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第13話 灼熱の日ソ大戦5

どうも、クラウスです。第13話を更新いたしました。



前々から思っていたのですが…あまりに戦闘の展開が速すぎる気がいたしてきました(汗)


未来戦力の力があったとはいえ、僅か4日間で樺太北部を占領できるのだろうか…?


…ちょっとどころじゃない程失敗した気がいたします(苦笑)


さてさて、ここで心配しても仕方がありませんね。


それでは、本編をどうぞ。

スターリンが、エカテリンブルクにある自室で怒り狂っている頃、極東の戦闘は様相が一変していた。


開戦当初は、攻めるソ連軍・守る日本軍となっていたものが、今や攻める日本軍・守るソ連軍と完全に立場が入れ替わってしまったのだ。



帝国軍は、今や完全に侵攻軍へと変わっていた。


要塞・陣地に籠ってソ連軍に応戦していた姿は、何処へ行ってしまったのだろうか?


…と言わんばかりであった。



「ウラジオストク」・「ハバロフスク」という極東にある2か所の重要拠点を、帝国軍が占領したのは、開戦から5日後の事であった。



戦闘のイニシアチブは、完全に帝国側が握っていた。



4月13日には、北樺太のポキビから間宮海峡を渡った対岸にあるラザレフという都市を占領し、完全に沿海州一帯を占領しようとしていた。


一方の満州国西部、海拉爾(ハイラル)要塞に籠っていた帝国軍は、総出で反撃を行ってソ連軍を追い返し、逆侵攻を開始していた。


目標は、「チタ」


東シベリア南部にある、交通の要所の都市である。




チタに当初配備されていたソ連軍は、8万弱であった。


しかし、海拉爾(ハイラル)要塞攻防戦で敗退してきたソ連軍部隊が、同市の守備隊と合流した事もあって、既に兵力は20万近くにまで上っていた。


唯一の救いは、先の要塞での攻防戦で多数の戦車・火砲を失い、小銃やその他各種の砲弾・弾丸を大きく消耗していた事であろう。


20万近い兵力も、実際に戦力足り得るのは元々のチタ守備隊である8万人+2〜3万と言ったところであった。


対する帝国軍は、満州国西部に展開していた部隊の凡そ7割…34万もの兵力を投入しようとしていた。


しかし、なるべく早く決着をつける事が望ましかった。


30万を超える部隊を養うのは、並大抵のことでは無いからだ。



チタ攻略に与えられた時間は、僅か3日。


3日間で落とす事が出来るか出来ないか…


ここが、勝敗の分かれ目だった…



4月12日の深夜…


帝国軍の30万を超える大部隊が、チタに対する攻撃を開始した。


火砲各種800門を揃えた一斉射撃は、見ものであった。


チタ上空には、弾着修正と戦果確認を兼ねた陸軍偵察機…一〇〇式司令部偵察機…が、火砲部隊が打った照明弾の明るさを利用して、観測を続けていた。


チタの被害は、大きかった。



最初の1時間の内に、チタにあるシベリア鉄道の駅舎が破壊され、ホームに停車していた弾薬・燃料を満載していた貨物列車3編成を、根こそぎ吹き飛ばした。


チタ駅周辺は、軍需物資を満載した貨物列車の積み荷が有爆した事もあって、付近の住宅・商店を無差別に吹き飛ばした。


さらに帝国軍の砲撃は続く。


チタにあるソ連軍基地では、武器弾薬を格納していた倉庫が砲撃によって破壊され、付近の兵舎を巻き添えに派手な爆発を見せた。



砲撃は3時間に渡って行われた。


その後帝国軍は、ソ連軍の反撃に備えて少しばかり後退し、早朝のチタ総攻撃に備えさせた。


しかし、混乱の極みにあるチタのソ連軍が応戦する事は、事実上不可能であった。


彼等は、眠い目をこすりながら火災を消すのに必死であったからだ。



しかし、彼等の必死の消火活動も空しく、朝の6時を回っても一向に鎮火の見込みは経たなかった。


そして、消火活動に尽力しているソ連軍兵士・ソ連国民を嘲笑うかのような爆音が、徐々に近づいてきた。


満州国内の基地を飛び立った陸海軍の爆撃隊が、このチタの上空に現れたのだった。



 −−− チタ爆撃隊 −−−


『こちら燕一番、燕一番。目標を確認したか?』


『こちら白鷺一番、白鷺一番。目標を確認した。繰り返す、目標を確認した』


『こちら鴎一番、鴎一番。こちらでも確認した。いつでもいける』


『了解した。各部隊、当初の予定通りに爆撃を開始する。作戦案「甲」。繰り返す、作戦案「甲」で攻撃せよ!』


『『了解!』』



チタに現れた爆撃隊は、海軍の基地航空隊所属機である一式陸上攻撃機87機と、旧型の九六式陸上攻撃機41機、陸軍航空隊所属の四式重爆撃機「飛龍」60機に百式重爆撃機「吞龍」58機、更に九九式双発軽爆撃機78機…324機にも及ぶ大編隊であった。


護衛の戦闘機部隊は、航続距離等を加味して零戦・隼が務めており、その数も150機を超えていた。


それ程中央のお偉いさんは、この交通の要所である「チタ」の攻略に必死だったという事である。



真っ先にチタの上空に飛び込んだのは、護衛の戦闘機部隊であった。


彼等は、上空に僅か数機ではあるが、戦闘機が舞っているのを確認するや突撃し、零戦・隼の卓越した格闘戦能力を駆使して撃破し、地上に見える対空銃座にたいしての機銃掃射を開始した。


対空砲座は、付近に積み重なった土嚢以外にまともな防弾装備は無かった。


身を守る物が何もない中で対空砲を打つ人間にとって、戦闘機の機銃掃射程恐ろしい物は無かった。


速度を落としつつも、それでも時速何百km/hで接近してくる航空機を撃ち落とすのは、非常に難しい。


やっと対空砲の射線上に敵機を捉えたかと思いきや、気がつけば戦闘機の機銃によって砲座に座っていたソ連兵の首が飛んでいた…という光景が、そこかしこで見られた。



数分間に渡る戦闘機部隊の機銃掃射が終わった頃には、次なる災厄が満を持して現れた。


300機を超える、爆撃機の大編隊である。


各々の目標を定めて投下された爆弾は、寸分の狂いも無く…とはいかなかったものの、大部分が軍の施設へと命中し、ソ連軍のチタ防衛を限りなく困難なものへとさせた。



この間僅か1時間弱という短い時間だったものの、チタの町は無残な瓦礫の山…とまではいかないものの、多くの損害を出していた。



そして遂に、本命の登場であった。


30万を超える帝国陸軍部隊が、火砲800門の援護の下で、総攻撃を開始したのである。



チタを守らんとするソ連軍と、奪い取ろうとする帝国陸軍の戦いは、これまでに無いほど熾烈を極めた。


この時、チタにはソ連軍18万2千人がいた。


空襲と火砲による砲撃で1割近い兵士を失ったものの、その人数は未だ脅威の存在であった。


対する日本軍は30万を超える兵力を揃えていた。


まず日本軍は、市街地の周りにあるソ連軍陣地に対して攻撃を開始した。


ソ連軍陣地は、先の空襲に置いて優先的に狙われた事もあって、凡そ陣地と呼べるようなモノでは無く、簡単に突破した部隊もあったものの、それでもさすがはソ連軍と言ったところか、一部の部隊がソ連軍の頑強な抵抗にあってしまい、部隊の3割近い損害を出した部隊もあった。


市街地周辺の陣地を突破した日本軍は、遂にチタの町に進軍した。


そこで帝国陸軍の兵士達を待ち構えていたのは、ドイツ軍がスターリングラードで経験したのと同じような、凄惨な市街戦であった。



簡単に防衛線の陣地を突破した帝国軍兵士達は、市街戦でも大した苦戦も無く、簡単にチタを落とせるだろうと考えていた。


しかし、その予想は簡単に覆された。


至る所に設置されたバリケード、巧みに遮蔽された戦車・火砲、一般の住居に潜む狙撃兵…


これ等ソ連軍の地形を生かした戦法に、当初の予想は簡単に覆されてしまったのだ。


ソ連軍・帝国軍双方にとっての救いは、チタの市街地にさほど大勢の市民がいなかった事であった。


これは、事前に現地の司令官が市民に避難勧告を出していた為であった。



話を戻そう。


チタの町は、簡単に陥落する気配を見せなかった。


特に、狙撃兵による被害は甚大であり、一部の部隊では最も階級が高い兵の階級が曹長であったという部隊すらあった。


遮蔽物からちょっとでも頭をだそうものなら…


ズキューーンッ!


……ドサッ



といった具合に、ソ連軍の優秀な狙撃兵によって葬送されてしまった。


狙撃兵が主に狙うのは、代替が困難な高級将校や、特殊技能を有する衛生兵・工作兵、さらに通信兵といった、指揮官クラス・裏方の兵士を主に狙う。


一方で部隊の進軍を遅らせる為に、敵兵士の腕や足を狙って敵の進軍速度を遅らせるといった事をする事もある。


今回の戦いでは、主に前者の方であった。



日本軍の損害は、鰻登りに被害が増していった。


特に従軍看護師・工作兵の被害が大きく、指揮官も数多く狙われていった。


この戦場では、原野での戦い方が一切通用しなかった。



市街戦に限れば、狙撃兵に優先的に狙われる確率は、指揮官・特殊技能を有する兵士の方が一般の兵士に比べて、数倍高いのだ。


火砲や戦車が潜む一帯には、後方の基地より発進した爆撃機…主に海軍の九九艦爆…によって破壊され、至る所に設置されたバリケードも突破して着実に制圧地域を広げて行った帝国軍であったが、ソ連軍の狙撃兵にだけは未だに苦戦していた。


時には、地下を通る地下道・下水道を通って狙撃地点に着き、狙撃を重ねるソ連兵も多くいた。


昼夜を問わず続けられた戦いは、しかし兵力に勝る帝国軍側が、その兵力差を生かして徐々に押し出した。


チタに対して総攻撃を開始してから5日目…


当初の予定期間である3日を超えてしまってはいたものの、ようやくソ連軍を市街地の北部一帯に追い詰めた。


これまでにソ連兵3万8千人が戦死し、ほぼ同数の兵士が日本軍に降伏していた。


対する帝国軍も1万人近くの兵士が戦死し、4万人近くの兵士が戦傷を負っていた。


やはり、兵力差が生きた形ではあったが、降伏したソ連兵の中には帝国軍兵士の個々の力量を賞賛する声もチラホラ聞こえていた。


降伏した兵士達は口を揃えて、


『日本軍の夜襲は、とても恐ろしい』


…と語っていた。


そう、帝国軍の兵士達がソ連の狙撃兵を恐れるのと同じように、ソ連軍の兵士達も日本軍の夜襲を恐れていたのであった。



市街地の北部にソ連軍を追い詰めた帝国軍は、ソ連軍に対して降伏勧告を行った。


拒絶したら、あらゆる手段をもって、貴軍を排除するといった恫喝の言葉も当然含めてだが…



当初こそ拒否する構えを見せたソ連軍であったが、南の空に200機を超える単発機の編隊が現れるのを見て、戦意を失ってしまった。


チタ攻撃部隊を率いていた赤林杉太郎中将が、前もって連絡しておいて、抵抗を示そうとすれば、即座に爆撃に移れるように命じておいたのだ。


無論、ソ連軍が降伏に応じれば、爆撃せずに撤退する事になってはいた。



4月17日…遂にソ連軍が降伏し、交通の要所「チタ」が大日本帝国に占領された。


両軍の戦死者は合計で8万人近くにも及び、多数の負傷者も生まれた。


降伏したソ連軍兵士は、12万人を超えた。


火砲183門に戦車179両、各種砲弾2万発を鹵獲出来たのは、僥倖と言えただろう。


しかし、チタを占領した最大のメリットは、チタ以東にある各地の拠点への補給路を完全に抑えたことであろう。



ソ連軍の極東の補給線は、基本的にシベリア鉄道を軸にしていたからだ。



これ以後、チタ以東の各地のソ連軍の拠点・都市は、軍需物資の不足に慢性的に悩む事になる。


そして、ソ連軍は前線を大幅に後退させざるを得ず、極東方面軍最高司令部を「イルクーツク」に置き、前線基地を「ウランウデ」に定めて、ウランウデ〜チタ間の間で日ソ両軍の小競り合いが続く事になる。


兎に角、チタ制圧によって、日ソ両軍の戦いは終結に向かいつつあった。


開戦から、僅か10日後の事であった。



如何でしたでしょうか?


やはり開戦から10日以内にしては、展開が急すぎる気がしてきました…


次話以降は、そこら辺を気をつけてまいりたいと思います。


それでは、また次回。


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