神の子王の真実
むかしむかし、なかなか子供に恵まれない王さまと王妃さまがいました。このまま王子が生まれなければ次の王さまがいなくなってしまい、国がどうなるかわかりません。王さまはとても困っていました。
ある夜のことです。いくつもの流れ星が国じゅうの空を駆け、朝になったのかと間違えるほど明るく照らしました。するとあくる日、王妃さまが子供を授かったのです。これは奇跡だ、神がこの国に世継ぎを授けてくれたのだ、と人々は喜びました。
生まれた子供は男の子で、ディフィリウス、神の子と名付けられ、たいそう大事に育てられました。優しく賢い王子さまは国民からも愛され、国を導くべく勉学に励み、立派な王となったのです───
シメオンは王宮の東にある塔に登ると、最上階の部屋で窓を開けた。窓枠のわずかな段差に体を預け、遥か遠くに見える山々を眺める。
落下防止のための格子が嵌っているので顔を出すことはできないが、さわやかな風がシメオンの少しくせのあるミルクティー色の髪を揺らした。
どのくらいの時間そうしていただろうか。チチチ、と鳴き声が聞こえて、格子の間から白い小鳥が入ってきた。
「やあ、いらっしゃい。また来てくれて嬉しいな」
黄みがかった茶色の目を細めふわりと微笑むと、シメオンは右手を差し出した。小鳥は人差し指の先に止まり、チィ、と鳴く。
野生にしてはずいぶんと人に慣れた様子だ。しかし元来動物に好かれるたちであったシメオンは、それを特段不思議にも思わなかった。
「きみがいつ来てもいいように、パンを持ってくることが日課になってしまったよ」
言いながら、側にある小さなテーブルに置いてあった包みを開いた。中には細長いパンに肉と野菜を挟んだサンドイッチがひとつ入っている。
小鳥はシメオンの指先からパタパタと羽ばたいてテーブルに移り、行儀よく待っていた。
「さあどうぞ。一緒に食べよう」
ハンカチを広げ、そこにパンの端を細かくちぎったものをのせてやると、シメオンもサンドイッチにかぶりついた。
「うん、おいしい。……養子とはいえ一国の王子がこんなところで、小鳥と一緒にパンをかじっているなんて誰も思わないだろうね。僕はほんとうは、こっちのほうが落ち着くんだ」
「チィ?」
そうなの?と言っているかのように、小鳥が首を傾げる。
お互いに言葉はわからないはずなのに、なぜだかこの小鳥とは意思の疎通ができている気がしていた。シメオンは話し出す。
「僕の生まれは王子なんかじゃなくて、貴族とは言っても端くれの田舎者だからね。故郷はあの山のあたりなんだ。父と母がいて、妹がいて……決して裕福ではなかったけれど、幸せだった。あの事故が起こるまでは」
シメオンの父は地方の領主で、その日は他の貴族のパーティーに出席するため、夫婦で馬車に乗り出かけた。山道を通っている時、上から落ちてきた岩が馬に当たり、馬は暴れて馬車ごと崖下へ落下した。難を逃れた護衛がすぐに屋敷へ連絡し捜索が行われたが、両親と御者は助からなかった。シメオンが5歳、妹が2歳の時だった。
「……母方の親戚が僕たちを引き取ろうとしてくれたけど、小さい子供を二人いっぺんにというのは経済的にも厳しかった。そんな時、王宮から親戚のところへ使者が来た。僕が王の養子となれば、妹の養育費をたんまり出してやる、とね。その頃王にはなかなか子供ができなくて、近しい親族にも男子が一人もいなかった。父にはかなり薄くだけれど王族の血が入っていて、僕が最後の砦だったんだ」
王子となれば何不自由なく暮らせるし、後継のいない国のためにもなる。そのうえ妹へもお金を出すと言われて、親戚が断る理由はない。シメオンは王宮へ行き、王子として教育されることになった。
親を失った兄妹と、父の領地のことなど何もわからない母方の親戚だけが残されて、困惑していたところを助けてくれたのは王だ。幼いながらもそれを理解していたシメオンは、恩に報いようと懸命に勉強した。
地方の領主と王では、学ぶ内容も量も格段に違う。たった5歳の子供にも、容赦なく厳しい教育がなされた。幸か不幸か、シメオンにはそれについていくだけの才覚があった。
少年から子供らしさを奪い、常に気を張る息苦しい生活にも、シメオンは耐えた。
二度と会うことはないかもしれないが、同じ空の下に血を分けた妹がいて、自分が頑張ることで妹の生活も保証される。恩だけでは乗り越えられない時は、妹を想って自分を奮い立たせた。
「そういえば……何か辛い思いをするようなことがあると、必ずきみみたいな白い小鳥が窓から入ってきたな。幼い頃のことだから、きみではないのだろうけど。おかげで僕は、やさしい気持ちになれたんだ」
パンくずをつついていた小鳥は、顔を上げ小さな黒い瞳でシメオンをじっと見つめてきた。チチチ、と鳴いたかと思うと飛び立ってシメオンの肩に止まり、頬に頭を擦りつける。
「ふふ。くすぐったいよ。きみはほんとうに人懐っこいね……」
小鳥をひと撫ですると、部屋の外から階段を登る足音がした。柔らかかったシメオンの表情が、スッと色を失くした。
「ごめんよ、今日はここまでみたいだ。また来るからね」
シメオン殿下、と呼ぶ侍従の声が扉をノックする音と共に聞こえる。小鳥は逃げるように窓辺へ飛ぶと、そのまま外へ出ていった。
「この度、ディフィリウスの成人をもって、正式に立太子することが決まった。其方には青の離宮を与える。立太子の儀が済み次第、そちらに移るように」
「……仰せのままに」
王に実子ができてから、こうなることは決まっていた。自分はあくまでも何か不測の事態が起きた場合のスペアとして、飼われていただけだ。
わかっていたことなので、特にショックを受けることもない。玉座に座る王の隣に立っていた義弟のほうが、よほど辛そうな顔でシメオンを見ていた。王家の証、金の瞳で。
「兄さん!」
自室に戻ろうと廊下を歩いていると、後ろからディフィリウスの声に呼び止められた。振り返ると、義弟が小走りに駆けてきてシメオンの前に立った。さらさらと真っ直ぐな金の髪がわずかに乱れている。間もなく15になる彼は、まだ少しあどけなさを残す顔を歪めて言う。
「僕は……まだ一人では心許ないし、ううん、一人前になれたとしても、兄さんと一緒に国をつくっていきたいんだ。なのに青の離宮だなんて……父上には僕からお願いするから、このまま王宮にいてよ」
青の離宮は王宮から遠く離れた直轄領にある、王族の保養地のひとつだ。これまで引退した王や伴侶を亡くした妃などが暮らしてきた場所らしい。
邪魔者を追いやるような王命に、この優しい義弟は心を痛めてくれている。ただ、王となって一国を導くには、いささか優しすぎるのかもしれない。
神の子と名付けられ、生まれながらの精神的重圧もあるだろうが、なあなあにすべきではない。
「私が王宮に留まっていては、本人にそのつもりはなくとも担ぎ上げようとする輩が出てくる恐れがあるんだ。だから適当な爵位を与えて臣下に下らせる訳にもいかない。これは王として正しい判断だよ」
「でも、それじゃ兄さんが……」
「私の気持ちは昔から変わらない。この国が良い方向に向かい、国民が穏やかに過ごせればそれでいい。お前にはそうできるだけの能力があると、私は思うよ」
ディフィリウスは泣き出しそうになるのを、唇を噛みしめて堪えていた。小さい頃のようにわしゃわしゃと頭を撫でてやりたくなったが、成人する男にそれはないかと上がりかけた腕を戻した。
王子としての肩書きは残れど、もうこちらに来ることはないと言っていいだろう。せっかく友人になったあの白い小鳥にも、もう会えなくなるのだろうか。
お別れを告げなければいけないなと思うと、王宮を去ることよりもそちらのほうが寂しかった。
翌日、何枚かのビスケットをポケットに忍ばせて東の塔へ行き、ドアを開けると誰もいないはずの部屋に人がいた。
思わずドアを閉めそうになると、優雅に椅子に掛けどこから運んできたのか湯気の立つ茶を飲んでいたその人物が声を発した。
「待って、シメオン。わたしよ、一緒にパンを食べた仲でしょう」
「パンって、きみは……」
白く長いローブに身を包み、真っ黒な髪と目が際立つ色白の顔が微笑む。
「ええ、この姿で会うのは初めてね。わたしはハンナ。魔女は名前を明かさないものなのだけれど、あなたになら教えてもいいわ」
「魔女?」
「まあ、驚くのも無理はないわね。この時代のこの国には、そんなものいないでしょうから。わたしは300年あとの時代から来たの。良かったらお茶を飲みながら話さない?そのビスケット、おいしそうだわ」
ハンナがスイッと指を振ると、シメオンのポケットに入れてあったビスケットの包みがひとりでに出ていきテーブルの上に広げられた。続いてパチンと指を鳴らすと、カップがもう一組現れてフワリと浮いたポットから茶が注がれる。
ハンナは立ち上がると、目の前の光景が信じられず呆然とするシメオンの手を取り、自分の向かいの席に座らせた。
「ここからずうっと東に、魔法を使う国があるの。あと100年もすると、間にあるいくつかの国を通じて交流が始まるのよ。それでこの国にも、魔法文化が入ってくるの」
まだ見ぬ遠くの国に、魔法というものがあることはシメオンも勉強していた。大国ではないが周囲のどの国も侵略しようとしないのは、このような力を恐れてなのかもしれない。
「魔法はわかったけど、300年後というのは……」
「古代魔法のひとつに、時間を移動するものがあってね。わたしはその研究をしていたんだけど、理論上は完成できたから、実際に試してみようと思って」
「……なぜ、この時代に?」
「この国には神の子王の言い伝えがあるでしょう。その中にどうしても気になることがあって。でも、ちょーっと誤差が出ちゃってね……少ーし、前についちゃったっていうか。王どころか、まだ生まれてなかったのよね」
ハンナは親指と人差し指の間をくっつきそうなくらい狭めてそう言い、肩をすくめた。
神の子、ディフィリウスが生まれる前というと、15年以上前である。シメオンの向かいでビスケットをつまんでいる彼女はどう見ても23歳の自分より年下に見えるが、一体いくつなのだろうか。
「あ、今、お前は何歳なんだって思ったでしょ。女性に歳を聞くなんて野暮なんだからね。魔女は見た目なんてどうとでもできるのよ」
「そ…そうか。ごめん」
中枢部ではないとはいえ、王宮の一部であるこの場所にやすやすと侵入していることからも、彼女があの小鳥なのだというのは本当なのだろう。何より人懐っこい雰囲気が同じだった。
しかし、若い女性の姿だと戸惑ってしまう。微妙な立場のシメオンに直系の王子より先に後継ぎができてしまったりしては困ると、ほとんど女性と関わらずに生きてきたのだ。
「……時間を移動できるのなら、もっと後の時代にまた移ればいいんじゃないかな?15年前に来てから、ずっとここにいるのかい」
「それがねえ。時渡りはそもそも、ほいほい何度も使えるような魔法じゃないのよね。まだ実験段階だったし。それに、あなたを見つけたから」
ハンナは嬉しそうに笑うと、シメオンの顔の前に指を突き出した。
「僕?」
「そう。勉強が辛くて窓辺でめそめそ泣いていた、かわいい王子さま」
「!……じゃあ、あの時の小鳥も」
シメオンは思わず、目の前の手を掴んだ。さらに笑みを深められて、女性の手を握りしめていたことに気付き、パッと離す。
「いや、ごめん。……でもあれは、子供の頃のことだから……、忘れてほしい」
俯いて目を逸らしたが、耳が赤くなっているのを見て、ハンナがくすりと笑った。
「それはできないわ。あなたに出会った日の、大事な思い出だもの。それに、言い伝えは間違いだったってわかったし」
「間違いって、何がだい」
「だってあの流れ星、わたしがやったんだもの。奇跡でもなんでもないわ」
「………は?」
16年前、勉強が辛い、寂しい、と一人涙を零す男の子を見つけ、ハンナは小鳥の姿となって側に降り立った。寄り添ってあげると男の子は泣き止んだが、寂しそうな表情は消えなかった。だから、光を操る魔法を放って綺麗な景色を見せ、励ましてあげようと思った。すると偶然次の日に王妃が懐妊を発表し、神からの授かりものだと大騒ぎになった。
「まさか伝説を作ったのがわたしだなんてね……。言っておくけど、国じゅうの空になんて降らせてないから。せいぜい王都の上くらいよ。言い伝えなんてそんなものよね、しかも次の日に懐妊発表って、なんだか利用された感じ」
ハンナは口をとんがらせた。
たしかに小鳥が来たあと、少しして空が輝いたので窓辺にいたシメオンも流れ星を見たのだが……。
神の奇跡だと信じてきたことが人為的なものだったと突然言われても、すぐにそうですかと納得できず、シメオンはしばらく呆然としていた。
「ごめんなさい、あなたのためにしたことなのに、結果的に第二王子を神格化しちゃったわ……」
そのせいで王位継承に影響を与えてしまったと思ったのか、急にうなだれたハンナに、シメオンは焦った。
「いや、奇跡がなくても同じことだったはずだよ。血の薄すぎる養子の僕より、直系のディフィリウスを優先するのは当然だ。きみが気にすることじゃ……」
「……だから、責任をとるわ!!」
ハンナはガバッと顔を上げると、満面の笑みでそう言った。
「…………は?」
再び呆然とするシメオンの手を取ると、両手でぎゅっと握る。
「離宮に行かされるんでしょう?何かやりたいことがあるなら無理にとは言わないけど、もしないのなら、わたしと一緒に来ない?誰もあなたのことを知らない土地に行って、のんびり暮らすの。パンだけじゃなくて、毎日こうやってお茶もしましょうよ。わたしの研究を手伝ってくれたらなおいいわ。大丈夫、お城の人たちには忘却の魔法をかけちゃうから、あなたがいなくなっても探されたりしないわよ」
黒曜石のような目をきらきらさせてひと息に言うハンナに押されたわけではなく、それは純粋に、シメオンの心をわくわくさせた。
王宮という鳥籠に入れられて18年。今その扉が開けられたような気がした。
「……いいかもしれないね。でも、僕がいなくなったら妹への養育費はどうなるんだろう」
「ふっふっふっ。ちゃあんと調べてあるわよ。妹さんが成人したところで、支給は終わっているの。元々そういう約束だったみたいね。それに彼女は去年結婚して、今は隣国に住んでるわ。幸せに暮らしているかこの目で確認してきたから、心配しなくて大丈夫。なんなら時々、会いに行ってもいいんじゃない?お忍びになるけどね」
あまりの用意周到さに、シメオンは目を丸くした。
「どうしてそこまでしてくれるんだい。きみには何もメリットはないのに」
「あらやだ、わたしとしたことが、すっかり言ったつもりになってたわ。わたし、あなたが好きなの。好きな人と暮らすためにいろいろするのは、当たり前よね?」
なんでもないことのようにさらりと言われた。しばらく硬直したあと、シメオンは真っ赤になった。
「え……え?いつ、から?」
「うーん、具体的にいつからかはわからないけど、鳥の姿で会うあなたはとっても優しくて、辛いことがあってもいつも頑張っていて。子供の頃はかわいいなって感じだったけど、最近はすごく格好良いと思うわ」
「そ、そう……」
褒められ慣れていないシメオンはなんだかくすぐったくなって、体を縮めた。
「それにね、神の子王の言い伝えで気になるところがあるって言ったでしょ。民間の伝承には、長く子供のできなかった王は養子を迎えたっていう話もあるのに、公式の記録には神の子王のことしか書かれていないのよ。それがおかしいなってずっと思ってたの。でもこっちに来て、あなたと会ううちにわかった」
ハンナは握ったままだったシメオンの手を一度離し、指を絡ませるように繋ぎ直して愛おしそうに目を細めた。
「わたしがあなたを攫うことが、300年前から決まっていたんだってね」
神の子王が生まれるもっと前、王さまは遠い親戚の男の子を養子にしていました。男の子はとても優秀でしたが、王さまに実の子ができたため、次の王にはなれなくなってしまったのです。
するとどこからか真っ白な鳥が現れ、彼を攫っていってしまいました。鳥は優しい彼が大好きで、ずっと一緒にいたかったのです。
それから彼がどうしたのか、だれも知りません。けれどこの地方にだけ、仲良く寄り添って食事をする白と茶色の鳥の絵と、このお話が口伝えで伝わっているのです。
読んでいただきありがとうございます。