自殺!ダメ!絶対!
わたしはどうして生きているんだろう。そんな思春期のだれもが抱く悩みをわたしは抱えている。わたしの存在意義は?その存在に意味はあるの?何を成すために、どのような理由でわたしはここにいるの?
そんなことを考えても意味はない。
どこにも答えなどなく、どれほど求めようとも結局わからないまま。
そんなことはわたしでもわかっている。わかってはいるのだ。でも答えを求めるのをやめることはできない。わたしは自分の存在理由を探し続ける。
その意味すらも分からぬまま。
答えなどどこにもありはしないことなど、十分に分かっているのに。
わたしは探し続けた。自らの存在理由を。答えなんてないことを知りながら、意味のない思考の探索を続けた。
その果てにわたしは理解した。
いや、最初からわかってはいたのだ。ただ認めたくなかっただけ。
思索の果てに見つけたわたしの答え。それは――。
わたしはいま学校の屋上にいる。わたしの存在理由のために。わたしはここから飛び降りる。
存在理由などなかった。思索の結果として、それがより一層分かっただけ。
人は常に死に向かって歩みを進める。
生きている理由などはない。
ならば生きている意味はあるのだろうか?いや、意味なんてものはない。あるとすればそれは、死ぬこと。
ならばわたしは自らこの命を絶とう。
存在していても何も変わらないのならば、この世に意味などない。むしろ生きているだけ無駄だ。
もし来世があるのならば、意味のある生が欲しい。
死ぬのは怖いけど、わたしは勇気を振り絞って足を踏み出した。
――バイバイ、セカイ。
・・・・
死後人間がどこに行くのか、ということは誰もが考えたことがあるだろう。
天国か、地獄か、それとも無か。はたまた生まれ変わるか。
その辺は個人の宗教観などで大きく変わってくるとは思うが、結局のところは誰にもわからない。少なくとも生きている人間では。
なぜって、死後の世界に行ったことのある奴なんていないし、死んだ後の人と話をできる人すらもいないのだから。
いたとしても本気にするやつは少ないだろう。頭がおかしいとは思われるだろうが。
なぜこんな話を急にし始めたかというと、私が死んだからだ。
そう、私はあの女性に突き刺されて、その後に自らの手で自分の頭を吹きとばした。
確かに死んだはずなのだ。
頭を吹き飛ばされても生きているような奴は本当にゴキブリかなんかぐらいだ。
そのはずなのに私は生きている。いや、もう少し正確に言うと、十六、七歳ぐらいまで姿が若返った姿で見知らぬ家にいる。
この明らかに異様な状況にどうしたものかと私は頭を悩ませる。
まずここはどこか。誰に、なぜここまで運ばれたか。ことによっては色々と危険かもしれない。
犯人の目的は私の命だろうか。いや、それはないだろう。でなければわざわざ死んでいた、ないし死にかけていた私を助けるわけがない。
では別の目的、例えば何かをさせようとしている、とかだろうか。
この際私がなぜ生きているのかはどうでもいい。
望むべきは現状。
さて、最適解は何か。
とりあえず、まずは今のこの状況を把握することにした。
まず見えるはこの部屋だ。
窓から見える景色はほぼ真っ暗なので、おそらく今は夜だろう。また、どうやらここに住んでいるのは一人らしく、かなり質素な暮らしをしているようだ。部屋が狭いし、衣服も数着しかない。家具も少なく、最低限生活に不自由しないために必要な程度しか置かれてない。
その辺に財布が置かれていたので、その中から身分が分かるようなものを探してみる。
(おっと、学生証みーつけた)
その学生証はどこかの高校のもので、そこには私の名前が書かれていた。しかも写真付き。年齢は十六歳。
私は眉を顰める。
(どういうこと?こんな写真撮った覚えもないよねー。そもそも私はもう高校に通っていない。記載されている高校にもまったく覚えがないねー)
そのほかにも、教科書や筆記用具、携帯電話など、高校生が一般に持っているような物も色々見つけた。
果てには私の名義での賃貸の契約書なんかも見つけてしまったが、登録されている口座は見知らぬものだった。
ここまでくると流石に私もどういうことかと少々混乱してくる。
とりあえずここまでわかったことを整理することにする。
まず、ここはアパートの一室だ。家賃はそれなりに安い感じらしい。また、この部屋の主はどうやら一人暮らしっぽいということだ。
布団も一式しかなかったし、そもそも二人ぐらいならまだしも、家族のような世帯で住むにはこの部屋は狭い。また、そいつはまだ学生のようである。学生証以外にも、教科書や制服にそのような端々は見つけられた。
だが、携帯の中身には高校生らしくなく、ほとんど何も記録されてなくてめぼしい情報は得られなかった。だが初期設定は終えているらしく、日付などを知ることはできた。
ここまではまだいいのだ、ここまでは、まだ。
私を混乱させるのは、ここまでの情報を統括して得られる結果がこの部屋の主が私らしく、また、私が死んでから半年とかその程度しか時間がたってない、ということである。
しかも、今どきにありがちな異世界でもなんでもなく、私が元居た世界と何ら変わりない。というか、ネット上には私たちの事件はさらっと載せられていた。
当然私にはこんな部屋を借りた覚えもないどころか、何よりもまず、私は確実に死んだのだ。それはウェブニュースからもわかる。
それに見知らぬ部屋を自分名義で借りられるわけがない。
年齢も高校に通うほど若いはずがないし。
むしろ死んだ時よりも後ならもっと年をとっていてもいいはずだ。
少し年齢に関しては自虐的だったかと思いつつ、私は真っ暗な外を見る。
(うーん。ここで考えても仕方ないねー。とりあえずドアに鍵なんかはかかってないから、少なくとも出入りは自由そうだ。外から情報を仕入れた方がいいかもしれない。うん、そうしよー)
一人で納得すると、私は夜の街へ足を運んだ。
とりあえずは学生証に書かれていた高校を目指しつつ、その道中で街を散策して、この辺りについて見てみることにする。
家の周りは割と都会のようだが、今は真夜中ということもあって、居酒屋とか24時間スーパーとかしか開いてないようだ。
ただ今どきはどこに行ってもコンビニという便利なお店があるので、そこで現在のトレンドなどについては調べておく。
そしてこの辺の地理を頭にいれつつ、目的の高校に向かってぶらぶらと歩いていく。
その高校まではそう遠くない。
普通は電車などで行く距離ではあるが、急ぎでなければ歩いても十分につける距離だ。今みたいにのんびりと歩いていくと時間はかかるが、まあいつかは着くだろう。
こんな風にのんびり散歩するというのも、殺し屋時代にはあまりなかったため少し新鮮だ。
まあ、用がないときには大体家に引きこもっていただけなのだけど。
あの時は外に出るということは「仕事」をするということでもあったため、ある種の緊張感が常にあった。今のように無警戒で出歩くなんてことはほとんどしなかったのだ。
もちろん今でも最低限の周囲への警戒は怠っていないが、これは半分習慣みたいなもので、意識してのものではない。
この時点で私は、私をあの部屋に連れて行った犯人がだれであろうと、あまり警戒に値するものではないと判断していた。
そもそも部屋に鍵をかけてない時点でうかつすぎる。
何の目的があるのかもわからないが、私へ危害を加える気であるならば、おそらく技量が足りなさすぎる、もしくは逆に私よりもかなり高いゆえの余裕のどちらかだろう。
それに学生証を用意したりなど、行動が意味不明すぎるのだ。
なぜ私を学校などに通わせようとする?
全くもって理解不能なことに対して警戒をどれほどしても無駄なことだ。そういう意味でも私はその誰かへの警戒レベルを下げていた。
そんなこんなで歩いていると、目当ての高校が見えてきた。
あらかじめ地図で調べてはいたものの、思ったよりも大きい。いやこれが校舎としてはおそらく普通なのではあるのだろうが、長らく横目にしか見てこなかったため、改めてまともに視認すると大きく感じる。
(ここが私の通っていることにされているらしい学校かー。教室配置なんかも確認しとこうかねー。真夜中の学校は警備のレベルがある程度高そうだけど・・・。まあここに通っていることになっているっぽいから何とかなるでしょ。忘れ物がどうのとか言えば)
というわけで中に突入することにした。私は少しだけ、懐かしい気持ちがしていた。
当然ではあるが、正門はばっちり閉め切っている。といっても、学校の門の高さなどたかが知れている。
もしかしたら監視カメラとかがあるのかもしれないが、今の自分はここの生徒ということになっているらしいから、いくらでも言い逃れはできるはずだ、たぶん。
見つかった時のパターンを一応シミュレートして、たぶん大丈夫であることを確認すると、門を乗り越えて、グラウンドの横を通り過ぎる。
そのままのんびり歩いていくと、校舎の前までは何の問題もなくたどり着くことができた。
さて、ここからが問題だ。初めからわかっていたことではあるが、ここももちろん扉は施錠されている。ここで諦めて帰ってもいいのではあるが、ここまできて帰るのはもったいないし、なにより諦めるのはあまり好きじゃない。
そもそも外観を見ただけではつまらない。
どこかの窓が手違いで開いている、なんて運のいいことがないかと辺りを散策していると、本当に運よく一か所だけ窓が開いていた。
窓を割ろうかなどと多少物騒なことを考え始めていた私はこれにより、割と素直に中に忍び込むことができた。
(といっても、ここ以外はどこもばっちり閉まっていた。ここだけ開いているのはどうも不自然だよー。警備の人がいるかもしれないし、別の何かがいる可能性もある。それが危害を加える奴かは知らないけどねー。多少は気を付けていかないとー)
窓から中に入り、誰かが入り込んだことがばれないように一応鍵をかけておく。ここのカギは二重ロック的なやつで、若干厳重気味だ。
校舎に入ると、はるか彼方に置き去っただろう思い出がよみがえる。こんな私でも確かに高校生だったことはあるのだ。
(校舎内の見た目はどこの高校もあんまり変わらんのかねー。)
校舎の中は、記憶にある校舎とよく似ている。
もちろん建物の構造の違いはあるものの、壁や床の色はほぼ同じで雰囲気が似ているため、なんだか昔に戻った気分になる。
真夜中なので暗いではあるが、月明りがあるため、足元は見えなくはない。
ここまでの道のりと同じように、今度は校舎の中をゆっくりと歩いていく。
学生証にも自分のクラスなどは書いていないため、とりあえず当初の予定通り教室配置を確認していくことにする。
(私が入ってきた場所はいわゆる本棟ではなく、少し小さめの二つの別棟のうちの一つっぽいねー。ここに来るまでにざっと見た感じ、ホームルーム教室というよりかは、理科室なんかの特別教室のある棟のようだ。本棟にホームルーム教室があるとして、もう一つの別棟には何があるんだろー。あそこだけ渡り廊下が一階でしか繋がってない感じだから、後回しにして最後に見ようか。)
校内地図を見ながら、呑気にそんなことを考える。
別棟の一つを後回しにして、一階、二階、三階、四階と教室を見ていく。
四階は別棟にしかないようだ。
本棟には屋上への入り口があったが、やはりというべきか、その扉は閉ざされていた。残念。
クラス配置を見た感じでは、一年が一階、二年が二階、三年が三階というように、学年ごとに階で分けているようだ。また、それぞれ五クラスあるようである。
窓が曇りガラスで、机の数からクラス内の人数を予測することまでは流石にできなかったが、それでも大きな収穫だ。本当にここに通うとしたら、留年などを踏まえて多く考えても十五クラス、普通に考えると一学年の五クラスにまで選択肢が絞られたことになる。これはなかなか有用な情報だ。
まだ自分が本当に通うのか、正直疑わしいところではあるが、常に可能性は考えていなければならない。
これも殺伐とした時代に学んだことだ。
教室の扉は閉まっていて、廊下を歩くぐらいしかできなかったため、これで本棟と別棟の一つの探索は終了だ。
多くの情報は得られなかったが、これからのために有用になりうる情報は得られた。
そろそろもう一つの別棟の方の探索に向かってもいいだろう。
私は再び一階に戻り、別棟へとつながる渡り廊下を歩み始めた。
真夜中の校舎というのはその状況自体に何かしらのロマンを感じる。
「真夜中」にも「校舎」にも、単体であれば特に何も感じるものはない。
特に私のような生き方をしていた者にとっては、「真夜中」なんてものは日常だ。殺し屋はその機会のためならば時間帯は選ばない。
「校舎」に至っては言わずもがなだ。私が高校のころではそれはただの日常に過ぎなかった。
だが、ただの「日常」が二つ重なっただけの「真夜中の校舎」に、なぜ「非日常」を感じてしまうのだろうか?
私のように社会の闇と呼ばれるような場所にいる人間にもそれを感じさせるこの時間帯のこの空間は、この世界とはそもそも違う、異世界のようなものを彷彿させる。
こっちの別棟は、より年季が入っていて、別棟といっても旧校舎という感じなのだろう。それが私にとって一層異世界感を加速させる。
今までの建物がコンクリート造りだったのに対しこちらは木造だ、と言いたいところだが、さすがにそこまで古くはないのか、残念なことに同じくコンクリート造りだ。木造であればさらに雰囲気が増したであろうに。
今までの棟で学業に必要な教室はあらかたあった気がするので、ここの教室は何に使われているかが気になっていたのだが、予想通りというべきか、多くは空き教室か倉庫的な使われ方をしているらしい。
(たぶん新校舎ができて役割がほとんど移ってしまったんだろうなー)
私は校舎を見て回りながらも感慨にふける。感慨にふけるというほど思い出があるわけでもないけど。
教室はほとんどが教室としては使われていない様子だったので、探索は割とすぐに終わった。
と思ったら、どうやらここの校舎には四階があるようだ。
階段はいくつかあるのに四階に続く階段は一つしかなく、危うく見落とすところだった。
階段を上って四階へ。
四階には音楽室があり、この校舎にて唯一使われている教室のようだ。
どうせなら音楽室も移せばいいのに、と思わなくもなかったが、それは学校にも何らかの考えがあるのだろう。特に理由がないことだってありそうだし、それでも私はあまり驚かない。
とりあえずこのことは私にはあまり関係ない。
ただここに音楽室があるということだけは覚えておくことにする。
(四階には教室自体一つだけっぽいし、これで探索し終えたかねー?うん?あれ、上り階段がまだあるということは屋上にも続いているのかねー)
正直、屋上扉が開いていることを期待してはいなかったが、やっぱり屋上には若干の夢を抱いているので、とりあえず行ってみることにする。
私の高校時代は屋上立ち入り禁止だったし。
再び、今度は屋上への階段を上る。
そこにあった扉の前に立つと、私はその扉を開けようと試みた。
すると、意外なほどあっさりと扉は開いてしまった。
ここまではすべて序章。
これらの事象に特に意味はない。
ここからが私の本当の始まりであり、それは終わりを告げる扉だった。
扉を開けると冷たい夜風が身を切る。
冷たいといっても今は春から夏へ変わるぐらいのころの季節で、気温としてはいい感じである。
むしろ少し冷えるぐらいの風が気持ちいい。
屋上は割と広々としており、昼だったらここで弁当を食べている者たちも多くいるのかもしれない。
ただ、屋上の床はあまりきれいでなく、あまり使われているようには見えなかった。また、本来は転落防止等の役割を果たすはずのフェンスもかなり朽ちており、学校としてもここの使用を許可するように思えなかった。
そんな、どう見ても「入っちゃダメ!」な屋上がなぜ開いていたのか。
だがそんな疑問もすぐに解消された。
そこには一人の少女がいた。
都会の明るさに星の輝きがのまれてしまった、そんな真っ黒な夜空を眺めながら、彼女はどこか物悲しげにそこに立っていた。
彼女がいたのは朽ちたフェンスの内側。
何のためにここにいるのか。
どうやってここに入ったのか。
ここで何をしようとしていたのか。
様々な疑問が私の頭をよぎる。
だが、多くは大方の予想がつくものであって、きっとその答えはつまらないもので。
だから私はそれらを無視して話しかける。
「ここからの景色はきれいですかー?」
少女は驚いたようにびくりと身を震わせ、こちらへ振り返った。
「……だ、誰ですか……?」
少女は尋ねる。当然だろう。
誰もいないと思ってここにいたら、後ろから誰かに話しかけられて、しかもそれが警備員ですらない、見知らぬ人間だったのだから。
少なくとも私だったら、相手が女でも身の危険を感じる。
「えー?私ですかー?まあまあ、たぶんそのうちわかる、かもしれないですよ?そんなことよりも景色、きれいですかー?」
我ながら怪しさ全開の会話だが、少女は答えてくれた。
「……まあ、誰か聞いても意味なんてないですしね……。ここからの景色ですか……?まあ、見てのとおりですよ……?町の明るさにかき消されて星なんて全然見えやしない……。見えるのは月とビル群の明かりだけ……。それがきれいかどうかは……、ひとによるんじゃないですか……?」
「違いますよー。私がきいているのは、あなたが、これをきれいに思ってるかどうかですよー。何をきれいに思うかなんて、そんなの人によるに決まってるじゃないですかー」
とりあえずスマイルをつくりながら話を続ける。
せっかく人に出会ったのだ。しかも学校で。
年齢的にも彼女はここの生徒である可能性は高い。できるだけ情報を聞き出して損はないはずだ。
「……わたしの…?なんで…?そんなのきいてどうするんですか…?聞いたって意味なんてないですよね…?」
なかなか手ごわい相手のようだ。
わざわざ質問に意味を求めてくるあたり、かなり強者だ。
(これが高校生という生き物だったか…!なんて面倒くさいやつなんだ…!これは思春期真っ盛りとかいう奴ですかねー)
「意味なんてないですよー。というよりそんなこと考えてたら学校の問題とか意味わからいです。謎の点Pの軌跡とか謎すぎますよねー。強いて理由を求めるなら、私が聞きたかったからですよー」
若干、いやかなりめんどくさいやつだなー、と思いつつも、笑顔で話し続ける。
笑顔は便利だ。
とりあえず浮かべているだけで好印象を与える上に、相手の警戒心も下げやすくなる。
まあ、場合によっては胡散臭い印象を与えてしまうので、ほどほどにする必要はあるが。
「……わたし、そろそろ帰らなければならないので……。では……」
今回ではあまりよくない影響をもたらしたようである。いや、ただ単に話が合わなさ過ぎただけか。
彼女がもう少し成長すれば、社会の何たるかを知って、ひとまず話だけでも合わせようとすると思うのだが。いや、むしろ無視するか。
ともかく、このぐらいの年代の子は性別に関係なく難しい。
少女が本当に帰ろうとしているので、自身の失敗も相まって、私は少し焦ってしまったのだろう。
平時ならば適当に見送り、次の機会をうかがうのに、今回に至っては絶対にしないようなことをしてしまった。
少女が脇をすれ違い、通り過ぎるときに私は思わずつぶやく。。
「……死のうとしていたの?」
「……!?」
少女が足を止め、驚いた顔でこちらを見る。
やはりというべきか、予想は当たっていたようだ。
もともとこんな核心に迫るようなことを言う気はなかったが、言ってしまったものは仕方がない。私は話を続ける。
「別に自殺に反対はしませんが。下に人がいないかとかは気を付けてくださいよー?でも、おかしいですねー。死にに来たはずなのに、まだあなたは死んでない。もしかしてですが。もしかしてあなた、怖くなってやめちゃったとかですかー?」
「……ち……が……!」
否定しようとする彼女の顔に驚きとともに、恐怖が混じる。おそらく大半が図星だったからだろう。
だがこういうことはよくあることだ。
死にたい者が死を目前にして、生を渇望する。
なんともつまらないものだ。
生に耐え切れなくなったわけでもなく、ただ死にたいだけの奴ならばなおのことである。
「まあ、それでもいいんですがー。でも、それでも。それでもあなたがまだ死にたいと願うのなら。それならばいっそのこと私が……。」
言葉の途中で彼女は走り出した。逃げ出したのだ。だがそれをやすやすと逃がす私ではない。
走る、走る、走る、走る走る走る走る――。
少女は階段を駆け下り、廊下を駆け抜け、私から逃げた。必死に。
私はそれを追いかける。
彼女は獲物で私は狩人だ。狩人は常に獲物に対して優位に立ち続ける。
私はこの校舎の構造をすでに把握している。私と彼女に地理的な知識の差はない。
彼女がどのように逃げるか、追い詰められた獲物がどのルートを選択するか、それらはもう予測済みだ。
私の頭では最後の詰みまでのルートがすでに構築されていた。
だから私は焦らずに走る。
彼女が選択したであろうルートを後から通る。
一階まで階段を駆け下りた後、渡り廊下を通り、本棟に入る。
もうすぐゴールだ。
本棟の廊下も駆け、別棟に突入する。
彼女との距離は実際そう離れていない。
さあ、あそこに彼女はいるだろう。
私は目的地まで軽く走っていった。
予想通り、そこに彼女はいた。
そこは私が入ってきた窓だった。
だが、そこの窓は鍵をかけてある。
私が入り込んだ後に施錠しておいたのだ。彼女はそこを開けるのに手間取っていただけだ。
確かに鍵を開けるだけではそんなに手間はかからないだろう。
よほど焦っていなければ。
そう、彼女は焦っていたのだ。
なぜそんなに焦っていたのか。
それは彼女がそこまで追い詰められていたから、いや、私が彼女をそこまで追い詰めたからに他ならない。だから彼女はわざわざここまで来て、施錠された窓に驚いて、開錠に手間取っていたのだ。
そもそも私から逃げるならここまでくる必要すらなく、適当な窓から逃げても大して変わらないのだ。
いや、むしろさっさと外に行って校庭で逃げ回った方が可能性は高い。
なぜなら校庭は木々が多く広い。なおかつ暗いために見失いやすいからだ。
校舎内では行くべきルートは見えきっている。
かくして彼女に追いついた。
「……わたしを……殺すの……?どうして……?」
彼女は問う。自分が殺される意味を。
それはきっと、自身の死ぬことを望んでいないことを意味するのだろう。
正確には殺されることを。
意味がないことなどわかりきっているのにソレに意味を求めてしまう。それは、その行為に意味がなければ納得できないということに他ならない。
だから私はこう答えた。
「いや何を言いますかー?冗談に決まってますよ。そんな簡単に殺人ができるわけないじゃないですか。そもそも私は素手ですよ?こんなんでやわな少女が一人で人を殺せるわけないじゃないですかー。というか私は殺すなんて一言も言ってはいないですよ?」
そう、私は殺し屋。
対象は何であれ依頼者に願われることで人を殺す。逆に言うと願わなければ殺さない。
彼女は本当の意味で死を望んでいるわけではなかった。
ただ生を放棄しただけだ。
ならば私は彼女を殺しはしない。
我ながら下手な言い訳ではあるが嘘はついていない、わけでもないが誤差の範囲だ。疑いはすれど、否定まではしないだろう。
「……そ、そうなんですか……?話の流れでてっきり……。でも……よかった……」
「そうですよー。話の途中で急に走り始めちゃって、どうしたのかとー」
彼女は安心したことで腰が抜けたのか、ぞの場にへたりこむ。
正直こんな疑わしい話を簡単に信じられて、私の方がどうなのかと少し疑ってしまったが、信じてもらえたのならばそれはそれでいい。結果オーライという奴である。
まあ最悪彼女が私を警戒しても、彼女一人ならばどうとでもなる。
人間一人の影響力など、些細なものだ。
特にこういう校内カーストの低そうな者では。
「まあ、今日はお互い帰りましょうー。もう真夜中どころか急がないと夜が明けてしまいますよー。ははー」
「……そこまでは遅くないですが……。でも確かにそうですね……。もう帰りましょう……。疲れました……」
冗談交じりで言うと彼女は思いのほかまともに返してきた。
かなり解散の流れができてしまい、ここで止めるのはさすがに不自然すぎので、私も引き留めることなく帰らせることにする。
プロは引き際を心得るものだ。
ここまでやって今更感がすごいけど。
と、ここで少女が口を開いた。
「……あなたは、ここの生徒ですか……?」
私はこの質問に本来答えることができなかった。
まだ今の自分の状況への疑いが大きいからだ。
だが、私は、
「はい、ここの生徒ですよー」
思わずこう答えていた。
私たちはその場で解散し、それぞれの帰路へとついた。
ただ私は校庭の方をまだ見ていなかったので、その辺りをひと通り見て回ることにする。
校舎のすぐ横にはグラウンドがあり、道を挟んだ向かい側には体育館が二つある。その横には武道場があり、個人的には結構設備の整った学校だと思う。
ただ、校舎裏、体育館裏は木々が生えており、ちょっとした林のようになっていた。
(私は別に虫とか嫌いじゃないけど、そういうのが苦手な人たちってこの学校やばいんじゃね?生きていけるのかねー?そういう人々は)
私はそんなことを思いつつ、まずはグラウンドから歩いていく。
グラウンドはTHEグラウンドといった感じで、特筆すべきことがなにもないような、いわゆるグラウンドである。
砂もよくあるようなただの砂で、広さも普通。普通過ぎて、グラウンド自体から得られる情報は少なかった。
だが、その周りには草が生い茂っており、グラウンドはともかく、その周りの手入れはあんまりしていないのだろうか、という印象を抱いた。
ここの草むらは校舎裏につながっており、校舎裏の林はここからも行くことができるようだ。
だが当然舗装された道などはないため、虫などの耐性がかなり高くないと進むのは難しそうである。
ちなみに、私はそういうのは平気な人だ、たぶん。
そのまま校舎裏も見ようかと思ったが、流石にこんな夜中に草むらに入るのは必要がなければ避けたい。
なので、校舎裏に回るのはやめ、体育館、武道場方面を見に行くことにする。
体育館も当然閉まっていた。
校舎と同様にここも辺りを見て回ったが、やはり窓が開いているという奇跡はそうそう起こるものでもないらしく、人が入れるぐらいに開いている窓はなかった。
もちろん窓を割ったりすれば入れなくもないが、私は一応一人ではあるがすでに顔がわれている。あまり派手なことをするのは得策ではない。
まあ当初の予定はとりあえずこなしていたので、あまり無茶はせずに体育館と武道場をぐるりと回って、なんとなくの雰囲気だけでも感じておくことにする。
体育館は二つ、武道場は一つでそれぞれが横に並ぶ感じに渡り廊下でつながっている。
だが校舎とは直接はつながっておらず、ただ横断する道路に屋根がついているだけであった。
(これ正直移動面倒くさくない?といってもつなぎ方がこれしかなかったのかもしれんけど。もうちょいなんか工夫できなかったもんなのかねー)
そんなことを思いながら見て回る。
外観から見た感じでは普通の体育館とあまり構造は変わらないようだ。
ただ、二つの体育館は少し大きさが異なり、恐らくメインとして使用する体育館とサブ的なやつとで分けているのだろうとは予想ができた。
武道場の方も見てみる。
武道場は体育館とは別になっており、外観としては瓦屋根の、割と上等な感じだ。イメージとしては武家屋敷を小さくして、もうちょい、いやかなり貧相な見た目にしたようなものである。
大きさはそんなに大きくないが、きっと中はそこそこお金をかけているのだろう。この学校にどんな部活があるのかは知らないが、ここを使う部活はある程度の強さを誇っていると思われる。
この方面もあらかたまわり、この学校の全体の構造は大体わかったので、私はそろそろ帰ることにした。
武道場、体育館から離れ、正門まで歩き、そこを来た時と同じように今度は出ていくために乗り越える。
またのんびりと帰ろうと足を踏みだし始めた、その時だった。
「あら、もう帰るの?もう少し見学していったら?せっかくここまで来たのでしょう。まだ時間はあるわよ?」
――女の声が、した。
全く気付かなかった。呑気だったとはいえ、完全に無警戒だったわけではない。
その私の警戒網を、普通の人がすり抜けられるわけがない。
それも完全に気づかれずに。
私はさっと振り返り、その声の居所を探す。声は正門の向こう側からしたはずだ。
「ふふ、私を探しているの?無駄ね。仮に見つけられても貴女にはどうしようもないわ。あなた程度ではね」
その女らしい奴は私を舐めきっている。
それができるほどの実力が自分にはあると思っている。
それが事実かどうかはさておき、少なくとも私はそいつを見つけられていない。その時点で私は圧倒的に不利だ。
「まあいいわ。私はあなたと多くを語る気はない。これでも一応貴女を買っているのよ?あなたにはほかの人にはないものを感じるもの。それに……。
あら、話しすぎたわね。そんなことよりも、よ。私は貴女にルールを教えに来たの」
「!?」
ルール?何のことだ?いや、まさか……!?
私の表情の変化を読み取ったのか、そいつは続ける。
「お察しの通りよ。私は貴女をここまで連れてきた者。貴女を生き返らせた者。貴女にとっては……、そう言わば神様ね。でもこれらは別に貴女のためじゃない。だから貴女にルールを教えるの。ルールで貴女の行動を縛ることで私の目的を果たすの。だから聞いてちょうだいね?それで本題なのだけど……」
そいつは私にかまわず話を進めようとする。
会話の主導権は完全にあちら側だ。
せめて私とのまともな会話を成立させるために、私は無理やり言葉をねじ込んだ。
「お前は誰?その目的とは?せめて姿見せてくれないかねー。じゃないとまともに話が聞けないよー?」
「ふふ、そんなに聞きたいの?でもそれらは私にとってはどうでもいいことよね。それにさっきも言ったでしょう?私は多くを語らないって。悪いけど貴女の話は聞かないわ。私の話は続けさせてもらうわね?」
やはりまともに話をする気はないようだ。
私は先程までこの状況の犯人に対する警戒心を下げていた。
ある意味ではそれは正解だったのかもしれない。
目的が分からない。
姿すら見せない。
それに加えてこんな状況を作り上げる力がある。
そんな奴に警戒をしても確かに無意味だろう。その警戒すらもおそらくこいつは突破する。
だが存在をお互いに認識している今なら別だ。警戒に意味はないのかもしれない。だが警戒しなければやられる。こいつはそういう類の相手だ。
話をしてもおそらく無駄なので、ひたすら警戒しながら黙って話を聞く。
「そもそもこのルールを話すのだって別に必要なことではないわ。あなたが生きているだけできっと目的を果たしてくれる。ただあなたに現状を理解してもらう必要はあるのよ?だからこそのルール説明。
さて、それではそのルールを話していくわね。といっても状況説明のようなものが多いのだけど。それにそんなに長くはならないわ。
貴女にはこの高校で暮らしてもらうの。それはきっと貴女の予想通りね。ここで普通の高校生として過ごしてもらう。それがまず第一のルール。どうせやることもないんでしょう?大丈夫よ。手続きほか、暮らしに必要なものはそろえているはずよ。ほかに必要なものは自分で頑張ってそろえて頂戴ね。
では第二のルール。それはね、依頼はしっかり遂行することよ。ふふ、分かってるわね?これは絶対よ?といっても貴女のことだからどんな依頼でも勝手に完遂するのでしょうけど。
ルールはたったこれだけ。簡単でしょう?いわれなくてもできるものばかり。
ではよろしくね?」
「待て……!」
そいつは一方的に話した後、気配を消した。私はそれを引き留めようとしたが、
「よい高校生活を過ごしてね?ふふ――」
まるで作ったかのような笑い声を残して、完全に存在を確認できなくなってしまった。
(奴は何がしたいんだ?私に何をさせたかった?)
いろいろ思うことはあったが、それらの答えは結局わからないままだった。
私は自分がかなり動揺しているのを気付くと、その場で首を振って深呼吸をし、ひとまず自分を落ち着かせた。
(ふー。うん、ひとまず落ち着いたかなー。とりあえず帰ろう。歩きながら頭を整理することにしようかねー)
私の頭には、含みを持った彼女の最後の言葉が反響していた――。
家に再び帰り、これからのことを考える。
帰る道中である程度考えはまとめたが、やはりまだよく理解はできていない。いや、理解はしているのだが、意味が分からない。
意味不明なことを一人で考えたところで、その意味が分かるはずもないのだが、それでもつい考えてしまう。
(私を高校に通わせることに何の意味がある?私に利益があったとしても、他人にあるような気はしないんだけどねー。ヒントとしてはあいつがルールと言っていただけのあの謎の話かー。そうはいっても特段特別なことは言っていなかった気がする。
ただとりあえずはあの話にひとまず従うぐらいしか方向性としてはないかなー?ほかにやることもない。少し癪に障りはするけど、しばらくは高校生活を過ごすべきかねー)
それからも思考は止まらなかったが、これからすることの方向性を定めたことで思考は徐々にあいまいになっていった。
(今日は土曜日。明後日までに必要な情報を収集して……、それで……、必要なものは……)
想像以上に疲れていたのか、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
・・・・
――わたしは飛び降りるつもりだった。確かにそこで命を絶つ気だったのだ。
だが、できなかった。
怖かったのだ。
死ぬことがではない。殺されることがである。
わたしが飛び降りようとした瞬間、下に誰かがいた気がした。だからわたしは思わず隠れてしまった。
そのままでいた時に彼女に出会い、そして追われた。
彼女はああは言っていたが、きっと本当に殺す気だったのではないだろうか。
だがそんなことはどうでもいい。
確かにわたしは死ぬためにここに来た。
でも、あの時は殺されたくないと思ってしまった。
なぜか。
殺されるのも、死ぬことに違いはないというのに。
存在理由がないから、私は死のうと思った。
だがそれは違った。
わたしは、生きる意味がないから、生を放棄しただけだった。
それは全く違うこと。
生の放棄に意味はなかった。
そこには単にわたしが死ぬという結果が残るだけだった。
だが殺されることは、殺す彼女にとっては意味がなかったのかもしれない。
でも殺されるわたしにとっては意味ができてしまった。
一人で完結するはずだったわたしの生の終わりに、他者の介在が生まれてしまった。
それはわたしにとっての死への「意味」になった。
だからわたしは、その「意味」が明確にわかるまで、もう少しだけ、あと少しだけ生き続けることにした。
生きる理由がわからなくて彷徨っていたわたしは、今度はその死の意味が知りたくて、再び彷徨うことにした――。