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( ᐙ )短編小説( ᐙ )

まどろむクジラと筋肉痛

作者: 迷迷迷迷

ご覧になってくださり、ありがとうございます。

 今日は仕事を休んだ。

 私が体調不良というワケではない。

 車が体調不良を起こしたのである。


 冬の朝、三回目のアラームでようやく目を覚ました。

 歯磨きやら洗顔やら、朝食やらを済ませて、さあ! 今日も仕事に行こう。

 と思っていた矢先、自宅のアパートの駐車場におもむけば、そこにはにわかに受け入れ難い光景が広がっていた。


「うわー……浮かんでるよー……ぷかぷかと」


 私の車、中古のBMW。

 銀色の車体が、ぷかぷかと宙に浮いていたのである。

 地面から一センチか二センチ離れているだとか、そんな生易しいレベルではなかった。

 ゆうに地面から三メートル以上は離れてしまっている。

 しかも、フロントバンパーを下に向けて、垂直に浮かび上がっているのである。

 いつだったか、テレビの動物番組でマッコウクジラが海中で立ち寝をする映像を見たことがある。

 ちょうどそれとよく似ていた。

 私の車が、マッコウクジラとなって、ぷかぷかと立ちながら寝てしまっているのである。


 私は急いで病院、……もとい、車の整備工場に緊急の連絡を入れた。

 ひとりで思い悩んでも仕方がない。

 仕事先に「体調不良で休みます」と伝えた後に、私はスマホの画面に検索した電話番号を入力する。

 車のことは車の専門家に聞くしかない。

 

「ウチの車がクジラになってしまったんです!!」


「はあ?」


「あ、すみません、えっとですね……」


 ちょっと気が動転してしまった。

 私は電話口で車の様子、症状を伝えている。


「あー、それはバルン症候群ですね……それも進行度が高いものになります」


 どうやら私の車は重症らしい。


「どうすればいいんでしょうか?」


 途端に不安になった私は、この先の行動についてを相談する。

 車が無くなってしまえば、仕事に行くこともままならない。

 普段意識をすることの無かった、だが確かに日常の一部となっていた、要素が急に欠けてしまった。

 唐突な喪失感が、スマホを握る私の指を氷のように冷やしている。


「とりあえず、こちらに直接うかがってもらわない限りには、どうにも診断しかねますね」


 直接うかがうにも、この状態でどうやって医者、もとい整備士の元に連れていけばいいのだろう?

 スマホの通話を切りながら、私は途方に暮れかけた。

 そんな私のことなど露知らず、車はぷかぷかと眠り続けている。

 どうしたものか。

 考えた所で、私の視界に親子連れが見えた。

 お母さんに手を引かれている。

 ちっちゃい子が、手に赤い風船を握ってはしゃいでいた。


 楽しそうだな。私はこんなにも困っているのに……。

 うらやんでいた。

 と、そこに私の頭の中へ、一つのアイディアが浮かんでいた。



「みてみてー! あのひとくるまひっぱってるー!」


 どこかのちびっ子が私のことをおもしろそうに見ている。

 それは子供ながらの自由な表現力というワケではなく、見たまんまのことに驚いているにすぎなかった。

 私は車のサイドミラーにビニール紐をくくり付けて、風船よろしく直接車を整備工場まで引っ張って行こうとしているのである。

 

 自分でもかなり雑な方法を選んでいるとは自覚済みだ。

 だが、これ以外に方法が思いつかなかった。

 車は本来の重さを失ってしまっている。

 これが「バルン症候群」とやらの症状なのだろうか? 本当なら重たいはずのものが、私の腕の力だけで簡単に引っぱれてしまう。

 状況が病気のもたらす異常さのうちに含まれているようで、居心地が悪かった。


 だが、軽くなったのはむしろラッキーだったかもしれない。

 こうして自分の力だけで運べるのは、正直ラクで助かる。


 平日の昼間、車通りも人通りも少ない道で、私はエッサホイサと浮かぶ車を運んでいる。

 車道の端っこを歩きながら、浮かぶ車を紐で細かく操作している。

 ときおりすれ違う人の目が、恥ずかしさと共に疲労感をプラスしていく。

 見られることは恥ずかしかった。

 だが、もしも私が通行人の立場だったら、浮かぶ車を紐で引っ張るヤツがいたら二度見、いや、三度見せずにはいられなかっただろう。


 明日も今日も、当たり前のように過ごせると思っていたはずの時間が、まさかこんな事になるなんて。

 予想だにしていなかった、非日常を自分が体験していることが、どうにも信じられなかった。

 もう二度と戻れないような気がした。

 このまま一生、病気に苛まれ続ける日々が続いて、いつしかこの異常が日常にすり替わってしまう。

 疲れているのだろう、ネガティブな考えばかりが泡のように浮かんで、はじけていく。


 病院、もとい、整備工場まであと少し。

 道のりは近くとも、景色は不安に濁って、青空がなぜか灰色に見えて仕方がなかった。


 

 翌日。

 車はアッサリと治療を終えて、スッカリ元通り、シッカリと全部のタイヤを地面にくっ付けた状態で戻ってきていた。

 人間なんて風邪をひいたら、ひとによっては三日以上休まなくてはならないというのに、たった一日で復帰とは、さすが車は頑丈である。


「あれ? 体調不良って聞いたけど、もう大丈夫なの?」


 いつも通り、車を使って出勤した、私に同僚が挨拶のような心配をしていた。


「ちょっと、筋肉痛かなー」


「え? 風邪で筋肉痛?」


 クジラを引っ張った、体の痛みは、もしかしたら病気の苦しみの一部なのかもしれない。

 分かりやすい痛みだった。

 戻った日常の流れのなか、またいつか断絶されるかもしれない風景。

 もう二度と前のように空を見ることが出来なくなった、喪失感が私の脳みそ、そこから伝達される透明な信号に乗って胸がシクシクと痛む。

 

 私はそれを、クジラを引っ張った筋肉痛だと思い込む。

 思い込むことにする。

 そうすれば、不安を忘れられそうな、そんな気がしたのだ

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほのぼのとした雰囲気の中で不思議な感じがすごくよかったです。 車が病気になる非日常なのにちびっこの無邪気な一言がどこかほっこりさせてくれました。 すごくいい作品に出会えました。
[良い点] 不思議な体験がシンプルにまとめられていて、すごく好みな作風でした!車が病気になるという発想と、バルーン症候群のいかにも実在しそうなネーミングセンスが特にいいなと思いました。
[良い点] クジラのように浮かぶBMWとの遭遇。すごく惹きつけられる話の入りでした。ハルハルさんの独創的な感性がなせる技ですね。四角四面な構想から抜け出せない私にとって、いい刺激になりました。 「車は…
2021/09/07 00:52 だめだな(いとかわ)
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