆撃機であった。


低空から侵入してきた108機の航空機は、四方八方から米艦隊へと突入し、次々と魚雷を放った。


同じく低空から侵入した陸軍機である九九双発軽爆撃機は、格納されていた250kg爆弾を目標から200m前後で海面に投下して、水面で反発させて攻撃目標へと到達・命中させる反跳爆撃を仕掛けた。


これ等合計108機の陸海軍機による雷撃・反跳爆撃は、空母を護衛する駆逐艦や巡洋艦の防空火力の減退によって、数機の被撃墜機を出したものの、奇跡と言えるほどの戦果を上げた。


まず24機の陸軍機が仕掛けた反跳爆撃が、未だ健在な駆逐艦・巡洋艦に命中し、敵艦隊の防空火力を削る。


そして同じく低空から侵入してきた艦攻が、数機の味方機の犠牲を出しながらも見事投下した70本を超える魚雷は、その大半が命中した。


例えば、魚雷4本を集中して左舷に受けた8隻のエセックス級空母の内の1隻である『レプライザル』(史実では未成)は、弾薬庫近辺に魚雷が命中した事も相まって、一瞬のうちに轟沈してしまった。


また、左舷に1本と右舷に2本の魚雷を受けたエセックス級空母『シャングリラ』は、浸水によって艦の傾斜が以上に傾き、浸水から僅か30分後に転覆し、海底へと沈んでいった。


この攻撃によって、エセックス級4隻の他、ボルティモア級重巡洋艦2隻にノーザンプトン級重巡洋艦1隻、オハマ級軽巡洋艦3隻に各種駆逐艦・護衛艦13隻…合計23隻を撃沈した。


更にほぼ同数の艦艇にも大きな損害を与えており、戦果は上々とも言えなくも無かった。


しかし、帝国は勝てる時には勝つと言わんばかりに、止めの一撃を差し向けていた。


それが、第3機動部隊から出撃していた第2次攻撃隊であった。


マリアナから出撃した部隊が攻撃を終え、マリアナへと帰投してから僅か5分後、生き残っていた米艦隊のレーダーに、絶望的とも言える数の敵編隊の姿が映った。


4隻の空母を沈められ、残った4隻も飛行甲板もズタボロに破壊されて航空機の発艦が敵わない状況では、艦隊の防空火力に頼らざるを得なかったが、2度の空襲によって多くの艦艇が撃沈または損傷を受けた事によって、艦隊の防空火力は最初に比べて格段に落ちていた。


そしてそんな中で行われた最後の航空攻撃は、帝国側にとっては最高の戦果を、米軍にとっては最悪の結果を、双方に与えた。



結果から言えば、残存していた4隻の空母は全て海の藻屑と化し、くどい様だが護衛を務める多くの艦艇に損害を与えた。


更に、運が悪い事に、偶然にもマリアナ攻撃に向かっていた自軍の攻撃隊の帰投が、帝国軍の攻撃と重なってしまったのだ。


この結果、帝国軍側の攻撃隊の護衛を務めていた零戦が、帰投中の米攻撃隊へと襲いかかり、偶発的な空戦が発生した。


しかし、米攻撃隊の護衛を務めたF6Fの多くは、マリアナ諸島の飛行場攻撃時に、多量の機銃弾を機銃掃射で消費しており、中には1発の機銃弾すら持っていない…つまりは弾切れ状態の機体すらいた。


そんな状態の米軍機の編隊に、60機という圧倒的数に劣る状態にありながらも、歴戦の搭乗員が操る零戦に勝てる道理は無かった。


実に半数近くにも及ぶ120機弱を失った米攻撃隊の編隊は、しかし結果的に空母全てが海の藻屑となっている以上、全機が水面に不時着水し、失われた。


そんな米軍の状況を尻目に、悠々と飛び去る帝国軍機の編隊が、米軍将兵の目に焼き付いていた。




帝国海軍第3機動部隊とマリアナに配備された基地航空隊の活躍により、6つあった米機動部隊の内の一角を撃滅した帝国軍であったが、しかし緒戦でマリアナの航空戦力を叩き潰された影響はやはり大きく、4月5日には数千隻を超える輸送船や上陸用舟艇がマリアナ沖に現れ、圧倒的な規模での上陸支援作戦の下、マリアナ諸島への上陸が開始された。




帝国軍の必死の水際防衛作戦も空しく、上陸した米軍は橋頭保を確保し、占領地・制圧地の拡大を推し進めた。


サイパンやテニアン・グアムなど、各島々に上陸した米軍は、帝国軍の必死の抵抗を各地で打ち破って帝国軍を追い詰めて行った。


マリアナに配備された帝国軍の機甲戦力は、ノモンハン事変当時の主力戦車である九七式や、その改良型である一式中戦車であり、米軍のM4にはまったくと言っていい程、歯が立たなかった。


しかし、全て米軍の思う通りにマリアナ攻略が進んだ訳では無かった。


米軍の損害は、帝国軍の必死の抵抗によって許容範囲を大きく超える損害を受けていた。


何より、1ヶ月経ってもサイパン・グアム・テニアンの3島が陥落しないのは、大きな誤算であった。


特に、補給部隊や前線で戦っている部隊に対する少数の兵士による「夜襲」や「ゲリラ戦術」は、米軍の兵士達にとって肉体的・精神的に大きな圧迫を与え、度々米軍の攻撃の気勢を削いできた。


もっとも、これ等の戦術を用いたとしても、帝国軍は部分々々の局地的な勝利しか掴む事は出来ず、米軍の上陸開始から2ヶ月後の6月8日…遂に、テニアン島が米軍の手に落ちた。


更にその1ヶ月後には、グアム島を守っていた帝国陸軍の2個師団が相次いで壊滅し、組織的な抵抗能力を失った。


7月の初めに、サイパン・グアムの両島に其々10万人規模の新手が上陸した事により、大勢の流れを覆す事は、最早不可能な状態になった。


そして7月28日には、組織的抵抗能力を失ってなお抵抗を続けていたグアム島が、完全に米軍の制圧下に置かれ、戦闘終了宣言が出された。


そして約1ヶ月後の9月2日…


マリアナ諸島方面の指揮を任されていた最高司令官である原田龍之介大将が、米軍への降伏を決定し、翌3日に降伏文書へと調印し、マリアナ諸島を巡る日米の戦いは終結した。



マリアナ諸島を巡る攻防戦の緒戦で、獅子奮迅の活躍をした帝国海軍第3機動部隊であったが、4月10日に行われた第2次マリアナ沖海空戦によって、赤城級空母の4番艦『白城』や翔鶴級空母の1番艦『翔鶴』を沈められ、艦載機の多くも敵正規空母1隻と軽空母3隻撃沈と引き換えに、7割を損失して敗退。


後方に位置していた第4機動部隊と、前衛としての役目を務めた第2艦隊の其々が撤退の援護に回るも、圧倒的な規模の米機動部隊の艦載機には敵わず、第2艦隊所属の戦艦『扶桑』・『比叡』・『霧島』、重巡洋艦の『愛宕』や『摩耶』・『羽黒』が相次いで沈められた。


第4機動部隊も艦載機である零戦を出撃させて、必死に防空戦闘を行ったものの、奮戦空しく空母『飛鷹』・『龍驤』の2隻が沈められてしまった。


這這(ほうほう)の体で何とか退却してきた帝国海軍の艦艇に、無傷な艦は1隻もいなかった程だ。


*これ以後帝国海軍は、未来日本軍の援助を受けるまでの暫くの間、大きな行動を起こす事は無くなった。



米軍は、このマリアナ諸島占領後、自分達が破壊した飛行場を修復して、これからの攻勢に備えると共に、再び戦力の拡充を急いだ。


もっとも、米軍の優位は長続きしなかった。


僅か1ヶ月後には、未来日本の援軍が現れたからだ。


だが、この事実を予見できる者は、誰一人としていなかった。




 −−− 1945年4月11日 ハワイ真珠湾 −−−


『出港!』


『了解!』


エセックス級空母の『レイバルク』に乗艦している艦隊司令官のハルゼー大将の、ドスの利いた力強い声が響き渡る。


マリアナ占領から早8ヶ月…遂に米国は、帝国を滅ぼすべく動き出した。


帝国と米国の雌雄を決する一大決戦は、もうまもなく始まろうとしていた…




さて、一番最後に本題から大きく離れる(脱線する)事になるが、戦後に問題となったある事について、ここで語らせて貰おう。


マリアナを巡る一連の戦闘では、両者の激しい戦闘が注目されがちであるが、戦後に発見された資料によって、ある問題が物議を呼び起こした。


それは、米軍兵士による捕虜虐殺と、一般人である日本人の婦女子に対する暴行・陵辱事件とそれを恐れての集団自殺であった。


前者の捕虜虐殺は、マリアナ諸島での戦い以前から、日米兵士の双方の間で度々起きていた。


虐殺事件が起きた場合の多くの理由は、その大半が戦友を殺された事に対する復讐心から生まれたものであった。


一方の後者であるが、これは前者以上に性質が悪かった。


子供ずれの若い女性を、銃で脅して陵辱するといった事例は、戦闘の公式な記録には残らないものの、実際の現場では日常的に見られた。


悪質な事例の中には、保護すると日本人の女性10人程に呼び掛けて、隠れていた場所から出てきた女性達を銃で脅しつけて裸にし、何処かへ連れ去って行った…といったとても信じられない様な事件も起きていた。


中でも衝撃的だったのが、「23事件」と言われた事件であった。


この事件は、米軍に保護された日本人女性23人が、米軍兵士に犯された揚句、米軍兵士の従軍慰安婦のような事をやらされた事件である。


*後にこの事件は、米国政府が被害者の女性に多額の賠償金を支払うと共に、当時の軍上層部に厳罰を与えて、女性等を陵辱した兵士を可能な限り厳罰に処した事で、一応の解決を見た。



これ等の事件・悲劇は、米軍兵士…延いてはアメリカ人を含む白色人種による日本人への恐怖感から起きたものであった。



マリアナ諸島を巡る戦いは、帝国軍に対して多数の空母や艦載機・地上兵力を失いながらも、米軍が勝利した事によって終了した。


しかし、マリアナ諸島から非難し損ねた少なくない邦人が…特に女子供…が悲惨な運命を辿った事は、疑いようもない事実であった。


そして被害にあった人々は、日米を中心とした世界大戦が終結して以降も、苦しみ続けるのであった。


これ等の事件を、悲劇を、決して忘れてはいけない…

如何でしたでしょうか?


読者の皆様、本文最後部をご覧になって、大変不快な思いを抱かせた事を、深くお詫びいたします。


しかし、戦争というものには、常にこういった事が起きると言う事を知って頂くために、作者である私は書きました。


尚、重ねて申し上げますが、作中の最後に書かれていた事件・悲劇は、作者が考えたフィクションであり、実際にそのような事件が起きたかは、確認をしておりません。


重々宜しくお願いいたします。



さて、話が硬くなってしまいましたが、本来の姿に戻します。


次話以降は、遂に侵攻を再開した米軍との決戦を描きます。


次回をお楽しみにお待ちください。


それでは。

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