第20話 米軍が歩んだ軌跡4
読者の皆様、お久しぶりです。
どうも、クラウスです。
大学の試験が、一段落したので、作品の次話投稿を行いました。
今回の話は、マリアナ諸島を巡る攻防の前編になります。
さすがに1話に纏めるには分量が多くなり過ぎてしまいました。
よって今回の話を前編。
次話を後編といたしまして、『米軍の歩んだ軌跡』の部分を完結させます。
無論、その後も話は続きますので…
それでは、スタートです。どうぞ。
1944年1月4日…
ハワイ真珠湾から出港した大艦隊が、進路を一路南に向け、荒れる海原を突き進んでいた。
1943年の末に、ハワイに到着した増援艦隊は、ニミッツをして過剰とも言える程の戦力を揃えていた。
大型小型を含めた空母は20隻以上、戦艦にしても新旧合わせて10隻以上。
嘗ての強国であったスペインが誇りし「アルマダ」の再来とも言える程の戦力を、ニミッツは手に入れた。
ニミッツがまず触手を伸ばしたのは、帝国海軍が開戦当初に占領したエリス諸島とギルバート諸島であった。
この中でも、特に重視して行われた作戦は、「ギルバート諸島攻略作戦」の方であった。
このギルバート諸島を占領すれば、すぐ近くに帝国の占領地であるマーシャル諸島が存在するとは言え、これまでのようにハワイから大きく迂回する航路を通らずに、ガダルカナルを始めとしたソロモン諸島・ニューギニア地域への補給ラインを確保する事が出来る。
米軍の猛攻は、苛烈を極めた。
3日間に渡った米軍の攻撃によって、日本軍が駐留していたエリス・ギルバートの両諸島の島々は、相次いで陥落した。
日本軍が占領していた両諸島は、呆気なく陥落した。
しかし、それも仕方が無かった。
両諸島に駐留していた日本軍は、陸海軍合計で1万2千人弱であった。
対する米軍は、この中部太平洋諸島攻略の為に、陸軍兵士40万人、海兵隊員8万人を投入出来る体制であった。
最初の生贄に選ばれた両諸島には、陸軍兵士4万人と海兵隊員2万人が参加した。
圧倒的な火力支援を受ける米軍の攻撃に、帝国軍側は成すすべも無く敗退した。
米軍は、この両諸島の攻略によって、日本本土への最初の一歩を踏みだした。
しかし、この戦闘以降にも見られる、米軍の黒い一面…決して社会の表に明るみになる事の無い出来事も、密かに行われていた。
例に挙げるならば、投降あるいは降伏してきた日本軍兵士に対する暴行事件や私的死刑などの捕虜に対する不当な扱いがある。
こえは、日本軍に殺された戦友の恨みを晴らすといった理由が大部分であったが、一部の米軍兵士達に面白半分に殺された日本軍兵士も少なくは無かった。
また、今回のエリス諸島・ギルバート諸島での戦闘後では見られなかったが、後に行われるマリアナ諸島…主にサイパン・テニアン・グアム…での戦闘後には、捕虜となった日本軍兵士の処刑は勿論、民間人である日本人に対する暴行・強姦事件も多発していた。
特に、テニアン島での「23事件」と呼ばれる日本人婦女子に対する集団強姦事件は、その最たるものであった。
この事件は、この後のマリアナ諸島での戦いの後に述べるとしよう。
部隊は再び米軍の進撃へと戻る。
1月中にマリアナへの侵攻ルートを確保した米軍は、エリス・ギルバートの両諸島を攻略した後も、大した休息を取る事無く進軍を続け、1月20日には次の目標であるマーシャル諸島への攻撃を開始した。
マーシャル諸島は、中部太平洋における要衝で、ここを米軍が落とせば、マリアナへの侵攻ルートを確保できるという重要な諸島であった。
マーシャル諸島へと侵攻を開始した米艦隊は、エセックス級空母3隻から4隻で編成される3つの機動部隊へと分離し、マーシャル諸島を構成する諸島郡の中でも重要拠点と目される「メジュロ環礁」・「クェゼリン環礁」・「エニウェトク環礁」の3環礁へと航空攻撃を早速開始した。
帝国海軍は、頼みの切り札である第3機動部隊が、南方のタイランド湾で航空隊の訓練中であった。
もっとも、この時は後に第4航空艦隊へと配備される装甲空母『信濃』は建造途中であり、この時の訓練に参加していたのは装甲空母『大鳳』を旗艦とする5隻の正規空母であったが…
頼みの機動部隊の援護が無い中での日本軍のマーシャル諸島防衛は、困難所か不可能と言わざるを得なかった。
案の定、マーシャル諸島の各島々に駐留していた帝国軍は、米機動部隊から出撃してきた攻撃隊によって銃爆撃を受け、あっと言う間に消耗していった。
元々、各島々に配備された陸上戦力は、多い方では無い。
太平洋戦線での陸上戦力の展開状況は、優先的にニューギニア・ソロモン諸島戦線へと廻されていた事もあって、重要とは分かっていながらも中部太平洋に存在する島々の防衛力強化は、後回しにされていた。
更に、戦況が逼迫してくると、軍上層部はマリアナ諸島の強化を優先し始めた。
これは、同盟国であるドイツや、中立国であるスペインからもたらされた米軍のB−17を超える巨体を持つ新型爆撃機の存在を掴んだからである。
軍上層部は、この新型爆撃機が対日戦に投入された場合の想定を行い、複数の想定を行った。
その中で一番可能性が高かったのが、マリアナ諸島からの本土爆撃であった。
*次点として考えられたのは、支那大陸にある中国軍が有する基地から出撃しての本土爆撃であった。これに対抗する措置として帝国陸軍は、インドシナとの陸路による連絡手段確保の意図も含んでの作戦である「大陸打通作戦」を計画していた。
軍上層部としても本土が爆撃されれば、日本の工業力を全て破壊され、完全に継戦能力を失ってしまうのは明白であった。
唯でさえ他の欧米列強の国々に比べて帝国の工業力は弱いのだ。
その中でも、僅かながらに存在する帝国の工業力を本土爆撃によって奪われれば、帝国が継戦能力を失ってしまう事は、明白な事態であった。
帝国本土に残っていたなけなしの戦車・火砲・弾薬・その他の軍需物資を、本土に残っていた輸送船・貨客船の他、海軍の駆逐艦はもとい巡洋艦クラスの艦艇を動員してまでマリアナ諸島へと人員・物資を輸送した。
…さて、帝国軍がマリアナ諸島の防衛力の強化をせっせと行っている一方で、あっと言う間にマーシャルを陥落させた米軍は、その侵攻スピードを緩ませる事無く次の目標へと侵攻を続けた。
米軍がマーシャル諸島を陥落させた後に、次の目標として計画されていたのが、帝国海軍が誇る一大拠点であるトラック環礁であった。
このトラック環礁は、米軍が植民地として領有していたフィリピンと米太平洋艦隊の本拠地であるハワイとを結ぶライン上に位置している地理的重要性と、環礁内に広がる広大な内海という泊地能力に目を付けた帝国海軍によって、度重なる基地施設の拡充を行って来ていた。
44年の2月の初めの時点でトラック環礁には、帝国海軍の海軍陸戦隊の兵士1万2千人を中心として陸軍兵士2千人、軍属4千人の計1万8千人が環礁各地に展開していた。
航空戦力に関しては、陸海軍の各種戦闘機が計50機前後配備されていたものの、陸攻や艦攻・艦爆といった対艦攻撃能力を保持した機体は存在せず、僅かばかりの水上機が偵察・哨戒任務を遂行する為に残っているだけであった。
そんな状況のトラック環礁へと侵攻した米軍は、先のマーシャル諸島攻略に参加した部隊を再編成した艦隊をもって攻略作戦を行った。
侵攻作戦に参加した米艦隊は、エセックス級空母8隻に軽空母3隻、戦艦各種4隻を中心とした80隻前後の艦隊である。
艦載機の合計数は、900機前後を数え、質は兎も角、数の面ではトラック諸島の帝国軍を圧倒していた。
艦艇数においても、帝国海軍はトラック環礁に旧型駆逐艦を数隻配備しているに過ぎず、そもそも帝国軍側が勝つ見込みなどまったく無かった。
米軍は、当初こそこのトラック環礁の本格的攻略作戦は、行わない方針であった。
機動部隊による空襲だけに留める予定であった。
しかし、いざ大本命であるマリアナ諸島攻略作戦を開始した時に、背後にトラック環礁に日本軍がいると、何が起こるか分からない…という米軍将兵の主張によって、空襲だけに留める当初の予定を変更し、機動部隊艦載機による空襲に始まる本格的上陸・制圧作戦を実施する事になったのだ。
そして、背後に1万7千人の海兵隊と2万9千人の陸軍兵士を抱えた米艦隊は、艦載機を空母から発進させて、トラック環礁内の帝国軍の各基地施設を攻撃した。
入念な3波に渡る航空攻撃の後、軽快艦艇を環礁内へと突入させての艦砲射撃が開始された。
約3時間に渡って交代で行われた艦砲射撃によって、環礁内の主要な島々…四季諸島や七曜諸島…の軍事施設は大きな損害を受けた。
*因みに、当初配備された帝国陸海軍の戦闘機は、米機動部隊の第1次攻撃隊の迎撃時に敵機39機を道連れに全滅していた。
そして、艦砲射撃が終了した後、待ってましたと言わんばかりに、次々と海兵隊・陸軍兵士を満載した輸送船が各島々へと接近し、次々と上陸させた。
あっと言う間に航空隊を殲滅させた自軍の戦いを見ていた海兵隊や陸軍兵士達の多くは、帝国軍を完全に舐めてかかっていた。
しかし、帝国軍はやられたままでいる程大人しくは無かった…
真っ先に反撃を開始したのは、四季諸島の夏島に駐留していた陸海軍兵士計5千8百名であった。
トラック環礁内に展開していた陸海軍の兵士達は、本土からの命令通りにマリアナ諸島と同じく環礁内の各所を要塞化していた。
無限に手に入る浜辺の砂や、本土から輸送されて来た貴重なコンクリートを使用して、頑丈な要塞を作り上げていったのだ。
トラック環礁を固めていた帝国軍の防備は、米軍側が想像して以上に強固であった。
申し訳程度に揚陸させた数量の戦車は、帝国軍の陣地に持ちこまれていた貴重な火砲によって瞬く間に撃破され、兵士達の損害も鰻登りに増えていった。
上陸開始から5日が経過しても、主要な島々を制圧した情報が艦隊司令部に入電される事は無く、一向に制圧は進んでいなかった。
上陸開始から1週間が経った2月の16日、ようやく四季諸島の春島の帝国軍守備隊を殲滅したとの情報が入った。
艦隊司令部の一部が、「降伏では無く何故殲滅なのか」と現地の司令官に問い合わせた所、帝国軍の兵士は降伏する事を知らず、降伏勧告を無視して戦闘行為を続けたので殲滅したとの報告がもたらされた。
この報告は、米軍将校を大いに驚かせた。
帝国軍兵士は、自分が追い詰められても降伏する選択肢を選ぶ事は絶対にしない。
それは、米軍に多大な出血を強要する事に繋がる。
…案の定、米軍はトラック環礁内の各島々を全て制圧するのに約1ヶ月を浪費した。
米軍の戦死者は8千人にも上り、戦傷者の数は3万を超えていた。
更に、多量の砲弾薬を消費し、即マリアナ侵攻は難しくなってしまった。
一旦戦力をハワイにまで引き上げ、補給・整備・休養をした後に、改めてマリアナ侵攻を行う事が決定された。
米軍は、ハワイにて約1ヶ月の間、戦力の補充を行っていた。
そして3月の末のある日、夜がまだ明けきらない未明の中を、マリアナ侵攻の為に大艦隊が真珠湾から出港した。
米艦隊は、陸軍や海兵隊の兵士を満載した輸送船団(上陸船団)をマーシャル諸島付近で護衛の艦隊に任せて分離し、空母を中心とした機動部隊は速力を上げて一気にマリアナ諸島へと接近した。
帝国軍が異変に気付いたのは、定期的に哨戒任務に就いていた海軍の二式飛行艇が大艦隊を発見した時であった。
4月2日、午前7時47分
マリアナ諸島に配備されている陸海軍機の機体の攻撃圏内にまで敵艦隊が接近した事を確認した帝国軍側は、陸海軍共同での敵艦隊攻撃を企図し、大編隊の攻撃隊を出撃させた。
マリアナ諸島には陸海軍合計で凡そ1千4百機が配備されており、その大半の機体が最新鋭機に更新されていた。
第1次攻撃隊として出撃したのは、
海軍機:零戦各型計84機、『天山』艦攻48機、九七艦攻32機、『彗星』艦爆86機
陸軍機:一式戦闘機各型24機、九九式双発軽爆撃機24機
陸海軍機合計298機の大攻撃隊が、敵艦隊を撃滅すべく出撃していった。
しかし、これまでに多くの日本軍拠点…実際は太平洋上に浮かぶ小島に過ぎないが…を陥落させてきた米軍相手には、初手こそ打てたものの、それ以後は完全に劣勢に回らざるを得なかった。
第1次攻撃隊を出撃させてから30分後、続けて第2次攻撃隊を発進させようとしていた正にその時、東の大空から黒いゴマ粒が確認された。
そう…米機動部隊が解き放った第1次攻撃隊が、遂にやって来たのだ。
レーダーを満足に配備していない帝国軍側は、見張り員の目視に頼らざるを得ない為、仮に見張り員の目で敵機の接近を確認できても、彼らが確認したその数分後には敵機が攻撃してくる位置まで接近してくると考えれば、どれだけレーダーの存在が有りがたいか分かるだろう。
米機動部隊から発進した第1次攻撃隊は、戦爆混合256機であった。
米艦隊は、正規空母6〜8隻で編成された機動部隊を3つと、軽空母5〜6隻で編成された機動部隊を同じく3つ…都合6つの機動部隊に分割し、運用していた。
この第1次攻撃隊は、この6つの機動部隊の中でも最も北に展開していた機動部隊から発進した攻撃隊であった。
第2次攻撃隊の出撃準備をしていた帝国軍部隊は、敵機の接近を受けても早急に戦闘機を上空に出撃させる事は敵わなかった。
辛うじて第2次攻撃隊に随伴する予定だった陸海軍の戦闘機68機と、新たに出撃準備を整えた陸海軍機32機…計100機の戦闘機が迎撃に向かった。
しかし、接近してくる米攻撃隊の護衛を務める戦闘機…無論F6F…の数は120機を数えており、苦戦は必須であった。
米攻撃隊と迎撃に向かった帝国軍の戦闘機部隊の空戦は、やはり戦闘機の数に勝る米軍が勝利した。
出撃した帝国軍側の戦闘機が、僅かながらに配備された「紫電改」や三式戦「飛燕」、四式戦「疾風」ではなく、零戦や一式戦であった事もあり、中々護衛のF6Fを蹴散らせず、マリアナ上空まで接近を許し、敵機の爆撃阻止に失敗してしまった。
第1次攻撃隊の大半の爆撃機が、投弾に成功し、滑走路脇に並べられていた第2次攻撃隊の機体に次々と命中していった。
帝国軍側にとって不幸だったのは、第2次攻撃隊の出撃準備が整っておった事と、米攻撃隊の部隊とが同タイミングで「かちあって」しまった事だった。
滑走路脇に並べられた海軍機の「彗星」や「天山」、一式陸攻の他、陸軍機の百式重爆「吞龍」や四式重爆「飛龍」といった機体が、燃料は勿論の事、250kg爆弾や500kg爆弾を抱えたまま、野晒し状態にあったのだ。
いざ出撃してしまえば、これ程頼りになる部隊は無いだろう。しかし、いざ自分達が攻撃を受ける立場に立てば、自分の近くに「動く武器弾薬庫」が存在しているだけであり、これほど恐ろしい物は無い。
米機動部隊から出撃した第1次攻撃隊の攻撃によって、マリアナ諸島のサイパン島・テニアン島・グアム島の主要三島の飛行場は、少なくない…むしろ尋常ではない損害を受けた。
何せ、たった256機…しかも純正の爆撃機は136機…の攻撃によって、帝国軍は主要飛行場7ヶ所と航空機各種計600機以上、人的被害は五千名を超える損害を受けたのだ。
特に、新たに増設した飛行場や小規模の飛行場を含めて、マリアナ諸島にある全飛行場15ヶ所の内の実に半数近くの7ヶ所を失ったのは、大きな痛手であった。
事態は更に悪化する。
第1次攻撃隊を発進させた機動部隊とは別の、2つの機動部隊から出撃した艦載機部隊が、間髪いれずにやって来たのである。
其々エセックス級空母7隻ずつで編成された機動部隊から、合計476機もの大編隊がやって来たのだ。
無論、帝国軍側も黙って攻撃を受けるつもりは毛頭無く、滑走路を破壊されなかった飛行場から、次々と戦闘機が舞いあがった。
陸海合計173機もの戦闘機が、何とか飛びたてた時には、敵機は既に爆弾を投下できる位置にまで接近していた。
帝国軍の戦闘機部隊は、上空に舞い上がった傍から空戦に突入せざるを得ない状況であった。
零戦や「紫電改」、一式戦「隼」に三式戦「飛燕」、更には四式戦「疾風」といった帝国陸海軍が誇る新旧の戦闘機が、大空で戦っていた。
零戦に格闘戦に持ち込まれて撃墜されるF6Fもあれば、逆にあっさりと2対1の状況に持ちこまれて撃墜される三式戦「飛燕」がいるなど、混迷を極めていた。
しかし、いくら帝国軍側の戦闘機部隊が奮闘しようと、大勢に影響は与えなかった。
米攻撃隊の航空機を79機(多くは戦闘機)を撃墜した時点で、攻撃隊の戦闘を進む急降下爆撃機の編隊の内の1機が、遂に急降下を始めた。
第2次攻撃隊の対地攻撃が、遂に始まったのだ。
帝国軍の地上部隊に、爆撃を仕掛けてくる米機を撃墜できる程の数の高射砲は無く、唯々されるがままの状態であった。
米攻撃隊の放った爆弾の1発が、ある飛行場の路肩に止め置かれている一式陸攻に命中し、盛大な爆発を引き起こした。
別の所を見れば、1機のF6Fが、高度を落として飛行場付近で消火作業を行っている兵士や軍属の人間に対して機銃掃射を行っていた。
第2次攻撃隊の攻撃によって、マリアナ諸島の飛行場は軒並み壊滅した。
飛行場としての機能を保っている個所は、先に述べた15ヶ所の内、たった2ヶ所だけであった。また、その残っていた2ヶ所の飛行場も、とても100機も200機も運用できるような飛行場では無かった為、実質的にマリアナの航空戦力は壊滅したも同然になってしまった。
何せ2回の空襲によって、飛行場や航空機は勿論、飛行場に隣接している基地や倉庫に格納されていた希少な重機や土木機械も、軒並み破壊されてしまったのだ。
本土にあった希少な重機の大半を、マリアナに運んで基地機能の拡大に使用したまでは良かったものの、その後の空襲によって大半が破壊されてしまった。
予備の大半も同時に失われてしまった事も加わり、穴だらけになった飛行場の滑走路を修復する事は、事実上不可能になってしまった。
しかし、いつの時代も、相手に殴られてそのまま帰す馬鹿はいない。
マリアナ諸島にある各島々の飛行場を出撃した攻撃隊が、米機動部隊に一矢を報いるべく、猛進していた。
そして、そんな希望の星とも言える攻撃隊のすぐ傍には、数日前に戦列に復帰した正規空母5隻を中心とした第3機動部隊の姿があった。
彼等は、米軍に一矢報いるべく、怒涛の攻撃を仕掛けるのであった。
如何でしたでしょうか?
次話は、前書きに書いたとおり、今回の内容の続編(後編)になります。
次話の投稿を、楽しみにお待ち下さい。
それでは。