あいつ、マジで死なねぇよ…(3)
その街で少年はさらに有名な人物となっていた。もちろん立っているのは悪評である。
反対に少年の姿を街中で見かけることは滅多になくなっていた。
人々はその理由を好き勝手につけた。
曰く、遂にあの不死者も野垂れ死んだのだろう、とか。
曰く、遂に軍隊によって捕まったのだろう、とか。
曰く、妖怪の仲間でも見つけたのかもしれない、とか。
ほかにも、どこぞの誰かに退治されたとか、獣に喰われたとか、だいたいそんな感じで、一貫してあの不死者がこの世にはいない、もしくはそれに類する状態にあるということで相違なかった。誰もが彼がもう生きていない、ということに関して疑いを持たなかった。
それも当然のことだろう。
今まで頻繁に姿を見せていたものがすっかり見えなくなったのだ。厄介者であった彼でなくとも死んだと思って当然である。
しかし、彼は生きていた。否、死ねなかった。
街はずれの森の奥。猟師でもよほどのことがない限り入り込まないほどの奥深く。そこに少年は倒れていた。
行き倒れ。
その様を形容するなら、その言葉がまさにぴったりの言葉だった。
服は破れ、初めからぼろきれ同然のようなそれもほとんどただの切れ端と化していて、その下にある皮膚も薄汚れて、どこからともなく血が滲んでいて、およそ生きているとは思えないような有様だった。
ただ、身体はやせ細っているものの、不健康なほどでもない。飢えていたような様子とはいえ、それが死因のようにも思えなかった。
しかし、その様子を見た者がいたとして、誰も本当は彼が生きているなどとは夢にも思わなかっただろう。
「ぐ……っ!」
小さなうめき声をあげて、少年が身じろぎする。と同時に、その口から何かを吐き出した。透明なそれは逆流した胃酸であり、それも彼が飢えていることを表していた。
少しずつ動きながら、少年は体勢を整え、近くの大木に寄りかかる。
やはりその様は死体のようであり、体を虫が這い登ってきていても、それに反応しなかった。少年の瞳は光を失っており、それが見えているかどうかすら定かではなかった。
ぐちゅりぐちゅりぐちゃ、みちり
肉を挽くような音がかすかに響く。それは少年の身体から発せられたものだった。どこかは知れぬが、どこかの傷がふさがった。ただそれだけである。
その音が少年の耳に届き、幾ばくかした後、少年の手が動いた。その手は辺りの地面をまさぐり、適当な折れた枝を探り当てると、そのとがった先端を自らの心の臓に、躊躇いなく思いきり突き立てた。
それは一回では満足せず、何度も何度も何度も何度も何度も。
突いては抜いて突いては抜いて突いては抜いて。
すぐに枝の先端は丸くなったけれども、それでも空いた穴に無理やり刺しこみ。
血が噴き出る。辺りが赤く染まる。
そんなことは関係ない。
そして、少年は再び、息絶えた。
ぐちゃ、ぐちゅりみちゃ。
異音をたてて。
少年の眼が開く。
目が覚めた。目覚めてしまった。
死ねなかった。殺せなかった。
最初は何も食べずに死のうとした。次に毒でも飲もうとした。さらに何度も自傷した。死体が獣に喰われたり、派手に損壊したりしたこともあった。
それでも、少年は目覚めることができたのだ。できてしまったのだ。
これが不死者。
改めてその事実を認識する。
死なない。死ねない。
たとえ、この身がどれだけ崩れようが朽ちようが、少年は生きることを強制されるのだ。
人によっては、それはうれしいことかもしれない。
人によっては、それを追い求めようとすらするかもしれない。
けれど、今の少年にとって、それは。
ただの、拷問に等しかった。
少年は立ち上がった。今の自分では死ねないことは十分に理解した。
だったら。
死ぬ方法を探すしかない。死なないのだからどれだけでも無理はできる。いくらでも試せる。
ふらふらとよろめきながら、少年は森の中を彷徨い始めた。
どれだけの時が経ったのであろうか。森を彷徨って、いつしか森の外に出て、その時には外の景色はすっかり変わってしまっていて、いつの間にか自分の背丈もすっかり伸びてしまって、それもいつしか変わらなくなって。
少年は未だ、自分の死を追い求めている。けれども、その方法は見つからず。それでも少年は目を瞑れば己の原点が鮮明に思い出せる。
あの時、少年が路地に戻った時に見た、あの景色。いつまでも、きっとこの先の遠い未来までも忘れられないあの光景。
あれは――。
・・・・
不死者は瞑目する。夢と現の境で、追憶する。
あの光景は。
そして、目を開けた。
――今、目の前にある。
そこに広がるのは、幾人の制服姿の少年少女たちが捕まって、手は拘束され、足は縛られ、口は猿轡代わりの布をかまされている様子。
「ひい、ふう、みい……四人、と。まあ、これだけではまだ物足りないんだけどね~」
間延びした様子で語るその口調は、どこまでもいつも通りだ。見知った人間を四人も拘束して、監禁しているとはとても思えないほど、いつも通りである。
少し離れた高所から、その様を眺める。
彼らに恨みはない。別に死んでほしいわけでもない。ただし、生きていてほしいわけでもない。
彼らへの思いはいたって単純。
無関心。
それだけだ。
たいして興味もわかない。面白くもない。そんな彼ら。どうなろうが知ったことではない。
彼らの一人が何やらうめき声をあげるが、口をふさがれていてなんと言っているのか全く聞き取れない。
ただなんか伝えたいことがあるのだな、とそれだけ理解して、再び不死者は瞑目した。
あの時見た光景は、あの少女が蹂躙され、凌辱され、最終的に殺されて無造作に捨て置かれていただけの、ただ、それだけの光景だった。
珍しいことでもない。
死体があるのも、それが何者かに殺されていることも、それが小さな女の子で、犯されていることも。
表には出てこないが、探せばいくらでも出てくる。
ただそれだけの、よくあること。
ただ一つ違いを挙げるとすればそれは、それが彼女であったことであろうか。“それ”ではなく、“少女”だった。
名前も覚えていない。もしかしたら聞かなかっただけかもしれない。出会った回数も二回しか記憶にはない。もしかしたらそれ以上出会っていたかもしれないけど、少なくとも不死者は覚えていない。
そんな、それだけの彼女。でもそれだけで、彼女は“それ”ではなくて“少女”だった。
だから。
あの光景は、今でもこの眼に焼き付いている。
いくら拭ってもとれやしない。たとえ目をつぶしてもついてくる。
彼女が死んだのはなぜか。殺した人物は確かにいる。けれど、死んだのは。
少年と出会ったから。
少年と出会って、あの路地で助けてしまったから。
運が悪かったと言えばそれまでかもしれない。少年と出会わなくても同じように死んでいたかもしれない。
でも、少年には、彼がそれを呼び寄せたようにしか思えなかったのだ。
あの日感じた幸福の罰が、追いついた。
そんな自分が許せなくて。
幾度も死を試みた。様々な方法で死のうとした。
死ねなかった。
死ぬ方法を探して、さらにいろんな方法を試した。いろんな薬物を作ったり、粉微塵にしてみたり。
死ねなかった。
だから、少年は絶望した。どう足掻いても死ねないのだ。それは許されないのだ。
なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで。
自問した。
答えは出なかった。
その事実に気付いたとき、少年はただただ呆然として、ゆらゆらと魂が抜けたようにさすらうほかなかった。
無意味に。
無価値に。
幾年経っただろうか。絶望することにも少年は疲れた。気づけば世の中は変わっていた。世界は彼の思っていたよりもはるかに豊かになっていた。飢えている人は過去よりもはるかに裏側に追いやられていた。
目を開けば、そこには数々の娯楽が広がっていた。
はじめ、それには何の関心も抱かなかった。でも、ある日気まぐれに手を出してみた。
楽しい。
久しぶりにそう感じた。
面白いことが尽きなかった。
少年はそれにだんだん引き込まれていった。
面白い。
それは少年にとって、耐え難い欲求だった。
少年にとって、少女と一緒にいるときだけだったのだ。楽しい、と感じたのは。
ゆえに。
少年は、それを追い求めたのだ。
誰よりも貪欲に、誰よりも執拗に、何を犠牲にしても、たとえ己を贄としても。
「……来たね」
そう呟いて目を開いたとき、既に少年はそこにはいなかった。そこにいたのはただの、
――ただの不死者だった。
その口元は愉しげにやにやとしながら、来訪した者の様子をうかがう。彼女はまだ自分の存在には気づいていないようだ。
いや、違うか。
存在には気づいている。ただ、どこにいるかわからないだけだ。
彼女は、不死者が閉じ込めた彼らのもとに辿り着く。その目には少しも動揺の影はなく、ただ淡々と己のするべきことを冷静に見極めているようである。
彼女が、監禁された彼らの口に巻かれた布をはぎ取った。
風に乗って、彼女らの会話が聞こえてくる。
「えーっと、あなたは誰でしたっけー?」
彼女は失礼極まる第一声を放つ。
「そ、そんなことよりも早く助けてよ!あたしたち閉じ込められてるの!だから……!」
捕えられている少女の一人が、そんな見たらわかるようなことを、無意味に声に出す。
「え?誰に捕らえられているんですかー?」
「そんなことはどうでもいいでしょ!早く、早く……!」
その少女はやけに焦って救いを求める。
「はぁ、まあ助けること自体はいいんですけど、相手によってはここで救ったとしてもすぐにまた捕まるだけですよー?」
確かに。例えば、この不死者たる自分であればすぐさま捕まえることも全然不可能ではない。
「だったら、あいつが来る前にさっさとこの縄を外せばいいだけでしょ!そんなこともわかんないの!?」
助けられる側だというのに、その少女のなんとも高慢なことだろうか。普通の人だったらあれだけで助ける気が失せるのではないだろうか。
ただし、彼女は普通の人ではなかった。色々な意味で。
「えー?そんなことしても、例えば相手が組織的にあなたたちを捕縛して、何らかの、例えば人身売買などをしようとした場合、ここからは見えないだけで恐らく見張りがいるでしょうし、仮に逃げ出せても、この状況下に置かれている時点であなたたちの身分は知れているでしょうし、口封じに殺されるだけではないかと思うんですよねー」
流石、鋭い。確かにここから不死者が見張っている。尤も、仮に逃がそうとしたとしても不死者にそれを阻もうとする意思はないのだが。
「だったらどうすれば……!」
その少女以外は、既に諦めているのか、うなだれて身動きする気配はない。それもそのはず、彼らは彼女が来る前からいろいろと脱出のために動いていた。全て無駄だったけども。
「そうですねー」
彼女は思案するかのように顎に手を当てる。と言っても彼女のことだ。おそらく振りだけで、実際は何も考えていない、というかすでに済んでいることだろう。
「やっぱり、ここに閉じ込めた奴がどんな奴だったか知るのが一番いい気がするんですよねー。ここにいるのはなぜか知りませんがどこか見覚えのある人ばっかりですねー。だったら、犯人もあなたたちの知り合い、それどころかもしかすると私の知り合いであることだってあるんじゃないんですかー?」
おそらく彼女は犯人がだれかなどわかりきっているだろう。ならばなぜそんな無意味な問答をするのか。
わかっている。不死者にはそれが分かっていた。もしかしたら本人ですらそれは無自覚かもしれない。
そう思うと、さらに笑みが深まる。
愉しい。
にんまりとニヤついたまま、さらに観察を続ける。
「……そうだ。あいつが……!あいつが全部やったんだ……!」
今まで黙っていた少年の一人が口を開いた。
「あいつ、とは誰ですかー?」
「……※※※」
それはすでに捨てたものだ。その言葉はあまりに無意味。
それに。
その言葉は。
その言葉だけは、彼女が認識することは不可能だ。
なぜって。
だって。それを認識したら、彼女は――。
なんと愚かしいことか。そして、なんと愉しいことか。それはあまりに愚かしくて、可笑しくて、ゆえに愛しい。それ故に面白い。
「?ああ、なんて言いました?」
案の定、彼女はそれを認識できず。
「まあ、別になんでもいいですよ、それは。私にとって大切なことは一つだけですからねー」
そんなことはどうでもいい。
そもそも彼女には犯人が分かっているのだから。
ならば続く言葉が、彼女の本命。
それは。
「あなたたちは、彼を殺してでも助けてほしいですか?」
自らの望む言葉を聞き出すための文言。実質的にはそれには何の意味もない。ただの妄言と言っても等しい。
ただし、それは一般の人にとってのみ。
なら彼女にとっては。
彼女は殺し屋だ。
ならば。
「……た、助けて……!」
そんなことは露知らず、少女はこくこくと頷きながら、救いを求める。助けてくれるならば、と。愚かにもうなずく。
「それはここにいる人みんなの総意、ということでよろしいですかねー?」
少女は周りを見る。周りの少年と少女は、疲労困憊という様子でありながらも、頷く者と、反応しないものと。少なくとも、否定する者は誰一人としていなかった。
彼女はにっこりと微笑んだ。
「承りました」
ただ一言だけを添えて。
そのまま彼女は出ていこうとする。
「待ってよ……!あたしたちを見捨てるの……!?」
「まあまあ、落ち着いてくださいよー。ただ、準備をするだけですよー。ちょっとだけ待っていてくださいなー」
それでもわめく少女を無視し、彼女は去った。
そして。
辿り着いた。
「遅かったね~?」
「これでも急いだんですけどねー?いろいろ立て込んでいたものでー」
私は、遂に奴と対峙した。
別に勝算がある訳でもない。不死者をどう殺すか、その算段はなくもないが、それが成功するかどうかは分からない。
それでもいいのだ。
依頼は受けた。それを遂行するためなら、私は。どんなことでもしてみせよう。
「さて、手紙はちゃんと読んでくれたかな~?」
奴が口を開く。
昼頃に投函された手紙。言うまでもなく、あれは奴が送ったものだったのだろう。そんなことは考えるまでもない。そもそも手紙にそう書かれていた。
手紙の内容を簡単に言うと、「港まで来い」と、ただそれだけだった。ほかに細々とした指示はあったものの、この大まかな指示だけで、展開が私にはおおよそ予測できた。
だから、ここに来るまでに顔が何らかの記録にあまり残らないように気を遣ってきた。
「今どきあんな手紙、どんなロマンチストでも送りませんよー」
軽口を返す。
しかし、奴と私との間には、ピリピリとした緊張感が張り詰めていた。
「それで、ここに来たってことはー、自分に勝てるって思ってきたのかな~?」
「さあ?そんなものはやってみなければわかりませんよー。勝負は時の運って言うじゃないですかー?」
「うーん、君と自分との間にはそれを言えないほどの実力差があることはこの前実感できたんじゃないかな~?」
確かに、それは否定できないかもしれない。少なくとも、真っ向から戦えば奴は私よりも強い。
だからなんだ。
そんなことは、どうでもいい。
大切なことはただ一つ。
依頼を遂行すること。
ならば、他のことに目をくれる必要など微塵もない。
「でも、貴方は私に一回殺されてますよねー?その後に逃げられましたけど。だったら、問題ないんじゃないですかー?……これが三回目」
ナイフを取り出す。これがいかほどに意味を成すのか。
そんなことは知らない。
どうでもいい。
不死者も、にんまりと歪んだその口を、裂けんばかりにさらに歪ませる。
「決着を、つけますかー」
「決着を、つけようか~」