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事故は忘れたときに起こるものです(1)

 ボクには父、母、弟、妹がいる。いや正確には、いた。

 ボクたちの家族に何らかの問題があったわけではなく、すごく幸せというわけでもないが、人並みに幸福な家庭であったはずだ。

 ボクはその中で、家族の中で「長男」としての自分の意義を見出していた。

 下の子たちの世話をし、両親からはそこそこ頼られ、逆に彼らからはたくさんの愛情を受けていた。

 将来のことなんてよくわからなかったけど、漠然と人のために働いて、両親に孝行していきたいと思っていた。

 そんな、普通の家族。

 そんな、どこにでもある幸せな家族だった。

 それが崩れたのはいつだったか。

 ある日家に帰ると、物音ひとつしない家がボクを出迎えた。いつもであればうるさいほどの会話が聞こえてくるのに。

 少し訝しながらも、居間に入った。

 そこでボクは目撃した。

 父が、母が、弟が、妹が、ボクの家族が。

 赤い。全てが赤い。

 床が、壁が、テーブルが、ボクの視界が。

 その部屋は赤く染まっていた。

 なにが起こった?なんでみんな倒れてるの?この赤いのは……なに?

 その後、ボクは警察に保護されたらしいが、祖父母の家で目覚めるまでの記憶は何もなかった。

 その時に、ボクのすべては瓦解したのだ。

 ボクを構築していた意義が、役割が、存在が、そのすべてが、もろくも崩れ去った。

 こんなボクに、自らの家族すらも守れないような「長男」に意味などない。

 家族の「長男」たるボクはもういない。

 こんな僕に、価値などない。


 現在僕は、多くの人助けをしながら生きている。

 別に意味などない。

 ただ、僕は何も守れなかった。

 だから。

 小さな別の何かを守ることで自分を保とうとしているのかもしれない。

 人はそんな僕に「優しい」なんて言葉をかける。

 違う。

 そんな良い言葉なんかではない。

 ただ僕は、自分を犠牲にしてでも誰かを助けたいだけなのだ。

 いや、違う。そんな綺麗な感情ではない。

 自分を犠牲にして、誰かを助けたいのだ。

 価値のない自分を代償に他の誰かを救いたい。

 そうしてやっと、自分に価値ができる気がする。

 だから、そんな僕はきっと、死に場所を探しているのだ。

 そして今、その時が来た。

 彼を歩道側に突き飛ばす。

 目の前に大きなトラックが迫る。

 ああ、これでやっとボクは――。


     ・・・・


 狂っているのは人間なのか、それともこの世界なのか。

 私がやーちゃんを殺して数日。二人の死体は発見が遅れるように川に流しておいた。流れていくにつれて損傷が激しくなり、死体の判別等も難しくなるであろう。

 それにこの梅雨の時期に川底は捜査しづらいであろう。

 少なくともまだ見つかっていないようだ。

 ゆえに二人は行方不明ということになっている。

 だが、クラスの人々で心配そうな顔をするものは少ない。せいぜいその程度の人間関係ということだろう。

 人が二人いなくなっても、変わらず授業は進んでいく。

 担任も淡白なものだ。

 行方不明になっていることを伝えはしたものの、それ以外の感情など抱いているようには見えない。もしかしたら、家出をしたくらいに思っているのかもしれない。そうであれば、高校生なわけだし大して心配する必要もないのかもしれない。

 まあ、世界なんてこんなもんだろう。

 数人の人間の有無などでは何も変わりはしない。

「あの二人……大丈夫かなー?」

 その中でもげんちゃんは二人の行く末を案じる数少ない人だ。

「さあ?どうだかねー」

 もちろんその最期を私は知っている。

「案外二人で仲良く愛の逃避行でも決行したんじゃない?」

 でも、本当のことは言わない。

 殺しは、易々と人に言うものではない。

「そうだったらいいんだけどねー!」

 それにげんちゃんは今のままでいてほしい。

 明るく元気なままでいてほしい。

 そこで、しーちゃんが近づいてきた。

「……噂、聞きました……?」

 開口一番に何の話か。

「うわさー?何それー?」

 少なくともげんちゃんは知らないようだ。もちろん私も知らない。

 女子高生の噂の広まる速さは半端じゃない。どこかのスパイにでもなればいいんじゃないかと思うレベルだ。その情報の真偽はかなり曖昧だけども。

「……結構みんな知ってると思うけど……」

 まあげんちゃんは行方不明の二人のことばかり気にかけていたし、私はそんな彼女の相手をしていたので、特に周りの話など聞いていなかった。

 噂でもなんでも、あの二人のことばかり考えるよりはいいだろう。私はその話を聞くことにする。

「……あくまでまだ噂の話でしかないんだけど……」

 しーちゃんは念を押す。

「……私たちのクラスの人が二人、交通事故にあって、その……一人、亡くなったんだって……」

「……え」

 マジか。

 確かに私が殺した彼女らを除いて二人、いまだ席が空いている。。

 私からしてみればこのクラスでの死人は三人目だ。うち一人は私が殺しているけど、流石に問題がありすぎやしないか、この学校。たぶん呪われてるぞ。

「で、でもあくまでうわさなんだよね!」

 げんちゃんが気を取り直すかのように言う。

 だが、流石にこんな質の悪い噂は完全にデマではないだろう。火のないところに煙は立たない。死んだとまではいかなくても、良くて怪我くらいはしている。

「まあ、そのうち明らかになるだろうねー」

 おそらく学校側でも事故自体は把握しているのだろうが、情報を精査して完全に判明したときに生徒に伝えるつもりであろう。

 キーンコーンカーンコーン。

 どこか間の抜けたような、授業始まりの鐘が鳴る。

「とりあえずこの話はおしまい。席に着けー」

 しーちゃんに席に着くよう促し、担当の教師が教室に入ってくる。

 空っぽの四つの座席があっても、退屈な授業は変わらず始まった。


 梅雨の雨はなかなか降り止まない。

 帰りのホームルームで、噂が事実であることが判明した。

「えー、今回はとても残念なことだが……」

 担任が心にもないであろうことをつらつらと述べる。

 このクラスの人間が一人死んだ。

 それは生死不明の行方不明なんかよりもはるかに衝撃的なことで、死を間近に感じないこの現代社会においてはとても非現実じみていて。

 クラスは騒然としていた。

 親しかったものもいたかもしれない。

 好きだったやつもいたかもしれない。

 嫌いだったやつもいたかもしれない。

 それでもしばらくの時を経て、クラスは落ち着いた。

 私にとっては大して親しい奴でもなかったため、正直そんなに悲しくもなかったが、クラスの雰囲気は少し悲しげだ。

 そこで気づいた。

 涙を流している人は一人もいなかった。

 すすり泣きさえも聞こえない。

 ただ、悲しそうな空気だけが漂っている。

 少しだけ、違和感があった。

 誰もが死を実感し、クラスメイトが一人いなくなったことを認識し、誰もが悲しんでいる。

 だけど、それだけ。

 ただ、悲しいだけ。

 それ以上は何も。

 何かがおかしい。けど何がおかしい?いや、気のせいか……?

「うわさ、本当だったね」

 急にげんちゃんが話しかけてきて、思考が中断された。

 ざあざあという雨の音が帰ってくる。

 いつの間にかホームルームは終わり、放課後がやってきていた。

 目の前にはいつも通りげんちゃんがいる。だがその表情は、いつもと違って少し悲しげだ。

 なにを考えていたんだったか。急に思考が中断されたため、考えていたことをド忘れしてしまった。

 まあいいか。きっとどうでもいいことだ。きっと私には関係のない、つまらないこと。

 それを思い出すことを放棄して、げんちゃんの言葉に応答する。

「うーんそうだねー。まさか噂がばっちり当たっていたとはなー。事故にあったのが二人でそのうち一人がねー」

 噂通り交通事故があり、一緒にいた男子生徒二人のうち一人は死亡、もう一人は入院中ということだった。

「………………………痛かったのかな、苦しかったのかな」

 げんちゃんが聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。

「なんか言った?」

 私は聞こえないふりをする。そんなに小さい声で言うということは、聞かしたくないことなのだろう。そういうことは無視するに限る。それが相手のためだ。

「……ううん!なんでもない!」

 気を取り直したかのように、げんちゃんは笑顔を浮かべる。

「そっか。じゃあ、今日も寄り道してくー?」

 げんちゃんの頭に手を載せながら聞く。

 なぜか一瞬だけびくりと肩を震わせるが、彼女はすぐに答えた。

「そうだね!いこー!いこー!れっつごー!」

「はいはい」

 げんちゃんはすっかりいつもの調子を取り戻したようだ。

 うん、やっぱりげんちゃんは明るい方が断然いい。

 楽し気に教室を出ていく彼女を追いながら私は、雨はいつ止むのだろうか、なんて外を眺めていた。


 しばらく何でもない日々が過ぎていった。

 席は依然として空のまま。いや、一席だけ花が添えられている。

 それは誰かの死ということであって、二度とそこが埋まることはないことを意味する。

 げんちゃんも時折心配そうな表情が覗くが、基本はいつも通りだ。

 何もかもがいつも通り。

 誰かがいないことを、もう誰も気にしてはいない。

 雨もまだ止まない、そんなある日。

「お見舞いに行こー!」

 ホームルームが終わった直後の放課後、げんちゃんが勢いよく立ち上がるとともに言い放った。

 その声はクラス中に響き渡り、帰り支度の途中や無駄話を続けて、いまだ教室を出ていないみんなの耳にも届く。

「お見舞い?」

 誰かが声を上げる。

 確かに事故にあった一人は入院中だ。特に詳しい情報は知らないが、まだ退院していないということはある程度重いけがを負ったのだろう。

 また、私は入院したことがないから知らないが、入院中は寂しいと聞く。誰かがお見舞いに行けば、よほど嫌いな人でない限りは喜んでもらえるだろう。

 まあ逆に入院中の姿を見られたくないということも考えられるが。

 だが、なぜげんちゃんは唐突にお見舞いを思いついたのか。私からしてみればどうでもいい人間がどうなろうが知ったことではないのだが。

「だって、ケガして入院しているんだよ?それも一人で!それに目の前で友達が……」

 そういえばそうだった。

 彼女はずっと彼らのことを気にしていた。

 表では明るい表情をしていたが、裏ではずっと心配していた。そんなことは会話の端々にちらりと覗かせる顔を見ればわかる。

 私はそんな彼女をみて、それでもいつも通りに接していた。それはただの強がりかもしれない。つぶれてしまうかもしれない。そう考えながらも、見ないふりをしていた。

 彼女が見せまいとするその顔はきっと、見せたくないものだと思ったから。

 でも、彼女は強かった。

 その心配を行動に変えた。

 かといって、そんな彼女のことを誰が分かるのか。

 口ではみんな了承しているもののその表情には面倒くさい、というような色がありありと浮かんでいる。

 ここでたとえ、行きたい奴だけ来い、なんていっても行かなかった者は薄情な人というレッテルを張られて、その後が気まずくなるだろう。実際にそんなことが起こり得ないのだとしても、人はそれを恐れる。

 だからげんちゃんが皆に大きな声で伝えた時点で、お見舞いに行くことがほぼ強制的になってしまった。

 だが、それはあまりよろしくない。

 望んでもいない者が行ったところで、大して気の利いたことはできないだろう。というよりしないだろう。特に親しくもない相手に何をすればいいのか。可能性としてはむしろ良くない影響を与えることも考えられる。

 それに大勢で押し掛けるのも迷惑だろう。まあそこは日を分けて行けばいいか。

 何にしろ、相手を困らせるようなことはげんちゃんからしても望んではいまい。

 さて、どうやってふるいを掛けるか。

「……わたしは面倒くさいからやめておきます……」

 私が思案していると、しーちゃんがぼそりと言った。。

 みんなが彼女の方を向く。

 だが、しーちゃんはそれを気にも留めず、いつも通りの暗い顔で教室から出ていった。

 教室内が少し騒がしくなる。

 一人が出て行ったら、あとは続くだけだ。

 げんちゃんに注目していたクラスメイト達は一人、また一人と目をそらしていき、自分はついていかないという意思を無言で表明した。

「……みんなそれでいいのかな……?」

 げんちゃんが呟く。

 教室はすでにいつも通りの放課後。何事もなかったかのようにみんな帰り支度をしている。

 私としては正直しーちゃんの行動はナイスな行動だった。

 しーちゃんは元からそう目立つ人でもないため、たぶん角は立たないし、何より誰もが行きたがってはいなかったのだ。皆内心、面倒ごとを回避できてほっとしていることだろう。

 ふるいにかけるという意味ではとても効果的だった。

「まあ、嫌々行ったところで、相手方もうれしく思わないだろうしねー。これでよかったんじゃないかなー」

 不満げなげんちゃんに対して納得させるために言う。

「そう、かな?」

「そうだよー、たぶん。まあ行ってみなきゃわからないでしょー。だからとりあえず行ってみて後のことは考えよー」

 これで完全に納得するとは思わなかったが、

「うん……そうだね!大事なのは気持ちだもんね!うん!」

 とりあえずは通常運行に戻ったようだ。

「うんうん、それがいい。それで、まずすることはねー……」

 こうして私たちは、(少なくとも私は)ほとんど顔も知らぬけが人のお見舞いに行くことになった。


 先生に聞いたところ、その病院は電車で数駅ほどの少し大きめのところであるらしい。

「……なんでわたしも来てるの……?」

 ちなみにしーちゃんも同行中。

 帰っているところを追いかけて無理やり連れてきた。

「いやー、あれフリですよねー?いつもそうなんだから、しーちゃんはー」

「……大して親しくない人のお見舞いに行ったところで相手にも迷惑だし、こちらもただ面倒くさいだけでしょう……?」

「そんなこといってー」

 くだらない会話を繰り返しながら、私たちは電車に乗っている。

「……そういえばあなたは親しいの……?」

 急にげんちゃんに話を振る。

「えー?いやー、実際あんまり話したことないんだよね!もちろんお互い名前は知っていると思うけど、でもそれだけ!」

 驚いた。げんちゃんもあまり親しくない人らしい。よくそれでお見舞いに行こうと思ったものだ。

「でも、きっと誰かクラスの人がお見舞いに来てくれたらうれしいよ!うん、間違いない!」

 それは驕りというものだ。全く知らない人がお見舞いに来てもあまりうれしくはならないだろう。まあ、今回は一応知り合いらしいし、別に険悪な仲というわけでもなさそうだから問題ないと思うが。

「……確かに、そうかもしれないね……」

 しーちゃんは少し、歯切れが悪い。

「まあまあ、クラスの女子三人がお見舞いに来るんですよ?ハーレムじゃないですかー。喜ぶに決まってますよー」

「うーん……?それはそうかなー?」

「そうですよー」

「うーん……。そうだね!」

 げんちゃんは納得したようだ。うん、それでよろしい。

「……はあ。問題はそこじゃないと思うんですが……」

 ため息とともに吐いたしーちゃんの言葉は無視して、次の話題に進む。女子高生の話題転換は早い。

「そういえばねー!…………」

 その話をするげんちゃんはまるで、このクラスの現状を見ないようにしているようで、誰かの死から目を背けているようで、そしてこれから出会う相手がどう反応するかという不安から逃げているようで。

 どこか急かされているかのように、私たちは益体のない話を展開していった。

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