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あいつ、マジで死なねぇよ…(4)

 人は死んだら死ぬだけだ。

 それを覆したのを私は二例しか知らない。

 私自身と、確かに一度この手で殺したはずの、目の前の不死者だ。

「でも、その不死者を、私が殺して見せましょうー?」

 数メートル離れたその距離を、私は数瞬で詰める。腰を低くかがめ、不死者の首を下から一閃。

 本来ならそれで終わる。しかし、相手は不死者だ。その前に手練れでもある。

 私はそれを避けられる前提で仕掛けた。

 だが。

 不死者はそれを避けなかった。もちろん避けられなかった訳でもあるまい。わざと当たったのだ。

 首から大量の血飛沫を噴き出しながら、不死者は左手で、私の前に突き出した右腕を掴もうとした。

「……っ!」

 掴まれる寸前で何とか手を引っ込め、掴まれることは何とか回避する。思いきり後ろに飛びずさり、相手との間合いを開ける。

「女子高生の手を掴むなんて事案ですよ事案。ねー、おじさん?」

「おじさんとはひどいものだな~。これでもぴちぴちのDKだというのに」

「JKよりもはるかに付加価値が下がりますねー。さっさと死んでくれません?」

 そんな軽口をたたきながらも、相手の手札の異常さを再認識する。

 こいつは「不死」なのだ。それを忘れてはならない。

 普通なら避ける、もしくは防ぐような攻撃にも、不死者はあえてそれを受けて、“致命傷”を喰らってからも攻撃に転じることができる。

 「不死」であるというだけで、その手札は通常よりもはるかに増えるのだ。想定しうる状況を多く考えなければならないし、私が想定した動きとは全く違う動きをするかもしれない。「不死」であることに慣れ親しんでいる目の前の人物は、当然私よりもはるかに「不死」に精通している。

 改めて、目の前の敵の手ごわさを実感する。

 一旦は、「不死」であるならば殺さなければいい。気絶程度で済ませれば、「不死」も発動しないのではないか、とか考えたりもしたが、恐らくそれも無駄である可能性もある。そもそも不死者がそれを想定していないはずもない。さらにその手加減ができるほど私の方が実力が上というわけでもない。

 どうやって殺したものか。

「遅いよ?」

 油断していたわけではない。

 一度私が開けた間合いを、少し思考に沈んでいただけであるというのに、いつの間にか目の前まで不死者が迫っていた。

 不死者が右手を振り上げる。いつの間に取り出したのであろうか、その手には鉈が握られていた。

「……っ!」

 とっさに後ろへ飛びのく、のではなく。一歩前へ足を踏み出し、振り下ろされた鉈を持つ右手の二の腕辺りを掴むと、そのまま引っ張り相手の体勢を崩し、そのままナイフで首を裂こうとする。ただし、今度は先程よりも深く。

 私の刃がその柔肌に数ミリめり込んだ辺りで、不死者は空いた左手で私の顔を掴んだ。

「無駄だね~?」

 無駄な問答をしている暇はない。こいつの握力はその見た目からは信じられないほど力強く、そのまま私の頭を握りつぶせそうなほどだ。

 素早く、その手首を内側から切り裂くと、その手の力は抜け、何とか脱出することができた。

 流石に後に下がって間合いを再度とる。

 目の前では、不死者が相変わらずニヤニヤと気味の悪い笑みをその顔に張り付けながら、仁王立ちしている。

 切ったはずの首も手首も、既に傷はふさがり、ただ表面を血が伝っているだけのようだ。

「いやー、今から君がどうやって不死者を殺す気なのか、楽しみでたまらないよ~」

 私にとっては真剣な命のやり取りなのだが、死ぬことがないやつにとってはただの娯楽でしかないというのか。

 知らず舌打ちを打つ。

 イラつく。何よりも死なないということが。

 ハンデだとか、その舐めた態度だとかはどうでもいい。

 殺しても死なない。

「あー、うざったいですねー」

 あくまで平静を装っていたつもりなのだが、その言葉には若干の怒気が混じる。

「ま、自分がどれだけうざかったとしても、やることは変わらないよね~?じゃ、休憩はこれくらいにして、また、行こうか」

 言い終わるや否や、既に不死者は私の目の前にいた。先ほどと同じだ。

 決して意識を途切れさせたわけではない。集中を切ったわけでもない。むしろ先ほどよりもはるかに意識を集中させてこいつを見ている。

 それでも、いつの間にか、不死者は迫っていた。

 意識を掻い潜ったかのような感覚。

 これを感じるのは今が初めてではない。いつだったか、つい最近、同じようなやつを殺したはずだ。

 無意識を縫って接近。どれだけ意識していても、ほんの僅かなその合間を縫う移動。

 あの時私はどう対処したのであったか。そもそも対処しきれていたか。

 いや、対処しきれていなかったはずだ。

 ならばどうするか。

 すでに目の前に不死者は見えている。

 ならば、今しかないだろう。

 後ろに退くという選択肢はない。それは問題を先送りにしているだけで、何の解決にもなっていない。

 再び足を踏み出す。

 踏み出そうとした。

 しかし、反対に不死者は半歩後ろに下がり、私との距離を取った。それでも手が届かないほどではない。しかし、この距離は相手の間合いだ。腕は相手の方が長いし、武器も鉈の方が当然長い。

 相手との間合いを見直した私は、踏みだした足を力いっぱい踏み込むと、その勢いを使って後ろに跳んだ。同時に鉈の先端が間一髪で目の前を過ぎ去る。

 攻撃を避けてほっと安堵したのも束の間、すぐさま不死者は足を動かし、続けてさらに仕掛けてきた。

 愚か者。

 今の自分にそう叱咤する。攻撃を一つ二つ避けただけで安心するとは何事か。むしろなんぼでも攻撃を繋げて来るのが通常であろう。いつの間にそんなぬるま湯に浸っていたのか。いつの間にそれに慣れていたのか。

 今さらそんなことを後悔しても意味は無い。それでも自らを叱らずにはいられなかった。

 内心にそんな感情を抱きつつも、表面は冷静に相手を見る。

 考えるよりも身体を動かす。相手に先手を取られた以上、私に攻撃に転じる余裕はない。

 避けて避けて避けろ。

 そもそもからして、相手の方が技量は上なのだ。常に先を取らなければ希望は薄い。

 不死者は片手で鉈をふるい、もう一方の手は鉈をふるう合間の隙を埋めるように動く。

 身をかがめて横に薙いだ鉈を避けるが、目の前には相手の足があり、咄嗟に首を傾けると顔のすぐ横を強烈な蹴りがかすめる。

 急いで体勢を戻して、と思ったらすぐさま鉈が迫っている。しかしその一方で残った手が裏で致命的な一撃を与えようと蠢いている。そのフェイントは看破したものの、避けることに精一杯でこちらも一撃を与えることはできない。

 対照的に不死者は、そのニヤニヤ顔を崩さないままに余裕ぶっている。

 致命的な攻撃は避けているものの、少しずつかすり傷のような生傷が私の体に刻まれていく。相手はたとえ傷ついてもすぐに治って、見かけ上は無傷だ。

 その様子に、体力的だけでなく精神的にも疲労がたまる。

――勝てるのか。

 そんな不安が首をもたげてくる。必死に攻撃を避けながらも、ろくな攻撃を与えることはできていない。与えたとしても、それはすぐに治ってしまう。加えて、不死者の顔は相変わらず余裕そうで、疲労の影など一分たりとも見えてこない。

 さらに基本的な実力も上ときた。

 間合いを取って仕切りなおそうにも、自分から離れてしまっては、簡単に追いかけてきてさらなる追撃が待っているだけだ。

 そんな不安が、脳内で思わず駆け巡ってしまったからだろうか。

「ぐっ……!」

 奴の拳が、私の鳩尾辺りにクリーンヒットする。息が止まり、一瞬目の前が真っ白になる。

 それでも止まってはいられない。

 何も見えないままに右に転がる。その後すぐに後ろに飛び退いて、さらなる追撃を覚悟する。

 ひとまず間合いを取ったものの、すぐに詰めてくると思っていたのだが。

「あれ~?どうやって殺すのか期待してんだけどなー?これからどうするんだい?もう限界に見えるよ~?」

 不死者はその場でやれやれ、とでもいうように手を振ってこちらを見ていた。

「そのにやけ面、すぐに剥いで見せますよー?」

 多少抑えつつも、肩でそれなりに激しく呼吸をしながら、そう言い放つ。しかし、奴の言う通りだ。私の限界は近い。この会話は私にとっては大切な小休止だ。

「殺すと口では言って見せるけどね~。実際のところ、不死者をどうやって殺そうっていうんだい?」

「それを言ってどうするんですかー?みすみす情報を相手に渡すような間抜けではないですよー?」

「そっかー。だったら楽しみに待ってるね~?早く思いついてよー?」

 私が殺す方法を未だ思いついていないことなどとうに看破されているらしい。

 確かにそれはずっと前から考えていて、今もなお考えている重要な問題だ。

 どうやって殺す。

 仮に再起不能にできたのであれば、縛り上げて海に放るなり、バラバラにしてコンクリートにでも埋めるなりできよう。問題は再起不能にならない、ないしなってもすぐに復活するという点だ。

 一度、初邂逅時に奴の「不死」を見たが、あの時復活するまでの時間はそう長くはなかった。確かに一度は倒れたものの、すぐに再生して生き返っていた。

 未だ仁王立ちしたままのやつを目に捕らえながら、私は熟考する。

 そもそも死ぬとは。殺すとは。

 原点回帰の時間だ。

 奴の姿が意識から消える。だがそれは何度も見た。その移動には対応できなくとも、次に来る攻撃には対応できる。

 振られる刃と隙間を縫ってくる手を躱しながら、私は考える。

 奴は不死だ。

 では死ぬとは。「不死」を殺すためには。

 考えろ考えろ考えろ考えろ。

 倒せるかどうかは関係ない。否、そんなことはどうでもいいのだ。

 その思考に集中力のリソースを割き過ぎたか、相手の刃がより深く私の皮膚を抉る。

 そんなこともどうでもいいのだ。

 致命的な攻めだけを避ければいい。

 決着は近い。そもそも私の限界が近づいている。

 下から上に振り上げられた鉈をのけぞって回避、だが体勢を崩した今の状態では次の攻撃に対応できない。ならばのけぞったまま足を地面から離す。そのまま後ろに跳ぶ。地に足が着くと同時に再び相手に衝突。今度はこちらが先手だ。大きく動いて、懐に飛び込む。ナイフで切る代わりに柄で相手の顎を下から打つ。失敗。そのまま回り込もうとしたところに鉈が目の前に振り下ろされる。失敗。その鉈を上から打ち付け、それを飛びこえると、相手は鉈から手を放して上から拳を放つ、と思わせてからの下からの蹴り。防ぐ。成功。

 息切れがする。意識がぼんやりとし始める。酸素が足りていない。

 どうでもいい。

 なんとなく光明が見え始めてきた。それは勝負の行く末の、ではない。

 私が、「不死」を殺すことへの、だ。

 死ぬ?殺す?死なない?死ねない?殺せない?

 どうでもいい。

 考えた結果。

 原点回帰の結末。


 私が、殺す――。


「……見えました」

 小さく呟く。息切れの合間に、誰の耳に届けるでもなく自分に言い聞かせた言葉。

 攻撃の隙間、そんなものは実際何も見えてはいない。おそらく私じゃ見えやしない。

 見えないならば作ればいい。

 私の原点はどこだ。

 どんなことをしても依頼を遂行することだ。何を犠牲にしようが、どうでもいい。

――殺せ。

 それだけ。

 何度目かの鉈が振り下ろされる。先程まで避け、あるいは受け止めていたそれを、私は。

 一歩踏み込む。

 勢いよく刃が落ちる。

 それを、私は躱さなかった。

 左肩に深く突き刺さる。刃が皮膚に潜り込み、鎖骨が砕ける。

 でも、それだけ。

 根元に近い位置で受けたその刃は、私の命をすぐさま奪うには至らず、そこで止まる。肉に挟み込まれた刃に、不死者の動きが少し鈍る。

 このままでは勝てないなら、相手と同じ土俵に上がればいい。

 傷つくこと前提ならば、手が届く。

 既に血に濡れた銀の刃が、もう一度不死者の首に到達する。しかし、私の捨て身の攻撃も、奴はにやりと嗤い、素手でそれを掴むことで阻まれた。

 それもわかっている。それも防がれることも。

 なら、次は。

 ナイフは手放し、もう一歩踏み込む。未だ鉈は私の肩に刺さったままだ。

 痛い?

 いや、そんなものはまだ感じていない。

 不死者も鉈を手放し、その手で私を掴んで力任せに投げようとする。

 その力は実際あるのだろう。奴が私の頭を掴んだ時、それができるくらいの力を感じた。だから、それも当たれば致命傷。

 わかっている。

 でも、それも避けない。

 首を掴まれて、締められると同時に体が宙に浮く。ぼんやりとしていた意識が、さらに薄くなる。

 どうでもいい。

 私の右手はまだ動く。なら大丈夫。

 宙に浮かんだ状態で、白い視界の中で奴の姿だけを捕捉する。

 私は右手を伸ばし、

「……っ!」

 肩の鉈を引き抜いた。

 これでかち割るのは、今私を掴んでいる右手ではない。

 この体勢ではあまり力が入らない。

 そんなのは関係ないだろう。当たればいい。

 引き抜いて、そのままの力で、ただし力の限りを尽くして私は、その刃を振りぬいた。

 刃が奴の首に当たる。深く突き刺さる。瞬間、不死者の身体が固まる。私を掴む腕も少し脱力する。

 かといって、その一撃に文字通り死力を尽くした私に、受け身をとれるはずもなく、勢いよく頭が地面にぶち当たる。

 視界が真っ白になり、火花が散る。一瞬意識が飛びかける。

 でも、まだだ。

 ふらふらとしながらもすぐさま立ち上がると、曖昧な意識の中、もう一度だけ不死者へ駆け寄る。その首にはまだ鉈が突き刺さったままで、体は倒れかけている。

 その手からナイフを奪い取る。

 そして、私は。その倒れかけの身体を前にして。

 もう一度、今度はその胸に突き刺した。

 何度も何度も何度も何度も。

 胸だけでなく、身体中、腹も、首も、顔も。

 心臓を潰して、腸を抜いて、延髄を断って、口腔を貫いて、鼻を削いで、眼球を抉って。

 ぐさり、ぐさり、ぐさり。

 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。

 同時に肉を潰すような音も鳴り響く。

 関係ない。

 ナイフの刃もとうに潰れて、何も切れなくなって、今度はいつの間にか転がっていた鉈を手にとり。

 断って削いで剥いで潰して。

「……それが、君の答えかい?」

 声が聞こえた。

 わかっている。これくらいではお前は死なない。

 でも。

「……これが、私の答えですね」

 未だ肉を挽きながら答える。本来ならすでにミンチになっていてもいいほどに私は鉈をふるっている。だが、こいつは持ち前の再生力で人の形を保っている。

 それでいい。

「死というものは色々物議を醸しますよねー」

 誰に問われるでもなく、私は話し始める。

「医学的には、呼吸停止、心拍停止、瞳孔拡大反射、対光反射消失、いわゆる脳死と判定して死亡と見ますよねー。でも、それより前は心臓が止まったり、体が冷たかったり動かなかったりで判定したんですよねー?でもそれだけじゃ、例えば仮死状態であったり、当時は無理でも今なら蘇生可能であったりすることもあった訳ですよー。今の死亡判定出されてる人も未来ならまだ死ななくてよかったかもしれませんね?」

 そんなことを適当に述べる。不死者はミンチにされながらも話を遮らない。

「不死を殺す場合、今の判定方法なら脳死に追い込む必要がある。でも、そもそも不死はそうなることがない、そうなっても蘇る。従来の死では不死は死なない。ではどうするか。ほかに考えられる死としては、例えば社会的な死とかですかねー?」

 鉈をふるう。

「ま、そんなことはどうでもいいんですよー」

 そうだ、すべてがどうでもいい。どう殺すか、どうやったら死ぬかではない。


「私が殺したら、お前は死ぬんだ」


 大切なのは、「私が殺す」ことだ。ほかの誰でもない、この私が。

 沈黙が下りる。

 その一言を最後に、私は押し黙り、不死者もミンチにされながら口を塞いでいる。

 そして。

「く……」

 高らかな笑い声が、その沈黙を破った。

「くははははははっ!くはっははははははははははははははははははははははっ!」

 そんな声には耳を傾けず、私は無言で鉈を振り下ろす。

「いいねいいねいいねいいね!なるほど!それは面白い!面白いよ、君!」

 声が耳障りだ。再び鉈を振り下ろそうとして、私はその手を止めた。

 肉が再生していない。

 それはつまり。

 私は顔を上げた。

 黒々とした海が広がるそのほんの手前。そこにもう一つ、大きな肉塊があった。肉を潰す音をたてながら、ぐにゅりぐにゅりと蠢いて、何かを形作ろうとしている。

「……チッ」

 いずれ復活するだろうとは思っていたけども。

 まだ、足りない。

「そっかー、君はほんとにおもしろいよ~?そうかそうか、客観的に殺せないから、“主観的”に不死を殺すんだね~?」

 耳を傾ける道理はない。鉈を構える。

「いやいや違うねー?不死だから君は主観的に殺すんじゃないね~?」

 どうでもいい。

 殺す。

「君は自身で殺すことを何より尊ぶ。己の手でそうすることを責務としている。その結果は単に付属してくるだけ。君が視ているのは、結果じゃない。君の目的はその過程だ」

 頭がガンガンと痛むのは、さっき地面に頭をぶつけたからか。

 どうでもいいな。

 赤い視界で不死者に接近し、鉈を振り上げる。仕方がない。これで満足しようか。

「最後に一つ」

 うるさい。

 鉈を振り下ろし、不死者の首を刎ねた。


「――これは、君の成り損なった未来だよ」


 にやりとした笑みと、高らかな嗤いの余韻を残して、その体は、真っ黒な海へと落下していった。

 奴は確かに死んでいない。しかし、私がこの手で殺した。それは確かだ。なら問題はない。

 依頼はまだ続いている。

 体中傷だらけになりながら、私は依頼の最後の仕事に取り掛かった。


     ・・・・


 しばらく後。

 どこかの砂辺に、死体が流れ着いていた。

 そこにもう一つ、少し小柄で、少女のような人影が近づいてきた。その影は死体のそばに辿り着くと、思い切り死体の腹を蹴りつけた。

「……ぐぼあ!」

 死体が、少なくとも傍目にはそう見えるものが、奇声を上げる。

「別に痛いなんて、微塵も思っていないでしょ〜?」

「……あ、バレてた?」

「何度も死ぬような目にあってる君が、これくらいで音を上げるはずがないよね〜?」

 それなりに親しい仲なのか、二人は軽口をたたき合っている。

「ついに脱落者だね〜?」

「何だよ、脱落者ってさ」

「その方がなんかカッコよくないかな~?」

「「不死」だとか「全能」だとか、君もなかなかネーミングセンスがないねー」

 立っている影がもう一度死体を蹴り上げる。

「やめてやめて、痛いもんは痛いからさ!」

 その様子を見て満足したのか、影は蹴るのを止める。

「それで、どうだった?君の欲求は満たせたかなー?」

 代わりにそんなことを尋ねた。

「そうだねー」

 一拍置いて、死体が立ち上がった。

「これからが、本番かな?」

 起き上がった死体がにやりと嗤う。真っ暗な夜に、それだけはなぜかわかった。

「君にはもう、結末がわかっているんだろう?」

 死体が尋ねる。

「もちろん。どうなるかは言わないけどね~?これまでのことも、これからのことも」

「完全に全て想定内かなー?」

「というよりかは想像の内かな」

「君は楽しいかい?」

「楽しくはないかな~」

「その割にはご機嫌だけど?」

「そう見える〜?」

「そう見えるね」

「ならそうなのかもね〜?」

 ふたつの影が、向かい合って言葉を交わす。

「さて、一人は関与せず、一人は目的を果たすため今も奔走しているわけだけど、君はどうするんだい?」

 死体だった影が尋ねた。

「私はもうひと眠りでもしようかな~?せっかく想像の内から外に出れたしね〜?逆に君の方は?」

「自分はいつも通りさ」

「いつも通りってどんな感じかなぁ~?」

 影が意地悪く笑いながら尋ねる。見えないが、なんとなくそれが分かる。

「いつも通りはいつも通り」

 それに対し、死体の影は。


「いつも通り、テレビでも見るかな?」


 瞬きするほどの一瞬。

 その一瞬で、彼らの姿はどこにもなくなっていた。そもそも最初からそこにいなかったかのように。跡形もなく。


     ・・・・


 辿り着いた。そこは彼らが監禁されている場所。私が不死者を“殺した”場所からどう離れてはいないが、傷ついた体は思うように動かなかった。さらに体のいたるところが苦痛を訴え、その責め苦がさらに体感時間を長くさせた。

 ま、そんなことはどうでもいいな。

 大切なのはこれからのことだ。

 そこに足を踏み込む。

 そこには、依然として手足を縛られた少年少女たちが座り込んでいる。少女一人に少年三人だ。

 実際、その顔に私は見覚えがなくもない。なくもないが、誰かまでは思い出せない。

 思い出せないということはどうでもいい些細なことなのだろう。

 少年少女たちは憔悴しきった顔で、今は気を失っている。いくら捕まった状態であるとはいえ、極度の緊張感を保ち続けるのには疲労がたまりすぎたのだろう。積み重なった睡魔には勝てなかったようだ。

 そこに私は足を入れる。過去の癖というべきか、足音を立てないように歩いているためか、彼らが目を覚ます様子はなかった。

 好都合だ。

 私は縄を取り出す。直径一センチほどのそれなりに太い縄だ。関係ないことだが、絞首刑に使われる縄の太さは三センチと聞いたことがあるため、それと比べると細いかもしれない。ただ、今回はそういう刑罰とは違って、文字通り首を縛って窒息死させる気なので、あまり問題にはならないだろう。

 この依頼は彼らの総意だった。

 ならば。

 まず、一人目。

 近くにいた少年の首に縄をくくる。

 そのまま縄の端を持ち、私は高めのところへ移動した。彼らの姿が上から見える位置に来ると、私は縄を思いきり引っ張った。少年の体が宙に浮き、首が絞まる。じたばたと体がもがく。声を出そうとしているのか、単に酸素を求めているのか、それとも両方なのか、口がパクパクと開閉する。目は飛び出さんばかりに見開き、涙が滲んでいる。彼の両手は首元の縄を掴もうとして、爪が剥がれるほど掻き毟っている。脚がバタバタともがいて。

 どれだけその姿を見ていたのだろうか、気が付くと静かになっていた。筋が弛緩したのか、下半身が濡れている。

 死んだ。

 一人目。

 その様子を確認すると、私は次に進んだ。

 二人目。

 こいつもつつがなく終わった。

 三人目も殺し終え、最後の四人目の少女に取り掛かろうとした時だった。

「ひっ……!」

 押し殺したような悲鳴が響いた。

 声の出どころは。

「目覚めてしまいましたかー」

 私の後ろには三人の首吊り死体がぶら下がっている。

 私は彼女の姿を見て、にっこりと微笑む。いつも通りの営業スマイルだ。

「な、何をしているの……?」

 彼女の瞳は完全に恐怖の色が浮かんでいる。それも当然かもしれない。だって今から殺されるのだから。死に恐怖を抱かないのはよほどの愚か者か、異常者か、もしくは諦観者だ。

「私はしっかり殺してきましたよー。“依頼通り”に」

「ひ、人殺し……!」

 そんな糾弾に意味は無いだろう。そんなことは見ればわかる。私はヒト殺しだ。

 だからそんな言葉は無視して話を続けた。

「ま、あなたが目覚めてくれてよかったのかもしれませんねー?だって依頼達成報告を怠るのは流石にまずいですから」

「さっきから何よ!?ひ、人を殺しておいて、そんな冷静に……!!」

 彼女は叫んでいるものの、その声はひどく震えている。

「大切なのはそんなことではないんですよねー?」

 ひとまず報告くらいはしとかないとな。

「それでは、代価にあなたの命をいただきますねー」

「近寄らないで……!!」

 私は懐からもう一本ナイフを取り出して、彼女に近づく。このナイフはただの果物ナイフで、薄っぺらくて切れ味だけはいいが、すぐに鈍くなってしまうため、先ほどの戦闘や依頼主の抹殺では使えなかった。なるだけ目覚めさせないように静かに殺したかったし。

 ただ、最後の一人であるならば、そんな遠慮はいらない。すでに目覚めているが縛られている獲物が一人。

「こ、来ないで!!」

 緊張に耐え切れなくなったのか、先ほどまでは多少抑えていた声が金切り声に変わる。

 こんなに煩いなら、口は塞いでおくべきだったか。まあ、そんなことを考えるのは今更意味ないな。

「ご利用ありがとうございました」

「や、やめ―――――!!!!」

 声が途中で途切れた。

 それだけだ。

 元から自分の血と不死者の血で私の身体は真っ赤だったが、さらにそこに新たな返り血が降りかかり、視界を赤く染め上げた。

 自分の仕事が完了したことをしっかりと確認すると、私は――。

「……チッ!」

 物陰に何者かの気配を感じ、手に持ったナイフをそのまま投げた。否、投げようとした。

 しかし、それは結局為されなかった。いや、実際には為されたものの、狙いを大きく外した。

 なぜなら、そこにいたのは。

「げん、ちゃん?」

 ナイフが虚空を飛び、彼女の後ろでカランと転がる。

 彼女の顔は、暗闇に包まれていて、どんな表情をしているのかわからない。

 それでも、私は何かを言おうとして、口をパクパクと開く。だが、そこからは何の言葉も紡がれなかった。

 いつから見ていた?いや、今からだろう。それまで微塵も気配を感じなかった。この前の失敗から、私は周りに一層注意を配っていたため、それに間違いはない。もしくは彼女こそが「腐敗」、またはそれに準ずる何者かである可能性もあるが――。

 私は首を振った。

 そんなことはない。絶対だ。ないはずだ。

 とりあえず、私はぎこちなく笑いかけながら、彼女に近づく。

 自然に笑えているだろうか。きっと笑えているはずだ。問題ない。

 この状況をなんと言おう。なんと言えばいい。

 どうしよう。

 声を出せないままでいる私を、げんちゃんは無言で見つめている。彼女はいつもの雰囲気とは全く違う。ただ、それは昼頃に見た彼女のそれに似ていた。

 しばらくの沈黙の後、彼女が口を開いた。

「…………………さ…を……して」

「……え?」

 突然のことに気を抜いていたこともあり、彼女の発した小さな声を十分に聴きとれなかった。

 ただ一つ。

 その声が、どこか泣きそうな、そんな感情を押し殺したように聞こえたのは、私の気のせいだろうか。

 私が呆然としたままでいると、彼女は背を向けて走り去ってしまった。

「あ、待っ……!」

 思わず呼び止めようとするが、彼女は脇目も振らずに走り去ってしまった。いや、そもそも呼び止めてどうしようというのか。あの現場を見られたら言い訳のしようがない。

 なによりも。

 彼女はそんなことよりも、何かを伝えようとしていたように見えた。最後まで彼女の表情は陰に隠れていたけれど、もしもそれが見えたら、彼女はどんな顔をしていたのだろうか。

 目撃者を殺す、そんな根本的なことすらも忘れて、私はただ、血に塗れたその場所で立ち尽くすことしかできなかった。


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