第15話 灼熱の日ソ大戦7
第15話を更新いたしました。
どうも、クラウスです。
ここの所、更新の速度を上げてやっております。
…いつ失速するか分かりませんが(苦笑)
それでは、本編をどうぞ。
4月26日
この日、50万に迫る帝国軍の軍勢が、満を持して進軍を開始した。
目標は、東部シベリアにおけるソ連軍の最後の砦…ヤクーツクである。
今回のヤクーツク攻略の最高指揮官は、未来日本陸軍の李峻来大将であった。
50万で迫る帝国軍に対し、迎え撃つソ連軍は凡そ55万。
兵力差は、僅かにソ連軍が上回っていた。
しかし、戦車・火砲の数はソ連側が上回っていたものの、砲弾・燃料共に余裕が全く無く、航空機の支援も無いソ連軍は、総合的に見て、大きく不利であった。
火砲も戦車も、弾や燃料が無ければ唯の鉄の塊であった。
しかし、帝国軍にも幾つかの難問を抱えていた。
その一つが、満州国とヤクーツクの間にある「スタノヴォイ山脈」である。
最高到達地点で標高2400mを超えるこの山脈を越えると言うのは、かなりの難問であった。
一応ソ連領内にも、道路網は整備されていたものの、シベリアという事もあってか優先順位は低く、所々舗装されていない所もあった。
それでも、日本本土よりましであったが…
26日に、各地の拠点を出発した帝国軍であったが、前述の通り進軍は芳しくなかった。
しかし、工兵や一般兵の不眠の努力も相まって、当初の予定よりも遅れてはいたものの、着実に進軍を続けていた。
一方で、別の問題も発生していた。
ヤクーツクの的戦力を削る目的で、満州国内から爆撃機を発進させる事が当初の予定で計画されていた。
しかし、満州国内に建設された航空基地から、最もヤクーツクまで最も近い基地からですら1200kmもあったのだ。
往復2400kmを超える航続距離を誇る爆撃機は、日本軍機にも多い。
しかし、護衛に着くことになる戦闘機は別である。
ソ連軍に残された東部シベリア最後の拠点ともなれば、最低でも200〜300機の航空機がいるとみなければならない。
その内の何割が戦闘機であるのかは分からないが、それでも戦闘機が1機も無いとは考えずらい。
そして、爆撃機にとって何よりも恐ろしいのが戦闘機の存在なのだ。
例え100機の大編隊で飛行していても、1機の戦闘機は脅威としてその爆撃機の編隊に認識される。
その戦闘機を打ち破れるのは、同じ戦闘機なのである。
しかし、前述の通り往復2400kmの距離に加えて、ヤクーツク上空で空戦を行う事を考えると、護衛の任に着ける機種はそれ程多くない。
陸軍の最新鋭機である「秋欄」エンジンを搭載した「飛燕改」・「疾風改」は、増槽を取り付ければ往復は出来る。
しかし、空戦は行えない。
陸軍機は、設計段階からさほど航続距離に重点を置かないからである。
対する海軍機は、広大な太平洋で戦う事を設計段階加味して開発される機体が多いことから、航続距離は比較的長い。
今回のヤクーツク空襲作戦に参加する爆撃機の護衛の任に選ばれた機体は、連合国から「ゼロ・ファイター」と恐れられた零戦…しかも初期型の部類に入る二一型…であった。
ここで、大日本帝国海軍が誇る名機「ゼロ戦」の性能を紹介しておこう。
*注:性能は、二一型のモノ
全長:9.06m 全幅:12m 全高:3.5m
全備重量:2674kg(自重:1680kg) 動力:「栄」一二型空冷14気筒エンジン(940馬力)
最高速度:533km/h 航続距離:2222km(増槽無し)/3350km(増槽有り)
武装:翼内20mm機銃2門(携行弾数各60発)、機首7.7mm機銃2門(携行弾数各700発)
あまりにも有名な機体である。
この旧式である零戦が、爆撃隊の護衛を務める事なったのである。
実は、関東軍将校の一部で一式戦「隼」を護衛に着かせようという動きもあった。
この裏には、やはり海軍に対する面子があったのも事実である。
要するに、
『何故海軍機に護衛を任せなければならないのだ?唯でさえ爆撃に海軍機の陸攻を投入するんだぞ?それでは手柄が、余計に海軍にもいってしまうではないか!』
…という至極理不尽且つ身勝手な理由であった。
当然、面子で戦争するわけにもいかないのと、兵士の命には代えられないという事で、石原閣下が強権を発動…海軍機の零戦を護衛に着けて、爆撃作戦を発動させた。
4月27日に、満州国内の基地を飛び立った陸海軍合同の爆撃隊は、海軍機である零戦の護衛の下、ソ連軍最後の砦であるヤクーツクに向かって出撃した。
第1次攻撃隊…
海軍機:一式陸上攻撃機115機、九六式陸上攻撃機78機、陸上爆撃機「銀河」48機
陸軍機:九七式重爆撃機24機、九九式双発軽爆撃機66機、百式重爆撃機「吞龍」87機、四式重爆撃機「飛龍」122機
陸海軍合計540機の爆撃機が、海軍の零戦120機の護衛の下、ヤクーツク向かって行った。
更に、第1次攻撃隊が出撃した1時間後には、滑走路に第2次攻撃隊が発進準備を整えていた。
第2次攻撃隊…
海軍機:一式陸上攻撃機23機、陸上爆撃機「銀河」32機
陸軍機:九七式重爆撃機15機、百式重爆撃機「吞龍」34機、四式重爆撃機「飛龍」66機
計170機の合同爆撃隊が、今や遅しと出撃の時を待っていた。
そんな彼等を見つめる石原閣下の顔は、驚くほど和やかなモノであった。
石原莞爾は、態々後方の奉天司令部から激励しに来ていたのある。
そんな石原大将の耳元に、石原の秘書を務める下士官兵がボソッと何かを告げた。
その秘書官の言伝を聞いた石原大将は、さっきまでの穏やかな表情から想像できない程の恐ろしいまでの笑みを浮かべた。
−−− オホーツク海 −−−
『第1次攻撃隊、発進準備完了!』
『同様の報告が、「瑞鶴」・「大鳳」・「信濃」からも届いております』
『参謀長、満州の石原さんには伝えたかい?』
『無論であります』
『よし…攻撃隊を発進させよ!!』
『『『はっ!』』』
北樺太にあるオハから北西に100kmの沖合に、第4航空艦隊が展開していました。
正規空母「赤城」・「瑞鶴」・「大鳳」・「信濃」の4隻から、第1次攻撃隊が発進しようとしていた。
第1次攻撃隊…戦闘機60機、艦爆40機、艦偵8機
第1次攻撃隊108機の機体が、次々と大空に舞いあがった。
艦橋や飛行甲板上で、大勢の人が必死に軍帽を振って出撃を見送っていた。
しかし、艦内の格納庫では、既に第2次攻撃隊の出撃準備が行われていた。
第2次攻撃隊…戦闘機36機、艦爆70機、艦偵(爆装)12機
第2次攻撃隊は、艦爆の比率が高い事もあって整備の人間も忙しかった。
ヤクーツクまで直線距離で、およそ1000km。
無論、往復するために戦闘機だけに留まらず、艦爆・艦偵にも増槽を取り付けての出撃となった。
お陰で艦爆に搭載された爆弾は、翼下に搭載した60kg爆弾になってしまっていたが…
満州の地を出撃した部隊と、機動部隊から出撃した部隊…
先にヤクーツクの上空に辿りついたのは、機動部隊から出撃してきた部隊であった。
機動部隊から出撃してきた計108機の攻撃隊の攻撃は、ソ連軍のレーダー等を使用した上空監視能力の不備もあって完全に奇襲攻撃となった。
満州を飛び立った爆撃隊と違い、機動部隊から出撃した攻撃隊の戦闘機は最新鋭機である「雷鳴」一一型であった。
この艦戦「雷鳴」は、翼内に20mm機関砲4門、機首に12.7mm2門という重武装を誇り、またこれまで主力として配備されていた零戦よりも20mm機関砲の携行弾数も多い事、さらに機体の最高速度・装甲共に零戦よりも優れていた事から、「雷鳴」に搭乗していたパイロット達は機体性能を実戦で確かめられると踏んでいたものの、残念ながら目標上空に戦闘機の姿が無い事から、仕方なく今回も機銃掃射をする事になった。
ヤクーツクには、少なくない航空機が揃っていた。
ソ連製の高性能戦闘機La−7やYak−9などのソ連製戦闘機や、米国から無償援助で送られたP−39「エアコブラ」やP−40「ウォーホーク」も配備されていたのだが、帝国軍のチタ占領による補給線の崩壊によって燃料不足に陥っており、驚くべき事であったが迎撃に向かえる機体は1機もいなかったのである。
実は、多少なりとも燃料は残ってはいたのであるが、その燃料の大半を戦車やトラックなどの燃料として利用しており、飛行できなかったのである。
もっとも、空襲でそれ等の車両が破壊される事を考えると、結果的に賢明な判断であったとは考えにくかったが…
兎に角、機動部隊から出撃した第1次攻撃隊は、早々に機銃掃射・爆撃を終わらせていた。
一部の爆撃機は、敵機がいない事を良い事に、増槽を最後まで切り離さずにいた機体が、急降下爆撃時に爆弾と一緒に増槽を同時に投下して、戦果を拡大させた機体もあった。
機動部隊より襲来した第1次攻撃隊は、僅か30分程の間に飛行場・武器弾薬庫など軍の施設に少なくない損害を与えていた。
しかし、彼等は「本命」では無かった。
「本命」の部隊は、彼等が東の空に去ってから1時間も経たない内にやって来た。
そう…南の空からやって来た、戦爆合同660機の「悪魔」…もとい大編隊であった。
『目標確認!投下よぉーーいっ!』
『投下準備完了。繰り返す、投下準備完了!』
『よぉーーしっ……ってぇぇーーっ!!』
ガコンッ、ガコンッ、ガコンッ、ガコンッ
ヒューーーン、ヒューーーン、ヒューーーン、ヒューーーン
…………ドゴォーーーンッ、ドゴォーーーンッ、ドゴォーーーンッ、ドゴォーーーンッ!!
1機の一式陸攻から投下された4発の250kg爆弾が、地上のソ連軍陣地に降り注ぎ、派手な爆発を巻き起こし、爆煙を舞いあがらせる。
爆発があった場所には、無残に大破したトーチカ変わりのT−34−85中戦車と、バラバラになったソ連兵の死体が転がっていた。
先頭を行く体長機の陸攻が爆弾を投下した後、後続の機体が次々と機体内に格納された爆弾を投下させた。
60kg爆弾・250kg爆弾・800kg爆弾の3種の爆弾が、次々と投下される。
先程の艦載機部隊による爆撃とは違い、水平爆撃であった為に多少正確性を欠いた爆撃となってしまったが、先程の艦載機部隊による爆撃とは比較にならない程の数の爆弾を投下された為、ヤクーツクの都市は瓦礫の山に成るほどの損害を受けた。
この後、機動部隊から発進した第2次攻撃隊と、満州国内から出撃した第2次攻撃隊双方がヤクーツクの空を覆い、爆弾の雨を降らせた。
計4度に渡って行われた今日の空襲で、ヤクーツクの都市は壊滅的損害を受けた。
多くの軍事施設が破壊され、都市の周りに張り巡らされた対戦車陣地は、ズタボロになっていた。
たった1日に空襲で、ソ連軍は55万から50万にまで戦力をすり減らしていた。
この空爆作戦は、3日間に渡って行われた(無論、機動部隊の航空隊が作戦に参加したのは初日のみ)。
5日目に地上を進む陸上部隊が辿りつく頃には、ソ連軍が貴重な資材を使って建設した陣地は壊滅していた。
陣地など有って無い様なモノであった。
5月2日…遂に、帝国陸軍・未来日本陸軍合同によるヤクーツク総攻撃が開始された。
ソ連軍は、3日間に渡って行われた空爆によって、10万人近い人数の兵士を失っており、同時に貴重な戦車・火砲の大部分を失ってしまった。
町の外に敷かれた防衛線は、いとも簡単に突破され、あっと言う間に帝国軍は市街地に突入した。
ソ連軍は、数少ない貴重な戦車・火砲を中心に応戦した。
と同時に、幾つかある建物の上部や路上脇の溝から狙撃兵が、帝国軍の将校を狙撃していた。
ここに、チタを巡る攻防の再現がなってしまった。
主として狙撃兵というのは、戦場において厄介極りない存在だ。
狙撃兵は、高度なカモフラージュ技術に敵情を正確に判断する為の判断力・記憶力、長時間隠れ続ける為の精神的・肉体的タフさも求められる。
狙撃兵にとって、1時間や2時間身を殺し、気配を消す事は別段珍しい事では無いのである。
これ等の狙撃兵を相手に、普通の兵士で倒そうとするのは非常に難しい。
狙撃兵を倒せるのは、同じ狙撃兵だけ…とも言われている位である。
もっとも、自軍に圧倒的有利な立場であれば、また状況も変わってくる。
今回のヤクーツクでの市街戦も同様であった。
未来日本陸軍の狙撃兵達が、身を隠しながら偵察を行い、狙撃兵が身を隠していると思われる地点を発見したら、即座に後方にいる戦車師団に連絡し、戦車砲を撃ち込む…
大半の狙撃兵が、この攻撃を受けて戦死した。
中にはしぶとく生き残っていた者もいたが、戦車に気を取られている内に接近した未来日本陸軍の狙撃兵に頭を撃ち抜かれて皆戦死した。
もっとも、ソ連軍の狙撃兵がいくら帝国軍の将兵を狙撃しようと、その数は高が知れる数である。
ソ連軍が勝つには、それこそ原爆並みの兵器か100万を超える兵士が必要であっただろう。
ソ連軍の抵抗も、市街戦に突入してから3日も経つと抵抗力が急激に落ちているのが分かった。
何しろソ連軍の火砲が1発火を噴くと、お返しとばかりに5発10発と帝国軍・未来日本軍が打ち返すのだ。
前年に陥落したマリアナ諸島のサイパン守備隊も、アメリカ軍との戦闘で同様の事態に陥り、「お釣りを貰う」・「プレゼント」などと称していた兵士もいたが…
同様の事態に、ソ連軍が陥ってしまったのである。
そして遂に…
5月9日 「ヤクーツク守備隊 降伏」
ヤクーツクを巡る戦いは、大日本帝国の勝利に終わった。
ここに置いて、ソ連軍は極東に有する大日本帝国・満州国に対する最後の拠点を失ったのである。
未だに極東ソ連軍の残存部隊が東部シベリア各地に展開・潜伏しているものの、補給を絶たれている為に、大した脅威になるとは考えられていなかった。
…後に東部シベリア各地に展開・潜伏していた極東ソ連軍の残存部隊は、大半が1ヶ月以内にそのまま降伏した。
しかし、本の一部のソ連軍兵士は降伏を善しとせずに、ゲリラ戦を仕掛ける者もいた。
*後にゲリラ鎮圧を名目に、「朝鮮人」で組織した警備部隊を東部シベリアへ派遣して、「朝鮮人移民化計画」の下地を作る要因になる。
何はともあれ、ヤクーツクは陥落した。
生き残ったソ連兵は、42万人。
戦闘前は、55万人であった事を考えると、尋常な減り方であった。
たった数日間で、全体の2割を超える死者が出たのである。
帝国軍側の損害も少なくは無かった。
戦死者1万2千人に戦傷者4万3千人…
ヤクーツク攻略に投入された帝国陸軍の兵士は、多くが日中戦争開戦時からの古参兵であり、戦闘慣れした兵士1万2千人は、決して小さいものでは無かった。
ヤクーツク陥落によって、ソ連に残された極東の拠点は数える程にまで減ってしまった。
ソ連は、ウラジオストクに始まりハバロフスク・チタまで落とされた。
北樺太も奪われ、東部シベリア最大の都市であったヤクーツクも奪われた。
当然、占領された都市・地域一帯の地下資源は、大日本帝国の物となる。
東部シベリアには、鉄鉱石・金・銀・すず・亜鉛・ダイヤモンド・材木など豊富な資源が眠っており、帝国にとって非常に魅力的な地域であった。
ソ連に残された地域は、実質的にカムチャツカ半島一帯のみであった。
イルクーツクとウランウデの両都市に集結させた兵力は、60万を超えているものの練度が低く、満州再侵攻は愚か極東奪還すら難しかった。最悪、目の前のチタ奪還すら難しいだろう。
それ程までに、ソ連軍は疲弊していた。
極東での思わぬ敗北とそれに伴う領土の失陥。
ドイツとの戦闘では、ドイツ本土への侵攻どころか占領されたソ連本土の都市の奪還すらままならない現状。
…ソ連とその指導者であるヨシフ・スターリンの未来は、暗雲が広がっていたのであった。
如何でしたでしょうか?
今回で、一応は日ソの戦闘は終わりです。
とは言っても、それは大陸での出来事であり、太平洋での戦いはこれからです。
まだまだ、先が長いですね。
それでは、また次回。
更新お楽しみに〜