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第10話 灼熱の日ソ大戦2

どうも、クラウスです。第10話を更新いたしました。


やはりと言いますか…毎度毎度ですが、今回も戦車でやらかしました(苦笑)。


まぁ、そこは御愛嬌という形で…無理ですかね(苦笑)?


そんなこんなで、第10話、スタートです。

1945年4月10日の朝…


ソ連軍侵攻から3日目の朝を迎えた。


ソ連軍は160万の兵力を中心として満州に侵攻したものの、一向にソ満国境沿いに建設された要塞を突破する事は出来ず、要塞の無い地域を侵攻した部隊も帝国軍の地上部隊・航空部隊双方の攻撃を受けて、まったく侵攻スピードは上がらなかった。


なにせ最も侵攻した部隊ですら、ソ満国境線から50km未満しか進出出来ないのである。



この日もソ満国境線の地域一帯で、熾烈な戦闘が繰り広げられた。


開戦3日目ともなると、ソ連軍の方も帝国軍の戦闘仕方という物を学習し始め、それなりの対処法を考案してきた。


ソ連軍が主力戦車として運用しているT−34戦車の前面装甲をさらに厚くして、装甲車の代わりにして敵陣への突入を企てるなどが、その最たる物であった。


しかし、現地を守備している日本軍も大したもので、古参の下士官達が敵の意図した事を瞬時に見抜き、要塞や防御陣地内に設置された各種の火砲をソ連軍の改装装甲車部隊に狙いを定め、必殺の一撃を叩きこんだ。



ソ連軍は、開戦3日目にしてようやく一つの小さな要塞を攻略する事に成功した。


しかし、攻略した要塞自他がさほど戦略的価値の無い位置に建設されていた為、損害(戦死者2万8千人、戦傷者5万2千人)の割に得られた価値は少なかった。


前線で戦う兵士達にとっては…


一方の後方で指揮を振う司令官達にとっては、この要塞攻略の報は、たとえ小さな要塞で戦略的価値が少なくても重大な意味を持っていた。



ソ連の指導者であるスターリンに、多少なりとも戦果の報告を送ることが、彼らの命が長らえる事に直接関わってくるからである。


しかし、単純に開戦から3日間の間の双方の被害だけを比べれば、帝国軍が予想以上に善戦していると言ってよかった。


何せ3日間に、各地で10万以上が戦死し、30万近い兵士が大なり小なり戦傷を受けていたソ連軍に対して帝国軍は戦死者は2万人前後、戦傷者も9万人をちょっと超える位であった。


もっとも、それは単純な兵士の数であって、航空機の損害は圧倒的にソ連軍が大きかった。


兎に角戦闘機の機体の質の高さに、ソ連軍のパイロット達は驚いていた。


帝国軍との空戦を生き残ったある戦闘機パイロットの一人は、


『ドイツの連中も手強かった。しかし、日本軍の連中は、もっと手強かった。生き残れた私は運が良い…』


…と語ったと言われる。




 −−− 満州国 奉天 −−−


『石原閣下、我が部隊は何時でもウラジオストクへの侵攻可能です』


『おぉ、それは本当ですか、李大将。しかし、もう少しお待ちください』


『はははっ。分かっておりますよ、石原閣下』



ウラジオストク攻略作戦…


満州国の喉へ突き付けられた剣の切っ先が如く存在する、ソ連の極東に有する軍港都市ウラジオストク。


それを攻略する事によって、満州国への圧力を消滅させると同時に、今後ソ連が行うであろう「北海道」・「日本本土」攻略作戦の危機を未然に摘み取る事が出来る…と考えられていた。



無論、ソ連側も満州侵攻を行った時点でウラジオストクが狙われる事は、予想されていた。


しかし、ソ連軍を率いる司令官達は160万を超える兵士に大規模な航空戦力、さらに帝国軍には絶対に保有できない量・規模の火砲や戦車を擁しており、負ける筈が無いと思っていた。


侵攻を開始すれば、防戦一方の日本軍に逆侵攻する力など無いと考えており、各地の重要拠点・都市の守備戦力は、決して多いものでは無かった。


しかし、そうは言ってもウラジオストクはソ連が有する極東唯一の有用な軍港都市である。


他の拠点・都市に比べて、配置されている兵力は多い。



ウラジオストクの配備されている兵力は10万近い規模を誇っていた。




4月11日


開戦から早4日目を迎えたこの日、各地で帝国軍の大規模な反撃作戦が開始された。


未明に満州各地の基地を飛び立った帝国軍の航空部隊は、朝日が昇る頃にソ連軍部隊の上空へ到着。


一斉に銃爆撃を開始した。


航空攻撃は時間差をおいて計3波に及び、有効な対空兵装を持たないソ連軍は甚大な被害を受けた。


第3波の攻撃を受ける頃には、ソ連内にある各基地を飛び立った戦闘機隊が帝国軍の航空部隊の攻撃を阻止するべく攻撃を仕掛けたものの、開戦初日の勢いは無く、バタバタと落とされる機体が後を絶たなかった。


結局、各地で爆撃機34機と戦闘機19機を撃墜した時点でソ連戦闘機隊は全滅に近い損害をだして退却した。


極東方面に集められた戦闘機は900機弱であったが、3日間の戦闘でその6割を失い、今回の防空戦でも勇躍出撃したものの、出撃した300機の戦闘機は退却時には50機を下回っており、貴重な戦闘機部隊はほぼ壊滅状態であった。



大規模な航空攻撃が3波に渡って実施された直後、未だ混乱から回復出来ないソ連軍に対して帝国陸軍・未来日本軍の両軍は反攻作戦を発動し、攻撃を開始した。


開戦当初は、防御陣地に身を埋めていた機甲師団の戦車・砲戦車(自走砲)が顔を出し、大地を走り出した。


歩兵部隊が、塹壕から身を飛び出し、小銃を抱えてソ連軍へ突撃した。



ソ連軍の兵士達が、突撃してくる日本軍に気付いた時には、既に戦車や砲戦車から打ちだされた砲弾は弾着していて、多くの兵士達が葬送されていた。


三式中戦車・一式中戦車に三式砲戦車が主砲を打ちまくり、南方で鹵獲した米国製戦車のM4中戦車・M3軽戦車が満州の大地からソ連兵を追い出すべく、疾走した。


ソ連軍側は、有効な対戦車戦闘を行う事が出来ず、次々に日本軍戦車部隊の餌食となった。


陸上部隊の攻撃が始まってから凡そ2時間が過ぎたころに、ようやくソ連軍は混乱を静めて組織的応戦をする事が出来るようになった。


しかし、2時間に渡って混乱したソ連軍部隊の損害は大きく、特に戦車・火砲の損害は目を覆わんばかりの損害を受けていた。


機甲戦力を大きく欠き、火砲の支援も期待できない中で、帝国陸軍部隊を各地でソ連軍は迎え撃った。


ソ連軍の主力戦車は、最早ソ連軍の代名詞とも言えるT−34中戦車であった。


少数ではあるが、極東方面にもKV−1及びKV−2の2種類の重戦車も配備はされていた。


しかし、この2種類の重戦車は、未明に行われた航空隊による爆撃で大半が失われた。


お陰で帝国軍は、性能が劣るとはいえ帝国陸軍が誇る最新鋭戦車である三式中戦車は、T−34との戦闘に集中できる事となった。


案の定三式中戦車部隊は、性能で劣っている事もあってか苦戦はしているものの、ソ連の機甲師団部隊と互角以上に戦っていた。


三式中戦車の38口径75mm戦車砲が火を噴き、一式中戦車の48口径47mm戦車砲の砲塔から砲弾が間断無く打ち出される。


さらに後方から打ちだされる火砲の援護射撃も、僅かの間ながら行われた。


帝国側の砲弾が、ソ連軍戦車部隊に着弾する度に派手な爆発が起こる。


基本的に戦車個別の性能であれば、ソ連側に分があったものの、朝の空襲で戦力を大きく損失していた後の戦闘であり、数はほぼ同等か帝国側が僅かに上回っていた為にソ連側の必死の応戦も空しく、戦車の損害はソ連側が僅かに上回っていた。



さらに午後になると、補給を終えた航空部隊による散発的ながらも空襲が再開され、損害は鰻登りに増えて行った。


そして、遂に満を持して未来日本陸軍の機甲師団を中心とした各部隊が、反攻作戦に参加したのであった。


未来日本陸軍の満州・支那戦線方面の司令官は、未来日本の世界で日本軍に亡命してきた韓国人の李峻来(りしゅんらい)大将であった。


彼に与えられた満州方面の戦力は、12個師団22万であった。


その内の3個師団7万8千は、ウラジオストク攻略作戦を帝国陸軍部隊と合同で行うために動かせない事に加え、2個師団3万6千は不測の事態に備えて待機させている為、彼が攻撃作戦に参加させられる兵力は、実質7個師団11万弱であった。


さらに、これ等の部隊を満州各地に分散させれば、それだけ戦闘力は減少する。


7個師団11万の部隊をそれぞれ師団単位で各地に分散させれば、11万が揃った時に比べて戦闘力が劣るのは明白であった。


李大将は、部隊を三つに分けて、それぞれ「満州理(マンチュウリー)」・「満帰(マンコイ)」・「黒河(ヘイホー)」に分派した。


ソ連軍が、必死の応戦を行ったお陰で、帝国軍側の損害も大きくなっていった。


特に「満州理」・「黒河」の二つの地域は、ソ連軍の抵抗も頑強で、戦いは一進一退の激戦であった。


ソ連側は、火砲・戦車の不足から有効な反撃が出来なかった。


対する帝国側は、兵数の不足と火力不足が祟って決定打を与えられずにいた。


そんな所に、未来日本軍部隊が加わったから堪らない。


「満州理」一帯を巡る戦いには、日ソ両軍合わせて40万近くの兵力が集結して、大規模な野戦が行われたいた。


この戦場に現れた未来日本軍の主力は、戦車師団である第7戦車師団と第21戦車師団、歩兵師団の第77師団である。


第7戦車師団は、当初「満州理」より北東120kmの位置にある「隼峻」基地に配備されていたのであるが、今回の反撃作戦に合わせて他の2個師団と合流して今回の戦闘に参加したの出る。


すでに第7戦車師団は、開戦初日から「隼峻」基地に攻撃を仕掛けてきたソ連軍部隊4万を撃退しており、敵機甲師団の戦車を200両以上葬っていた。


第7戦車師団・第21戦車師団の両師団には、合計で400両の千式重戦車「神威」・零式機動戦車「鎮守」が配備されていた。


千式重戦車「神威」


車体長10.8m×全幅4.18m 重量77.2トン


武装:48口径203mm滑空砲1門、12.7mm連装重機関銃1門(砲塔上部)


解説…未来日本軍が、来るべき大戦に備えて開発した未来日本軍は有する最新鋭戦車の内の1台。主砲には、48口径203mm砲というかつてない程強力且つ巨大な砲を搭載。装甲も、日本が誇る軽量特殊複合合金を用いた為に、従来の各国主力戦車の標準的主砲である150mm砲を至近距離(ゼロ距離)で喰らっても無傷というとんでもない防御力を誇り、さらに副産物といて車体の軽量化にも大きく貢献している。



零式機動戦車「鎮守」


車体長8.92m×全幅3.78m 重量56.8トン


武装:50口径155mm滑空砲1門、7.7mm車載機関砲(主砲胴軸)、12.7mm連装機関銃1門(砲塔上部)


解説…未来日本軍が開発した新式の機動戦車。機動戦車とは、未来日本軍が新たに制定した基準で、重戦車よりも砲撃力・装甲などが劣る代わりに、最高速度などを中心とする機動性に優れる戦車の事を示す。本戦車は、砲撃力・装甲共に千式重戦車に劣るものの、最高速度は千式重戦車に比べて27km/hも早い時速85km/hを記録している。防御力に関しても同クラスの主砲を装備した戦車であれば、200m以内に接近されても耐えられるだけの物を持っている(ただし、至近距離…ゼロ距離射撃には耐えられない)。



この2種類の戦車を相手にしては、例え米軍が開発して欧州戦線で使用しているM26重戦車「パーシング」を持ってしても互角に戦う事は不可能であった。


ソ連軍が、この2種類の戦車の存在に気付いた頃には、400両の戦車部隊がソ連軍機甲師団を壊滅状態に追い込んでいた。


唯一10両程のT−34と1両のKV−1重戦車が反撃してきたものの、両戦車が発砲しても未来日本軍の戦車の装甲を貫通する事は、敵わなかった。


それは、三式中戦車・一式中戦車との戦闘を経験してきたソ連軍の戦車兵にしても信じられない事態であった。


彼等の中には、ノモンハン事件で日本軍の戦車と戦闘を経験した者もいたし、モスクワ近郊でドイツ軍が誇る戦車部隊を撃破した猛者中の猛者もいた。


そんな彼等にとって日本軍の戦車とは、紙切れ同然の装甲に威力・貫通力共に劣る砲塔を搭載した玩具であった。


ソ連軍戦車兵の中には、そんな玩具しか配備されない日本軍の戦車兵に対して同情を示すものすらいた位であった。



しかし、今の現状は彼等にとって甚だ具合が悪かった。


味方の戦車が放った砲弾は、敵戦車に命中しても撃破どころか損傷すら与えられずにいた。


逆に日本軍の戦車が放った砲弾は、必ず命中し、しかも確実に味方の戦車を破壊していった。


ソ連軍戦車兵達は、悪夢を見ていた。



ソ連軍兵士の一部は、体に爆弾を巻きつけて敵戦車の真下に潜り込み、破壊する所謂「肉攻」戦術を採ろうとしたが、戦車に近づく前に片っ端から葬送されていった。


彼等が上げた唯一の戦果は、アンソニー・ヴァイプ曹長が破壊した一式中戦車1両だけであった。



満州理方面に侵攻したソ連軍は、満州国へ侵攻開始してから僅か4日目にして満州国領から追い出された。


侵攻当初は56万を超えていた兵力は、ソ連領内まで後退した時点で30万を切っていた。


火砲・戦車の損害も大きく、特に戦車の損害の大きさは深刻な悩みのタネであった。



満州理方面のソ連軍は、ソ連領内まで退却した。


これは、満州国を巡る戦闘のイニシアチブが帝国側にある事を、明確に示していたのであった。




如何でしたでしょうか?


やはり今回の戦車は、色々問題がありそうです…


…主砲に203mm…ちょっとやり過ぎたかなと反省中です(苦笑)


次回は、樺太戦線に一旦移ろうかと思います。


それでは、また次回。

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